ヒーローの始まり

おちょぼ

第1話

 英雄ヒーローになりたい。

 ただそれだけを思って20年間生きてきた。

 だからこそ、川底に沈む子供を見つけた時は咄嗟に体が動いた。


 〇


 俺は何のために生きているのか。昔からよく、そんな事を考えた。この世に生を受けたからには、何か為すべきことがあるはずだ、と。

 中学生のころ、祖父がボケてからは、その思いはよりいっそう強くなった。自分が誰かも分からなくなり、食事も、排泄も、誰かの手を借りなければままならない。こんな、自分のケツも拭けない生活をダラダラ続けることが、果たして生きていると言えるのか。俺はそうは思えなかった。

 俺が望むのは、やりたいことをやりきったら、その場でパタリと事切れる、そんな花火の如き人生だ。人生の最高到達点、絶頂の中で誇り高く死に絶えたい。

 だがそのためには俺が人生の中で為すべき目標を見つけなければならない。極論、コレをやったら死んでもいい。そう思わせるような何かを。まあ大概の人はそんなものそうそう見つけられないだろう。目の前のタスクを片付けている間に漫然と時間が過ぎ、やがて人並みの幸せを求めて、相応の場所に落ち着く。別にそれが悪い事とは言わない。だが俺はそれでは満足できないのだ。


「へ~。おにーさん、厨二病?」

「……うるさい」


 隣で話を聞いていた少年が、純粋な瞳で心を抉った。さっき川で溺れそうになっていたのを助けたばかりで、髪からはいまだに雫が滴っている。


「俺だって大学生にもなってこんな夢を持ち続けるのはどうかと思ってるよ」


 人に話せば幼稚な夢だ、現実を見ろ、と笑われる。だから誰にも話したこと無かったのに。相手が子供だからか、それとも命を救った高揚感からか、思わず話してしまった。

 急に恥ずかしくなって、川の中に沈みたくなる。茹だるような暑さの中だ。さぞ気持ち良いだろう。


「たしかに二十歳にもなって厨二病なの、救えないけど」

「おい」

「ボクにとって、おにーさんは立派な英雄ヒーローだよ」

「……おお」


 キラキラした目が俺を見つめる。確かにたった今俺はこの少年の命を救った。言われてみれば確かに、俺はこの少年の英雄なのか。


「お前、ガキのくせになかなか嬉しいこと言ってくれるじゃん」

「でも世界の英雄への道のりはまだまだ遠いよ。精進してね」

「……お前、何歳?」

「あは! 何歳に見える?」


 そう言って少年はわざとらしく品(しな)を作った。

 何だか少年にしては言葉遣いがあまりにも大人びている。というかさっきまで溺れかけていたにしては落ち着きすぎだ。見た目は白い肌に黒髪の、どこにでもいる少年なんだが、なんだか妙なちぐはぐさがある。

 だが最近の小学生はネットが進んだせいで早熟だと言うし、案外こんなもんなのかもしれない。


「まあいいや。もう元気そうだし俺は行くよ。もうこんな所で泳ぐんじゃねーぞ」

「あ、待っておにーさん。お礼させてよ」

「いやいいよ。別に俺はお礼が欲しくて助けたわけじゃないんだから」

「でもそれじゃボクの気持ちが治まらないよ。おねがい!」

「……あー」


 ヒシと縋り付く少年に、思わず足を止める。ここで振りほどいたら、まるで俺が悪いみたいだ。まあ別にお礼してくれるって言うなら、あんまり断るのも失礼か。


「わかった。わかった。お礼を受けよう」

「わ、ありがとう」

「それで、何をくれるんだ?」

「何でもいいよ。ボクには他人の願いを叶える力があるんだ♪」


 そう言って得意気に胸を張る少年。なるほど、そういう感じね。とするとあんまりイジワルな事言うのも可哀想だし、簡単にしとくか。


「だったら、あそこの駄菓子屋でラムネを買ってくれ」

「ヤダ」

「え」

「いい? 叶えられる願いは1人1つまで。そして叶えるかどうかはボクが判断する。つまんない願いは叶えないから」

「えぇ……」


 何でも言って、と言うわりにはワガママな。でもよく考えたら田舎の小学生に100円のラムネは厳しいのかもしれない。


「じゃあ、この辺の名所とか教えて」

「むぅぅ、ダメダメダメダメ! もっとあるでしょ! おにーさんの願いが」

「えっ」


 それって


「英雄(ヒーロー)になりたい、か?」

「そう、それでいいの。──では、その願いを叶えよう」


 ぱん! と少年が両手を合わせる。乾いた音が河原に響いた。後に残ったのはやかましいセミの声と川のせせらぎだけ。


「はい、これでおにーさんはヒーローになれるよ」

「あ、そうなの……」


 ヒーローってそうやってなるもんなの? いやまあ、これでこの少年が満足するなら別にいいんだけど。


「じゃあ俺はそろそろ行くよ。君も早く帰った方がいいぞ。今日は夕立が降るかもしれない」


 空を見上げれば大きく膨らんだ入道雲が青い空を塗りつぶしていた。じっとりとした空気も、やたらと肌をざわつかせる。


「そ、じゃあまたね、おにーさん。帰り道には気をつけて」

「おう。君もな」


 少年に手を振りその場を後にする。

 今は一人旅の最中だ。目的の民宿まではまだ距離がある。雨が振り出すまでに着ければいいけど。


「……ん?」


 先程の少年の何かが引っかかり、振り返る。だが既に少年の姿はなく。田んぼに挟まれたコンクリートと揺らめく陽炎だけがそこにあった。


 〇


「やっぱり降られたか」


 俺はバスの待合所で雨宿りしながら項垂れた。

 滝のような雨は遮光カーテンのように光を遮り、夕方だというのに辺りは暗闇に包まれている。夕立だろうからすぐ止むとは思うが、心配なのは川で会ったあの少年だ。ちゃんと帰る所は見届けていないし、もしかしたらまだあの川で遊んでいたかもしれない。さすがに溺れかけていた川でもう一度遊ぼうとは考えないだろうが、万一ということもある。ちゃんと親御さんの所に届けるべきだった。


「はぁ」


 とはいえ今更俺に出来るのは祈ることぐらいだ。どうかあの少年が無事であるように、そして早くこの夕立が止みますように。

 空を見上げると稲光が走った。一拍遅れて雷鳴が轟く。先程からしきりに稲光が走っている。まさか落ちたりしないよな。


 ……何だか嫌な予感がする。

 そして俺のこういう予感はよく当たるのだ。


 辺りが強い光に覆われる。痛い程の光に目を閉じた瞬間、強い衝撃と熱が体を襲った。

 ぶわりと浮いた体がコンクリートに叩きつけられ、勢いのまま転がる。


「ごほっ、ごほっ」


 全身がきしむ。だが意識はハッキリしている。何が起きた……?


「ねぇおにーさん。英雄の条件、知ってる?」


 土砂降りの雨の中、先程まで待合所があった場所に炎と煙が立ち上り、その奥で1つの人影が揺らめいた。


「それは倒すべき『悪』がいること。『悪』を倒して初めて人は英雄になる」

「き、きみは……」


 ゆらりと歩んでくる人影が炎に照らされる。そこにいたのは、昼に助けた少年だった。だがその頭部には鋭利な双角が生え、背中では蝙蝠のよう翼がはためいている。およそ只の人とは思えない。まるで悪魔のような。


「さて、おにーさん。英雄の卵の前に打倒すべき『悪』がいるよ。おにーさんはどうするのかな?」

「な、何を言ってるんだ。これは君がやったのか? どうやって、なんのために!? 説明してくれ!」

「んー、理解力の無さは英雄適性マイナス20点」


 少年はふわりと浮かび上がると、目にも止まらぬ動きで目の前に降り立った。


「ごほっ」


 強い衝撃を受けて遥か後ろに吹き飛ばされる。何が起きたのか一瞬理解できなかった。地面に転がりつつ視線をあげる。腹に響く鈍い痛みと拳を突き出した姿勢の少年の姿で、少年に腹部を殴打されたのだとわかった。


「反応速度もマイナス20点。適応力、耐久力、想像力、戦闘力、ついでに知名度と顔面偏差値もぜーんぶマイナス。しめてマイナス100万点。はー、これじゃ先が思いやられるよね」


 やれやれと言わんばかりに肩を竦めながら近づいてくる少年。少年は地面に転がる俺の襟首を掴むと強引に引き起こした。


「でも安心して。ボクがしっかりおにーさんをプロデュースしてあげるから。世界最高の英雄になれるように」


「ふざけんな……っ! 何が目的なんだよ」

「もー。おにーさんがお願いしたんでしょ。『俺を英雄にしてくれ』って」


 まさかあの時少年にした『お願い』。それを叶えているというのか? というかあれ本当だったのか? そんなバカな。

 でもさっきの動きやあの落雷、それにこの悪魔のような見た目。とてもじゃないが作り物には見えない。


 混乱する俺をよそに、少年は襟首を掴む手をパッと離した。重力に従い俺は泥水の中に落下し、頭を少年の靴が踏みにじる。


「ほらほら抵抗しないと嬲られるばかりだよ? 悪はいつだって唐突なの。準備や心構えなんてしてる暇はない」

「がっ!」


 頭をサッカーボールのように蹴り飛ばされ、その勢いのまま木に叩きつけられた。


「いった……」


 殴られた腹も、蹴られた頭もめちゃくちゃ痛い。だがそれだけだ。血が出る様子もなく、意識はハッキリしている。むしろ感覚は研ぎ澄まされ、夕立の雨粒を一つ一つ近く出来そうなほどだ。


 漫画やアニメでは人が殴られて吹っ飛ぶなんてのはよくある表現だが、現実で人を吹き飛ばすのには車の衝突並のエネルギーが必要だ。それを何度も受けていながら、ただ『痛い』だけ? そんなのありえない。何か理由があるはずだ。

 考えられるのは……1つだけ。


「人にある選択肢は敗北だけ。そして英雄にある選択肢は勝利だけ。おにーさんはどっちかな?」


 木を支えに立ち上がった俺を、少年……いや、『悪』は不敵な笑みを浮かべて歓迎した。距離はだいたい、10メートルぐらいか。


「ふぅー」


 ぶん殴る。


 俺は一歩の踏み込みでその距離を詰めると、そのナマイキな横っ面に拳を叩き込んだ。『悪』は水切りのように地面をなんどもバウンドし、やがて木にめり込むようにして止まった。


「……やっば」


 少年の願いを叶えるという言葉や、体の異常な耐久力から、俺の体にも何らかの変化が起きているとは思っていた。だが正直想像以上だった。

 恐る恐る『悪』の様子を見に行く。


『悪』は五体は無事だが、頭の角が折れ、翼もネジ切れている。殺してしまったか、と一瞬肝が冷えたが、俺が近づいてきたことに気づいたのか、うっすらと瞳を開いた。


「かくして『悪』は英雄により打ち倒されたのでした……。やあおにーさん。初勝利おめでとう。チュートリアルクリアだ。英雄見習いぐらいにはなれたんじゃない?」

「……いったいお前は何者なんだ? あの少年とは同一人物なのか? あの少年のいう『願いを叶える力』とは本物なのか? そもそも何が目的なんだ?」

「あは、質問の多い英雄見習いだ。これはマイナスポイントだ。でも……そうだね。英雄は欲張りなものだ。特別に答えてあげよう」


『悪』は溜息を1つつくと俺を見上げた。


「ボクはアナタの『英雄ヒーローになりたい』という願いを叶えるために生まれた存在。そのうちの1つさ。この体はちょうど近くにいた少年の体を借りただけ。でもこの体、異常なほど頑丈だね。ボクの角や羽はボロボロなのに、体は何ともない。正直この体の元の持ち主が何者なのかはボクにも想像つかないね」

「なんだと……?」


 じゃああの少年の『願いを叶える力』は本物だったのか。まあこの話を信じるならだが。


「おっと、そろそろ時間切れかな。ほら、雨が上がるよ」


 促されるように視線を上げると雲間がはれ、満点の星空が顔をのぞかせていた。そういえば今夜は満月だったな。もうすぐ宝石箱のような夜空が煌めくだろう。


「じゃあボクはそろそろ逝くよ。じゃあね英雄見習いさん。この体の元の持ち主には変わりに謝っといて」

「あ、おい!」

「そうそう、『悪』はアナタが真の英雄になれるまで現れ続けるからそのつもりで。じゃ、バイバイ」


 その言葉を最期に、少年から生えていた角と羽は細かな粒子のように崩れ、風にまかれるように消えてしまった。後には規則的な呼吸をする少年が残る。


「……」


 どーすんだよコレ。

 確かに英雄にはなりたかった。でもだからってこんな事になるなんて思いもしないだろ。今も高揚感などより困惑の方が大きい。


「おい、おい、少年。起きろ」


 ゆさゆさと少年の体を揺すると呻きながらも目を開けた。少年はきょろきょろと混乱したように辺りを見回している。


「あれれ? えーと、何が起きたんだっけ?」

「『悪』を名乗る奴がお前の体を奪って襲ってきたんだ」

「あー、なんかちょっとずつ思い出してきた。そうそう。自分の意思で体は動かせなかったけど、一応記憶は残ってるんだよね。いやー、長い事生きてるけど、こんなの初めてだよね」

「長い事……? まあいいや。お前には聞きたい事が山ほどあるんだ。話を聞かせてもらうぞ」

「いいよ。ちょうどボクもおにーさんに聞きたい事があったんだ。どうせこれから長い付き合いになるだろうし」


 何やら少年の口から不穏なワードが止まらない。その事についても纏めて聞けばいいだろう。とりあえずどこか落ち着ける場所へ


「GUGYAAAAAAAAOOOOOOOO!!!」


 山の稜線から何やら規格外のサイズの怪物が顔を出している。怪物が誕生を歓喜するように夜空に向けて炎を吐くと、周囲は昼間のように明るくなった。


 俺はぎこちない動きで少年を振り返る。


「……なにあれ」

「怪獣、かな」

「どうすんの」

「誰かが倒してくれるんじゃない? 例えば通りすがりの英雄とか」


 そう言って少年はクスクスと楽しそうに笑う。なんでこの状況で笑っていられるんだ。肝太すぎだろ。


「あー、くそ!」


 これも全部、あの時俺が少年に願ったせいなのか?


『『悪』はアナタが真の英雄になれるまで現れ続けるからそのつもりで』


 先程の言葉がフラッシュバックする。もしかして俺が英雄になれるまで、今後もこんな事が続くというのか。もしかして俺はとんでもない事をしてしまったのでは?


「わかったよ! やるよ! やってやるさ!」


 覚悟を決めよう。俺の人生の目標は二つ。一つは『英雄になる』。そしてもう一つは『自分の尻は自分で拭き続ける』だ。

 この事態を引き起こしたのが俺のせいならば、俺が片をつける。それが『自分の尻を自分で拭く』という事だ。ついでに英雄になれるというなら一石二鳥だ。


「でりゃああああああああ!!!」


 〇


 これは『始まりのヒーロー』と呼ばれるようになる男の物語、そのプロローグである。

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