第4話 この世界のアウトライン



「本っ当に……我が軍は弱いのです」

「あ、はい、存じてます」


 リリエルが溜めに溜めたカミングアウトに、俺は力強く頷く。


 あの傍若無人なロリ魔王がトップなら、当然の話だ。


 元の世界で、ワンマン社長に振り回されて心身共に疲労しきったクライアントを思い出した。あそこと同じ状況か。


「ミア様はこの世界で魔王になられてから日が浅く、何から手をつけていいか分からない状態です」

「なるほど」

「他の者に助けを求めるにも、あの性格ですので素直にお願いすることもできず、なんとか皆の意見を実行してみるも空回りばかりで」

「……なるほど」

「せめてミア様に魔王らしい力が残っていればよかったのですが、諸事情により弱体化されています。ご本人に注意申し上げたのですが、次その言葉を発せば殺すと逆上されてその件は会話になりません」

「……なるほど……」

「配下の魔物達の力はあるじである魔王の力に依存するので、彼らも頼りになりません」

「……なるほど……?」

 地獄だな。


「それでも一般の人間に倒されるほど弱くはないので、なんとか持ちこたえていました。ですが最近、女神が人間界から勇者を召喚しようとしている、という話が街中で飛び交っております。個の力も軍としての力もない今、襲われてはひとたまりもありません。我が魔王軍は戦う前から崩壊寸前だというのに」

「……」

 冷や汗が出てくる。

「というわけで、カエデ様、なんとかしてください」

「…………」


 なんとかしてください、という抽象的な依頼が一番困るんですが……。


「えーと……御社おんしゃ、じゃなかった、この城に問題が山積みだということはわかりました。……が、この世界の前提を俺は全く知りません。なぜミアが魔王になったのか、そもそもなぜ魔王は人間界にやってくるのか、女神や勇者は何者なのか。それを知ったうえで、俺がすべきことを考えたいと思います。後でトラブルになったとき、『知らなかった』を理由にしたくない。まず、この世界の概要アウトラインを教えてくれませんか」


 魔王は人間を虐げる、女神や勇者は人間を助ける。俺の異世界の知識(©ライトノベル)はこの程度だが、もしかするともっと複雑な構図なのかもしれない。

 何も知らない俺が良かれと思ってやったことが、事態をより悪くする可能性だってある。クライアントリリエルの言葉を鵜呑みにして魔王軍を強化したところで、それが本当に彼らの望みなんだろうか。もっと、効率的で効果的な解決法があるかもしれないのに。

 俺たちコンサルタントは、クライアントが言ったことを丸呑みするのではなく、彼らも気づいていないな問題を見抜かなければならない。モレなくダブりなく。まずは全体像を把握したい。

 そういうことでしたら、とリリエルも頷く。


「まずはこの世界の常識からお話した方がいいのかもしれませんね」


 この世界は、大きく分けて三つに分かれている。一つ目は神々が住む天界。二つ目は魔神達が住む魔界。三つ目は人間たちが住む人間界。

 俺がもともといた世界や、召喚先のこの世界は人間界だと言う。

「人間界は複数存在するんですか?」

「無数に存在します。剣と魔法の世界もあれば、テクノロジーの世界もあり、原始的な何もない世界もある。いくつもの世界線が枝分かれしていて、それぞれが干渉したりしなかったり。人々との選択の数だけ人間界が存在する、と考えてもらえればいいかと。ちなみに、この世界は剣と魔法の世界です」

 パラレルワールドみたいなものか、と頷いた。

「でも、天界と魔界は一つずつしかない?」

「はい。天界と魔界は、人間界から派生したと言われています」

人間俺たちの世界から?」

「はい。人間界に絶えず溢れるプラスエネルギーとマイナスエネルギー。それらが寄り集まって、人間界ではない次元に別の世界を作った。プラスエネルギーを糧にしたのが天界、マイナスエネルギーを糧にしたのが魔界だと言われています。神や魔神は、どちらかのエネルギーを極端に多く持った人間が死後転生した姿なんです。天使や魔物は、神々から力を分け与えられて派生したもの。たまに例外もありますが」

「神も天使も魔神も魔物も、元は人間だってことだね」

 アルフィーが言葉を添える。

「元は人間……」


 なので私たちとカエデ様も元は同じですね、とリリエルは微笑み、話を続けた。


「次に、天界と魔界の関係について説明します。神と魔神、この二つは敵対しているように誤解されますが、本来は共存関係にあります」

 へえ、と俺とアルフィーが同時に声を上げる。

「アルフィー、お前も知らなかったのか?」

「初めて聞いたよ。小さい頃聞いた言い伝えでは、天界と魔界はずっと争ってるって話だったから」

「小さい頃って、今も小さいだろ」

「な!?」

 俺たちのやりとりにクスッと笑いつつ、リリエルが続ける。


「天界の源である『プラスエネルギー』は人間の希望、魔界の源である『マイナスエネルギー』は人間の絶望を糧にしています」

「希望と絶望……」

「この二つのエネルギーが均等なバランスを保つことで、天界と魔界は安定するのです。ですが、人間界は放っておくと希望ばかり増えてしまう。最近は特にその傾向が強い」


 へえ、と俺はまた声を上げる。希望の方が多いというのは意外だった。

 確かに、俺のいた世界は数百年前より格段に生活が良くなっている。犠牲は多いが。


「人間にとってはいいことですね」

 リリエルはクッと薄く笑う。

「そうでしょうか? 絶望のない場所に希望は生まれない。希望しかない世界はさぞ退屈ではありませんか?それは、死んでいることと同じだと思います」

 そうだろうか。希望しかない世界は想像できないので、わからない。考え込んでいると、リリエルに穏やかな表情が戻った。

「魔界は世界のバランスを保つための必要悪なのです。宇宙にはプラスエネルギーとマイナスエネルギーがある、という話がありますよね。あれで例えるなら、魔界とその住民はマイナスエネルギーそのものなのです。天界と魔界は表裏一体。

 天界の神は人間に希望を与え、魔界の神は人間に絶望を与える。人間はそれを糧に進化する。そしてより多くの希望と絶望を天魔界に昇華する。互いに循環することで新陳代謝を上げ、世界をよりよくしているんですよ」


 例えが高度な量子学から生物学の分野になり、ますます分かりづらい。

 むしろさらに疑問が増えたが、一旦話をまとめてみた。

「要は、合計グロスルビを入力…で見ると希望が多いから、絶望を増やしてノーマルの状態にしなくちゃいけないってことですよね」

「その通りです。力の均衡が崩れればそれぞれの世界はいとも簡単に崩壊してしまいますので」

 ここで俺は疑問をぶつけてみた。


「それなら、天界と魔界が協定を結んで、供給を調整しあえばいいんじゃないですか?お互いに相談とかして」

 きょとんとリリエルが目を瞬かせる。しばらく考える姿勢を取った後、おかしそうに笑った。

「確かにそうですね。そうできたら理想ですが。我々は長く生きすぎて、その道を無くしてしまいました。天界と魔界は、暗黙の了解でもう随分と長いこと互いに干渉していません。そのうえ、人間界で暗躍する天使や魔物も完璧に統率が取れているわけではないのです。中には、自身の力を高めるためだけにいたずらに希望や絶望を搾取する者もいる……」

 国交断絶、指導力の欠如、私利私欲に走る個人。神や魔神と言っても、人間の組織と変わらないんだな。

「なので、先ほどアルフィー様が言った『天界と魔界はずっと争っている』というのもあながち間違いではありません。私利私欲に駆られた天使や悪魔、時には神々が人間のエネルギーを求めて戦っています。それぞれの世界は相手の世界と同じ、いえ、それ以上の絶望−または希望の量を集めなければなりません。

 そのために、各界から神や魔神の分身として、女神や魔王、天使や魔物が人間界へ送られています。ミア様はその一人だったのですが……」


 ふ、と悲しげに息を吐き、リリエルがおもむろに手を空中にかざす。ヴン、という音がしてぼんやりと空中に映像が映った。千里眼で見ているものを共有できるらしい。


 空中に映る画面に目をこらすと、薄暗い部屋の隅でミアがうずくまっているのが見えた。泣いているようだ。


「うっ……う……やっぱり私には無理だよぉ……」

 小さく震える背中。


「……ミア様は、部下にきつく当たってしまった日やアルフィー様と喧嘩した日は、いつもこうやって泣いています」

「泣いても何も変わんないのに」

「アルフィー様」

「こうやってひとしきり泣いて、スッキリして、翌日には忘れて、また同じことを繰り返すんだ。負の連鎖だよ」

 うん、いるよな、そういう奴。


「まあ、魔王がこんな状態では、この世界で人間の絶望を集めるのは難しいでしょうね……」

 リリエルが悲しそうな目を向ける。

 こんな小さな子が、自分の世界を守るため孤独に戦い傷ついている。

 人間を絶望させるはずの魔王が自分に絶望しているなんて、皮肉だ。


 キュっと胸を締め付けられたが、ふと新たな疑問が湧いたので聞いてみた。


「あの、多くの絶望が必要なんですよね?」

「はい」

「人間じゃなくて、魔族や天使の絶望じゃダメなんですか?」

 天界と魔界がなければ人間界のバランスが崩れるということだが、わざわざ間に人間が挟まる理由はない。天使と魔物とやらを争わせれば、人間はノーダメージで済むのでは? と思い言葉を口にしてから、しまったと思った。


 アルフィーがドン引きしている。


 「それでも人間か……?」という顔をしてこちらを見ている。というか、言われた。魔王とはいえ、さすがに泣いている幼女を見ながら言うことじゃなかったか……。これじゃどっちが悪魔か分からない。


「……ダメ、ということではないんですけど」

 リリエルが苦笑いをしながら続ける。

「私たちのエネルギーは、人間のそれと比べると圧倒的に弱いんです」

「え?」

「そもそも、天界や魔界で暮らす住民に感情はほとんどありません。人間界へ降りて、初めて喜怒哀楽が手に入るんです」

 感情は、人間界でしか生まれないということか。

「喜怒哀楽があった方が、人間界では溶け込みやすいですからね。それでも、人間が持つそれよりずっと振れ幅は少ないんです」


 ミア様は例外で、人間と同じぐらい感情豊かみたいですけど、とリリエルは苦笑した。


 それでも、1日経てばケロっとしているのだから、やはり普通の人間よりは割り切っている方だろう。思えば、アルフィーもリリエルも常に一定のテンションだ。でも、彼らと同じくらい感情が現れない人間だっている。人間と魔王と魔物。違いがよく分からなくなってきた。


「……自分に自信がないなら、もっと他者を頼ればいいのに……」

 アルフィーがミアを見ながら、口を尖らせる。

 もっともだ。


 とにかく、この世界の必要最低限の知識は揃った。目の前には困っているクライアントがいる。俺は既に依頼を受けている。あとは期待に応えるのみ。

 報酬の話をしていないが、まあ無料お試し期間と割り切るか。難しいことはあとでゆっくり考えればいい。どうせ一度死んだ身なのだから。


「リリエルさん、ミアがいる場所へ案内してください」

「いいですが……なぜ?」

「ポンコツの魔王様に、活を叩き込むためですよ」


 俺はスーツの襟を正す。やっと、仕事の時間だ。

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