第22話 オルタンス王国編 4 〜襲撃〜



 −カタン。


「……?」


 シンと静まり返った部屋で、エリシュカはゆっくりと目を開ける。


 ぼやけた視界で枕元を見ると、外したはずの指輪がなくなっていた。


 父から貰った、空色の宝石がはめ込まれた指輪。


 眠っている間に床に落としてしまったのだろうか。


 朝になったら探そう、と再び目を閉じる。……が、ある違和感に気づく。



 視界が暗い。



 窓を背にして寝ていたので、部屋全体が月明かりに照らされて青白く光っている。

 だが、エリシュカの周りだけ光は届いていない。

 正確には、窓際に立っているであろう人影が届くはずの光を遮っている。


 じっとりと嫌な汗が滲み出る。


 恐る恐る後ろを振り返ると、フードを被った人物の冷たい双眸そうぼうとぶつかった。


「−…誰?」


 エリシュカが言い終わらないうちに、相手が思いきり拳を振り下ろしてきた。とっさに横へ避けたものの、勢い余ってベッドの下へ転げ落ちる。


「痛っ…!?」


 落ちた衝撃とは別の痛みを感じ、思わず自身の腕を見る。服の切れ目からとめどなく鮮血が溢れていた。肩から肘のあたりまでぱっくりと割れている。


「いやぁぁああああ!!!!!」


 ナイフにべっとりとついた血を払い飛ばし、再び人影が襲ってくる。


「誰か!! 誰かいないの!? 見張りは!?」


 扉に向かって走ろうとしたが、背中に強い衝撃が走り床に倒れこむ。どうやら蹴られたようだ。肺が痛くてうまく息ができない。

 ようやく立ち上がりかけたところで髪を掴まれ、再び床に引きずり倒される。ぶちぶちと髪の毛が抜ける音がした。相手は構わずエリシュカの頭を引き上げ、そのまま顎を上に向ける。白い首筋があらわになった。


 ピタリと冷たい金属の感触を感じて、思わず「ひっ」と短く悲鳴を上げる。それが合図とでも言うようにナイフの切っ先はますます食い込んでくる。生唾を飲みこもうとしたが、震えのせいでそれが叶わない。代わりに口の端から伝い落ちていく。歯がガタガタと浮く。心臓の鼓動がうるさい。切られた肩が痛い。息がうまくできない。


 −殺される。殺される殺される殺される。


 私の人生、こんな終わり方なの?


 言いたいことも言えないまま?


 周りから疎まれていた無能なお姫様がいなくなって、めでたしめでたし?


 そんなの嫌だ。絶対嫌だ。



「−結構言いたい放題だったじゃない」



 ぎゅっと瞑った目の奥で、先ほど会った少年の声がこだまする。


「−こんなところで死んでたまるかぁああああ!!!!!」


 思い切り叫んだ瞬間、頭上に魔法陣が現れた。



 * * *



 −ゆっくりと目を開ける。


 うずくまる私の目の前に、あの黒髪の男性が立っていた。


「−大丈夫ですか?」

「貴方は、昼間の…!」


 思わず駆け寄ろうとすると、そっと肩を押し止められる。


「傷が深いから、あまり動かない方がいいよ」

「アルフィー…!」

 先ほど別れたはずの赤髪の少年が立っていた。恐怖から解放され、思わず涙腺が緩む。


「言ったでしょ、君を助けるって」


 向けられた笑顔に微笑み返そうとしたが、急に肩の痛みを強く感じてうずくまった。よく見れば、首からも血が流れている。


「酷い傷だな……これで治るといいが」

 黒髪の男性−−カエデという名前だったか−−が、束になった草を袋から出す。

「何それ?」

「薬草らしい。ヴォルデニア王国へ行った時に買ってみた。……これ、塗るのか? 食べるのか?」

「魔族はそんなの使わないからわかんないよ」

 二人の緊張感のないやりとりに苦笑いする。


「私も、薬草は使ったことがありませんが……。お父様の指輪があれば、大概の傷は癒えます」

「指輪?」

「はい、淡いブルーの魔石をはめ込んだ指輪が、おそらくどこかに……」

「これのこと?」


 黒髪の男性の向こうで、アルフィーとよく似た容姿の少女が手を挙げる。フードを被った人影は隣で身をかがめたまま動かない。なんとか体を動かそうとぎこちない動きを繰り返すその懐から、少女が何かを抜き取る。月の光を受けてきらりと光るそれは、紛れもなく父からの最後のプレゼントだった。


「そ、それです!」

「へえ〜……。アンデッド系の魔物が触ったら消し飛んじゃいそうね」

 指輪をつまんだままじっと動かない少女に、少し嫌な予感を感じる。

「あの……」

「ミア、返してやれよ」

「はいはい」

 壊されるかと思ったが、案外素直に少女は諦めた。ぽん、と投げられた指輪をつけると、淡い光がゆっくりと傷口を包んでいく。しばらくすると、跡形もなく傷が癒えた。


「へえー……! 便利だな」

「こんなに強い魔力の石は珍しいよ」

 目を丸くするカエデとアルフィーに、少し誇らしげな気持ちになる。

「元々は父が母にプレゼントしたものなんです。鉱山から取れた魔石の中でも、一番上等なものだったようで……。母が亡くなったあとは父が肌身離さず付けていたのですが、父が亡くなる数日前に私にくれ……」

 そこまで言って、ふと違和感を感じる。あの日、どうして父は私に指輪を渡したのだろう。これがあれば怪我をしても大丈夫、そう言って大事にしていたのに。


「ねえカエデ〜、こいつ殺しちゃっていいの?」

 考えを深める前に、ミアと呼ばれた少女が人影をつんつんと叩きながら声を出す。

「殺すなって言ってるだろ。第一、お前じゃ……」

「殺せないって言いたいの? 魔法が使えなくたって、このナイフで一突きよ」

「そうじゃなくて。……そういうのは、当人同士で解決させるものなんだよ。とりあえず、こいつは生かしておかないと」

「ふ〜ん? ま、確かにこいつから絶望のエネルギーは感じないし、殺すだけ損かもね。人間のくせに感情がないのかしら。もしかしてお人形?」

 ミアがぱさりとフードを払い落とすと、すべてを諦めたような女性の顔が現れた。夕食後、無愛想にエリシュカの着替えを手伝ってくれたメイドだった。


 そんな、と小さく声に漏らしたが、同時に頭の片隅でやはり、という気もしていた。あの不自然に入れ替わりするメイドたちは、このためのものだったのだ。


「とりあえず、暴れないように縛っておこう」

 そう言うと、カエデは懐から出した縄を相手にぐるぐると巻きつけていく。縄の扱いに慣れていないのか、縄はぐちゃぐちゃと絡まり始めた。

「ん? 縛り方よくわかんねーな……」

「ばか、そんなんじゃすぐにほどけちゃうでしょ!」

「しょーがないなー、僕がやってあげるよ」

 召喚した魔物を捕獲するときによく使ってたから、と歩いていくアルフィー。

 その隙を付いて、メイドが体を回転させて二人の間をすり抜ける。そのままこちらへ向かって突進してきた。

「し、痺れ草ってこんなに効果短かったのか!?」

「知らないわよ、私は使ったことないんだから!」

 言い争いをしながらカエデとミアがこちらへ走ってきてくれるが、相手の方が速い。

 メイドの進行方向にいたアルフィーに拳が振り上げられる。

「うわっ」

「アルフィー伏せて!」


 無我夢中で手近にあった椅子を引っ掴み、メイドに向かって投げ飛ばした。

「がっ……」

 ちょうど顔面に当たったのだろう、ぐるんと白目を向いてメイドがゆっくりと崩れ落ちる。


「あ……ありがとう、エリシュカ」

 若干顔を引きつらせながら、アルフィーが礼を言った。

「そんな顔しないで」

 私も苦笑いで答える。


 たまには、お姫様が助けたっていいじゃない。



 * * *



 気絶したメイドを縛り終えるのを見て、私は3人に改めて聞いた。

「あの、どうして……どうやってここに?」

 ああそれは、とカエデがこちらに向き直る。

「アルフィーの移動魔法を使ったんだ」

「でも、ちょうど襲われたときにきたのは」

「対象に危険が迫っていることを察知すると、自動的にその場所へ飛ばす魔法があるんだよ。さっき、君にマーキングしといたのさ」

「いつの間に……」

 言いかけて、アルフィーが袖を引いて話しかけてきたことを思い出す。あのときか。

「本来はミアを守るための魔法なんだけどね」

「一回も使ったことないわよね」

「お前は別に大丈夫だろ」

 和やかにじゃれる三人を見ていると、再び緊張がほぐれた。落ち着いてきたと同時に、様々な疑問が浮かび上がる。


「……どうして、彼女は私の命を狙ったのかしら」

 ぐったりと横たわるメイドの顔を見る。彼女に会ったのは今日が初めてだ。直接的に恨まれる覚えはない。

「貴女は前々から狙われていた」

 カエデがぽつりとつぶやく。

「誰かが、メイドたちの中に暗殺者を紛れ込ませていたと……?」

「彼女たちは一般人の中から選出されたようです。表向きには、貧しい娘たちに仕事を与える救済措置だとアピールしていた」

 実際にはその側面もあったのでしょう、とカエデは続ける。

「ですが、その本当の目的は城の中に暗殺者を紛れ込ませるためだった……と、俺は思っています」

 予想していた展開にゴクリと生唾を飲む。

「リリエル…リリーって名乗ってたんだっけ? 彼女は単に、その場にいた担当者の好みで声をかけられたんだろうけどね……」

「もしかすると、リリエルさんがいたとき既に他の暗殺者が紛れ込んでいたのかもしれないな」

「素知らぬ顔で消してそうよね、リリエルの場合」

 あり得る話だね、とアルフィーたちが談笑する中、私は頭がくらくらしていた。


 入れ替わり立ち代わりメイドが入ってくるのは、そういうことだったのか。エリシュカが刺客の手によって亡き者になっても、指示した人間は全責任をそのメイドに押し付ければそれで終わりだ。公国君主の華やかな生活を妬んでいた、とか、適当な理由をこじつけて。そんな計画を画策していた人物が、背後にいる……。


 顔色が悪くなっていたのだろう、私を見咎めたカエデが真面目な顔で話しかけてきた。

「メイドたちは誰が手配していたんだ?」

「集めていたのは下級の兵士たちですが、最終的なチェックは大臣が……」

「じゃあその大臣がエリシュカを狙っていたんだろうね」

 そんな、と声が漏れる。


「……それは違うと思います」

 首を横に降る私に、カエデが話しかける。

「エリシュカ様、受け入れたくないのはわかるが」

「何か理由があるはずです。私は大臣に真意を聞きたいし、彼もきっと、私に言いたいことがあるはず」

「言いたいこと?」

「……私たちは……。いえ、私と大臣は、もっと話し合うべきではないかと思って」

 怪訝な顔をするカエデに、アルフィーが察してくれたのか言葉を紡ぐ。

「それじゃあ、今から大臣に話を聞きにいこう」

 突拍子もない提案をするアルフィーに、カエデが慌てた。


「えっ今から? こんな夜中に非常識すぎないか?」

「変なところで遠慮するなぁ、カエデは。こういうのは早い方がいいんでしょ」

「どうでもいいけど、早く終わらせましょ。眠いわ」

 ふわぁ〜あ、と緊張感のないあくびをするミア。


 まだ他の刺客が隠れているかもしれない。アルフィーとミアは目立つ姿を隠すため、小動物に変身した。三人と一緒に私は部屋を出る。


 ……すべては、大臣の真意を問いただすため。私の言いたいことを言うために。

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