異形はどこから来たか

 日本人は臭いものに蓋をしまくる性分だからか、完璧主義者が多いような気がする。だからなのか(最近はそうでもなくなってきたが)障がい者などを排除……しないとしても暗いところに閉じ込めてきた。彼らを暗いところで何か恐ろしい者と見間違えたことが異形の始まりではないだろうか。あくまでコレは日本における考察であり、他の国では違うだろうことも付記しておく。

 というのも、海外(特にヨーロッパ圏)では聖書の存在があり、その中に悪魔と天使(と神)がいるのだ。昔から、神や天使は絶対的な善として扱われてきた。そのためには悪が必要であり、まつろわぬ異教の神々を「悪魔」として貶めてきたのだ。それ以外にも、民間伝承で語られる妖怪や妖精の成り立ちには日本と共通点がある。吸血鬼などは比較的成り立つ経緯が分かりやすく、世界的にもメジャーな妖怪である。彼らの元ネタは串刺し公ヴラド三世ともエリザベート・バートリだともいわれている。また、イタズラ好きな幼児を躾ける為に生まれた存在もいる。バガブー(バグベアとも)やザントマンがそんな感じであり、子どもを怖がらせるにはうってつけの妖怪だった。伝承が一人歩きしているような気もするが。

 時が経つにつれ、異形や闇をテーマにした作品が沢山出てくるようになった。絵画や戯曲だけにとどまらず、文学や音楽にも闇は現れる。沢山のどす黒く甘美な毒が、見る者達の目を耳を楽しませてくれるのだ。そこにある闇を見つめているだけで、我々はこの闇こそが現実ではないのかと錯覚する。いつ、どこでもその事実は変わらない。暗いファンタジーは、それ故に重苦しいが奥底には僅かな光が見える。それをどう受け止めるかは人それぞれだが。

 闇の中には沢山の異形がいる。彼らが織りなす物語はグランギニョルと呼ばれ、かつては沢山上演されていた。怪物だけでなく、人間の醜さや弱さも恐怖や狂気につながるその劇は、大勢のオーディエンスを失神させたという。オペラのような美しい、夢のような舞台でなくとも「夢の世界」ではあったという訳だ。

 人間はキメラであるからこそ、「演じる」ことで天使にも悪魔にもなり得てしまう。何人をも狂わせる狂気の発明も、見る者を楽しませる脚本も、全て人間が作ったものだからだ。

 けれども、悪魔が絶対の悪ではないし天使が絶対の善ではない。立場を変えてみれば分かるが、そこには葛藤や苦悩も混じっているのだ。一方的な視点で見てしまったら、確かに頭を空にして楽しむことは出来るかもしれない。けれど、視野を狭めかねない。だから、沢山の視点を持って沢山演じるのが我々人間の理想系ではないだろうか。

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