第74話 ふたつめの結末
イラスト教室のビルの入り口の前に立ち見上げる。覚悟を決めて来たが、いざ教室を目の前にすると決意が鈍る。
教室のある三階の窓を見つめていると不意に後ろから声を掛けられる。
「冬人くん教室に入らないの? なにボーッとしちゃって」
振り返ると教室の女子生徒さんが不思議そうにキョトンとしていた。
「あ、かっちーさんこんにちは」
「冬人くん浮かない顔してどうしちゃった? 悩みならおねーさんが聞くよ。ま、とりあえず入ろうよ」
――女性というのはこうも鋭い物なのだろうか?
「別になんでもないから大丈夫です。それじゃ行きましょう」
教室まで上がる階段はわずか三階にもかかわらずとても長く感じた。
「おはようございます」
夏原が来ているか確認しながら恐る恐る教室へ入る。まだ彼女は来ていないようでホッと胸を撫で下ろす。
「ははあ……さては冬人くん奏音ちゃんとケンカでもしたんでしょ?」
「え? べ、別にケンカとかしてないです」
「なんかさ奏音ちゃんがまだ来てないのを確認してホッとしてるように見えたよ」
かっちーさん鋭いです……俺の教室内を伺うような不審な振る舞いから察したのだろうか? ケンカをした訳では無いが気まずい事には間違いは無い。
「べ、別になんでも無いですよ。そんな事より絵描きましょうよ。また先生に怒られますよ」
「かっちー、口より手ぇ動かしましょう」
言ったそばから森山先生に注意されるかっちーさん。
この人は相変わらずだな。でも、お陰で気が楽になった。
「おはようございまぁす」
この間の伸びた喋り方は……夏原が教室に入ってきたようだ。
「あ、おはよう! ねえねえ奏音ちゃん、冬人くんと何かあったの? なんか様子が変なんだよね」
夏原本人にいきなり聞きにいくかっちーさん。この人は遠慮というものを知らないな……悪い人では無いんだけど。
「あーそれはですねぇ……奏音がぁ、冬人先輩にい告白したからではないでしょうかぁ? 今日、その返事を聞かせてもらう予定でぇす」
――!
教室の空気が一瞬にして凍る。
はあぁ⁉︎ 夏原のやつ……とんでもない爆弾を投げ入れてきがった! 俺は頭を抱え周囲を伺う。
「ち、ちょっと奏音ちゃん……それ本当?」
いつもふざけているかっちーさんもさすがに面食らったようだ。
「本当ですよぅ。今、冬人先輩のぉ返事待ちでぇす」
これはもしかして俺の退路を断つ夏原の作戦?
「お、おい夏原……何も今そんな事を教室で言わなくても……」
「冬人くん……友火ちゃんはどうするの?」
「い、いや、秋月と俺は別に付き合ってる訳でもないし……」
「そうだ! こうなったら奏音ちゃんと友火ちゃん二人とも付き合っちゃう? これで三人ともハッピーだよね」
かっちーさんがとんでもない事を言い出した。冗談に聞こえないところが怖い。
「あ、それでもいいですよぅ。春陽さんも加えてぇ三人と付き合っちゃいますかぁ? 冬人先輩、ハーレムですよ、ハーレム。それも美女三人」
いや、確かに秋月、夏原、春陽の三人のハーレムなんてとんでもなく豪華だけど。
「もう一人いるんだ? 冬人くんも隅に置けないねぇ。で、春陽ちゃんてどんな子なの?」
夏原の発言はかっちーさんに余計な燃料を与えて喜ばせただけだった。このまま永遠とかっちーさんの追及が続きそうだったので俺は講師の森山先生に視線で助けを求めた。
「かっちー、夏原さん、口より手ぇ動かしましょう」
「はーい」
「はぁい」
さすが空気が読める男、森山先生。一言でこの騒ぎを収めてくれた。
結局、その後は他の生徒さんからの視線が気になり落ち着かないまま終わりの時間を迎えた。
「それじゃ夏原一緒に帰ろうか」
今日の最大の目的を忘れてはいけない。夏原に告白の返事をしなくてはならない。
「はぁい、片付けますからぁちょっと待っててくださいねぇ」
アナログで作業をしていた夏原は画材の片付けに時間が掛かる。ここはデジタルだと楽だよな。
「冬人くん、さっきの話が本当なら今からなんだよね?」
俺はかっちーさんの問いに無言で頷き肯定する。
「後悔の無いようにね」
かっちーさんは心配してくれているようだ。普段はふざけてばかりだが、悩みには真剣に相談に乗ってくれる人だ。
「はい、ありがとうございます」
かっちーさんは笑顔で満足そうにして教室を出ていった。
「じゃあ、冬人先輩帰りましょう」
片付けが終わった夏原と教室を後にした。
◇
告白の返事をどこでするか考えていなかったが、少し離れたところに小さな公園があるのを思い出しそこへ向かう。
「それにしても夏原、あんな事わざわざ教室で言わなくても……」
「冬人先輩がぁ思い詰めてるみたいだったのでぇ場を明るくしようと思って」
あれは夏原なりに気を遣っていたんだな。
「でも、何もあの事じゃなくても……」
「でもぉ、気が楽になったでしょう?」
確かに……今、普通に夏原と話ができている。
「そうだな……ありがとう」
「お礼なんてぇいいですよぅ。元々は奏音のせいなんですから」
ここまで気を遣うなんて本当にいい子だな……その告白を今から断るのか……さすがに心が痛む。
そんな話をしながら数分歩き公園に到着した。夏原も目的が分かっているのでそのまま公園のベンチに腰掛ける。
二人してベンチに座ったのはいいが無言が続いた。夏原も緊張しているようだ。
「えと、この前の返事なんだけど……」
さすがにこのままでは無意味に時間が過ぎるだけなので俺は意を決して切り出した。
「ひゃい!」
夏原の声が裏返っていて思わず笑いそうになる。
「ご、ごめんなさい。緊張しちゃって」
ここは誠実に誤魔化さずキチンと夏原の気持ちに応えよう。
「……俺は……夏原と付き合う事はできない」
夏原と向き合い目を見つめながら答えた。彼女の表情に変化は無い。だけど瞳が揺らいだように感じた。
「理由を聞かせてもらえますか?」
夏原の言動に動揺はみられない。そして俺もまた冷静に答えることができた。
「俺は秋月の事が好きなんだ。だから他の人とは付き合えない」
無言で数秒間見つめ合う。
夏原の真剣な眼差しが俺の心の中まで覗き込もうとしているような気がした。
「春陽さんはどうするんですか?」
まさかここで春陽の名前が出るとは思わなかった。
「この前、春陽にも同じ返事をした」
「そうですか……」
夏原は少し考えた後、口を開いた。
「冬人先輩は本当にヒドい人ですね。こんなに可愛い女の子二人を振るなんて。もうモテ期は無いかもしれませんね」
その言葉は本気で罵倒している訳では無いように聞こえた。
俺は何を言っていいのか分からず黙って夏原の話を聞いていた。
そして無言の時間が続く。
「夏原そろそろ……」
送っていくから帰ろうと言い掛けた俺の言葉を夏原が遮った。
「まさか、送って行くなんて言うつもりじゃないですよね? 最後の優しさなんて残酷なだけです」
夏原のその言葉を聞いて、振った相手に優しくするのは自己満足なんだと気付いた。それは相手への気遣いでは無く振った事による自己嫌悪を誤魔化す為の自己保身なんだと。
「分かった……俺は帰るから夏原も気を付けて帰ってくれ」
俺はベンチから立ち上がり歩き出す。
「私ね……諦めが悪いんです。だから冬人先輩が秋月先輩に振られたら私が慰めてあげます」
振り返り、その言葉を聞いた俺は……その時は頼む……なんて冗談でも言える訳がない。今の言葉は夏原の強がりだというのが分かる。しかし、それが本気である事もその真剣な眼差しから分かった。
俺は無言のまま聞いていた。
「冬人先輩、好きです、大好きです。私は……」
夏原の最後のその言葉を聞き終える前に公園の出口に向かって歩いていく。街頭の
公園の出口付近に近づくと見慣れた姿の女の子が現れた。
「冬にい……」
美冬は夏原を心配してイラスト教室の終わりを待ち、公園まで後をつけてきたんだろう。
「ずっと見てたんだろ? 夏原を送っていって欲しい」
「うん、分かった……」
「ありがとう」
もう俺の出番は無い後は美冬に任せよう。
春陽と夏原を振った俺はどうしたらよいのだろうか。秋月に好きと伝える? そんな資格が俺にあるのか? 分からない。
でも……小説は面白かった、イラストを描かせて貰いたい、その事だけでも伝えたいと心から思う。
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