第60話 夏原奏音の本気

 通学路から少し外れた公園の舗装されていない部分は乾いてはいなかったが、屋根がついた休憩スペースのような場所があり、そこのベンチに二人で腰掛けた。


「秋月せんぱいわぁ何飲みますかあ? あそこの自販機で買ってきまぁす」


「え? じゃあ……ミルクティーで、無かったらお茶でいいわ」


 自販機でドリンクを買いベンチへ戻る。


「はい、これで足りる?」


 秋月先輩が二人分くらいの小銭を差し出してくる。


「奏音のぉ奢りなのでぇいりませぇん」


「ダメよ、後輩に奢らせる訳にはいかないわ」


「いいんですよぉ、今回は奏音がぁ誘ったので気にしないでくださぁい」


「そう……分かった。遠慮無く頂くわね。次は私に奢らせてね」


 次も会う可能性を示してくれた秋月先輩、社交辞令で言ってくれたとしても嬉しい。


 ベンチに腰掛けドリンクを手に持ち、お互いに沈黙を続けたが意を決して私は口を開いた。


「秋月先輩……冬人先輩と春陽さんと何があったんですか?」


 私は何かがあった事を確定事項として秋月先輩に問い掛けた。


「別に……何もないわ」


 一瞬の沈黙の後、先ほどと同じく否定の言葉を発した。その声は弱々しく明かに嘘であることがうかがえる。


「嘘です。秋月先輩は体育祭の後から冬人先輩と春陽さん達とあまり話さなくなりました」


「貴女……その口調……」


 秋月先輩は私の喋り方が変わった事に驚いているようだが無視して私は話を続けた。


「体育祭の時、春陽さんがケガをして冬人先輩が医務室に連れて行ったと聞いてます。その時に何かがあった事は容易に想像できます」


「……私からは何も言えない」


「そうですか……それじゃあ質問を変えます。秋月先輩は冬人先輩の事が好きですか?」


 私は回りくどい聞き方はせずに核心をついた。


「私は……アイツの事は……良い友達だと……思ってる」


 俯き弱々しく答える秋月先輩が自分の気持ちに気付いていながら、本心を隠している事は一目瞭然だった。

 いや認めたくないのかもしれない。


「そうですか、それならライバルが一人減って私としては願ったりですね。あとは春陽さんと一騎討ちです」


 秋月先輩の煮え切らない態度に苛立ちを覚え、わざと冷たく言い放った。


「貴女は……アイツの事がその……本当に好きなの? 同じ絵描きとしての憧れとかじゃなくて」


 秋月先輩がポツポツと話始める。


「もちちろんイラストレーターとしての憧れもありますけど、私は冬人先輩の事を異性として好きです。だから春陽さんにも負けたくありません」


 ハッキリと言い切った事に驚いているのか、秋月先輩は目を見開き私の目を真剣に見つめてくる。


「だから秋月先輩が一番強敵だと思っていたけど、気のせいだったみたいだし安心しました」


 その秋月先輩は私から目を逸らし俯いてしまった。


「それじゃあ秋月先輩は何も関係無いって事だしもう帰りましょう。今日は呼び止めて申し訳ありませんでした」


 私はワザと秋月先輩をあおるような言葉を選んだ。


「待って……」


 私がベンチから腰を上げたと同時に、秋月先輩から蚊の鳴くような声で呼び止められた。


「分からないの……自分の気持ちも、どうしていいかも」


 ベンチから上げた腰を戻し再びベンチに座り直す。


「秋月先輩の話を聞かせてもらえないですか?」


 そう私が答えると秋月先輩はポツポツと自分の事を話し始めた。

 冬人先輩と仲良くなったキッカケから小説の相談を度々持ち掛けたり、冬人先輩と二人でいるところを本屋で春陽さんと目撃された事、取材と銘打って水族館でデートした事。

 そして……観覧車での出来事を聞いた時、私の頭の中は真っ白になった。


「……さん、夏原さん聞いてる?」


 思考停止した私は秋月先輩の声で我に帰った。


「ごめんなさい……ちょっと思考停止してました……」


 流石にこの話はショックが大きく私にはキツい話だった。秋月先輩と冬人先輩の距離は思っていたより縮まっていた事に大きく心を揺さぶられた。観覧車が止まったという事実が大きく影響しているが、良い雰囲気になったのはお互いが惹かれ合ってるからに他ならない。やはり一番警戒しなければいけなかったのは秋月先輩だった。

 私は落ち着かない心を無理に鎮めようと深呼吸し、努めて冷静さを取り戻すようにした。


「秋月先輩は戸惑っているのですね。その場の雰囲気で流されてしまったのか、それとも本心が望んでそうなったのか」


 秋月先輩は何も言わずにコクリと頷いた。


 ――ああ、そうかこの人は本当に分からないんだ。恋愛経験も無く人を好きになった事が無かったから自分の本心が分からないんだ。


「秋月先輩が冬人先輩の事をどう思ってるか私には判断できません。今、秋月先輩の話を聞いて私は正直いって激しく嫉妬しています。でも……この嫉妬心が冬人先輩の事を私が本当に好きだという証明です。つまりはそういう事です」


 本人の心は本人にしか分からない、だから敢えてこういう返答をした。秋月先輩が本当に冬人先輩を好きなら、春陽さんに対して何かしらの感情があるはずだろうと。


「それじゃあ、そろそろ私は帰ります」


 黙っている秋月先輩を他所よそに私はベンチから立ち上がった。正直なところ観覧車の話を聞いて私の心は押し潰されそうな痛みで本当は今にも泣き出しそうだった。


「……夏原さん、話を聞いてくれてありがとう」


 どう致しましてと、振り返った私は秋月先輩の姿を見て言葉を失った。

 先輩はポロポロと涙を流していた。


「せ、先輩……」


 私はベンチに座り直しハンカチを渡そうとしたが、持っているから大丈夫と断られた。



 秋月先輩が泣き止むまでの数分間、私は先輩の横に何も言わずに座っていた。


「グスッ……取り乱しちゃってごめんなさい……みっともない所を見せちゃったね」


「いいえ……先輩も辛い思いをしているのに気付かず偉そうな事を言ってしまいまいした。ごめんなさい」


 秋月先輩は誰よりも傷付きやすく、とても繊細で純粋だった。


「ううん、気にしないで。こうして夏原さんに話す事が出来てスッキリしたわ。ありがとう」


 涙に濡れたその瞳でニコリと笑った秋月先輩の姿は、女性である私でもドキッとするほど綺麗だった。

 こんな素敵な女性を泣かすとは……煮え切らない冬人先輩に少し腹が立ってくる。


「それじゃあ帰りましょうか」


 そういって秋月先輩はベンチから立ち上がった。その顔は憑物が落ちたような明るくて、優しいいつもの表情に戻っていた。


「よく考えたらぁ、私敵に塩を送ってしまったかもしれませんねぇ。このまま秋月先輩がぁ脱落してくれた方がぁ楽でしたぁ」


 それなのに私はお節介にも先輩を立ち直らせてしまったのだ。


「夏原さん、やっぱり私は貴女の事は苦手だわ……ふふ」


 秋月先輩はそう言いながらも少し笑っていた。そんな先輩の姿を見て私は思った。

 ああ、そうか……私は春陽さんや美冬ちゃんと同じように秋月先輩の事も好きなんだなって。



◇ ◇ ◇



「冬人せんぱあい、遊びに来ましたぁ」


 秋月先輩と公園で語り合った翌日の昼休み、いつものように冬人先輩のクラスへ飛び込み、真っ先に冬人先輩の腕に自分の腕を絡める。


「あ! ちょっと奏音ちゃん抜け駆けはズルい!」


 この教室の隣のクラスである春陽さんも先に来て冬人先輩たちと談笑をしていた。私は春陽さんに見せ付けるようにワザと冬人先輩に腕を絡ませた。


「それじゃ私も失礼します!」


 そういって春陽さんも冬人先輩の空いた腕に自分の腕を絡めてきた。


「ち、ちょっとお前ら何やってんだよ! 離れろ!」


 無理やり振り解こうとする冬人先輩を春陽さんと二人、両側でガッチリとホールドしながら私は秋月先輩の姿を探す。


 いた! 自分の席で他の生徒と話をしているようだった。


 私の視線に気が付いた秋月先輩と目が合う。先輩は私から目を逸らさず自分の席から立ち上がり、こちらへ向かってきた。


「ちょっとアンタたち教室で何やってんのよ! 場所を考えなさい!」


 そういって私と春陽さんを冬人先輩から無理やり引き剥がす秋月先輩。


「アンタもデレデレしてないで自分で何とかしなさいよ。まったく」 


「両側からガッチリホールドされて抜け出せなかったんだよ」


「言い訳はしない!」


「すいません……」


 秋月先輩に怒られ理不尽だ……とボヤく冬人先輩。


「春陽も一年生と同じような事しないで自重しなさい」


「はーい、ごめんなさい。これからは気を付けまーす」


 春陽さんはあまり反省していないようだ。そういった緩い感じが私は好きだ。


「夏原さんも毎日この教室に来てないで、自分のクラスの友達も大事にしさいよ」


「はぁい、クラスの友達とは仲良くしますからぁ大丈夫ですよう。心配してくれてありがとうございますぅ」


「はあ、ならいいけど」


 溜息を吐き呆れた様子の秋月先輩。


「それに奏音わぁ、大好きなぁ秋月先輩にも会いたくてぇ来てるんですよぅ」


 この気持ちは嘘偽りのない本心だ。


「おやおや、奏音ちゃんそっちに目覚めちゃったかな? ちょっと春陽ねーさんにその辺の話を聞かせてもらえないかなぁ?」


「春陽さんなんですねぇ?」


「そうそう私友火の事大好きだから!」


 満面の笑みで春陽さんは恥ずかし気も無く言い切った。その言葉を聞いた秋月先輩は顔を真っ赤に染め恥ずかしそうに俯いている。


「あー! 秋月先輩真っ赤になってて可愛いですぅ」


「う、うるさい! やっぱり私は貴女の事は苦手だわ!」


 秋月先輩は顔を赤くしたまま自分の席に戻っていった。

 プリプリとしながら嬉しそうに席に戻る秋月先輩の後ろ姿を眺めながら、いつもの先輩に戻った事に私は安堵の溜息を漏らした。

 

 ――これでようやく私もスタート地点に立てたかな?

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