狼の回想その二。

 ある日のこと。その日と前日、そして翌日に何の変化もない。なのにその日にそれは起こった。

 朝、目が覚めた時、ボクには何が起こったのか分からなかった。屋敷が全て燃え尽き、多くの使用人が死んでいた。どうしてボクが生きているのか分からないくらいに。

「……え?」

 怖い。怖い。怖い。ただ、ただ怖いと思い、ボクは何も考えずにその場から駆け出した。それだけなら良かった。だけど違った。走れば走る程、何かが後ろにいる。壊れた屋敷を更に壊す何かがいる。

 それが更に怖くてボクは走る。

「ルゥ! 待て!」

 そんな声が聞こえた。その声がアーキン様のものだったのか、それともルーク様のものだったのか、どちらかは分からない。ただ、気がつけばボクの目の前で二人が横たわっていた。ほぼ虫の息と言ってもいいだろう。何があったのかは分からない。きっと、ボクを追いかけていた何かに襲われたのだろう。

「だ、大丈夫ですか!」

 叫んで手を差し出そうとして、その手が人の手でないことに気付いた。禍々しく伸びた鋭利な獣の爪。ボクはそれをお二人に突き刺していた。

 簡単なことだった。その日の惨劇は、全部ボクがやったのだ。獣になってボクは屋敷を壊し、お世話になった方々を殺したのだ。そして、目の前でボクは命の恩人である二人を――。

「よっしゃ、捕まえた」

「……え?」

「親父!」

「へいへい。帰還せよ、回帰せよ、帰依せよリターン

「ちょっと待て、なんだその魔術!? 後で教えてくれよ!?」

「うるせぇ、集中させろ!」

 お二人の命をボクは確実に仕留めてしまったはずだ。なのに彼らは生きている。

「な、何が、どうして、どうやって」

 あれやこれやと慌てている間にボクは元の人の姿に戻っていた。

「ったく、面白い奴を拾っちまったもんだなぁ、なぁルーク」

「笑えねぇけどな。……いいヤツを結構失った」

「そういうのは本人の前で言うもんじゃねぇよ」

「……あ」

「……ボクは、ボクは……ッ」

 怖さ、悔しさ、恐ろしさ、全てが入り混じり混乱するボクの頭をアーキン様、ルーク様は共に撫でてくれた。

「気にすんな。お前がやらかしんたんじゃない。お前が暴走するように仕組んでた奴がいた。それを見抜けなかった。全部俺の失態だ」

「で、でもッ!」

「主が失敗したって言ってんだ。これ以上食い下がるのは主に恥をかかせるってことだ。命の恩人かつお前の主の顔に、これ以上泥を塗らせるつもりか?」

「ッ……」

 そんな風に断言し、それ以上は何も言わせてもらえなかった。

 アーキン様とルーク様はその後わずか数時間で後片付け――屋敷だったモノの片付けと、そして死者の弔いだ――を終わらせる。死者に対する扱い方に二人はなぜか手慣れていた。魂を神の元へ戻すという循環の詠唱も淀みなく進む。どうしてなのか、ボクは聞けなかった。


 それが起こったのは翌日のことだった。元より懇意にしていたレーア家で一晩を過ごした。

 魔素切れや精神披露によってボクはあっという間に眠りにつき、次に起きた時には知らない人達が屋敷の庭で死んでいた。またボクが何かをやらかしたのかと蒼白になったが、しかしどうやら違うらしい。

「……あの、アーキン様、あの人は……?」

「復讐だよ。ルゥ、お前の中に眠る狼を利用した輩がいた。俺という個人を殺す為にな。だから分からせてやった。それだけだ」

 よくよく見れば、それは見覚えのある顔だった。少し前に近くの村へ買い出しに行った際に少し話した、旅人だった。

「この人が、ですか」

「ああ。コイツは他国の密偵だった。諜報員、暗殺隊、国によってその名は違うが、……チッ、仕方ねぇな、もうこの時間が来たか」

「アーキン様、そのボクにも分かるように教えてください」

「気にするな。いいか、ルゥ、改めて命令する。お前はルークに仕え、そしてルークを支えるんだ。これから何があっても、お前はルークの唯一の側仕えだ。お前がいて、ルークがいて、それが正しい姿だ」

「……アーキン様?」

「きっとお前は、傷付くだろう。だけど、それは同時にルークも傷ついているということだ。だから、守ってやってくれ。あいつを守れるのは、お前しかいない」

 その時のアーキン様の言葉をボクは今でも覚えている。

 それがアーキン様と交わした、最後の言葉だったのだから。

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