第二話 噂と期待
目覚めは最悪だった。
昨日家に帰り女を呼ぼうとしたが、あの美少女を見た直後では、スマホに表示されるどの「友だち」も霞んで見え、会う気がしなかった。結局1人で寂しい夜を迎え、スマホを片手に眠っていたところをドアを叩く音で起こされたのだ。スマホの画面は午前9時と表示している。いつもならまだまだ寝ている時間だ。
「うるせぇな出るって」
ドアを開けるとやたらと背の高い男が笑顔で目の前に立っている。テツだ。
「おはよう」
こっちは起こされたもんでイライラしているのに何がおはようだ
「はぁ。近いって。近いし高いから角度がすげぇんだよ」
「ごめんごめん」
しかしテツは下がろうとしない。これは少し怒っているな。
「で、何」
テツは無理やり家の中に入りながら答える。
「何。じゃないよ、昨日言ったでしょ。彼女さんの荷物を取りに来たの」
「『 元』な」
奴は床の上に散らばるゴミや衣服を器用に避けながら笑顔のまま悪態をついた。
「あぁそうですねぇ。誰かさんの浮気のせいで別れたんでしたね。そのせいでこんな雑用押し付けられてるんでした。うっかりしてましたごめんなさいね」
そう言いながら引き出しの一つを開け、中のものを取り出す。
俺はあえて無視することにした。ねちねちした嫌味に付き合うほど人ができていない。
「そっちは違う女の。あの女のは隣の棚の上から2番目」
テツはわざと聞こえるようなため息をつき、こちらを少し睨むと言われた引き出しからものを取りだし袋に入れ始めた。
「…悪かったって」
「じゃあもう僕も知ってる子で遊ばないでよ。巻き込まれるのごめんだから」
「あぁ、わかった」
「分かってない返事だねそれは」
「女みてぇなこと言うなよ」
「いつの女?」
「…何人に言われたっけな」
「君のそういうとこ本当にもう…」
そこまで言ったところで詰め込みは終わったらしい。立ち上がるとこちらを向いた。
「で、ここで全部?」
「隣のコンセントに刺さってる充電器もあいつの」
少し目を丸くしながらテツは充電器を手に取る。
「ちゃんと把握してるんだね」
「じゃないとバレるからな」
「しててもバレてるじゃん」
「あいつ、俺が二股してたって怒ってたんだけどな。正確には四股だ」
それを聞くといっそう大きな溜息をついて充電器を入れた袋の口を締める。じゃあ僕は帰るから、と言いつつ家を出ようとした時、ふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば、昨日のナンパ失敗したって言ってたけど、大学の子?」
「いや、たまたま公園にいた子。超キレイだった」
それを聞きテツはつづける。
「…その子見かけたのって蓮の池公園?」
「公園の名前なんか知らんが、ほらあの…大学の西門出てすぐのとこ」
「そうそこ、蓮の池公園。もしかしてベンチに座って池眺めてた?」
俺は思わずテツに詰め寄った。
「知ってんのか」
テツは俺の態度の変貌ぶりに驚いたようだ。それを見て、ふと我に返った。
「すまねぇ、ビビらしちまった」
「いやいいよ別に。少し驚いたけど。本当にご執心なんだねぇ」
「まぁ、な。で、あの子のこと知ってんの」
「噂で聞いたんだよ。あの公園で池を毎日眺めてる女の子の噂」
思わず再び詰め寄る。
「ほんとか」
「いやだから怖いって…」
「あ、すまん」
「僕も一度見かけたんだけどさ、あんな可愛い子があんなしょぼい公園のベンチにずっといるんだよ。そりゃ噂にもなるよね」
ずっと?ずっとだと?聞き捨てならねぇな
「ってことは、今日もいるかもしれねぇってことか」
「そうなんじゃないかな。日の出てる間はずっといるらしいよ。でも昨日失敗したんでしょ?今日言っても煙たがられるだけじゃない」
後半はよく聞こえなかった。俺は急いで服を着替え歯を磨く。
「あれ、もしかして今すぐ行くの?」
「ほーはよ。ははらへへけ」
「『 そうだよ。だから出てけ』って?別にいいけど…いや、そうだそうだ。あの子の私物ってこれで全部?」
口をゆすぎ終わると寝癖を最低限整える。
「いや、ベッドの下のカラーボックスにあるぬいぐるみもあいつの」
「おっけ、それ準備しとくから出るのちょっと待って」
とてもじゃないが待っていられるものじゃない。俺はテツに鍵を投げ、玄関に向かう。
「閉めて下のポストに入れとけ」
「ちょっ、不用心すぎない?」
テツの声を背中に駆け出す。外では太陽が燦々と輝き嫌な熱気が体を包む。散歩中の犬の吠える声とやかましい蝉共が耳障りで、道路をちょこまかと走り回るガキ共も目障りだ。邪魔するんじゃねぇ。1秒でも早くあの公園に行くんだ。
微かに、こちらに向かって叫ぶテツの声が聞こえた気がしたが、あっという間に風に流され消えてしまった。
篝火と霹靂 @yukkurisensei
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