第3話 巨乳美女とのMTG(ミーティング)


 フワッ、と体が浮く感覚がし、ぼんやりとした光が頭の中に広がった。


 目前に迫っていた炎が来ない。その代わり、ドスンという音と共に床に落下する。意外と痛みはない。


 おそるおそる目を開けると、高級そうな分厚いカーペットが目に入った。

 ふかふかだ。


「……ここは?」


「僕の部屋だよ」


 ふぅ、と少年が一息吐き、天井に向かって指をひと振りする。

 ぽっとシャンデリアにロウソクが灯り、部屋に明かりが満ちた。


「……おおー、すごいな」


 先程の暗くて陰鬱な部屋とは打って変わった雰囲気に、思わず感嘆の声を上げる。マホガニーとかいう素材だったか、高級木材を使った猫足のテーブル、豪華な金細工が施された布張りのソファ、えんじ色のどっしりしたカーテンなど、テレビで見たヨーロッパの城そのものである。辞書のような分厚い本が無造作に散らばっていたが、それすらもインテリアの一部に見えた。

 感動してあちこちを見回している俺に、少年がコホンと咳払いをする。


「……怪我がないみたいで安心したよ。ミアはとても短気だから」

「ああ、びっくりするほど短気だったな。……キミは俺を助けてくれたのか?」

「せっかく召喚したのに、すぐに消されるのはもったいないからさ」

「そうか、助かったよ。……ありがとう」

「いいよ、いつものことだから。一生懸命召喚した魔物をすぐに壊されちゃうのは……」


 ふっと寂しそうな表情を浮かべる少年が気の毒で、よしよしと頭を撫でた。


「ちょ、なな、なにしてるのさ! 子ども扱いはやめてよ!」

「なんだよ、慰めて欲しいんじゃないのか? 子どもなんだから遠慮すんなよ、ほら」


 両手でさらにわしわしと頭を撫で回すと、わーっと声を上げて逃げ回る。

 こうしてみると普通の人間の子どもみたいだな、と微笑ましく思いしばらく追いかけ回していると、がちゃんと扉が開いた。


「あら、そちらが例の男性ですか」


 品のある口調の女性。声の主は、優雅な物腰でゆったりと部屋に入ってきた。

 その姿を見た瞬間、俺は少年を追いかけるのをやめ、髪と服装を正した。


 いや、だって、めちゃくちゃナイスバディ。


「初めまして、わたくしリリエルと申します。普段はそちらにいらっしゃるアルフィー様やミア様の身の回りのお世話をしております」


 よろしくお願いいたします、とうやうやしく会釈をした上品かつ知性的な顔立ちの美人。の、胸元に目がいってしまう。でかい。袖やスカートの裾は長いが、胸元は大きく開かれているメイド服を着ている。なぜその格好にした。あの露出狂少女の趣味だろうか。だとしたらgood job《グッジョブ》。

 白くてなめらかな肌に豊かな谷間、さらりと落ちる黒髪に豊かな谷間、すらりとした肢体に豊かな谷間。現実世界では絶対にいない。これぞ異世界。額から生えた一角獣のようなツノだけが、彼女を人ではないと思わせる。だが、そんなことは関係ない。メイド服姿の黒髪巨乳のお姉さん、情報量はそれで充分だ。


 ふ、と表情を整え、美女の方へ歩み寄る。


「お会いできて光栄です、リリエルさん。俺は財前楓。見知らぬ世界に飛ばされ心細く思っていましたが、こんなに美しい方とお会いできるとは不幸中の大幸いです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 そっとリリエルの手を握り、最大級の笑顔を向ける。


「丁寧にありがとうございます。ごめんなさいね、ミア様が手荒な真似をしてしまったようで」

「ミア……? ああ、あの女の子ですね。子どものやることなので、いちいち気にしてませんよ」

「ふふ、寛大なんですね」


 ふわりと笑うリリエルに心臓が秒速5センチメートル。美しいー……!

 そうだよ、これこそ異世界転生。さっきの妙ちきりんな格好の幼女でもなく、ピンチを救ってくれるショタでもなく、こういう大人の女性との出会いを待っていたんだよ。


 少年−−アルフィーだったか、が白い目で俺を見ている。いや、お前ももう少し成長すればこうなるから。せいぜい今のうちにスカしてなさい。思わぬ幸運にテンションが上がり続ける俺に、アルフィーが冷たく言葉を吐いた。


「……カエデ、かっこつけるのはいいけど、服ボロボロだよ」


 え、とよくよく自分の服を見るとボーナスをはたいて買ったスーツは哀れに焼け焦げ、あちこちに大きく穴が空いていた。ズボンに至っては膝から下がまるまる焼け落ちている。まさか、と尻に手をやると素肌の感触がした。ええ、パンツまで……?

 これではあの水着幼女と同じ格好である。あの野郎、露出仲間が欲しいからって卑劣な真似を。子どものやることに殺意が沸くのを押し殺し、こほんと咳払いして尻を隠す。


「いや、実はこれも向こうの世界ではスタンダードな服装なんだ。今流行ってる」


 今更うろたえるのも恥ずかしいので開き直ってみた。アルフィーの目がますます冷たくなる。やめろ。


「そうでしたか。お着替えをと思いましたが、必要ないようですね」


 リリエルがニコリと微笑み、持っていた服を捨てようとする。あー、すみません要ります。


 無駄に恥ずかしい思いをしながら、おとなしく差し出された服を受け取った。パジャマのような、快適そうだがデザイン性のないシャツとズボンだった。


「ありがとうございます。…贅沢ですが、できればスーツが良かったな」

「すーつ? ……ああ、元々着ていたお召し物のことですか?動きやすい方がいいかと思って、勝手に用意してしまいました」

 すみません、と頭を下げるリリエルに俺は慌てて手を振る。

「いや、違うんです。仕事中はスーツの方が落ち着くっていうだけで。これを着ると気持ちが引き締まるんです。背筋が伸びるというか……まあ、単なる習慣なので気にしないでください」

「まあ、真面目なのですね」

「ははは」


 嘘である。


 美女の手前いい感じのことを言ったが、スーツは窮屈だ。別に落ち着かない。できれば極力着たくない。許されるならIT企業の社長のように毎日Tシャツとジーンズで出勤したい。しかし俺はスーツを着る。例え休日だろうが、さも仕事が入ったかのようなフリをしてスーツを着る。


 なぜなら、モテたいからだ。


 以前付き合っていた彼女に「スーツ姿は格好いいのに私服がダサくて幻滅した」という理由で別れを告げられたのがトラウマなのである。ああ、せっかく忘れかけていたのに。悲しいことを思い出してしまった。確かに、社会人が初デートで十字架とドクロがプリントされた黒Tシャツとジーンズ素材の半ズボンを着たのはまずかったかもしれない。せめて長ズボンにしておけばよかった。


「でしたら、作りましょうか」

「えっ」

 切ない思い出に浸っていると、リリエルから思いもよらない提案をされた。

と言うよりと言うより。そう言った方が正しいですね。時間魔法の一種を使って、物の時間を巻き戻すことができるんです。ちょっと失礼しますね」


 言い終わらないうちにリリエルが破れたスーツに手をかざす。

 柔らかな光がスーツを包み込み、みるみるうちに穴の部分が修復されていく。瞬く間に元通りになった。


「す、すごい! ありがとうございます!」

「お役に立てて光栄です。先ほどお渡しした服は差し上げますわ。替えのは別に作ってお持ちしますね」


 服は人を作る。これで引き続き『スーツの似合う格好いい俺』でいられる。

 異世界に来てまで服のセンスで悩みたくないしな…。この世界では浮いた格好かもしれないが、城の中で着ている分には問題ないだろう。


「それにしても、時間を操る魔法なんて……リリエルさんは優秀ですね」

「いえ、大したことではありませんわ。物を壊すか直すぐらいです」

「またまたー。謙遜してるけど、リリエルはすごいよ」

「アルフィー様」

「時間魔法の他に、遠くを視る力も持っているんだ」

「遠くを視る?」


 聞けば、人物もしくは地点さえ登録しておけば離れた場所でも何が起こっているか分かる能力らしい。なるほど、それで俺が召喚されたこともその後ミアと揉めたことも知っているのか。


 俺が再び感心していると、はー……とアルフィーがため息をつく。


「……改めて、さっきはありがとう」

「え?」

「ミアと言い争ってたとき。僕のこと、褒めてくれたでしょ」

 そうだっただろうか。あまり覚えていない。


「ミア様は他者を滅多に賞賛しませんし、私もミア様につきっきりですから……確かにそういった機会はありませんでしたね」

 もじもじとアルフィーが体を左右に揺らしている。

「別に褒められても嬉しくないけどさ」

「その割には尻尾がふわふわ動いてますよ?」

「わざわざ言わなくていいよ!」

「ふふ、私も今度から積極的に褒めますね」


 リリエルにからかわれているアルフィーがおかしくて、つられて笑っているとそっぽを向かれてしまった。耳まで真っ赤だ。男なので興味なかったが、よくよく見るとなかなかの美少年だ。もう少し髪が長ければ、女の子に見えたかもしれない。思い返せば言動もいちいち可愛かった。だが男だ。ショタとのフラグが立ってしまったが、どうせなら俺はリリエルさんに立てたい。いや、変な意味じゃなく。


「カエデ様」

「は、はぃっ」

 ふいに名前を呼ばれたので、声が上ずってしまった。


「なぜ貴方をこの世界に召喚したのか、そろそろお話した方がいいですわね」


 リリエルが笑顔を崩さずに話し始めた。俺は表情を引き締めて頷く。


「まず、救世主を人間界から呼んだ方が良いと助言したのは私です。普段は魔界から魔物を呼ぶのですが、今回は人間の視点が必要だと感じたのです。カエデ様、人間である利点を生かして私たちを助けてください」


 もちろんです、と俺は力強くリリエルの手を握る。ついでに表情も心持ちキラキラにしておいた。アルフィーがまた白い目を向けているが、気にしない。


「リリエルさん、貴女は人間の助けを欲した。そして俺が召喚された。今日から俺の依頼主クライアントは貴女です。問題解決のため、全力でサポートさせていただきます」

 キラリ、と歯を見せて微笑む。イケメンコンサルタントの俺が黒髪巨乳美女にアサインされた話にタイトルを変える時が来た。

「あら、さん付けだなんて。リリエルでいいですわ。あと、が私というのは違います」

「えっ」

「カエデ様にサポートいただきたいのは、私ではなくミア様です」

「ええっ……」


 チェンジで……。


 露骨にテンションが下がる俺を無視して、リリエルは微笑みながら話を続ける。


「ここは魔物の城。私たちは、人間のことをよく知りません。かと言って、この世界の人間に直接話を聞くのは危険ですから。カエデ様には、異世界のとして、ミア様に色々と教えていただきたく思うのです」


 ああ、なるほど。異世界から来た俺相手なら、魔物たちはノーリスクだ。俺は今のところ何の力も与えられていない。この世界に知り合いもツテも何もない。俺は魔物たちに逆らえないが、魔物たちは俺が消えても復讐されたり余計な情報を漏らされる危険はない。


 ……それってどうなんだろうか。全然公平フェアじゃないよな。

 どうせなら、俺だって人間の役に立つ仕事をしたいし、魔物たちの城からは一刻も早く脱出したい。適当に話を合わせて、隙を見て逃げ出す段取りでもするか……。


 むぎゅ。


 顔をしかめていると、突然肘のあたりに柔らかい感触がした。


「よろしくお願いしますね……カエデ様……」


 ふと斜め下を見ると、リリエルが上目遣いで俺の腕に胸に押し付けている。俺は目を閉じ、フッと前髪をかき分けた。


「もちろんです、全力でお手伝いさせていただきますよ」

「まあ、嬉しいですわ」

「なあにお安いご用ですよ」


 ハハハ、と目を閉じて表情を取り繕うが、たぶん鼻の下は伸びてるし顔はにやけてる。我ながらちょろい。ちょろすぎる。でも仕方ない、だって男の子だもん。

 まあ、魔物とはいえ姿形は人なんだし? 黒髪巨乳美女にうるうるの切なげな瞳でお願いされたら断れないし? 本気でこいつらが人間を滅ぼす気なら、その時は勇者と結託してでも止めればいいんだし? 敵を騙すにはまず味方から。そう、今はそのための潜伏期間……言うなれば俺は人類を救うために魔王城に潜入したスパイ……。そういう設定なんだと言い聞かせ、俺は胸をぎゅうぎゅうと押し付けてくるリリエルをそっと引き剥がした。これ以上は理性が持たない。


「あの、リリエルさん……いや、リリエル。俺のことも、カエデって呼び捨てにしてくれていいですよ」

「あ、それはいいです」


 やんわり断られた。急に距離を感じて心に風が吹く。

 お子様アルフィーの目線がいい加減痛いので、そっと目を伏せ、話を続けた。


「事情はなんとなくわかりました。召喚された先の異世界で、神々や魔王のため人間が尽力するのはよくある話ですので」


 現実にはそんな話聞いたことないが、心が折れたので適当に話を合わせることにする。アニメや漫画ではよくある話だから、嘘は言っていない。


「話が早くて助かります。異世界から人間を召喚させて窮地を脱した、という噂を最近様々な場所で耳にするものですから。試した甲斐がありました」


 こっちの世界でも流行ってるのかよ、異世界転生。


「それで、この世界では……リリエル……さんやミアは、どんな窮地に陥っているんですか?」

「よく聞いてくださいました」

 俺に対する呼び捨て案が拒否されたので、俺も引き続き敬称で呼び続けることにした。名前呼びを断られた仕返しのつもりだったが、リリエルは特に気にしていないようだ。おーい。


「笑わないで聞いてくださいまし」


 絶えず笑みを浮かべていたリリエルの表情が、スッと引き締まる。

 つられて俺も身を強張らせ、硬い表情を作った。


「私たちは……非常に切羽詰まっていて、かつ非常に困難な問題を抱えています」


 クッ、とリリエルが悔しそうに歯噛みする。

 アルフィーは忌々しげに目線をそらし、爪を噛んだ。


 なんだ。


 一体何なんだ、その難問は。


 急に部屋の空気がピンと張り詰め、息苦しくなってきた。


 −−こいつらが抱える問題は、俺に解決できることなのだろうか。もし解決できなかったらどうなるのだろうか。そもそも、魔物や魔王でさえ解決できない問題って何だ?


 二人が浮かべる苦悶の表情から、俺の不安も徐々に大きくなっていく。


 −−もし解決できなかったら、俺は殺されるのか。


 心臓の脈がどんどん早くなるのがわかる。

 口の中が乾き、目の奥が痛い。

 なんだ。何が起こっているんだ、この城で。


 リリエルが閉じていた目をカッと開き、苦々しく呟く。


「−−我が魔王軍が、弱すぎるのです」



「……あ、はい」




 それは知ってます。

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