パクリへの憧れ

 一昨年の十二月のことである。私の作品をサイゼで親友に見せた際、「お前の絵にはオリジナリティしかない」「世の中にはオマージュという名のパクリが溢れている」と言われたのだ。私自身、オリジナルのキャラクターを描く際にはちゃんとある程度パクっている筈なのにも拘らず、である。

 これは母から見てもそうらしいので認めるしかないだろう。見てもらう前日の夜のこと。私は母に「パクリは何故いけないのか」と問うた(諸事情でこの時は筆談)。すると、「中国でのパクリについてどう思う?」と返ってきたのだ。

 ニュースで度々紹介され、それ専門の書籍も存在するレベルで話題になった中国においてのパクリ。メジャーなあのアニメやこのキャラクターをそのままパクっていったが、そのどれもが中途半端で気持ち悪いと感じた。ガンダムのパクリは安っぽく見えるし、ドラえもんのパクリは生理的に受け付けない。中には著作権に厳しいと有名なディズニーのパクリすら存在した覚えがある。コレが原因で、私は中国をパクリ大国だと認識するようになった。ただ、これはあくまでも外側だけの話である。

 中身(キャラクターの性格やパーソナリティなど)のパクリはどうなるのだろうと思った。

 意外にも、中身のパクリは露骨である場合を除けば、バレることはないようであった。しかし、それで私の心が晴れる訳ではなく、寧ろ「パクリが出来ない」という劣等感を植え付けられているような気がした。コレが憧れ(歪な)の原因でもある。

 私自身、最低3個から最高20個までの元ネタを組み合わせて、オリジナルキャラクターを生み出すことができてしまうということ。組み合わせる要素は何でもよく、カラーリングすらその要素に当てはまってしまう。頭の中のイメージ(線画)にソレを流し込むと、オリジナルキャラクターがしっかり出来上がる。パクる気ねえだろという声が方々から聞こえてきそうだが、私自身パクる気はある。ただ、やり方が違うか露骨かどうかが違う。

 題材としてメジャーな作品を選ぶことが少ないというのも問題のようである(中には曲イメージもある)仮に選んだとしてもバレなかったケースもあるが。そのつもりでも、バレないのは悔しい。一応、バレる一歩手前までいったこともあるが寸前で外されたことがあった。パクリの才能がないことを思い知らされたちょっと嫌な思い出だったと記憶している。

 これは誇るべきモノだと言われても、あまり心変わりはしない。しかし、親友はおろか母にも言われるということはもう開き直った方がいいんだろうか。

 

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