気に入らないヤツがいた
いつ、どこでもリアルの私の側には気に入らないヤツがいた。煩いヤツ、いじめてくるヤツ。そういったヤツとは縁を切っているが、また同じようなヤツが後からどんどん湧いてくる。数は少ないが、友達はちゃんといるし、高校時代には児童館の人に慰めて貰ったこともあった。それだけ社会から守られた存在であり、同時に恵まれた環境で育っていたということなのだろう。というのは置いといて。
リアルやネットだけでなく、物語の世界にも気に入らないヤツはしっかりいる。王道やらスタンダードな話程そんな感じだ(私がオリジナルで物語を書いている理由も、自分が一切トラウマにならない話を欲しているからである)。気に入らないヤツは悪役に多くて、味方はまずいないだろう。魅力的な悪役もいるとは思うのだが、それ以前に何故「悪役」がいるのだろうか。私はキャラクターを善と悪だけで語るのはお門違いだと思う。
私が(将来的に)書きたい小説は善も悪もないようなもので、考察の余地があるものである。オリジナルは文体こそ分かりやすいが、それでも謎がしっかり残るので読者の想像に任せる部分も少なくない。これは(元)ライバルにトラウマを負わされたことも一応関係しているが、一番は自分の世界で伝えたいことは深いところにあって、それをサルベージした上で解析出来るかが問題なのだ。
人間は根本的にキメラであり、一面だけで語れる存在ではない。口が悪くても根は情に厚い人や、大人しい反面本性は恐ろしい人など沢山の人がいる。それをステレオタイプで記号化するのは一体どういうことなのか、と考えてしまう。あくまでも世の中にいるのは合う人と合わない人だけなのだ。
物語の登場人物をステレオタイプ化する理由は、大体にして分かりやすさを重視する以外にも、これは私個人の意見だが、俗にいう噛ませ犬やらスケープゴート(というよりある種の生贄)が欲しいのではないか?だから同情の余地が一切ないような悪役を作るのではないか?前者のケースはアニメやゲーム、後者はライトノベルなどでよく見かけるなと私は感じた。
悪役がいない作品を作りたいと志す理由は、前述の理由以外にもいくつかある。これは私自身の人に対する見方が関係しているし、その見方はアルバイトをしていた時に自然と根付いたのだが、これを理解できる人はいるのだろうか。私の視点(と感覚)は人とはズレているから、多くの人は受け入れづらいだろうことは確かだ。けれど、悪役のいない世界を作りたい気持ちは本物である。誰しも普通の人だから。
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