第87話 目指せ、最高に面白い小説を!

 駅から学校と反対方向に歩いて十五分ほどで目的の公園に到着した。


「おー、久しぶりにここの公園来たけどやっぱ広いな」


 駅の反対側からも少し距離があるので俺たちの高校の生徒がわざわざ来る事も無いと思うので秋月と二人でいても誰かに見られる心配は無いだろう。


「ねえねえ、アレ乗らない?」


 公園に入り、話をするのに手頃な場所を探していると、秋月が池のほとりにあるボート乗り場を指差し乗らないかと提案してきた。


「本気で言ってる?」


「本気も本気だよ。せっかくだし小説のネタにもなるし行こう」


 秋月は俺の手を取り、ボート乗り場に向かい走り出した。繋いだ手から感じる彼女の柔らかくて暖かい感触に、俺は胸がキュッと締め付けられる思いだった。


 こうして少しづつ秋月に心を奪われていく自分を知ることにより、彼女への恋心を強く自覚していった。


 ――もう何をされても胸がときめいてしまうようになっちゃったな。


 我ながら重症だなと苦笑した。


「分かった分かった。ボート乗る前にそこの自販機で何か飲み物買っていこう」


 飲み物を買いボートをレンタルして乗り込む。もちろん漕ぎ手は俺だ。


「ボートなんて漕いだ事ないから真っ直ぐ進めるか分からないぞ」


「こういうのは何事も経験だから色々と積極的にやってみないとね」


 今日の秋月はやけに積極的だった。教室で一緒に帰ろうと声を掛けてきたり、俺の手を取り無理やりボート乗り場に連れて行ったり、普段は受け身の彼女らしくない行動だった。


「よーし、それじゃあ出発するからちゃんと捕まって池に落ちないようにしろよ」


 ギッ! ギッ! ときしむ音を立てながらオールを漕いでいく。左右にフラフラしながらもボートは前に進み池の中央付近まで進んだ。


「結構なんとかなるもんだな。初めてボート乗ったけど我ながら上手く漕げたと思う」


「そうね、最初はフラフラしてたけどすぐに慣れたみたいで結構スムーズだったよ」


「それじゃあもう少し水上散歩を楽しみますか」


 池の中央から今度はゆっくりと池を周回するように漕ぎ始める。


「それで大切な話って何なんだ?」


 ボートの上なら普通に話をしていても他の人に聞かれる心配もないだろう。


「うん、書籍化の話なんだけど……」


 やっぱり……告白の返事を聞かせて貰えるのでは? と期待していたので正直なところ少しガッカリした事は否めない。しかし、秋月にはとっては書籍化は大切な話なのだから真摯に話を聞かなければと気を引き締める。


「受けるか受けないか決めたんだな?」


「うん……先日、不死身書房で担当の人と編集長に会って話を聞いてきたんだ。契約に関しては両親が判断する事だから詳細は省くけど、スケジュールに関してはアンタにも話すね」


 秋月の話を要約すると来年の二月に出版予定で、両親からの許可も降りたので契約書の内容を精査して、問題がなければすぐにでも契約するそうだ。


「そうか……書籍化の話、受けるんだな」


「うん、今しか出来ないことかもしれないし、受けないで後悔するなら受けて後悔した方がいいしね。全部アンタの受け売りだけど。早く契約をすれば夏休みも有効利用できるし時間に余裕ができるって担当の人も言ってた」


「秋月が決めたんだから俺は全力で支持するし協力するよ。夏休みの宿題くらいなら全部代わってやるからな」


 秋月はその時は相談するね、と笑顔で答えた。


「実は……書籍の挿絵を描くイラストレーター候補にアンタを加えて貰えるか相談したけどダメだった……ゴメン……」


 ――え? そんな事まで担当の人にお願いしたのか。


「そりゃ俺みたいな無名な素人は無理だよ。商業ベースでの仕事の経験が無いからね。同人ならあるけど」


「編集長もそんなような事を言ってた。でもイラストは商業レベルで通用するって褒めてた」


 多少のリップサービスがあったとしてもプロの、しかも編集長に通用するって褒められたのは嬉しいし励みになる。


「俺にまで気を遣ってくれてありがとな。それだけでも嬉しいよ。でも俺はWeb版の方を全力で頑張るから」


 これは秋月と俺の合作でもある。相手がプロのイラストレーターといえど負ける気など毛頭無い。


「編集長も編集の手の入っていない私の生の原稿とアンタのイラストでWeb展開するのも楽しみって言ってたよ」


 俺としても他のイラストレーターがどんな解釈でキャラクターデザインをするかは楽しみでもある。だから書籍版は知名度のあるイラストレーターに依頼するのが最適と思う。

 俺たちは俺たち二人で最高の形に仕上げたい。


「そっか……やってやろうぜ! 俺たち二人で最高の物語を作ろうじゃないか!」


 プロのイラストレーターが相手と聞き対抗心が刺激され、やる気が俄然湧いてくる。


「うん! この物語は絵描き男子と……作家を夢見る少女の物語」


 ――俺たち二人で力を合わせれば叶うはずだから。


「「目指せ、最高に面白い小説を!」」


 秋月と俺の作品への思いはこの時に重なった。


「ねえ? 私もボート漕いでみたい。面白い小説を書くには色々と経験をしなきゃダメでしょう? だから私も漕いでみたいから代わって」


 そう言って秋月が不安定なボートの上で立ち上がり、俺と場所を入れ替わろうとした。


「お、おい、ボートの上で立ち上がるなって係員の人が――」


 時すでに遅し重心が高くなったボートが左右に大きく揺れる。


「きゃあ!」


 不安定なボートの上でバランスを崩した秋月が池に落ちそうになる。俺は咄嗟とっさに彼女の手首を掴み自分に引き寄せ胸で受け止めた。


「ふぅ……危なかった……」


 間一髪、秋月は池に落ちずに済んだ。しかし……腕を引っ張られた彼女は俺に抱き付く形で覆い被さっていた。


 ――これって……観覧車の時と同じでは……?


 俺の胸に当たる秋月の身体と胸の柔らかい感触、彼女の身体の温もり、髪の毛や首筋から漂うシャンプーや石鹸とは違う甘い女性の匂い。

 観覧車の時よりも秋月に対する好意を意識している今、俺にとってこの状況は正直言うとヤバ過ぎる。身体の中心に血液が集まってくるのが分かる。


 ――こ、このままだと秋月のお腹に当たってしまう……焦って身体を引き離そうとするが彼女は俺の背中まで手を回し離れようとしなかった。


「ね、ねぇ……私、汗臭くないかな? 今日、少し暑かったし……大丈夫かな……」


 いつも以上に良い匂いを漂わせている気がする。少し汗をかいたせいでフェロモンというのを振り撒いているのかもしれない。


「そんな事ないよ。すごく良い匂いがする。俺の方が汗臭いんじゃないか?」


 男の汗臭いのなんて女性には最悪なんではと心配してしまう。


「ううん……全然そんな事ないよ……こうやっていると凄く安心する」


「……俺も安心して心が満たされていく感じがする」


 秋月の安心するという言葉で俺は冷静になる事ができた。身体の中心に集まりつつあった血液は元に戻り平静を取り戻す事ができた。


 ――あ、危なかった……こんなよこしまな気持ち抱くなんて密着して安心してくれた秋月に失礼だったと反省する。


「私ね……嬉しかったんだ」


 ゆりかごの様にゆらゆらとしているボートの上で、胸に抱き締めた秋月が訥々とつとつと語り始め俺はそれを黙って聞いている。


「あなたが告白してくれた時本当に嬉しかった。でも、あなたを慕っている二人の事が頭に浮かんで返事をすることができなかった」


 だからね……と秋月は続けた。


「この前、夏原さんと春陽の二人と話をしてきた。夏原さんには嫌われてしまったけど……私なりに自分の気持ちを伝えてきた。エゴの押し付けだって言われたけど本当にその通り」


 昨日、美冬が言っていたのはこの事だったのかもしれない。


「たとえ二人に嫌われてしまったとしても、私はあなたに素直な気持ちを伝える事を選びたかった……だから――」


 秋月は一瞬言葉を詰まらせたがすぐに話を続けた。


「私は――神代冬人が好きです、と二人に伝えてきました」


 静かな池に浮かぶ小舟の中、俺は秋月からの返事を黙って聞いていた。周りには誰もいない二人だけの世界。

 心臓が高鳴る。呼吸が苦しくなる。胸の溢れるこの熱い想いはもう止める事はできなかった。もう一度伝えようこの想いを――


「俺は秋月友火――あなたが好きです」


 ――何度でも伝えよう。

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