第20話 オルタンス公国編 2 〜やさしい魔王様〜
「ど、どういうことですか!?」
空色の髪を揺らしながらエリシュカが俺の肩を揺らす。
三つ編みに横分けされた前髪の間からは、額に浮かんだ冷や汗が覗いていた。
「魔物にわざと襲わせたって…!」
「あ、揺らすのはやめてくださ、まだ酸欠なんで…」
俺は漫画のように額に縦線が入るのを感じる。脳に血が回っていないせいで、完全に言うタイミングを間違えた。
「貴方も
エリシュカの瞳にみるみる涙が溜まる。まだ高校生か大学生ぐらいの女の子を泣かせてしまった。ものすごく罪悪感が湧いてきて動揺していると、キュ、とミアが肩から顔を出す。
「きゃ」
エリシュカは一瞬驚いたものの、小動物の姿を見て少し緊張が和らいだようだ。
「…ウサギ…?」
「こいつらは俺のペットなんです」
茂みからガサッと黒い犬−に変身したアルフィーが現れた。
「ひっ」
「大丈夫ですよ、人間に危害は加えません。貴女を護衛していた兵士たちも傷一つ負っていないと思いますよ」
そう言ってアルフィーを撫でると、ぐるぐると喉を鳴らしてすり寄ってきた。どこで身につけてくるんだ、その演技力。
ミアはペット扱いされたことにイラついているのか、ずっと肩を噛んでくる。お前はもう少し頑張って演じてほしい。
「ほ、本当に安全なのですね…? いえ、それより、なぜそんなことを…」
戸惑いつつも会話を続けてくれるエリシュカに俺は向き直った。
「こうでもしないと、貴女と二人きりでお話しできないと思ったので」
「話…?」
怪訝な顔をしているエリシュカに向かって、俺は口を開く。
「−貴女は命を狙われている」
「…っ!」
「さっき、貴女は俺のことを『貴方も私の敵なんですか』と言った。それは、貴女が既に敵に囲まれてるということですよね」
「……」
「それに、『私たち』ではなく『私』という言葉を使った。それは貴女個人が狙われていて、尚かつ貴女の周りに味方がいないことを表している」
「……」
エリシュカが黙って俯く。
「貴女は、王位継承の権力争いに巻き込まれている。そして、命を狙われている。違いますか?」
「…なぜ、それを…」
「まあ、歴史を見るとよくある話だということ…現実に色々な街で噂になっているということ…そして確固たる情報源がいること…理由はこの3つですかね」
エリシュカが怪訝な顔を向ける。俺は少し間を取って続けた。
「…最近、無駄に妖艶な黒髪メイドが側にいませんでしたか?」
エリシュカがハッとした表情になる。
ついでにミアとアルフィーもハッと顔を上げた。ハッというか、ハァ? というか。良い反応だ。
「…いました、確かに無駄に妖艶な黒髪の従者が…。1か月ほど前に、仲の良かったメイドの代わりに配属された女性です…。リリーというお名前だったかしら…。少し変わった性格の方でしたけれど、よくよく話すととても楽しい方で…」
「うわー、そいつのこと知ってるわ」
ミアが聞こえないようにぼそっと呟く。
「いつも自分の意見を言えない私はよくからかわれましたが、不思議と悪い気はしませんでした…。でも、せっかく打ち解けたかと思ったら急にいなくなってしまって…あの方が、まさか…?」
渋い顔をしている2人(今は2匹だが)に気付かないのか、とつとつと話すエリシュカに俺は微笑む。
「はい、彼女も魔物です」
「そんな……。では、貴女も…?」
「俺は普通の人間ですよ。魔王城に住んでいますけど」
「…何がなんだか分からなくなってきましたわ…」
頭を抱えるエリシュカの肩に俺はそっと手をかけた。
「リリエ…リリーから話は聞きました。貴女は民のことを第一に考え、いざという時には行動できる方だと。そんな貴女を助けたいと」
「彼女が…そんなことを…? 嬉しい気持ちはありますが、なぜ魔物の彼女が私を…人間を助けたいと言うのです…?」
「俺たちは、この国が…いや、この世界がもっと栄えてほしいと思っています」
「えっ?」
ここが勝負どころだ。俺は軽く息を整える。
「我が
「お、穏健派の魔王…?」
「魔王様はすでに他の世界を数回滅ぼしています。しかしその度に力が弱まったことで、ご自身の過ちに気づいた様子。人間と共存することで、自身の力は保たれる。そのことに気付いた今、この世界では静かに暮らしたいとお考えです」
「そんな話、にわかには信じられませんわ…」
「そうでしょうね。俺も最初は半信半疑でした。ですが、魔王城に俺のような人間がいることが、その証明になりませんか? 俺は、人間と共存したいという魔王様の願いの元、異世界から召喚されたんです」
「い、異世界…?」
「…なぜ貴女の国を救いたいか、という話に戻りましょう。俺たちの城は、オルタンス公国とヴォルデニア王国の境目にあります。この位置は、お互いの国の中継拠点にちょうどいい。もしオルタンス公国で権力争いによる内乱が起これば、ヴォルデニア王国は混乱に乗じてこの国を乗っ取っとろうとするでしょう。その時は、俺たちの城もきっと争いに巻き込まれる。これでは、人間と共存するどころか彼らを殺さねばならない。我が主は、それを避けたいと心から思っているのです」
「人間を…守りたい魔王…?」
肯定するかのように頷く。エリシュカが再び口を開いたところで、兵士達の怒声が響いた。
「エリシュカ様! どちらにいらっしゃるのですか!!! エリシュカ様ー!」
「見つからねば我らは罰せられるぞ! エリシュカ様ー! どうか御返事をー!!!」
「あ、お迎えが来ましたよ」
護衛兵達の声が建物の裏から聞こえる。そろそろ潮時だ。
一気に説明したため混乱しているのだろう、こめかみを押さえているエリシュカの肩をポンと叩き、一言伝える。
「俺たちは
エリシュカがはじかれたように顔を上げる。
「いたぞ!! エリシュカ様、その男は一体…」
兵士達が曲がり角から現れたと同時に、アルフィーの移動魔法が発動した。
* * *
「よくあんな綺麗に嘘をつけるわね」
「嘘は言ってないだろ」
「いや、息を吐くように嘘ついてたよ」
移動先はあらかじめ荷物を置いておいた宿の中だ。周りに人間がいないことを確認してミアが元の姿に戻り、盛大なため息を吐く。アルフィーも大きく伸びをした。
「四速歩行って肩凝るなぁ…」
「ご苦労様」
「国の中心部では、魔物って昔のおとぎ話になっちゃってるんだね」
「誰かさんが城からなかなか勢力を広げられないからな」
「来たばっかりなんだからしょうがないでしょ! そもそも、前の魔王があんな
だが、そのおかげで様々な面で有利に
人間達の魔物に対する知識が疎く、多少適当な事を言ってもごまかせるし、一般兵の武器は対人間用の簡単な軽装備だった。
数ヶ月前に魔王城へヴォルデニア王国とオルタンス公国が連合軍を出したという話は、上層部と一部の兵士達しか知らないのだろう。実際に大したことはなかったとして、民を無駄に不安にさせないように口止めされているに違いない。
「あ、しまった」
兵士たちの武器について考えていると、重大な失態を思い出してしまった。
「何よ?」
「剣を持ちたかったのに、結局素手でアルフィーを止めてしまった…!」
「そこ? …だって、武器を買う前に向こうから来ちゃったからさ」
アルフィーがしれっと答える。
「剣なんて邪魔でしょ。素手でいいじゃない、素手で」
ミアが自分の拳を構えて俺に向ける。
「いや、異世界といえば剣と魔法だろ。俺は魔法が使えないんだから、せめて剣ぐらい振らせてくれよ。少年の永遠の憧れだぞ」
「お前大人でしょ」
珍しく正論を言われた。
「剣の方が絵面が良いのに…せっかくのチャンスだったのに…。ていうか、お前らだって見た目は子ども頭脳は大人のくせに…」
「うわぁ、本気で落ち込んでる…」
「カエデ…」
−だって、剣を振りかざし異国のお姫様を守る、だぞ…?
誰もが一度は夢に見る展開だ。
またとない絶好のチャンスを逃した衝撃が、いらぬ他のショックも呼び起こす。
「そういえばあの王女…俺のような超絶イケメンに手を握られても顔色ひとつ変えなかったな…? 意外と男慣れしているのか…? まさか、深窓の令嬢と見せかけてビッチなのか…?」
「ぴっち? よくわかんないけど、あんな整った人間がその辺のおっさんに手を握られたからって顔を赤らめるわけないでしょ」
「おっさん言うな! まだ若いわ! ていうかお前の方が年上だろうが!」
「まあ、男慣れって言うなら、社交パーティーとかでものすごーく近い距離でダンスでも踊ってるんじゃない?それも、各国の王子様や公爵様なんかとさ。それだけ耐性付いてたら、顔だけのカエデじゃ勝負にならないよ」
「これ以上正論を言うな、アルフィー」
ていうか、今顔だけって言った?
こんなにボロクソ言われたのは初めて出会ったとき以来だ。なぜ今更
「…ていうか、聞いてないんだけど?」
「何を」
のろのろと顔を上げる俺に、ミアがビシッと指を指す。
「リリエルのことよ! 何で王室でメイドやってんの? そして何でお前がそれを知ってんの!?」
「ああ、それは」
報告の時、やけにオルタンス公国の内部事情について詳しすぎるので、詳しく聞いてみた。どうやら街中で王国の連中にスカウトされたそうだ。メイドとして働いてみませんか、と。
「そんなことある!? ていうか、リリエルだってツノが目立つじゃない! なんで紛れこんでるの!?」
「あの人のツノ、引っ込めたり伸ばしたりできるらしいぞ。時間魔法使って」
「便利だな! ていうかそれで1ヶ月帰ってこなかったの!? 本物の主人を放っておいて!?」
「面白そうだったので、だそうだ」
「リリエル〜〜〜〜!!!!」
ぜーはー、とミアが叫び疲れたところで、アルフィーがふと首をかしげる。
「エリシュカ…だっけ? 仮にも王様だよね? そんな偉い人の世話を、道端で適当に集めた人間なんかに任せるかなあ」
「王様だと見られてないんだろ」
「まさか」
「側近たちにとっては王の血筋がいなくなった方が直接実権を握れるしな。むしろエリシュカはいなくなってくれた方が好都合」
「それじゃあ、適当な人間が
「むしろ、適当に集めたという事実が欲しかったんじゃないか? 例えば、偶然集まったその中に、刺客が紛れんでいたとか…」
そこまで言って、俺はある可能性に気付く。
「…まずいかもな」
「…まずいかもね」
「え? なに? なんの話?」
俺とアルフィーの顔をわたわたと見比べるミアの肩に、そっと手を置く。
「わわわ!? な、何よ!?」
「ミア、もう一仕事だ」
「また!?」
「エリシュカの後を追うぞ。−
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