第七話 つまり、世界は複雑に交錯している。

 重々しい足取りで森の中をゆっくりと前を進む。生か死か、その二択を見ず知らず顔を見たことさえない赤の他人に賭けようとしている。

 ああ、なんて馬鹿らしい。だが、そうしなければならない。そうしなければ二択は一択になる。

 丁度中間辺りを歩む白い髪の少女が、ざっと足を滑らした。元より湿気の強い森だが、数日前に雨が降っていたせいだろう。別段、怪我などをするようなことではない。しかし。

、大丈夫ですか!?」

 ざっ、とその集団の大半が少女に集った。特に反応が早かったのは皇女と呼ばれた少女――ハンナの真隣にいた青年だった。右目に斜め一文字の大きな傷のある青年だ。名はセンと言う。腰には長剣を携えているが、その身なりは長剣を携えるに値しないみすぼらしい姿だった。

 その矛盾はセンの葛藤の証だった。

 身分をバレてはいけない。だが、自らの誇りそのものであるこの剣を捨てる訳にはいけない。それ故の違和感だ。

「休憩致しましょう。ほんの少し、立ち止まる程度です」

「……大丈夫です。それよりも先を。……いえ、やはり私が前に出るべきでしょう」

「何度も言わせないでください、そんなことはできません。我々が犠牲になってでも、皇女には生きて頂かなければならないのです」

「しかし……!」

「皇女様」

「…………。分かりました」

 彼ら彼女らは生きなければならない。生きて、。その為だけに様々な手を使った。その手を汚しさえもした。

「……相手については見当がついているのですか?」

「恐らくは、【センドライズ】の追っ手でしょう」

「……【センドライズ】、ですか。しかしかの国はもう数十年も戦争をしていないではありませんか。ならば我々でも……」

「いえ、それはあり得ません。ならばあの国に一度や二度戦争が起こっているでしょう。ですが、あの国は戦争を一度たりともしていません。表立って攻められたことが一度もないのです。それはつまり――」

「……攻められない程の戦力を保持し続けている、と?」

「そして同じ程度に、他国に協力をし続けています。裏でも表でも。そうして、戦争をするメリットよりもデメリットの方を際立たせているのです」

「……その協力の中に、もしかすれば」

「ええ、我々を殺すなんてこともあるでしょうね。大義名分とすれば野盗の討伐、或いは一掃などとして。一人か二人、殺してでもどうにか説得しなければ……。その際には……、皇女様、その手をけがすことになるかもしれません。……ご覚悟ください」

「分かっています。もう既に私の手は穢れています。これ以上穢すことを、私はいといません」

 そう言ってハンナは自らの白く綺麗な手を見る。触れただけで壊れてしまいそうだ。その手を、そして彼女を落とす為に財産すべてを賭けた者がいる。その手を青年は手に取り、そして口付けをする。【ヴァリアン帝国】においてそれは騎士が主君に忠誠を誓う儀式である。

「例え穢れていても、私共は貴方の手を、貴方を美しいと思っております」

「セン……」

「まーた、始まったよ。ほら、惚気は後にして、まずは前の敵だ」

 ははは、と乾いた笑みを周囲は漏らす。ほんの少しの気の緩みだ。それは致命的ではあるが、しかし息抜きの一つでもあった。そうして一瞬気を抜き改めて引き締める。そうでもしなければ精神が摩耗していしまうのだ。

 ゆっくりと誰も何も言わずに前を向く。たった三人の襲撃者の方へ。


「さて、後はあそこの集団か」

 気を失った人間が折り重なるように積み上げられている。ルーク、レイア、ユーズの三人の仕業だ。

 既にには気付いている。だが、その他の群衆との違いに警戒と疑問を抱いていた。

「やっぱり、おかしいっちゃおかしいよな。森の中ならバラけた方が効率がいい」

 森の中では小さく身を潜め、隙を伺い、不意打ち気味に相手を各個撃破するというのが一般的だろう。勿論集団での戦法も幾つかあるが、数十人で群れて森の中に居るというのは、それも[索敵]をする必要もなく分かるように居座っている状態はどの戦法にも一致しない。

「そんだけ自信があるのか、それとも何か大事なものでもあるのか、ね」

「やはり周囲に他の反応はない。フェイクって訳でもなさそうだ」

 ルーク、レーア、ユーズの順で集団に対する感想を漏らす。相手側もこちらの様子を伺っているのだろう。静かに膠着状態に陥っていた。

「目的が読めないっていうのは、やっぱり動き辛いわね」

「よし、決めた。一番、楽な手段で解決するか。『開け、焼け、現われろ。そこに汝はいる。我はここにいるYou're there. I'm here.』」

 [開闢かいびゃく]の詠唱。第一の神、全ての母たる神〈ライドリア〉が、無だった大地を形作った天地開闢の魔法。それを模した魔術は、至極簡単に言えば目的までの道を切り拓く。ルーク達とハンナ達の前に隔たるものはなくなり、互いに目を合わせていた。

「……なっ」

「ッ!!」

「あははははっ、また変な魔術お試しで使っちゃって。でも、凄いね、これ、色々と使えそうだ」

「だな。流石は我らが〈ライドリア〉様だ。便利で都合のいい魔法をお持ちで」

「……だからお前らは何を平然と理屈を飛び越えたことしやがるんだよ!?」

 あまりの出来事に身動きが取れず硬直するハンナやセンの一行。とりあえず魔術の成功とそのに苦笑いを漏らすルーク達。それぞれが反応を取りながら、しかし相手の出方を伺っていた。

 最初に行動を取ったのはセンだった。

「我々は降伏する。だからどうか命だけは助けてくれ」

 武器を前に捨て、そして膝を付き手を頭の上に乗せる。センは率先して降伏宣言をした。ただ生きる為に。

「ッ……。それを最初から信じろってのは――」

「……分かった。じゃあ、お前らは捕虜だ。それでいいな? 良いなら武器を差し出してくれ」

「ルーク!?」

「ああ、そういうこと。ユーズ、彼らと戦う必要はないわ。彼らは我々と戦える状態じゃあない」

 ルークとユーズは警戒を解き、センの剣を手に取る。

「いい剣だ」

「……ありがとう」

「どういうことだ、二人共」

「それは帰ってから話そう。どうやら、この依頼、野盗を全員倒せばそれでいいって話じゃあなさそうだ」

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