Act.8 Repulse -反撃-

『調子はどう?』

「良好だ。改修前に比べ、出力も若干上がっている。これなら取り巻きに苦戦することもないだろう」

『うっし。ならOKだ。あ、は温存しとけよ? かなりむちゃくちゃな理論構築してるから数は使えないし、それ破られたらもう打つ手なしだかんな』

「了解した。では――反撃戦だ」



◇◆◇



 薄暗く、少し湿った室内にアナスタシア・パブロヴァは立っていた。

 計画は全て順調だ。

 目的の少女は確保できた。『神為らぬ者ヘレティツク』への要求は済ませた。SNSや掲示板、果てはネットメディアは大混乱だ。明日になれば全国紙や公共電波にも取り上げられるだろう。そうすれば世界単位でうねりが生まれる。覚醒遺伝計画に対する反発という、抗いがたい大きなうねりが。

 人間は自分で思っているよりも周囲の意見に左右される存在だ、ということを証明した実験があったと思う。

 別に今回の要求を『神為らぬ者ヘレティツク』に突っぱねられてもかまいはしないのだ。こちらの目的は世界単位での『神為らぬ者ヘレティツク』への反発感情の流れを生み出すこと。元々社会には伝承者サクセサーへ向けられた恐怖がある。それをちょっとねじ曲げて、この状況を生み出した連中への義憤に変えてやるのだ。

 そうすれば、そのうちに一般人達が自主的に『神為らぬ者ヘレティツク』の居場所を探ろうとし始める。探り当てて、私刑にかけようとしたがる。あとはそこに手を貸してやれば良い。それだけで、世界人口70億の大部分を「味方」にすることができる。

(まあ、あのヒナとかいう女の子の命は保証できないけどね)

 酷い話だ、とは思う。

 だがそれを押してでも達したい目標がある。

 だから、犠牲になってもらう。

 これはそれだけの話だ。

だから。


 ズ、ドォォォォォオオオオオオオッッ!! と。


 まるで爆発のような轟音とともに、すさまじい衝撃が建物全体を震わせた。

 地震、ではない。この国は比較的地震が多いという話だが、それでは先程の轟音に説明がつかない。

 そもそも、初めから正体は分かっていた。

「来たわね……ッ!」

 確信とともに、右腕を頭上に掲げる。その先にあるのは鉄板製の、球状の天井。

 否。

 ただの天井などではない。

「『五日目の大蛇レヴァイアサン』……ッ!」

 ゴウッ! という破裂音とともに、天井の鉄板が

 顕われたのは、水でできた大蛇。しかしスケールが違う。『聖者の蛇ネフシユタン』の五倍はある体躯には魚のような背鰭や胸鰭が備わり、顔つきはより禍々しくむしろ鰐などのそれに似る。

 巨大な球の形状をした天井の正体はだ。

 ……この町では伝統的に水不足に悩まされてきた。水脈が流れているために井戸を掘れば飲み水の確保自体はできるのだが、地下水だけでは生活用水としては心許ない上に施工費もかかる。周辺に湖や沼の類いも存在しない為、隣町から水道設備を引くようになった現代でも万が一に備えて市が管理する貯水槽が街の中心部に設置されている。

 騎士団はそこに目をつけた。

 一つにはアナスタシアの能力に用いる大量の水を確保する目的があった。だがそれ以上の決め手は災害時の保険として作られた施設ということだ。なにしろ普段使いというものが考慮されていない。月に一回程度の頻度で市役所職員が検査に来る程度で、常駐する警備員なども存在しないのは好都合だった。

五日目の大蛇レヴァイアサン』がチロリと舌を伸ばし、音の出所の方向を睥睨する。

 直後だった。

 ゴッッ! と、鈍い音とともに、部屋に備えられた出入り口の、すぐ脇の壁を突き破って騎士団のメンバーが吹き飛ばされてきた。アナスタシアやエリスのように直接戦闘に出ることはない、裏方要員――名前は確かカルロスといったか。北欧神話から派生し、一神教のカラーで再編された竜殺しの英雄譚に由来する覚醒遺伝AAの持ち主。とにかく守勢に特化しているので、このアジトの門番に抜擢されていたはずだが……。

 その彼を放り投げた下手人の姿が、砂埃の向こうにある。

 そいつは、ストールと雨合羽のあいのこの様な服を身に纏っていた。

 そいつは、星のない夜空のように黒い髪を持っていた。

 そして。


 そいつの瞳は、くすんだ銀の色に輝き、薄暗い部屋の中で嫌でも目立っていた。


「もう人外であることも隠さないのね……ッ!」

 海原レン。

 ライナス・マクレイが叩きのめしたはずの彼が、そこに立っていた。

 歯噛みするアナスタシアに、レンは返答代わりのことばを紡ぐ。

戦闘機動アクト限界解除ギアアツプ

 瞬間、レンの体が爆発的な加速を迎える。

 手に光るのは黄金色の矛。その穂先。

「馬鹿の一つ覚えですか!?」

 だが今回は前回と状況が違う。

「『五日目の大蛇レヴァイアサン』、分離パージ。お行きなさい、『探索の海蛇ラハブ』!」

五日目の大蛇レヴァイアサン』の腹が震え、一回り小さな水蛇が切り離される。

 新たに生み出された蛇――『探索の海蛇ラハブ』が身を挺してレンの矛から身を挺して『五日目の大蛇レヴァイアサン』を守った。キン、と涼やかな音とともに氷の彫像に変わる。

 限界解除ギアアツプが終わったのか、そこでレンの動きが元に戻った。

 背筋を伸ばして立つその姿には、息切れの様子などはない。エネルギー効率の改良などもされているのだろうか。

 銀の瞳がこちらを向く。

 ゾッとした。

 底冷えするような冷たい視線とともに、レンが口を開く。

 一言。

「……お前に用はない」

「ッ! 『五日目の大蛇レヴァイアサン』!」

 怒りと恐怖がない交ぜになった声で、従者の蛇に命を下す。シュゥゥゥ……という威嚇するような吐息とともに『五日目の大蛇レヴァイアサン』の口が開く。口腔内から覗くのは無数の氷柱とその根元で渦巻く圧縮水流。弾丸のようなニードル


 掃射。


 まるで塹壕戦の機関銃だった。

 以前見た『聖者の蛇ネフシユタン』のそれとは物量が決定的に違う。

戦闘機動アクト限界解除ギアアツプ

 レンの口が再びことばを紡ぐ。氷の弾丸を手にした矛で弾いていく。

 だが足りない。

 ヤスリを掛けていくように削れる穂先。刃は欠け、次第にその輝きを失っていく青銅の黄金色。やがて澄んだ、だがどこか絶望的な音とともに、レンの手に握られた矛の穂先が真っ二つに砕け散る。

 が。

 ギュンッ!! と。

 それが合図だったかのように、レンが腰を低く落として再び加速。

 虚空に銀の眼光が一条の線を曳き、一弾指の合間に水の大蛇へと肉薄する。高らかに振り上げられるのはその右腕だ。

「な、にを……ッ?」

 突然の接近に眉を顰める。

五日目の大蛇レヴァイアサン』にせよ『聖者の蛇ネフシユタン』にせよ、彼女の従える蛇は基本的に液体だ。そもそもアナスタシアの覚醒遺伝AAが海を割った預言者に由来する流体操作である以上、それは変わらない。

 だから拳を叩きつけたところで、あの矛がなければどうしようもないのだ。

 そのはずだ。

 そのはずなのに。

 レンの右拳が『五日目の大蛇レヴァイアサン』の胴に叩き込まれた直後に、異変は起きた。

 ジジ……、と。

五日目の大蛇レヴァイアサン』の輪郭にノイズが走る。

「……――ッ!?」

 何をされたか分からない。

 だが、何が起きたのかは理解できた。

(『五日目の大蛇レヴァイアサン』を維持できない……ッ!?)

 戦慄するアナスタシアの目の前で、水の大蛇の姿が崩れていく。

 それだけではない。

 ……ッ!

「何を……したのッ!?」

 完全に想定外だった。

 ともすればライナスを彷彿とさせるような、覚醒遺伝AAの機能不全。

 だがおかしい。そもそも全身が覚醒遺伝AAの産物であるレンに、アンチマジックの類いが使えるはずがないのだ。それは先の襲撃でライナスが証明していた。

 しかし、蛇の肉体を構成していた水でその体を濡らすよりも早く、青銅の少年が懐に飛び込んでくる。

 返事はただ一言だった。

「お前が知る必要はない」

 次いで飛んでくるのは先と同じ右拳。

 そんなことに付き合っている時間はないとでも言うように放たれたそれは、驚くほどたやすくアナスタシアの意識を闇に葬り去る。




 アナスタシア撃破。

 それは確かな戦果だが、同時にただの通過点でしかない。

 改良が施された右眼の上に表示されるマップを頼りに、レンは目的地へ突き進む。

 ……前回の襲撃以降、万一に備えてヒナのスマートフォンのGPSを登録しておいたのは正解だった。もちろん途中で廃棄されていたが、その廃棄ポイントに至るまでのルートを参照して、今回の騎士団のアジトも割り出すことができた。

 貯水槽真下に存在する管理施設の地下。複数の部屋に区分けされたそれを、時には廊下を駆け抜け、時には壁を打ち壊し、虱潰しに調べていく。

 試行回数を重ねていくうちに大方の目処はついた。

 中央部の最も広い空間。貯めた水を浄水する施設が設けられた区域。全方向からアクセスができて、仮に襲撃された場合でも最も兵力を集めるのに向く場所。そこに、ヒナと――おそらくライナスがいる可能性が高い。

(そうと決まれば)

戦闘機動アクト開始スタート

 ことばとともに、両腕に非生物的なラインが浮かび上がる。

 青銅の義体が疾駆する。

 現在地から目標地点までの最短ルートを算出。壁の厚さも考慮に入れて、『短縮』できるところは積極的にショートカットしていく。

 すなわち。

 ズガガガガガガガガガッッ!! と。

 掘削機のような音が鳴り響いた。

 青銅の拳が打ちっぱなしのコンクリートを瓦礫に変えていく。

 あと3枚ほど壁を越えれば目的地という地点まで来たときだった。

「よぉ」

 横合いから、声が割り込んできた。

 直後に右腕を掴まれる。そのまま――回転。

 破砕音とともに視界に砂埃が舞う。掴んだ腕を支点に力任せに振り回され、壁に背を打ち付けられたのだ。

 銀の瞳が翡翠色の瞳を捉える。

「アナスタシアじゃ物足りなかったか?」

 ソイツは黒のカソックと白のストラを身に纏った男。

 挨拶ですと言わんばかりに左拳が飛んでくるのを、レンは紙一重で受け止める。

「エリス・エリントン……ッ!」

「ハッハァ! 会いたかったぜ、レンちゃァん!!」

 拳打の応酬。そのリズムに合わせて、地に着くほどに伸ばされた金髪が虚空で踊る。

 拳と拳、蹴りと蹴りが肉弾と化してぶつかり合う。

「……チィッ!」

「オラァ!」

 完全に互角。

 アナスタシアは事前対策さえできていれば、本体自身にさほど高い身体能力はないためある意味やりやすい相手だ。

 しかし、このエリスという男は真逆。もはや文字通り人間ではないレンの戦闘機動アクトに追随できる。戦闘技能も低くはない。ある意味で相性は最悪に近いと言えた。

 こうなるとどちらかのスタミナ切れか、あるいは――

「フッ――!」

 シャラン、とレンの手の中に黄金色のナイフが現れた。普段は義肢の中に収納しているためにその場で生み出しているようにも見えるのだ。

 薄く発光した瞳を反射し、鈍く輝くその刃が狙うのはエリスの首筋――に舞う、彼の髪だ。

「おっと」

 ナイフが虚空を掻く。すんでの所でエリスが髪を手で払って回避したのだ。

 どこか楽しみを中断されて気分を害した子供のように、エリスは顰め面をしてみせた。

「最初っから弱点かみ狙いってのは感心しねぇなぁ」

「ほざけ。お前に構ってる暇などない」

 ……最初に彼と戦闘したとき、彼は自分の髪が一房切られただけで慌てたように撤退した。

 何故か。当然のことだが、自然に考えていけば達する結論は一つだ。

 即ち、――と。

 人間離れした強力。一神教。そして長い髪。

 その条件を満たす英雄が一人、いる。

「やはりサムソンか」

「……まあ、バレるよな。あれだけわざとらしくやったら」

 怪力のサムソン。

 旧約聖書に記された、イスラエルの士師。

 ……伝承によれば、その怪力は「頭に剃刀を当ててはならない」という禁忌に支えられていた。事実、彼は後にデリラという女性によって髪を剃られたことにより一度力を失っている。

 そして、覚醒遺伝AAは伝承の中の英雄、あるいは神々に由来するモノだ。下地にする以上、そこには弱点という特性も引き継がれる。

 おそらくは、エリスも。

「道を譲れ」

 ナイフを構え直す。

 上下左右。あるいは斜角。どの方向から拳が、あるいは蹴りが飛んできても対応できるように。最悪、直接切りつけることも辞さない。

 だが。

「……譲ったら、どうすんの?」

 意外にもエリスの反応は理性的だった。

 両腕を下げ、臨戦態勢を解いている。

「ヒナを連れ戻して、こんな馬鹿なことはやめさせる」

「……ふぅん?」

「なあ、お前達もいい加減分かってるだろ」

 ナイフを納める。

 白黒の怪物と、黒銀の人形が、静かに対峙する。

「こんなことをしたところで『神為らぬ者ヘレティツク』は絶対に覚醒遺伝計画を止めたりはしない。よしんば民衆を煽っても、今度はそれに準じた対応策をとって対抗するだけだ。なにせ覚醒遺伝計画のシステム自体はアイツらが握っているんだから。既存の伝承者サクセサーなんかを遙かに超える現象だって起こせる」

「まあ、理屈で考えたらそうなんだろうけどよ。お前、一つ忘れてないか?」

 レンの言葉に、エリスは後頭部を掻きながら応えた。

 その表情は――落胆と、呆れ。

 そして。

 告げる。


「たとえ理屈としてはそれが筋だったとして、それでオレたちの心情が納得する訳ねぇだろ?」


 暴風が巻き起こった。

 否。それはエリスの接近だ。予備動作なしでの肉薄。

 息がかかるほどの距離で、翡翠色の瞳と視線が合う。

「オレのお袋は娼婦だった」

 そのまま――アッパー。薄皮一枚でそれを躱すと、今度は鳩尾に左の拳が突き刺さる。

「傭兵のオヤジとの間にできた子供でなぁ。まあ、色々と盛り上がっちまった結果ってヤツだったんだろうさ。生まれてすぐに、オレは孤児院に放り込まれた」

 一瞬、呼吸ができなくなるがすぐに持ち直す。次に飛んできたのは鼻柱への一撃。二の腕でそれをガードするが、余りに重い打撃に吹き飛ばされそうになる。

 ――怪力を誇ったサムソンは悪女の策略によって一度はその力を失った。

 だが伝承には続きがある。

 敵国民に捕まった彼は両目を潰され、牢につながれた。しかし粉をひかされている間に彼の毛髪は再び伸び、やがて引き出された時、力を取り戻していたサムソンは異教の神殿を倒壊させて、今まで殺した中でも最も多くの敵を道連れにしたという。

 即ち、破壊の後の新生。

 一度ダメージを受けることによって回復したときに今まで以上の力を手に入れる特性を表す伝承とも取ることはできないか?

「まあ、孤児院って言っても教会が博愛精神だかなんだかーって運営しているようなおキレイなところでな? そういうところにいらっしゃるお子様方にとっては、オレみたいなのなんて鼻つまみ者なんだわ」

 次に襲ってきたのは下段からのキック。今度は無理に受け止めず受け流す方向で対処するが、それでも手首がねじ切れそうなほどの衝撃が襲ってくる。

 死中活有オーバーフロー

 敢えて名付けるのならそれか。

「まあスレたね。この性格は当時からだよ。それでもまだオレがただの不良の範疇でいられたのは、『先生』がいたからだ」

 ガッと深くエリスが踏み込んだ。

 地面に蜘蛛の巣のような亀裂が入ると同時に、腹部に堅い感触と――次いで、鈍痛。

「それが変わったのは、このクソみてぇな覚醒遺伝チカラが宿ってからだ」

 ゴムボールのように吹っ飛んだレンの体が、壁に打ち付けられて跳ねた。

 ポツリ、と。

 薄く埃の積もった地面に、一滴の雫が染みを作った。

 それはレンの汗か、あるいは――

「教会は伝承者サクセサーの粛正を決めた。『先生』もそれに従った」

 エリスの頬に浮いた一本の涙筋が閃く。

 エリスと彼が『先生』と呼んだ人の間にどんなふれあいがあったのかは分からない。

 だが少なくとも、目の前のこの青年は『先生』に信頼を寄せていたのだろう。

 そして、その『先生』は結果的にエリスを裏切った。

「お前に何が分かる」

 低く冷たい声とともに、革靴の踵が左腕に降ってきた。

「俺がここまでされなくちゃいけないことをしたか……?」

 静かな。

 静かな震え声が、悲痛な叫び声へと変わるのに時間はいらなかった。

「確かにミサはサボったし煙草もすった! 戒律だって少しは破った! でも誰も殺してなんかいねぇ! 盗みもしてねぇし、力任せに人から奪うこともしなかったんだよ、こんな力を手に入れるまでは!!」

 エリスが今ここにいるということは、粛正が決まり、恩師に裏切られたと知ったその日に逃げ出したのだろう。

 もちろん、追手がいたはずだ。そもそも差し出されたことを察する時には、粛正のためのエージェントに囲まれていたことも想像に難くない。

 そこから5年前の少年だった彼が逃げ出すには、何をしたか。

 どれだけの死線を潜って、どれだけ守り続けていた一線を越えてきたか。

 ……その後、おそらく紆余曲折を経てライナスに拾われたのだろう。

 皮肉なことに、彼が初めて「本当に信頼できる」人間に出会えたのは、地獄の底の中だった。

「なあ、これはオレが悪いのか?」

 声を枯らして、顔をくしゃくしゃに歪めて。

 最後に、絞り出すように出てきたのは問いかけだった。

「オレが悪いからこんな風になっちまったのか!?」

 その単純な問いかけに含まれた背景を想像し。

 背負ってきたものを斟酌し。

 込められた思いを噛みしめて。

「それでも」

 歯を食いしばり。

 全身の義肢に力を貯めて。


 戦闘機動アクト限界解除ギアアツプ


 跳ね起きる。

 レンの体を踏みつけていた足を振り払い、体勢を崩したエリスを真っ直ぐに見つめる。

 慌てて青年神父が構え直そうとするが――遅い。

 急速接近。

 手の中には青銅のナイフ。狙いは目と鼻の先に踊る鮮やかな金髪だ。

 彼の母の遺伝なのか、男と分かっていても見とれてしまうように美しいそれを、しかし右手でしかと掴み一息に刈り上げる。

 瞬間に、エリスの体から力が失われた。

 冷や汗なのか涙と鼻水なのかもう分からないほどべしゃべしゃに濡れた顔と、目が合う。

「俺は、先に行く」

 例えそちらが納得できないとして、それ故にこんな暴挙に及んだのだとして。

 それでは、今度はこちらが納得できない。

 だから。

 右拳による顎への一撃が決定打だった。

 意識を刈り取られたエリスが、床に崩れ落ちる。

 ……怪力のサムソンは、二度は立ち上がらない。

 その体をしばらく見つめてから、ふと右手を見下ろす。

「……」

 だが、なにかその考えを打ち消すように小さく首を振って。

 レンは、その先へ歩き出す。

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