第一話 別れと出会い

嫌な予感がする。

そういえば、今朝電話でこの公園に呼び出された時の声も不機嫌だった気がする。半分寝ていたからよく覚えていないが。

真夏にしても異様なほど暑いが、俺の背中には冷や汗が伝っている。

この女が腕を組んでいるのは黄信号だ。人差し指が肘をトントンと叩いていたら赤信号。さらにこちらを睨む目は、それだけで小さな虫なら殺せそうなほどの殺気を放っている。完全にアウトだ。今更どんなご機嫌取りも言い訳も効かないだろう。

「私が何で怒っているのかわかるよね」

わかるかよ。どれの事だ。心当たりが多すぎる。

「えぇと…ごめん、正直なんのことか…」

その時、頬に鋭い痛みが走った。一瞬何が起こったかわからなかったが、どうやら俺は平手打ちされたらしい。

「二股かけておいてしらばっくれるつもり!!?ほんっと最低!!」

彼女はひとしきり俺を詰ると足早に去っていった。くそ、面倒な嗅覚を持っていやがる。せめてどうしてばれたのかくらい教えてくれないと今後のためにならない。気のふれそうな暑さも相まって最悪の気分だ。

ふと我に返ると、多くの視線がこちらに向いているのに気づいた。犬の散歩をしているおっさんもボール遊びに興じるガキも、泣きわめくしか能の無い蝉すらもこっちを見ている。鬱陶しい。見せもんじゃねぇんだぞ。

こんな時は、クーラーの効いた部屋でキープしておいた女の子を呼び出すに限る。俺は公園からさっさと出ようと歩き出した。

その時だ。そこそこ淀んだ池のほとりに置かれたベンチに、白いワンピースの女が1人座っているのが見えた。

確信した。これが一目惚れだ。

肩まで伸びた黒髪は絹のようにしなやかで、長いまつ毛に守られた大きな目には、透き通った美しい瞳が映っている。白と黒だけで描けそうな芸術品のような顔に、薄い唇だけが赤く映える。顔立ちや体型に幼さが残るが、ワンピースからスラリと伸びる手足はどこか艶やかだ。

美しい。否、そんな言葉では生ぬるい。

こんなつまらない公園に何故こんな美少女がいるんだ。まさにあれだ、掃き溜めの鶴だ。いや彼女がいるから当たり前の風景が掃き溜めに見えるのか。

大抵の男どもはこういう時、しばらく見とれてから通り過ぎるんだろう。だが、そういう連中は俺が心底見下すタイプの連中だ。なぜ目の前にいい女がいるのに近づかない。宝くじを当てるには宝くじを買わねばならず、ホームランを打つためにはバットを振らねばならない。同じことだ。いい女を抱くには、まず隣に座らなければ始まらない。

だから俺は当然のように彼女の隣に座る。

「ね、ずっと池眺めてるけどさ、この風景好きなの」

…まずいな、全く反応がない。歓迎してくれるなんて思っちゃいないが、煙たがりもしないとは。ナンパというものは無反応が一番辛い。

「向こう側にさ、カフェがあるんだよ。あそこから見える景色もいいもんだよ」

すると、やっと女は口を開いた。

「行かない。痴話喧嘩で忙しい人に案内してもらうのも悪いし」

とりあえず反応して貰えたのはまだいい。だが、まずいな。さっきの話聞いてたのか。

「もしかしてさっきの聞こえてた?ごめんね、うるさくて」

「…」

弁解した方がいいか?いや、初対面の男のそんな話聞きたがるやつがどこにいる。しかしここで会話を止めてはならない。帰る隙を与えてしまう。何かないか、何か…。

その時、俺のケータイが鳴り響いた。くそ、よりにもよってこんなタイミングで。

「電話、鳴ってるよ。出たら?」

「あぁ大丈夫。すぐ切るから」

そう言って俺がスマホに視線を落とした瞬間、彼女は立ち上がり、電話を切る頃には公園の外へ歩き出してしまっていた。

大きな溜息をつき、渾身の舌打ちをしたところでまた電話がかかってきた。画面にはテツという名前が映っている。先刻俺をぶった女と俺の共通の友人だ。

「…もしもし」

「もしもし、五木実さん?さっき君の彼女から、君の家に置いてある荷物取ってきてって言われたんですけど?なんかありました?」

「言わなくてもわかんだろ。邪魔すんな 」

「ほんっといい加減にしてよ。毎回板挟みにされるこっちの身にもなってよ…。ってか何、取り込み中?」

「いやもういいよ。お前のせいで取り逃した」

「あー、またナンパしてんの?少しは反省しろよ」

「うるせぇお前に言われる筋合いねぇよ」

「いやあるだろ」

「うるせぇ」

電話を切りポケットに押し込む。逃がした魚は大きい。本当に大きい。だがもう仕方がない。今日は帰ろう。しかしあの子、本当に可愛かったな。

俺を見送る公園には、まだ蝉の声がミンミンと鳴っていた。



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