第2話 アサインされた割に扱いが酷いんだが



 −−財前サン。


 −−どこに行っちゃうんですか、財前サン。


「……ん……」


 小野山の声がする。体が重い。頭が働かない。


 最後の記憶は、小野山とのたわいもない会話だった。


 あの時信号は青で、俺たちは横断歩道を渡っていて。


 夜に何を食べるかを決めていて。


 それから−−。


 けたたましいクラクション、誰かの悲鳴、大きな衝撃、ブラックアウトした視界、微かな光。


 一瞬の間に何時間もの時間が凝縮されたような、不思議な瞬間だった。


 でも、今は何も感じない。


「……夢か……」


 であれば、俺はすでに目的地に着いて昼寝でも取っていたのだろうか。


「んお? 訪問先、こんな場所だったか?」


 明らかに何かがおかしい。いくら睡眠不足だからといって、仕事中に後輩の前で寝るほど俺は図太くない。そもそも訪問先にたどり着いた記憶がない。わんわんと不安が大きくなる。


 ……ここは、どこだ?


 どこかの地下室のようだ。薄暗いうえに黒紫色の煙が充満していて視界が悪い。じっとりした空気が肌にまとわりつく。いやに静かで、なんだか寒い。


「ハッックション!!!!」


 鼻がムズムズする。小野山はどこにいるのだろうか。


「……失敗かな」


「ファッ!?」


 幼い声の主を見て、思わずネットスラングが飛び出てしまった。ファッて。もっと緊張感のある音が他にあっただろうに、俺は声を取り繕う余裕もないほど驚いた。


 目をこらした先にいたのは、小学生ぐらいの男の子だった。


 だが、普通の子どもじゃない。紅い髪、紅い眼、異国感溢れる服装。アンダーグラウンドのコスプレ大会にしてはクオリティが高すぎる。

 何より、ツノ。作り物とは思えない精巧な雄牛のツノが、少年の頭に生えていた。


「……ここはど」


「魔王城の地下だよ」


「……俺はだ」


「財前楓」


「……」


 ここはどこ? 俺はだれ?

 本気でこのセリフを体現できるまたとない機会だったのに、全て先手を打たれてしまった。夢破れる。ていうか、この子、なんで俺の名前を。


「……君たちは」


「ミア、残念だったね。ただの人間みたい」


 俺が質問するかしないかのうちに、少年は後ろにいた少女の方へ体をひるがえした。


「本当に残念よ、アルフィー」


 ミアと呼ばれた少女がわざとらしくため息をつく。アルフィーと呼ばれた少年の姉のようだ。髪といいツノといい、外見がよく似ている。赤髪ツインテールの美少女だが、水着のようなきわどい格好をしている。どういう神経でその服装を選んだのか、親の顔が見てみたい。あるいは本人のセンスか。


「この召喚は失敗ね」


 まだ十分に覚醒していない脳を無理やり起こし、考える。

 召喚? この子たちが、俺をここへ呼び寄せたのか? 何かをしてほしいということか? その割には俺を見る目が異様に冷たい。自分たちから呼んだくせに酷い扱いだ。悪かったな、失敗で。


「いくら軍が魔物不足だからって、これはないわ。あーあ、アルフィーのせいで大失敗」

「言っとくけど、僕は失敗してないからね。わざわざ人間界から召喚するよう命令したキミの責任だ。いつものように魔界から召喚すればよかったんだ」

「人間界からの召喚は私じゃなくてリリエルの案よ。大体、呼ぶならもうちょっとマシな奴を選んでよ」

「選べないんだよ。勝手に選ばれるんだ。それにまだマシでしょ、外見は良いし」

「人間の見てくれなんか興味ないわよ。大事なのは腕力や魔力よ」

「僕たちの軍に欠けているのは力じゃなくて智慧だよ」

「どーだか。こいつは知恵も力もなさそうだけど?」

「それは、まあ、うーん」


 なるほど。俺はこのちびっ子たちに召喚されたが、あくまでも人間たちの中からランダムに選ばれたわけだ。ツノと八重歯が付いているということは、こいつらは悪魔とか吸血鬼とかそういう種族だろう。どちらにしろ、正義の味方ではなさそうだ。ていうか、初対面で俺をディスるのはやめろ。


「そもそもアンタ、いっつも召喚失敗してるじゃない」

「はー? 僕はちゃんとやってるよ。召喚魔法はこの城全体の力に依存してるんだから、どっちかと言えばミアの力不足じゃないのー?」

「弱いのは私以外よ」

「部下に責任転嫁するなんてリーダー失格だよ」

「なんですって? やんのかコラ?」

「はぁ?」

「おぉん?」


 やりとりは完全にやからだが、小さい子がワーキャー言いながら喧嘩をしているのは微笑ましい。先端が逆ハートになっている長いシッポをムチのようにしならせてつつきあっている。猫みたいで可愛い。そうか、俺はこいつらの子守をしながら世界を救うのか……滅ぼすのかよく分からんが、何かしらの手助けをすべく異世界に召喚されたんだな。


「今日こそ殺す!」

「いつも血の気が多すぎるよ、ミア」


 目の前で魔法合戦が繰り広げられる。少女の手のひらから炎が、少年の手のひらからバリアが。あー、本当に異世界来ちゃったな俺。

 散々安易な異世界転生モノを否定してきたのに、いざ自分が当事者になるとすんなり受け入れてしまう。よく言えば柔軟、悪く言えば思考停止。だって、起きちゃったことはしょうがないもんな。俺に家族はいない。あの世界で財前楓ざいぜんかえでが消えて困る人間といえば、仕事上で付き合う奴ぐらいだ。はは、泣けてきた。クライアントには小野山から謝っておいてもらおう。あれ、そういえばあいつは無事なんだろうか。


「やば、当たる」

「え?」


 少女の焦る声がしたと同時に、炎が俺に向かって飛んできた。手当たり次第に攻撃したのだろう。少年のバリアからあぶれた炎が流れ弾よろしく俺に向かって火を吹く。回避しようとしたが、足がもつれて俺はあっさり炎に飲み込まれた。ダサい。心も体も大ダメージ。


「あつっ…あ、あづっ…!」


「え、死んじゃうじゃん!召喚するのに僕がどれだけ苦労したか」


「死んじゃえば?こんなのも避けられないなんて、どうせ役に立たないわよこいつ」


 少女はけらけらと笑っている。人が炎に飲まれているのに、この態度。間違いない、こいつはやはり悪魔だ。きついお仕置きが必要だ。


 死ぬほど熱いし痛いし苦しいが、この程度のトラブル、異世界転生モノのお約束だ。序盤の挨拶代わりのようなものだろう。セオリー通りなら、異世界に来て突如発現した自分のチート能力を使って終わりだ。


「俺を…なめるなよっ!」


 衝撃に備え左手で右手首を掴む。そのまま右手の平を少女に向ける。相手は目を見開き驚いているが、もう遅い。俺は幼女には優しいが、暴力を振るってきた場合は別だ。人が嫌がることをしちゃいけません。どのぐらい痛いか、身を以て知れ。


「水魔法!」


 火を使う相手には水だ。ラノベで見た。


 何も起こらない。


「…あれ?」


「…?」


 二人が怪訝な顔をしてこちらを見る。怪訝というか、「はァ?」という顔だ。こんな顔をされたのは取引先に倍の値段を吹っかけたとき以来だ。怖かったからすぐ引っ込めたけど。「…ですが貴社には特別価格でご提供させていたただきます」で切り抜けたけど。今回も切り抜けられるだろ。たぶん。


「水魔法がダメなら…氷魔法!」


 俺は水ではなく氷魔法が得意な人間かもしれない。期待を込めて叫んでみた。


 おかしいな、何も出ない。


 手当たり次第にそれっぽい名前を叫んでみる。


「アイス! ウォーター! ウォ…ウォーラァー! デリート! ファイア! スノウ! ファイア! ストーン! ブリザード! 回復魔法! ケア…くそっ、何も出ねえ!」


 ウォーターってネイティブっぽく発音したけど駄目だった。ファイアなんて混乱して2回言ってしまった。余計燃やしてどうする。しかしどれも俺の能力ではないらしく、火はどんどん俺の体を包んでいく。二人の顔が憐れみの表情に変わる。


 うわ、俺の能力、弱すぎ…?


 そうか、異世界転生で無双するチート勇者の影には、こうして静かに消えていく無力な脇役の存在があったんだな…。なんで俺はこんなに弱いんだ。これだけ何もできないと、怒りを通り越して笑えてくる。こんな陰気臭い地下室で幼女に殺されるくらいなら、現実世界でゆるゆると生きていればよかった。今日のクライアントとのミーティング、成功させたかった。そして小野山とラーメン行きたかった…。


「確かに、魔力はないみたいだね」


 走馬灯を追っていた俺に、少年が手をかざした瞬間。


 黒い靄がキラキラと俺を包み、炎が消えた。


 魔法を無効化する能力のようだ。


 …え、何これ。なんでもっと早く使ってくれなかったの?


 感謝より先に、恨めしい気持ちの方が出てしまう。


「腕力もなさそうだし、戦闘軍には使えないかな」


 瞬間移動のように隣に現れ、ぽんと腕を触られた。少年の目にはスコープのような魔法陣が浮かんでいる。相手の能力を算出する魔法だろうか。筋力は人並みだと思うが、使えないとハッキリ言われると落ち込む。こんなことなら鍛えておけばよかった。結果にコミットするジムとかで。


「特殊な知恵を持ってるとかかな?えーと、コトバ、ワカリマスカ?」

 少年が首を小さく傾けて聞いてくる。何で急に片言なんだ。

「ワカリマス」

 つられて俺も片言になってしまった。

「コレ、ヨメマスカ?」

 床に落ちていた分厚い本を拾ってページをめくって見せる。

「ヨメマセン」

 RPG感溢れる異国の文字が飛び込んできたので、正直に答えた。


「殺そう」


「「いやいやいや!!!」」


 痺れを切らしたらしい少女が物騒なセリフを吐いたので、全力でツッコんだら少年も全力でツッコんでくれた。優しい。


「早いよ!なんで何も考えずいつも大事なこと決めちゃうの!? バカなの!?」

「スピード重視よ」

「いい心がけだが今回のケースでは不正解だ。きちんと熟考した上で結論を出すフィックスするべきだ。お前、今の状況に飽きて決めただろ」

「お前とは何よ、お前」

「俺か? 俺は」


 −財前楓、26歳独身、彼女いない歴3年。人事コンサルタント会社に勤め早4年、営業成績上位かつ顧客満足度上位、年収は同世代の上位10%、組織改革で世界の企業がよりよくなるお手伝いをしています。眉目秀麗・頭脳明晰・知勇兼備、俺がいれば君の人生の質クオリティオブライフも爆上がり間違いナシ。力も魔法もないとお前らは言うが、俺が最大限に活かせる能力は頭脳と組織改革。これに違いない。企業は人なり、組織は人なり。俺がお前らの軍とやらを変えてやろう!


 前半は合コンの自己紹介みたいになってしまった。とりあえずポーズを決める。


「…やっぱり人間界に助けを求めるのは間違ってたわね」

「うーん…」

「やっぱり殺しましょう」


 なんっでだよ!


「おいちびっこ悪魔! わざわざ人間を召喚するってことは、何かに困っているんだろう! 手間暇かけて俺を召喚したんだ、悩みがあるなら言え。解決する手伝いをしてやる!」


 赤髪の少女がうっとうしそうに一瞥し、赤髪の少年がすがるような目線を向ける。


「悩みなんてないわ」

「組織が崩壊寸前なんだ」

 

 どっちだよ。


「えーと……。もう一回言ってくれ」

「ミア、組織を変えてくれるって言ってるよ。変えてもらおうよ、この最弱軍」

「そんなこと望んでないわ。それに、組織を変える必要があったとしても部外者なんて入れたくない。内部の魔物で十分よ。そもそもなんで上から目線なのよ、まず私をお前呼ばわりしたことを謝りなさいよ、土下座しろ」


 誰がするか。


「お前じゃ話にならん。まだそこの少年の方が話が通じるわ!」

「えっ僕?」

「はぁあ?」

 屈みながら、がし、と少年の肩を掴む。

「キミ、もっと上の人…いや、魔物を呼んできてくれないか」

「え、あ、でも」

「あそこの単細胞は君の上司かもしれないが、すぐに逆上するし、暴力と勢いで物事を解決するタイプと見た。ああいうのがいると、事態は悪化するだけで解決しないんだ」

 君も苦労してるだろう、と小声で言うと、戸惑う素振りを見せながらも少年は小さく頷いた。よし、いける。 

「あいつは内部の魔物で十分だと言っているが、すでにが出来上がっている組織じゃ何かを変えるのはとても難しいんだ。そもそも、内部の魔物に任せた結果が今の状態だろう。これから事態はもっと悪くなる。君のような賢い子がそんな場所で才能を潰されるのは心苦しい」

「ぼ、ぼくが賢い…?」

「もちろん。今までのやりとりで分かるよ」

「ちょっと」

 不服そうな声を出す少女を手で制し、一気に畳み掛ける。

膠着こうちゃくした組織を変えられるのはよそ者か若者かばか者だと決まっている。少年、君は賢いがゆえに現状を打破するばかさは持ち合わせていない。少しずつ現状を変えていきたいんだろうが、そんなことではいつまで経っても変わらない。向こうの少女はばか者だが違う方向にばかを使っていて、組織を変えるのは難しいだろう。よって、その役目はよそ者である俺が引き受ける。一緒にこの軍……か組織か世界か分からんが、良い方向へ変えようじゃないか。さ、話のわかる上司をなるべく早くASAPでよろしく!」


 末端の担当者と話していてもらちがあかない。こういう時は、組織に対し問題点があると深く自覚している経営層にアタックすることだ。社長、役員、せめて部長クラス。説得する時は話しやすい下っ端相手ではなく上の人間をいきなり攻めた方が効率がいい。ついでに現状に不満を持っている下っ端がいればねぎらうことで俺への好感度を上げておく。後々役に立つからだ。交渉《ネゴ》の基本である。


「…上司を呼べ、ですって?」

 空気が揺らいだ。ゆっくりとこちらを向く女児。睨んでいるようだが子どもに凄まれても全く怖くない。こっちは百戦錬磨の経営陣に罵声を浴びせられた経験があるんだ。自分の半分も生きていないような幼女に睨めつけられたぐらいじゃひるまない。


「聞こえなかったか? 上司を呼べ、と言ったんだ。組織か世界がわからんが、何かしらの現状を変えたいと思って俺を呼んだんだろう。俺の仕事は現状をもっと良い状態に変えることだ。そういう話合いはもっと俯瞰的ふかんてきに……ああ、子どもには難しいな。視野が広くて、人望があって、長期的に物事を見られるトップレベルの奴じゃなきゃできないってことだ。お前みたいに視野が狭くて、すぐに人を見下す、短絡的な思考しかできないちんちくりんじゃなくてな」

「……こ、この私がちんちくりん……?」

 少女が押し殺すような声を出す。ショックを受けているようだ。−−勝った。

 子ども相手に少々大人気なかったが、人間を簡単に殺そうとする悪魔っ子だ。このくらいお灸を据えてもいいだろう。


「そうだ、ちんちくりんだ。心も体も全く成熟していない。自分の未熟さがわかったなら、とっとと暖かい服を来て上の大人を呼んできなさい。しっし」

「お前…本当にムカつくわね…」


 ギギギ……と睨んでくる瞳は敵意むき出しだ。ムカつくのはお前の方です。こんなのが姉……か上司かは分からんが、この子も苦労しているな、とふと少年を見ると、心なしか顔が引きつっていた。どうした?


 歯ぎしりをしていた少女が、急にふ、と力を抜いた。次いで大きく息を吸い、キッと俺を見る。


「−−トップは私よ」


 え?


「この城に私より上はもういない」


 ん?


「お前、私では話にならないと言ったわね。魔王の私で話にならないなら、他の誰と話しても無駄よね」


 んん?


「もう消えていいわよ、人間のオス」


 少女の掌が光る。部屋の温度が熱い。さっきの炎の比じゃない。熱の塊が凝縮されていく。この部屋ごと消し炭にする気だろうか。手の平が俺に向けられる。少女が低く笑う。




 −−あ、死ぬ。




 視界が閃光でくらみ、ドンッという爆音が体に響く。熱い。きっと次に痛みが来る。今度こそ死ぬのか、俺は。そうか、異世界転生で無双するチート勇者の影には、こうして静かに消えていく無力な脇役の存在があったんだな…。なんで俺はこんなに弱いんだ。これだけ何もできないと、怒りを通り越して笑えてくる。異世界へ来ても幼女の攻撃で死ぬくらいなら、以下略。走馬灯ももう飽きたなと思っていると、先ほどの少年が駆け寄ってきて俺の手を握った。人間の温もりは感じないが、ほどよく冷たくて小さな手だった。


 次の瞬間、視界から少女と炎が消えた。


 いや、正確には、少女の視界から俺と少年が消えた。


 部屋の中には、舌打ちする少女だけが取り残された−−。

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