第23話 オルタンス王国編 5 〜味方はずっと近くに〜



「……彼らは眠らされていたのね……」

 エリシュカが扉を開けると、見張りの兵士たちがうつ伏せで倒れていた。一瞬、死んでいるかと思いどきりとしたが、ぐぅぐぅと寝息が聞こえほっとする。机上に飲み物が置かれているところを見るに、メイドが差し入れしたものを疑わずに飲んでしまったのだろう。


(…無礼な軽口を叩いてくる兵士たちの心配をするなんて)


 彼らの態度は、無口な自分となんとかしてコミュニケーションを取ろうとした結果だったのかもしれない。もう少し、話に乗ってあげればよかった。アルフィーとの会話を思い出し、ふとそう思う。−−とにかく、無事でよかった。


 階段を降りてしばらくすると、大臣の部屋の扉が見える。控えめにノックをしたが返事がない。最初より少し強めにノックをすると、くぐもった声が聞こえた。


「……誰だ」

「私です、大臣。エリシュカです」


 キィ、と小さく扉が開かれる。燭台を手に取った大柄の老人が、大きく目を瞬かせた。

「エリシュカ様、こんな夜更けに……!? それに、後ろの者は……」

 その困惑した様子に、私も狼狽うろたえる。


 齢60近くのこの老人は、父が即位する前から重職についていた。昔から厳しい人物だと各所で噂されていた大臣。父が倒れてからもその威圧感は全く緩むことがなく、むしろますます顔つきが険しくなった。幼少期にも、優しい父の代わりにこの大臣−−当時は違う役職だったが−−によく叱られた思い出がある。


『姫様、そんな危ないことはお止めください』

 眉根を寄せて詰め寄る彼が怖いと父に泣きついたのはいつ頃だっただろうか。それ以来、口を聞くことはほとんどなく、最近になってようやく会話することが増えた。とはいえ、あくまでも君主と大臣という業務上最低限の会話をするに留まるのだが。そのときでさえ、彼の眉間に深く刻み込まれた皺が取れることはなかった。


 −−そんな彼が、こんな表情をするのか。


「エリシュカ様? いかがなされた」

 怪訝な顔を向ける大臣に、気を取り直して返事をする。

「……先ほど、従者メイドに命を狙われました」

 なんと、と大臣が短く声を上げる。

「彼らは私を助けてくれたのです」

 後ろでカエデが軽く会釈するのを感じた。ミアとアルフィーは小動物に変身し、彼の両肩に鎮座しているようだ。

「……やはりそうですか」

 その言い方に引っ掛かりるものを感じた。私が口を開くより先に、カエデが前に進み出る。

「『やはり』、とはどういうことですか?」

 口調は丁寧だが、少しの違和感も逃すまい、という気迫が込もっていた。

「彼女が亡き者になるかもしれないとわかっていながら、あの刺客メイドを雇ったのですか?」

 尚も足を進めて詰め寄るカエデに、大臣はふんと鼻を鳴らした。

「部外者の貴様には関係ないことだ」

「……では、当事者である私が聞きます」

 普段は意見をしない私が出てきたことに驚いたのだろう、大臣の目がわずかに見開かれる。

「単刀直入に聞きます。あのメイドに私を討てと命じたのは、あなたなのですか」

「まさか」

 大臣は首をゆっくりと振り、目を伏せながら呟いた。


「……不穏分子を割り出すためです」

「割り出す?」

「姫様が……エリシュカ様が狙われているのは事実です。ですが、敵の身元が分からない。ぞくをあぶり出すために、あえてあのような施策を仕掛けました。全ては貴方を守るためです」

「私を……守る……?」

「彼女をエサにしたんでしょう。いくら守るためとは言え、それでは本末転倒だ」

 詰め寄るカエデに、大臣が睨みを効かせる。

「もちろん対策はした。他の従者や見張りの者はワシの直属の部下が選んだ手練を紛れ込ませている。不審な動きがあれば、彼らが動く手筈てはずだった」

「でも、動かなかった」

 カエデの言葉にぐ、と大臣が言葉を詰まらせる。私も続けて口を開いた。

「彼らは、襲撃の間ずっと眠りこんでいました。薬を盛られたようです」

「ばかな」

大臣が短く呟く。

「そんな失態を犯すような者が、エリシュカ様の警備をしていたと……?」

 怯む大臣に、カエデはさらに詰め寄る。

「あなたの部下がすでに敵の元へ寝返っている。その可能性はありませんか」

「……そんな、ばかな……」

 大臣はしばらく視線を彷徨わせていたが、やがて諦めたのか、そっとひざまずいた。


「……部下への追求は後にします。もしその男が言ったように部下が裏切っていたならば、ワシは亡きフェルナン公に合わす顔がない」

 心底後悔している大臣の様子に、私は面食らった。表面上は冷徹そうな人間が、こんな姿を見せるなんて。

「……誰がエリシュカ様の命を狙っているのか、一刻も早く見つけ出さねばと急ぐあまり、手段を見誤りました。結果的にあなたを危険に晒すことになり……。……申し訳ございません」


 両肩を震わせながら言葉を絞り出す大臣に、私もそっと膝をついた。


「……顔を上げてください」


 大臣のすがるような目線とぶつかる。


「……お父様は、貴方をいつも自慢の部下だと褒めていた。そんな人物に、こんな表情をさせてしまったのは私の責任でもあります。政治に疎いから、誰も教えてくれないから、どうせお父様には叶わないからと、私は貴方や兵士たちと対話することを諦めていた。自分の命が狙われていると感じたときさえ、その解決策を貴方たちに相談しようとはしなかった……」

「エリシュカ様……」

「私はね、本当に何もわからないの。でも、お父様が遺したこの国をよくしたいと思っているのは本当」


 でも、思っているだけでは何も解決しないとよく分かったから。


「これからは私、大臣とも兵士たちとも、本音をきちんと話し合うわ。もちろん、国民とも」


 傷つくことが怖くても、傷つけることに怯えても、本心で話し合ってみせる。


「……だから、貴方も話してほしい。貴方一人で抱えずに、私に相談して」


 私は、この国の王で、貴方はこの国の大臣なのだから。


「……分かりました」


 大臣の目が少し潤んでいるように見える。私の視界がぼやけているせいだろうか。空色の指輪が滲んでいくのが見えた。


「……今まで、何もしなくてごめんなさい……」

「エリシュカ様……いえ、姫様……謝るのは私の方です……」


 ご立派になられた、と微笑む大臣に、私は今度こそ涙が止まらなかった。


 肩を震わせる私たちに、カエデが優しい眼差しを向けながら口を開く。


「……あの、暗殺者メイドが部屋に転がりっぱなしなんですけど……」



 * * *



「あんた、本当に空気読めないわね」

「お前ほどじゃないだろ」


 ミアとカエデが言い合うのを後ろに聞きながら、大臣と今来た道を戻る。


「ごめんね、良い雰囲気を邪魔して……」

 アルフィーが耳をパタパタ揺らしながら、申し訳なさそうに言った。

「いいのよ、確かにあの縄だけじゃ逃げられてしまうかもしれないし」

 私は急ぎ足で廊下を駆ける。

「しかし、一体誰が姫様のお命を……」

 大臣が神妙な顔をして考え込んだ。


「……」

「……」

「……」


「小動物が喋っておる!!!!???」


 急に大臣が大声で叫ぶ。


「え、今!?」

「うわー、あまりにもミアが自然に喋るから」

「なによ、アルフィーさえ黙ってれば私の声なんてカエデの独り言でごまかせたのに」

「ごまかせるか!」


 私のときは無理やりごまかしたわよ、と言いそうになったがひとまずそれは棚に上げ、部屋に向かいながら大臣に話しかける。


「大臣、この子たちはね」

「魔物か!? 魔物の類なのか!? というかそこの男、さっきからしれっと一緒にいるが一体何者なんだ!? 姫様とどういう関係だ!」

「あ、あの方は街中で偶然会って」

「街中で偶然!?」

 大臣がハッと思いついた顔をし、わなわなと震えだす。嫌な予感しかしない。


「まさか姫様、あんな顔しか取り柄のなさそうな男に惚れ…!?」

「おいじいさん、聞こえてるぞ」

「違うの、彼は魔物をペットにしている人間で、彼が仕える魔王は人間を助けたいと思っている良い魔王で、私たちに協力してくれるとか……」

「エリシュカ……様、それ今は言わない方がいい」

「言わない方がいい!? 姫様、その男怪しすぎますぞ! もしや、奴も刺客の一人では……!? というか、今呼び捨てにしようとしたな!?」

「いや、言うにしてもこのタイミングじゃないってことで……呼び捨ては慣れてないからで……あ、着いたぞ」


 押し問答を繰り広げつつも、私たちは何とか部屋の前に着いた。


「ああ、お前たち、なんという体たらく……」

 大臣は扉の前で眠っている兵士たちに呆れ返りながら、失礼しますと一言添えて私の部屋に入る。


 幸い、メイドはまだ部屋の隅で気を失っていた。

 ほっと一息ついたが、大臣は呆然としている。何か失態を犯しただろうか、と恐る恐る顔を覗き込むと、その目はメイドではなく荒れた部屋全体に向けられていた。


「……寝具に血が飛び散っているではありませんか……よく見れば姫様、肩を…」

「だ、大丈夫よ。お父様の指輪のおかげで治ったし、この人たちが助けてくれたもの」

「恐ろしい思いをさせてしまいましたな……」

 ぐ、と顔をしかめる大臣を見て、とても悪いことをしたような気分になる。この顔を見ると、実際に自分がやったことよりも、数倍ひどいことをしたような気分になるのだ。困らせてごめんなさい、嫌いにならないで、と泣きわめきたくなる。小さい頃、彼に叱られたときの記憶が唐突に蘇った。


「……あの、大臣」

「何でしょうか」

「……お名前、教えていただけませんか?」


「……ん?」

「え、今?」

「ていうか、知らなかったの?」


 カエデたちの言葉は聞かなかったことにして、私は父の重臣と改めて目を合わせる。


 私の味方は、ずっと昔から、思ったよりずっと近いところで見守ってくれていたのだ。

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