第21話 オルタンス公国編 3 〜言いたいことを言う練習〜
「エリシュカ様、先ほどの男は…?」
「…えっと…」
護衛兵に連れられ、城までの道を戻る。魔物に私を襲わせたのはあのひとです。魔王は人間の味方だと教えてくれたのもあのひとです。私の味方だと言ってくれたのもあのひとです。伝える情報にまとまりがなさすぎる。どこからどう説明すればいいのだろう。思考をぐるぐると巡らせたものの、良い答えは浮かばなかった。
「…わかりませんわ。ただ、私を助けてくれたとしか」
「全く、少し目を離した隙にあんなことになるとは」
護衛兵長が
「あの男は特権階級にしか使えないはずの魔法を操り、襲ってきた黒い魔物も奴と一緒に消えた。あの男こそ魔物、いや魔王かもしれませんぞ。これに懲りて勝手な行動は
「ですが」
「本当に危ないところでした。貴女の
「彼は人間を傷つける気はないと」
「現に襲われたではありませんか。全く、物分かりの悪い方だ」
一方的にぴしゃりと言われ、ぐっと唇を噛む。
「隊長、女の子にそんなこと言っちゃ可哀想ですよぉ」
「そうそう、それに向こうは優男でしたよ、我々と違って」
「なーんだ、ああいうのが好みですか、エリシュカ様」
「おいおい、失礼だろう」
へらへらと薄ら笑いを浮かべる兵士たちに、曖昧な笑顔を向ける。
…少なくとも、彼は私と対等に話してくれたのに。
女の子だから、なんてくだらない理由を言われなかった。世間知らずが、と見下した態度も取られなかった。あわよくばという下心を持って、無遠慮に体を触られなかった。手は握られたけれど、あれは不可抗力だったから別にいい。そういえば肩も触られたような気がする…が、嫌な感じはしなかった。労いの意味を込めてくれている。はず。そこについては考えるのは止めよう。とにかく、彼は貴方たちと違って、礼儀をちゃんと知っている。私の意見を聞いてくれる。私の目を見て話してくれる。貴方たちと違って。
「何か言いましたか?」
兵長にぎょろりと睨まれ、私は慌てて首を振った。どうやら、声に出ていたようだ。ぎゅっと口をつぐむ。
文句の一つもろくに言えない自分の性格が恨めしい。
父が亡くなってからというもの、毎日我慢することばかりだ。急に何もかもが嫌になり、涙が湧き上がってきそうになる。
それを隠すために俯くと、綺麗に敷き詰められた石畳が視界の隅に入った。父の治世の証。
…お父様、やっぱり私は、あなたのようにはなれない。
父から貰った指輪をそっと握りしめる。ぽつ、と水滴が落ち、石畳がじわりと滲む。
とうとう目から滑り落ちてしまったと思ったが、その滲みは降り始めた雨がつくったものだった。
どんよりと暗くなり始めた空を眺め、余計に憂鬱な気持ちになる。
先ほどまでの晴れ間が嘘のように、大粒の雨が空から流れてくる。
* * *
夕食を終え、自分の部屋へ戻るとまた見知らぬメイドたちが増えていた。
簡単な挨拶のあと、軽く話でもと天気の話題を振ったが無愛想な顔で断られる。
「仕事中ですので」
話し相手になるのも立派な仕事の一つだと思うけど、と思ったが無表情のメイドたちの前では口に出せなかった。そうしている間に着替えが終わり、彼女たちは音もなく控えに下がる。完全に一人の空間になる。
天蓋付きのベッド、高価な絨毯、たっぷりとドレープのついたカーテン。そのどれもが微妙にすすけ、古ぼけていた。幼少期に当てがわれた部屋を、今もそのまま使っているからだろう。
君主となったのだから王の部屋へ移動してもよさそうなものだが、それを進言する者は誰もいない。王しての勤めを果たしていないから当然か、と自嘲する。下ろした前髪が目にかかるのを、ため息をついて振り払った。
少し早いが寝てしまおうか。ベッドの上に座り、読みかけの小説を開く。
王子様がお姫様を守る、陳腐な話。
私の人生と同じくらい退屈だ。
ふと、本の上をふらふらと飛ぶ虫を見つけた。
逃がそうかとも思ったが、外はあいにくの大雨だ。
窓を開けては水が部屋に入ってきてしまう。
ぱたぱたと手を払うが、うまく飛べないのかエリシュカの目の前をよろめくだけだ。
…読むのに邪魔だわ。
ごめんね、と祈りのポーズを取り、そのまま腕を開く。
一呼吸し、そのまま パァン! と両手の平で潰した。
「わあぁー!?!?」
「きゃあぁぁああー!!???」
ポン! と軽い音がしたかと思うと、目の前に突然ツノの生えた男の子が現れた。
「ちょ、いきなり叩くとか、どうしたの!? 普通お姫様って、虫も殺さないんじゃないの!? ていうか叫び声うるさ…」
「だ、だって邪魔だったんだもの! というか、貴方どこから!」
「あやうく今死にかけたからだよ! 急すぎて移動魔法もできなかったよ!」
「魔法?」
ふと、昼間の男性を思い出す。彼も先ほどの軽い音と共に消えてしまった。目の前に現れた少年の深紅の瞳を見た瞬間、記憶がフラッシュバックする。彼のそばにいた黒い犬、あれも確かこんな−。
「何事ですか、エリシュカ様!!」
考えを中断するように、見張りの兵がドアを激しく叩く音がした。
「わ、やばい」
焦る少年を見て、とっさに声が出る。
「な、なんでもないわ! ええと、あの、怖い夢を見てしまって…」
「は?」
「うたた寝をしておりましたら、怖い夢を見ましたの!」
「しかし、声が二つ聞こえたような…」
「ひ、独り言ですわ! 最近の癖ですの、自分と話すのが!」
「えっ」
「あの、ですから、気にしないでくださいまし! とにかく大丈夫ですから!」
あんな大きな声で独り言とは、だいぶお疲れなんですねえ、と小言を言いながら兵士が扉から離れていく。
口をぽかんと開けた少年が小声で話しかけてくる。
「…助けてくれたの?」
「はい。だって、あなた昼間のワンちゃんでしょう」
「ワンちゃ…まあ、そうだけど…」
年相応の困ったような笑いを浮かべる少年に肩の力が抜け、自己紹介をする。
「改めまして、エリシュカ・オルタンスです」
「あ、丁寧にどうも。僕、アルフィーです」
「アルフィー様」
「うわ、恥ずかしいからアルフィーでいいよ」
うわって。
「…アルフィー…は、姓はないのですか?」
「んん? …ああ、ここの人間は名前を二つ持ってるんだっけ。魔族はみんな自分の名前しか持ってないよ。それすら持たない種族もいる。親とかいないし、そもそも名前に意味はないから」
「意味はない…」
『エリシュカ・オルタンス』の『エリシュカ』は今は亡き母がつけてくれた大切な名前で、『オルタンス』は代々続く名家の称号だ。それに、意味はないなんて。
子どもらしくないことをさも当たり前のように言う彼は、やはり魔物なのだ。その象徴のような頭のツノをしげしげと見ていると、扉の外で見張り兵たちの話し声が聞こえた。
「夢を見て叫び声を上げるって、小さい子どもじゃあるまいし…」
「まだ子どもだろ。城のことも国のことも何もわからないんだから」
「その心労がたたって独り言なんて言い始めたのかねえ」
「玉座に座るときはいつもだんまりなのになぁ。お飾りとはいえお姫様は大変だ」
兵たちの低い笑い声が隙間から聞こえる。私はいたたまれなくなって、顔を下に向けた。
「…どうしたの?」
「仕方ないんです…。私が何も言わないから。見下されちゃってるみたい。この部屋だって、子供の頃からずっと使っている部屋ですもの。君主になったのに、王の部屋すら与えてもらえないんです。彼らの言う通り、ただのお飾りですわ」
「なんで言わないの?」
「言うって?」
「私は王だぞ、王の部屋をよこせ! って」
「ふふ、そんな言い方しませんわ…。でも、なんで言わないのかと問われると…どうしてでしょうね…」
「ふーん」
アルフィーが興味のなさそうな顔をする。つまらない受け答えをしてしまっただろうか。恥ずかしくなって再び俯くと、アルフィーがねえねえ、と服の袖をつまんできた。
「練習したら? 言いたいことを言えるようになる練習」
「えっ?」
「君ほどじゃないけど、僕も昔、自信がなくって、言いたいこと言えなかった」
「貴方が?」
うん、と幼い深紅の瞳が柔らかく揺れる。
「ミアっていう、自分よりずっとできる子がそばにいてね。いつもそいつと自分を比べてた。周りの目も気になって、ますます自分に自信をなくしてたんだ。変なことは言わないようにしよう、どうせ何か言ってもあいつと比べられるだけだし、って」
私と同じだ。
「でもある日、僕のことを褒めてくれる人が現れた」
「褒めてくれる人…?」
「その人間と僕は考え方が結構似ててね。彼と一緒になってミアに言いたいこと言ってるうちに、思ったままを口に出しても、いや、口に出した方がうまくいくって気付いたんだ」
「そう? そうかしら? 思ったままを口に出したら、相手を不用意に傷つけたり、誤解されてしまったりするんじゃない?」
「エリシュカは優しいんだねぇ」
けらけらとアルフィーが笑う。その笑顔に、ちがうそうじゃない、と叫びたくなる。
言いたいことを言えないのは、優しいからなんかじゃない。すぐに人の顔色をうかがってしまうからだ。不快に思われたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、うまく話せなくて笑われたらどうしよう。他者のためではなく、自分が可愛いだけだ。話の途中で思考を巡らせているうちに、自分の中で話を完結させてしまう癖がついた。私が話しているのは目の前の誰かなのに、私はいつも頭の中の自分と会話してしまう。現に、ほら、今だって。
「別に傷つけたり誤解されてもいいんじゃない?」
黙って考え込んでいたところで、急に言葉を投げかけられた。ハッと顔を上げる。
「そんなの、お互い様じゃん。あの兵士たちだって、何気なく会話してただけだと思うよ。どちらかと言うと、エリシュカのことを心配してるようにも見えた。でも、エリシュカは傷ついたんでしょ? それならエリシュカが何気なく言った言葉で向こうを傷つけたって大丈夫だよ。痛み分けってことで」
誰も傷つけないで生きるのも、誰からも傷つかないで生きるのも、どっちも無理なんだから、とアルフィーが笑う。
「そうやって傷つけあって、許しあって、また傷つけあって、許しあう。最後に絶望しながら、
なのに誰も傷つけたくないなんて、エリシュカは天界のカミサマみたいだねえ、とアルフィーが愉快そうに言った。
「…感情を抑えることこそ、人間の気高さだと思うわ」
「ま、それも一つの意見かもね。その定義でいくと、全く気高くない人間を僕は知ってるけど」
アルフィーが思い出すように目線を上に向けたあと、ふと私のほうに向き直る。
「もしかしたら、呪いかもね」
「呪い?」
「言いたいことを言えなくなる呪いを、自分で自分にかけてるんだ」
「そんなことない」
「あるよ。だってラクでしょ、そう思い込んでた方が」
そんなことない、という気持ちと、そのとおりだ、という気持ちがないまぜになり、憮然とした表情になってしまう。
「人間と魔族ってのは、すぐラクな方へ流されちゃうからね」
クスクスと無邪気に笑う彼をじっと見つめる。やがて、アルフィーは肩をすくめてすっとこちらを見返した。
「そんな怖い顔しないでよ。…ま、呪いなんて大層な言葉使ったけど、要は慣れてないだけさ。言いたいことを言うことに」
「……アルフィーは、慣れたの?」
「うん? …うん、今は逆に、言わなきゃよかったことまで言っちゃった、て悩んでる」
「それじゃダメじゃない」
顔を見合わせ、今度は二人で笑いあった。
「…あ、つい話し込んじゃった! エリシュカの居場所が分かったらすぐに戻るつもりだったのに」
慌てて指を空中に向け、何かを書き出す仕草をするアルフィー。次の瞬間、丸や四角が大量に重なった文様が空中に煌きだした。これが、魔法?
「……綺麗」
「でしょ?」
「…じゃなくて、何をするつもり!?」
「移動魔法だよ。詳しくは教えてあげない」
「なんでよ!」
「キギョーヒミツってやつ? カエデがよく使う言葉だけど」
「異国の言葉を使って逃げないで。それに、私の居場所が分かったらってどういうこと?」
「君を助けるってことだよ」
予想外の回答に、え、と言葉が詰まる。
「あ、そうだ」
思い出したように、アルフィーが口を開く。
「言いたいことを言う練習、しなくていいと思うよ」
「な、なんで?」
「だって、僕には結構言いたい放題だったじゃない」
アルフィーとの会話を思い出す。そうだっただろうか。よく覚えていない。
「お嬢様っぽい口調も、似合ってないから無理に使わなくていいと思うよ」
「なっ」
何ですって、と叫んだと同時に、じゃあねー、とツノの生えた少年は消えた。
* * *
「…アルフィーは死んだのかしら…?」
「おい、物騒なこと言うな」
「だって遅すぎない?」
ライトブルーの屋根に象牙色の外壁。三角のとんがり帽を付けた塔が城のあちこちから伸びている。外はもう暗いので全体像はよく見えない。城の中にぽつぽつと光る明かりを眺めながら、俺とミアは宿屋の部屋で飲み物をすすっていた。
「生きてるよー」
ヴン、と空中から紋章が浮かびアルフィーが現れる。
「何してたのよ、おっそいわねー」
「虫に変身するって結構大変なんだよ。飛び方よくわかんないし…。ミアはここでぼーっとしてただけでしょ? 羨ましいなぁ」
「何よー!? ていうか、なんで私が掛けてあげた変身魔法解いてるのよ!?」
わぁわぁ言い合う二人をなだめ、アルフィーに結果を聞いた。
「で、どうだった? 城の中は探索できたか?」
「うん、あちこち見てきたよ。もうバッチリ」
「エリシュカの部屋は」
「それもバッチリ。意外と強いお姫様だったよ」
「え? 戦ったの?」
「しないよ、ミアじゃあるまいし」
「私だってしないわよ!」
またしてもわぁわぁ言い合う二人をなだめながら、机周りを片付ける。
「じゃ、準備もできたし後は寝るだけだな」
「えー、暇だわ」
「じゃあお前も虫になって城を飛び回ってこい」
「はあ? あんたが虫になりなさいよ」
「はあ? 何言ってんだお前」
「もー、二人ともやめなよー」
3人で談笑をしているうちに、夜が更けていく。
激しかった雷雨もすっかり上がり、雲間から月が顔を覗かせる。
街も人も静まり返り、石畳の上で水たまりの表面が風に揺れる。
誰も見張る者のいないエリシュカの部屋に、黒い影が忍び寄る。
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