第6話 自慢のお兄ちゃん
「今日はもう疲れたから寝る!」
というミアの一声により、一旦解散することにした。
「僕も召喚魔法とミアの相手とで疲れたし、今日はもう休むよ」
とアルフィーも自室に戻る。緊張が溶けたせいか、俺もどっと疲れを感じた。リリエルに部屋まで送ってもらう。
「カエデ様の部屋はこちらです」
こざっぱりしたアンティーク家具が品良く置かれた部屋に案内された。広すぎず狭すぎず、ちょうどいい。後ほどお着替えをお持ちしますね、と言ってリリエルが部屋を出て行く。
バタン、と扉が閉まった瞬間、気絶するようにベッドに飛び込んだ。本当に今日は色々あった。
異世界へ来た衝撃のせいか、元の世界での記憶がぼやけている。
俺は、たぶんあのとき死んだのだ。クラクションが聞こえたから、原因は自動車事故が何かだろう。あまり痛みを感じなかったが、感じる暇もなく絶命したのだろうか。事故の衝撃で失くしたのだろう、携帯もカバンも何も持ってこれなかった。
はぁー、と後輩の顔を浮かべる。
どうか小野山が無事でありますように。無事かつ事故を目撃したショックで寝込んでいませんように。あいつ、俺が死んだことを悲しんでくれているだろうか。結構薄情な奴だからなぁ。膨大な仕事を引き継がされて、俺のことを逆恨みしているかもしれない。あいつのことだから、文句を言いつつもちゃんとやってくれそうだが。
−財前サン、こんな時にいなくなっちゃうなんて、勘弁してくださいよ、ほんと。
小野山の声が聞こえる。俺がいなくなったことを少しでも残念がってくれていたら、嬉しい。
風呂に入って一息ついていると、コンコン、とノックの音がする。
扉を開くと、リリエルがパジャマと替えのスーツを持ってきてくれていた。
彼女も寝る直前なのか、ネグリジェらしき白いドレスに身を包んでいる。ふと額を見ると、ツノが見当たらない。
「夜分に恐れ入ります」
「…リリエルさん、ツノが」
「ああ、寝るときは邪魔になりますから。時間魔法で部分的に小さくしたり大きくしたりできるんです」
「べ、便利ですね…」
苦笑いする俺に、ふふっと笑いかける。
「さ、こちらをどうぞ」
手渡されたパジャマは最初に貰った服のような簡素なものだった。飾り気のない動きやすそうなデザインだ。
「従者に作らせたので至らない点があるかもしれませんが」
と渡されたスーツは、形も長さも完璧だった。元のデザインと全く同じである。この世界には存在しない衣服だろうに、よくここまで再現したものだ。優秀な部下がいるのだろう。
「すごい。俺の世界で買うものと遜色ないですよ。いや、それ以上かも」
「うふふ、決まったことであれば機械のようにやり続けられる子がいるんです」
「へえ、ぜひ会ってお礼を言いたいですね」
「そうですね、機会があれば」
…ギャグのつもりだろうか。
窓の外が暗くなってから随分経つ。もう真夜中に近いのだろう。リリエルも疲れているのでは、と顔を見るともう少し話をしたそうな表情だった。このまま帰すのも何なので、部屋に招き入れる。
リリエルにはそばにあった椅子に掛けるよう促し、俺はベッドに座った。リリエルが口を開く。
「改めて、今日はありがとうございました。召喚されたばかりだというのに、ミア様とももう親睦を深められて。さすがでございます」
「深まってますかね、あれ…」
俺は苦笑する。未だにいつ殺されてもおかしくない関係性だが。
「見事な説得でしたよ。まるで、上司と部下のような。ミア様にあそこまで詰め寄れる者はいませんわ」
「逆上されなくてよかったです」
愛想笑いをする俺に、リリエルは微笑んだ。
「あの説得術は、確かに一種の才能ですね」
「いや、本当に大したものじゃないです。というか、俺も昔同じことに悩んでいて」
まあ、とリリエルが軽く手を口に添える。
「会社で…前いた組織で、一位になりたいのに全然なれなくて。クライアントに片っ端から電話を掛けたりとか、資料作りに凝ったりとか、色々してたんですけど」
「頑張ってらしたんですね」
「でも、ある日上司から言われたんです。お前のそれは目的と手段を履き違えてるって。俺は成績一位になることが目的…目標だったのに、いつしか電話を1日何件掛けたかとか、資料を何枚作ったとか、そういうのを目標にしていた。ほんとは、ただの手段に過ぎないのに」
「それでミア様にも、同じことを」
「そうですね。…それからも、なんで成績一位になりたいのか、それがお前の本当のゴールか、仕事を通して本当にやりたいこと、すべきことは何なんだって言われたんですよ。恥ずかしい話ですが、ミアにはその上司の受け売りをそのまま言っただけです」
俺はそこで自分の軸とモチベーションを再確認できた。それからは、常に営業のトップを走り続けている。当時は疎ましく思ったが、上司という存在をありがたく思った出来事だった。
「…カエデ様は、努力家なんですね」
「そ、そうですか?」
「はい。受け売りというのは、自分の身で努力したからこそ身についた言葉でなければ響きませんから」
「そ、そうですかね…」
そんな真っ直ぐな目で急に褒められると、ソワソワしてしまう。
「どうしてそこまで頑張ったのですか?何か大きな理由が?」
「めちゃくちゃ単純ですよ。モテたい、っていうただそれだけです」
普段の俺ならもう少し取り繕うが、疲れているせいか頭が回らない。うっかり本音を言ってしまった。
「まあ、可愛らしい」
リリエルがおかしそうに笑うので、俺は顔が赤くなるのを感じた。
「アホなだけですよ。とにかくモテたい、そのためには営業成績一位を取って年収を上げて、自分に自信を付けないと…ってがむしゃらにやってました」
その甲斐(と生まれつきの顔のおかげも)あって、当時の合コンなんかでは異様にモテた。まあ、すぐ振られたけど。
「カエデ様の容姿なら、きっと引く手数多でしたでしょうに…」
「高校生まではそれでよかったんですけどね。大人になったら、プラスアルファが必要になりました」
財前くんって、顔は良いのに中身がちょっとねー。そんな理由で大学時代からはほとんどモテなくなった。性格か?服のセンスか?自信がありすぎるところか?あ、イケメンすぎて?と必死になって聞いたら、そういうところがちょっとねー、と流された。どういうところだ。
「なぜ、異性にそんなに好かれたかったんですか?」
「そこ聞きます?」
「カエデ様の真似をして深掘りしてみました」
うふふ、と可愛らしく笑うので俺も観念して
口を開く。
「単純にチヤホヤされると嬉しいから…っていうのもありますけど、原点はもっと単純ですよ。俺、妹がいたんですけど」
リリエルが少し驚いたそぶりを見せる。
「カエデ様の妹さんでしたら、とても可愛い方でしょうね」
「そうですね。無駄に容姿が整っていたせいで、よく女の子からいじめられてました」
「まあ」
「本人の大人しい性格も、つけこみやすかったんでしょうけど。ある日、近所の女の子にいじめられてるのを見かけたんです。普通に止めてもよかったんですけど、当時流行ってたアニメの真似をして『そんなことするなんて、可愛い顔が台無しだぜ』っていじめっ子に言ってみたんです」
少女漫画が原作のアニメだったか。今思えば本当にアホである。
「そしたら、なぜかその子が俺のこと急に好きになっちゃって。それから妹はいじめられなくなったし、もしいじめられても自慢のお兄ちゃんがいるから大丈夫、て言ってくれたんです。ああ、モテるってのは人を助ける力になるんだなって…それがモテたい、ってことの原点ですかね。単純でしょ」
こんな話までするなんて、本当に今日は疲れている。
「いえ、素敵な話だと思いますわ。妹さんと仲よかったんですね。一緒に連れて来られればよかったんですけど」
リリエルが残念そうに呟く。ああそれは無理です、とよせばいいのに勝手に口が開いた。
「もうだいぶ前に事故で死んでるので」
驚いたように目を見開き、次いで寂しそうにリリエルが微笑む。若干の気まずさを覚え、話題を替えることにした。
「…あー、だからミアのことも妹みたいで放っとけないのかもしれませんね。ちょうどあのぐらいの年齢だったし。ミアとアルフィーも姉弟ですか?似てますよね」
強引な話題転換だったが、リリエルは空気を読んでついてきてくれた。
「人間で言うなら、姉弟のようなものかもしれませんね」
「きょうだいのようなもの?」
「私たち魔族に兄弟という概念はないんですよ。親がいないので」
んん?生まれてすぐに親と離れ離れになるという意味だろうか?魚とか、一部の動物みたいに生まれてすぐに独り立ち、とかそういうパターンか。きょとんとした俺の表情から思考を読み取ったのか、リリエルがクスリと笑い話を続ける。
「文字通り、魔族に親はいないんです」
「え、じゃあどうやって生まれるんですか?」
「魔界で暮らす魔神や魔物の一部を、人間界用に分離させてできるんです。分身みたいなものですね」
「じゃあ、魔界にいるオリジナルの個体が親みたいなものですか?」
「はい。親、というか自分そのものですけど」
アメーバとかプラナリアみたいだ。
「ミア様とアルフィー様は、元々が似ている姿の魔神から分離したと聞いています。その魔神達が兄妹のようなものだったのであれば、お二人も姉弟と言って差し支えないのかもしれませんね」
魔神や魔物の分身が、人間界へ降りてくるというわけか。オリジナルの個体が人間だった頃に血の繋がりがあれば、親子や兄弟のように容姿が似るのだろう。ミアとアルフィーが転生する前は、どんな人間だったのだろうか。考えを巡らせた後、ふと重大な仮説に気付く。
…オリジナルの個体が人間の転生体で、分身で個体を増やせるというなら、魔族には生殖器がないんだろうか。
真面目な話をしていたはずなのに、無粋な妄想をしてしまった。
ということは、もしかしてリリエルさんも生殖器官がない…?
あんなに立派な胸が付いているのに…?
と恐る恐る前を見ると、目の前に妄想していた相手の顔があった。
「うわ!」
「ねえ、カエデ様」
いつの間にかリリエルが身を乗り出してきていた。ベッドがぎし、と音を立てる。近い。
「えっ、あ、何ですか?」
妄想の真っ最中だったこともあり、急に話しかけられ動揺する。疲れすぎて気付かなかったが、気付けば深夜に男女がベッドの上で2人きり、という美味しすぎるシチュエーションだった。ナニが起きてもおかしくない。
前かがみに覗き込んでくるので、どうしても視線が胸に行ってしまう。服で隠れているのが、余計に意識してしまう。うう、大きい。
「カエデ様は、向こうでこんさるたんとというお仕事をされていたんですよね?」
「は、はい」
吐息がかかる。リリエルの髪から良い匂いがする。
「この世界でお願いしていることも、元々のお仕事と近いとか」
「そ、組織改革とか、トップへの教育とか、そういうことはやってましたから」
「ねんしゅう、と言っていましたね。労働の対価はやはりお金だったんですか?」
「ま、まあ、そうですね」
「でしたら、私もお礼をしなきゃいけないのかしら…。でも、この世界の通貨では忍びないですよね…?」
ぱさり、と髪が揺れる。俺の頬に白い手が伸びる。俺は生唾を飲む。
…こ、これはそういうことなのか?そんな、会って1日でそんなことしていいのか?
ここ最近こんなシチュエーションはご無沙汰だったので、突如現れたチャンスにどうしていいかわからない。リリエルが身じろぎする度に布がこすれる音がする。ゴクリ。喉がなり、心臓の鼓動が速くなる。自分の手が勝手にリリエルの肩へ伸びていく。
突然、フッと部屋の明かりが消えた。ろうそくの灯が消えたようだ。なんでこのタイミング?
「あら、消えてしまいましたね」
彼女の手は俺の頬をそっと包んでいる。幻想的な月明かりが差し込む中、リリエルの唇だけが妙に艶かしい。その口が耳元に近づいてくる。俺は何もできずに固まっていた。
「…報酬、考えておいてくださいね」
短く囁いたかと思うと、急にリリエルはすっと立ち上がった。
「替えのロウソクは机の引き出しにありますので」
ニコリと微笑み、俺が何かを言う前に扉まで歩いてドアノブに手をかける。
「おやすみなさい」
バタン、と扉が閉まり1人残された俺は、行き場のない手を掲げたまま固まっていた。
なんだったんだ、今のは…。
明らかに何かを期待させる雰囲気だった。誰が何と言おうとナニかを期待させる雰囲気だった。
俺は暇つぶしに弄ばれたのか?それともたまたまタイミングが悪かっただけか?ていうか、何で人間の男にあそこまで興味津々なんだ?もしかして、サキュバスってやつなんじゃないのか?
…報酬って、下手にお願いすると精気を吸い取られるとかじゃないだろうな…。
予算削減(という概念があるのかわからないが)のため、俺が法外なものを要求しないよう牽制しに来たのだろうか。でも、それなら俺を殺せば済む話だしな…。だとしたら、やっぱり単純に俺に興味があったから?でも魔族って恋愛感情あるのか?そもそも生殖器あるのか?でもサキュバスなら穴はあるよな…。ん?俺は何を言っているんだ?
生殺しの気分だ。着替えてベッドに入り直す。甘ったるい匂いが残っている。全然眠れない。
妹よ、カエデお兄ちゃんは異世界で魔族とお付き合いするかもしれません。
怪しく輝く月を窓から眺めながら、悶々と長い夜を過ごした。
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