幼い狼の回想録

 気が付いたらボクはそこにいた。覚えているのは、父さんや母さん、それに家族はもういないということだけ。

 絶望の中で、ボクは様々な実験をされた――らしい。

 様々な薬で意識も体も朦朧としたままボクは数年間を過ごした。実際にどのくらいの時間を過ごしたのかボクは分からない。きっと誰も分からない。あの場所は時間と空間が捻れていてかなり歪らしい。

 時折、実験と実験の合間なのだろうか、ボクの意識がハッキリとした時間があった。その時は大体、声が反響するくらいの部屋に目隠しと拘束によって身じろぎすらできないようにされていた。

 そんな日を繰り返す度に、ボクの中で、ボクが変わっていくような気がした。喰らえ、喰らえ、と何かが語りかけてくる。暴れたい、暴れたい、と誰かの言葉がボクの体を突き動かそうとしている。

 不思議な拘束で、から暴れることはできなかったけど、もしも暴れることができるのならきっどどうなるか分からなかったと思う。

 だんだん、だんだん、その思いは強くなっていき、ボクという自我は消えていた。

 その辺りからボクはずっとまどろみのような夢を見た。白い光の空間で、大きな大きな狼の前にいる。そんな夢だ。

「貴方は?」

『名前などない。我はもうこの世にはいない身。そなたと混ぜ合わせられている哀れな獣よ』

「えっと……」

『分からぬならそれでよい」

「…………」

 言葉の少ない狼だった。いや、狼が喋れるなんて聞いたことがないけど、でもその狼は喋ってもおかしくないような雰囲気の老いた狼だった。老いているからなのか彼が怠惰なのか、静かな空間でボクは彼とずっと一緒にいた。

 会話がないと不安になるけれど彼とは違った。言葉のない時間が随分と心地よかった。

『そなたには願いはないのか?』

「お願い、ですか?」

『さよう。このような不運なえにしだが、それでも同じ縁だ。我とて昔は神と呼ばれた者。そなたの願いを一つくらいなら叶えてやろう』

「……じゃあ、家族が欲しい」

 死んでしまった家族。殺されてしまった家族。大切で唯一のはずなのに、どうしてか他人事のように俯瞰していた。

『我は家族とやらにはなれないが、しかし、安心したまえ、我と混ぜ合わさったそなたには、これ以上悲しみは起こらない。良き流れが訪れるだろう。座してまて、というやつだ』

「混ぜ合わさった、って、どういうことだ?」

『む、分からぬのか。いやさ、そもそも我に飲み込まれていない時点で特異だというのに、その自覚もないというのか』

「…………?」

『くくっ、ははっ、まぁよい、気にするな。無知の子は可愛いものよ。我はそなたの行く末を眺めようとしよう。――さて、目覚めの時だ』

「え、ちょ、ちょっと待って――」


 轟音と何かに揺られる感覚。そして、意識がだんだんとハッキリとし始める。

「よぉ、目覚めたか」

 気が付けばボクは誰かに抱っこされていて、そして空を飛んでいた。

「臭い……ッ」

「命の恩人にいきなりそれかよ!? ったく、ここの奴らは躾がなってねぇのかよ。ただの不甲斐ねぇ雑魚貴族にこんな重労働させやがってよ

。んで写真に騙されて助けたら男だしよ! なんなんだよったく!」

「うるさい。あと……、臭い」

「なら耳も鼻も塞いどけ! あと目もつむっとけ、んで喋んなよ! 舌噛んでも知らねぇからな!!」

「え、腕二つしかないのにどうやって!?」

「臨機応変に動け! なんでもかんでも聞くなアホたれが!」

「そんな無茶苦茶なッ!? って、だっ!?」

 舌を噛みかけて悶絶し、次いでの衝撃で再び意識を失った。

 それがボクと、今の主ルーク・エンパイアの父、アーキン・エンパイアとの出会いだった。

 アーキン様は、有名ではない貴族の生まれで、しかし何やらよく分からない過去を持っているらしく、本来ならば様々な機関にたらい回しに研究され、改造されるはずだったのを匿ってくれた。使用人として、それなりの作法と礼儀を教わった。

 そして、しかしアーキン様は使用人を必要としない人だった。貴族――つまりは国の為に動くと約束している人――の中には、常にどこかへと動かなければならない人がいる。アーキン様もそのタイプの人で、だから使用人として雇われていても事実上はやることがない状態になった。

 だから、という訳でもないのだろうけれど、ボクはアーキン様の息子、ルーク様に仕えることになった。

 ルーク様はアーキン様とは違う形で使用人が必要としないタイプだった。理由は簡単で、全て自分でこなせるからだ。

 ボクとは五つも変わらないはずだが全てをそつなくこなし、料理人として雇われている人達に時折教えるくらいだったのだ。ボクも色々と教えてもらったが、その腕と知識はすごいものだった。

 ただ単純に、ボクはルーク様の使用人として雇われていながら、彼の弟のような立場で日々を過ごしていた。あの狼のことなんて全く忘れていたけれど、あの時に願った家族が欲しいという願いは確かに叶っていた。

 あの時、あの日の惨劇が起こるまでは。

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