第57話 第三章完結記念SS とある養護教諭の生徒指導

 私は桐ヶ谷学園という高校で保健医をやっている三十路の女だ。実際には保健医というのは正式な呼称では無く、正しくは養護教諭という名の教師である。

 当然医者では無くただの教師なので医療行為はできない。できる事は怪我をした生徒の応急処置くらいだ。


 桐ヶ谷学園は今日、体育祭の為いつもより養護教諭の仕事は必然と多くなる。普段の授業の時より怪我人が多いからだ。


 今しがた医務室に駆け込んできた男子生徒を見て私は驚きを隠せなかった。その男子生徒は怪我をした女子生徒を抱えて、所謂いわゆるお姫様抱っこをしながら校庭から医務室まで運んできたのだ。

 あの細い身体でどこにそんな力があるのだろうか? 華奢な見た目より鍛えているのかもしれない。


 連れてきた女子生徒はリレー中に転んだという事で顔や手足に擦り傷を負っていた他、足を痛めたという事らしい。

 詳しく話を聞くと以前痛めた足が再び肉離れを起こしたようだった。


「今から彼女の身体を拭いて、消毒と応急処置をするから男子はカーテンの向こうに行っててくれ。覗くなよ?」


 覗くわけないでしょう! 先生の目の前で、と彼は言っていたが真面目な生徒だな。思春期の男子なんてエロい事しか考えていないもんだぞ。


 カーテンを閉め彼女には汗と泥で汚れた体操服を脱いでもらった。

 若い高校生の肌はハリがあって良いな……目の前の女子生徒は適度に締まった身体をしていて羨ましい。三十路の私と比べるまでもない。


「足の怪我の方は……以前痛めたと言っていたが何かスポーツをしていたのか?」


「はい、中学の頃に陸上をやっていたんですが足を痛めて辞めました」


 彼女は特に陸上に未練も無かったから諦めて辞めたと言っている。


「そうか……それで今日は久しぶりに走ったら再び痛めてしまったと」


「はい……ウォームアップはシッカリやったんですが、ちょっと張り切っちゃたみたいで……逆に迷惑掛けてしまいました」


「それは、あの彼に良いところ見せようと思ってか?」


 私はカーテンの外にいる男子生徒に聞こえないように、彼女の耳もとでそっと語りかけた。


「えっ? そ、そんな事ないです……」


「あはは、彼の事好きなんだろう? 君の様子を見てれば分かるさ」


 彼女は顔を真っ赤に染め分かり易いくらい動揺している。ああ、なんて初々しいんだろう。


「で、君たちは付き合ってるのかい?」


「い、いえ……冬人は私の好意には気付いていないと思います……それに……私の親友に凄い可愛い子がいるんですが……その……最近すごく二人の仲が良くて何かあるのかなって」


「そうか……君の親友と、もしかしたら付き合ってるとか、何かあるかもしれないと思ってるんだな。でも……彼がここに君を運んで来た時の様子を見ると、君に全く好意が無い訳でもないと思うぞ」


「え? 本当ですか!」


「ああ、少なくとも君が彼の中で大事な人である事は間違い無いだろうね。それくらい必死だったよ」


 友達としてなのか異性としてかは分からないが……とは彼女には敢えて言わなかった。


「まあ、これも青春だ。頑張って彼の心を捕まえられたらいいな」


「はい! 頑張ります!」


 いいなあ若いって……こう思ってしまうなんて私もオバさんなんだろうなと思う。高校で若い生徒に囲まれて養護教諭なんてやってると嫌でも自分の年齢を感じてしまう。


「さて、痛めた足は冷やして湿布を貼って、擦り傷は消毒をしたから応急処置は終わりだ。一応足の方は医者に診てもらった方がいいかもな」


「はい、ありがとうございます」


「それじゃあ、これに着替えてしばらく寝ていればいい」


 私は医務室に常備してある着替えの体操着を渡しカーテンから外にでた。




 今回の体育祭は怪我人は例年より少なかったが、それでもいない訳では無かった。先ほども内線で校庭に呼ばれ、応急処置を終えた私は医務室に戻る廊下を歩いていた。


 さて、あの二人はどうしてるかな?


 少なくとも神代くんも咲間くんの事を少なからず思っているようだし、彼女にもワンチャンあるような気がしないでもない。

 自分には無関係の生徒間の恋愛事にも関わらず、他人事とは思えなかった。


 これは生徒指導でもなんでもないな……あの二人の行く末に興味があるだけだな、と私は苦笑した。


 ――こういう気持ちは久しぶりだ


 医務室に戻る方向に廊下を歩いていると、反対から俯きながら歩いてくる女子生徒の姿が見えた。


「どうした? 怪我でもしたか?」


 あまりにも元気が無い女子生徒の姿が心配になり私は声を掛けた。


「い、いえ、大丈夫です……なんでもありません……」


 顔を上げた生徒は学園でも有名な女子生徒だった。名前は確か……秋月友火といったか。


 ……だが、顔を上げたその女子生徒の瞳は涙を浮かべ潤んでいた。涙に濡れたその女子生徒は噂に違わぬ美少女であった。不謹慎ながら美少女は涙も絵になるなと思ってしまう。


「なにかあったのか? 医務室で話くらいなら聞くぞ」


 涙を浮かべた女子生徒を放っておく訳にもいかず、再び問い掛けてみたが「大丈夫です」としか答えなかった。


「そうか……なら気を付けて戻れよ。話したくなったら医務室に来ればいい」


 そういって私は女子生徒と別れた。


 そのまま医務室に戻りながら考える。彼女が歩いて来た方には医務室があり、今はあの二人がいるはずだ。

 咲間くんは言っていた。神代くんが咲間くんの親友の女子生徒と何かあるかもしれないと。


「まさかな……」


 秋月くんが医務室であの二人と何かあった可能性は否定できない……か。


 だとしても、私にはどうする事もできない。せいぜい話を聞いてあげる事くらいだ。


 高校時代の若い時は今しかないのだから、泣いて笑って、色んな事をたくさん経験すればいい。


 ――頑張れよ


 私は若い三人に心の中でエールを送った。


 ……医務室にはゆっくり戻るか。


 私は立ち止まり廊下の窓を開け、雲ひとつない青く澄んだ空をのんびりと眺め続けた。

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