第19話 オルタンス公国編 1 〜孤独な王女〜
「−俺たち魔王軍は、オルタンス公国と同盟を結ぶことにする」
思い立ったが吉日、仕事においてはスピードが命。
早々に旅の準備を整える。
「レイラ、リリエルさん、俺たちはしばらく城を空けます。あとはよろしく」
「…唐突ですね」
「うふふ、面白くなってきましたわ。いってらっしゃい」
念のため、リリエルから追加の情報をもらう。
挨拶もそこそこに、俺はミアとアルフィーを連れてオルタンス公国へと向かったのだった。
* * *
「乗ってるだけってラクでいいわね〜」
「…ミアはともかく、僕は付いてこなくてもよかったんじゃないの?」
俺の両肩に乗ったミアとアルフィーがもちもちと喋っている。二人とも、ミアの魔法でウサギのような小動物に変身してもらった。ミアがピンク色なのに対し、アルフィーは水色の体毛だ。区別しやすい。
「アルフィーの移動魔法は便利だからな。ミアの攻撃魔法は野宿や飯を食う時しか役に立たないし」
「なんですって? 焼き殺すわよカエデ!?」
物騒な物言いをしながら、ミアが携帯食料を火の魔法でチロチロと温めてくれる。水の魔法でコップ一杯分の飲み水も提供してくれるし、サバイバルには心強い味方だ。携帯コンロ兼携帯水筒の魔王様。
「冗談だよ、ミア。お前がいなくちゃ旅は続けられないよ」
本音は心の中にしまいこみ、とりあえず褒めておいた。
そこまで言うなら許してあげてもいいわよ、と得意げなミアにアルフィーが呆れ顔で地図を眺める。
「城の外を出るとますます力が出ないよね…。この制約なんとかならないかなぁ」
ミアの攻撃魔法と同様、アルフィーの移動魔法も大幅に弱体化しているらしい。
本来なら地図を見るなりして座標さえ絞れば移動できるはずが、一度立ち寄らなければ瞬間移動は不可という制約を掛けられているようだった。
「僕、あちこち出歩くのあんまり好きじゃないのに…」
「気分転換の良い機会だろ。帰りはラクになるんだし」
ぶつくさ文句を言うアルフィーをなだめながら足を進める。
「そーよ。それに、今回地点登録しておけば
「お、良い着眼点だな、ミア」
「そうなればいいけどさ…」
げんなりと眉の部分を下げるアルフィーを見かねたのか、ミアが話題を変えた。
「ていうか、なんでこんな姿なのよ」
ウサギのようなもっちりしたフォルムを揺らしながら、小さな目を細めて俺を見る。おそらく睨みをきかせているつもりなのだろうが、全く寸分も怖くない。しょうがないだろ、と返事をする。
「お前らのツノの生えた見た目は目立ちすぎるし、かといって人間に変身するのは魔力を消耗する。体力を温存するためにも、これが一番良いと思う」
「…ふーん」
体力温存ってどれだけ長旅になるのよ、と不服そうに丸まったミアと魔法を使わないこんな原始的な旅って初めてだなぁ、と呑気に空を見るアルフィーを両肩に乗せながら、俺自身もフードを目深に被る。ちびっこ二人に文句を言いつつ言われつつ、道行く旅人に怪しまれない程度に挨拶をしながら、オルタンス公国までの道を進んだ。
* * *
ヴォルデニア王国へ旅したときと同様、辿り着いたのは数日経った頃だった。
「−ここがオルタンス公国…」
石畳で整備された地面、ところどころに花壇が置かれた道、綺麗なライトブルーで統一された民家の屋根。
オルタンス公国も神聖ヴォルデニア王国も、発展度合いで言えば同じ程度に見える。しかし、両国の雰囲気は大きく違った。
ヴォルデニア王国の市街が屋台や露天商に囲まれてゴチャゴチャと活気のあるイメージに対して、オルタンス公国は物静かで優雅な雰囲気である。屋台や露天商がいない代わりに、小綺麗な建物の店内や軒先に商品が綺麗に並べられていた。道行く人の服装も、どことなく洗練されている。
「綺麗な街ねえ」
俺の肩からひょっこりと顔を出し、ミアがキョロキョロと辺りを見回す。
「魔石や鉱石のおかげで財政が潤っているんだろうね。建物が統一されてるのは、オルタンス公の趣味かな」
アルフィーも興味深げに顔を覗かせた。
俺は街の高台にそびえ立つアイボリーの城を見る。
早逝したフェルナン・オルタンス公の愛娘であり、この国における権力争いの渦中の人物であるエリシュカ・オルタンス。
今回の作戦の
* * *
「エリシュカ様、そろそろ城に戻る時間です」
「そんな、まだ何も…」
「貴女はこの国の君主となったのですよ。好き勝手されては困ります」
「……はい」
護衛団の兵長に咎められて、私は
このような時こそ、民の声を聞かねばならないのに。
お父様が
現オルタンス公国君主、エリシュカ・オルタンスは薄水色の髪を揺らし、深いため息を吐いた。
母を亡くして悲しみにくれたのもつかの間、ついには父までいなくなってしまった。
仲の良かった公爵令嬢や侍女たちはいつの間にか姿を消し、知らない人間ばかりがエリシュカの回りを固めている。故フェルナン公は彼女を溺愛していたため、なるべく表舞台には出さず、自身の邸内で蝶よ花よと育てていた。だからエリシュカは父と毎日顔を合わせていたという大臣も領主もよく知らない。来賓のパーティーで数回挨拶をしただろうか、という程度だ。今目の前にいる護衛兵長など、名前も知らない。
ぞくりと身震いする。
名ばかりの公国君主。
何も分からないまま玉座に立たされ、大民の要望や領地問題について矢継ぎ早に質問される。エリシュカが何とか回答しようとすると、彼らは冷笑し、次に呆れた顔をする。苦労知らずのお姫様に難しい話は可哀想だろう、と陰口を叩かれているのを知っている。その度に奥歯を噛んで涙を我慢することしかできない。
いつまでこの国にいられるのだろう。いや、いさせてもらえるのだろう。
老齢の側近達にとって、彼女は明らかに邪魔者だ。自分でも政治の才はないと思う。何も分からない自分が父の代わりなんて無理だろうし、生き馬の目を抜くような権力争いをしている配下や領主をなだめることも到底不可能だ。本音を言えば今すぐにどこかここから遠い場所で、ひっそりと残りの人生を終えたい。
それでも、とエリシュカは思う。
それでも、今は私が王なのだ。
民が何を求めているのか、その声を直接聞けるのは私だけなのだ。彼らが何を求めていて、自分が何をすべきなのか。大臣や領主達が都合の良いように変えた言葉ではなく、直接民衆の口から聞いてみたい。
そう思って、街に降りているのに。
「さあ、早く城に戻りましょう」
「…わかりましたわ」
誰か、私の味方はいないの…。
ぎゅっと胸元を押さえたときだった。
「…なんだ、アレは」
「そんな、まさか」
護衛団員たちが次々に強張った声を上げる。
何事だろうと彼らの目線へ顔を向けると、黒い大きな犬が唸り声を上げていた。
大きな犬、と言うのは語弊がある。巨大。そう、巨大な犬だ。
大人の男性ほどもある背丈の犬が全身の毛を逆立て、血のような紅い目をこちらに向けている。額には大きなツノが渦巻いていた。
「あのツノ…まさか、魔物!?」
「だが、奴らは100年も前に滅んだはず−…っ」
言うか言い終わらないかのうちに、黒犬が兵たちへ襲いかかった。
彼らが悲鳴を上げながら散り散りに逃げていく。いつの間にか私を守る者は誰もいなかった。
「いやっ…」
鋭い牙と歯ぐきを剥き出しにしながら、黒犬が前足を蹴って私の方へ向かってくる。生暖かい吐息がもう目の前に迫っている。
−殺される。
ぎゅっと目をつむって覚悟したが、予想した痛みは一向にやって来なかった。
恐る恐る目を開けると、細身の男性の背中が見える。私の前に立って、黒犬の頭を抑えてくれている。…素手で。
…え、素手?
「お嬢さん、こっちに!」
男性は黒犬の頭を払いのけると、私の手を取って街の小路へと駆け出していった。
私は呆気にとられて彼に手を引かれるがまま走る。
後ろから護衛兵が何かを叫んでいるけれど、黒犬が怖くて振り返ることができない。
男性に導かれるがまま、これ以上ないくらい全ての力を振り絞って走った。
「…ここまで来れば充分かな。…大丈夫ですか?」
「はぁ、は、はい」
こんなに全力で走ったことはない。肩で息を整えようとするが、肺がうまく呼吸してくれない。男性の質問になんとか返事を返したが、言葉になっていないような気がする。代わりに目で大丈夫です、と訴える。彼も同じようで、息を切らしながらこちらを見ていた。黒髪と同じまっくろな目が印象的なひとだった。
「怪我がなくて良かった」
握られていた手をそっと離される。
「こちらこそ、助けていただいてありがとうございました」
息を整えながら軽く会釈をした。
「いえ、とんでもない。俺は財前楓と申します」
慣れた動作ですっと頭を下げられる。ザイゼンカエデ。不思議な語感の名前だ。
「貴女は、エリシュカ・オルタンス公?」
はい、と答えてからしまった、と思う。つい正直に返事をしてしまった。こういうところが本当に政治家に向いていない。嘘をつけないのだ。初対面の人間に、素性を明かして大丈夫だろうか。
「お目に掛かれて光栄です」
キラキラした笑顔を向けられる。少しうさんくさい感じはするが、側近たちが向けるような敵意や悪意に満ちた顔ではない。私もできるだけの笑顔で返した。
「ここは良い国ですね。土地は豊かで民の表情も明るい。街は洗練されていて、工業も発展している。先代はさぞかし名君だったのでしょうね」
口ぶりからして、この国の人間ではないようだ。放浪中の旅人だろうか。
「…ええ。お父様は、本当に立派な方でしたわ」
私と違って、と胸の内で呟くと、彼のほうが言葉を発した。
「貴女もそんなお父様に似たのでしょうね」
驚いて目を見開く。
「わ、私が…お父様に似ている…?」
「え? だって、椅子にふんぞり返らずわざわざ街まで降りてくれる君主様なんて、貴女とお父様ぐらいじゃないんですか」
さらりと言う男性を見て、思わず嬉し涙が出そうになった。私は、少しでもお父様に似ているのだろうか。稀代の名君と謳われたお父様に。そうだとしたら、嬉しい。
「…それにしても、こんな街中に魔物が出るなんて」
緩んだ顔と気を引き締めて、顔を上げる。
「新たな魔王が復活したという噂は本当だったのですね」
…おとぎ話だと思っていた。ツノの生えた獰猛な獣たち。そんな悪魔に、この国が蹂躙されてしまうのか。思わず顔を歪めると、黒髪の男性は事もなげに言った。
「ああ、あの魔物、俺が襲わせたんです」
「……」
「……」
「えっ?」
「ええ」
「ええっ?」
「ええ」
今さっき魔物に襲われ走っていた道と、男性の顔を人差し指で交互に指す。
「…あなたの、魔物?」
「ええ」
「……」
「……」
「えええええええーーーーー!!!???」
尚もうさんくさい笑顔を崩さない男性に、私はまたしてもこれ以上ないくらいの力を振り絞って叫んだ。
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