どっちが本心?
昔から可愛いものが大好きで、今でも部屋には可愛いものばかり溢れかえっている。ぬいぐるみに人形、ラバーストラップやアクリルスタンドからステーショナリーなものまで。それは今でも変わらないし、寧ろ可愛いものを次々と求めている。その一方でかっこいいものやグロテスクなものも求めるようになった。いつがターニングポイントになったのかまるで見当がつかないものの、それらもそこそこ昔から求めるようにはなったような気がする。けれど、年数でいうと可愛いものの方が遥かに上であることは確かだ。
かっこいいものとグロテスクなものを好きになったきっかけは分からない。一目惚れか偶然か。自覚のあるものは一つもないが、幼い頃の出来事が影響している可能性はあるだろう。私の家には昔からグロテスクで暴力的なゲームが沢山あったから。きっとそのせいなのかもしれない。
自分の性癖は、この十数年で恐ろしく混沌としたものになったと感じている。だからこそどっちつかずであり、グロテスクなものとかっこいいものを可愛いもので覆い隠しているのだ。けれど、それではどちらが本心なのだろうか。対外的には可愛いもの好きで通しているが、内に篭っている時は二つも含めて見ている。隠す必要はあるのだろうか。それすらも分からない。
私の部屋にはかっこいいものが殆どなく、机やベッドは可愛いもの以外何もない。本心から可愛いものは好きなのだが、それ以外にも理由はある。二つを隠す為だ。しかし、それだと可愛い絵ばかり描いている理由が分からないままだ。日々努力はしているつもりだし、寧ろ以前よりも上手くなったと思う。けれどかっこいい絵やグロテスクな絵は描けないし、憧れているだけで描こうとは思わない。
根本的に自分の趣味がどっちつかずで、小説を書く以外ではあらゆる意味で噛み合わないのだ。絵柄も世界観も。だからだろうか、本当の意味で私を理解している人はかなり少ない。その上、自分の中でも噛み合わない箇所がある。普通、世界観は一貫している筈であり、大体の人はソレに見合った絵を描くのだが、私はそうでない。おかしな方向にズレているからだ。コレは昔からで、直しようのないものである。せめて、この世界観だけでも理解者が現れてくれたらいいのに。
結局、私は可愛いもので全てを覆い隠す生活を今後も続けることになるのだろう。世界を可愛いもので散らかして、その裏でグロテスクなものを見て。自分とすら噛み合わず、整合性も一貫性もない世界で暮らしていくしかないのだろうか。
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