頭の中で何かが這っている

 私の頭の中はいつもいつも忙しい。だから話すのは(筆談ならもう少しスムーズにいく)苦手だし、沢山の情報を頭の中の引き出しにこれでもかというくらい入れているからか、いつかどこかで吐き出さないと何れはパンクしてしまう。まるで忙しなく砂浜を這い回る小さな蟹のように。それは寝る時でも変わらず、私の頭の中で絵や小説のイメージが音楽(大体アニソン)と共に流れてくる。私の動作はそのせいもあってか酷くのんびりしている。無心になれるのは絵や小説を書く時、深い眠りについた時くらいだろうか。

 ジャストアイデアはシャボン玉のように大抵すぐにパチンと消えてなくなるが、頭の中で採用が決まると遅かれ早かれ形にはなる。キャラクターデザインならクロッキー帳に下手くそな設定画を描いて。小説なら音楽を聴きながらノートに書いて(色付きのペンで修正や注釈も入れている。当然ながら製品版には注釈も修正もないので安心して読めるぞ)。けれど、それが地層のように堆積すると幾らかは黒歴史になるが、別にそれでも構わない。確実に進んでいる証なのだから。ジャストアイデアを考え、それを形にするのが一番楽しい時間。情報収集(音ゲー、スマホゲー、動画視聴含む)は、実をいうと案外苦痛な時もあるのだ(動き回っている間はまた別だが。集中力がないのだ。だから活字の本はあまり読みたくない)。アーカイブを手に入れに東奔西走を何度も繰り返してきた。歩くのは苦痛だが、自転車で走っている間はとても楽しかった。電車よりもずっと。

 人からは「宇宙人」(大学に上がって少しした後)と言われたが、私はこれを(その時は)全力で否定した。というのも、宇宙人も現生人類も数学的な考え方は似通っているとされているからだ。あの時は意地でも人間として認められたかったから仕方ないことだった。

 私が創作をする理由には常に「楽しい刺激」を求めているというのもある。楽しいこと以外何もないようにしたい、ストレスなんて感じたくないという想いから、私は楽しいものやことを自ずと求め始めた。人それぞれ楽しいと思えることは違うから、過去にはそれが理由で人と衝突したこともあった。恐らく、今でも私の気持ちが分かる人間は現れてはいない。元々それなりにレアな存在だからだろうか。本来なら喜ばしいことなのだろうが、それゆえに警戒心が強く、他者には簡単に心を開けない。日本人の「和を以って貴しとなす」という教えに染まれない私は、いつまでこうしていれば良いのだろう(……書いていて悲しくなってきた)。

 

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