Act.7 Resurrection -再起-

『ごめんなさい……! ごめんなさい――!!』

 ――君は誰だ?

『こんなことになるなんて思いもしなかった! 私が馬鹿だった! もっと考えていればこんなことになるって気づけたはずなのに!!』

 ――なにをそんなに謝っているんだ?

『ッ!? まだ意識がある……?』

 ――俺はどうなったんだ?

『……やってやる。自分で起こしたことの落とし前は自分でつけてみせる』

 ――俺に、何をしようとしている?

『私は、必ず君を、生き返らせてみせる……ッ!!』




 これは記憶だ。

 人間としては最後の。

 人形としては最初の。

 だが、いずれにしても事実は変わらない。

 聞こえる声があまりにも悲痛で、それでいて告げられた宣言はあまりにも毅然で。

 だから。


 この日確かに、海原レンと言う少年は救われたのだ。



◇◆◇



 動く。

 断絶した意識が蘇る。

 起動。


 目を開けると、まばゆい蛍光灯の光が飛び込んできた。

「……ここは」

「ッ! 起きたか!」

ポツリと呟くと、驚いたような、喜んでいるような声が聞こえた。

 そちらを向けば、フィアンマがいた。だが、いつもの見慣れた姿とは大分違う。

 まず、彼女は左手に杖をついていた。何事かと見れば、彼女の左の足は黄金色に輝く青銅の棒に置き換わっていた。義足としては大分原始的なものだ。

 よく見れば全身の重心バランスもおかしい。それは、何も杖をついているというだけではないだろう。

 ……フィアンマが少女の姿を保っていられる理由。それはレンと全く同じ――つまりは己の肉体を青銅の義肢義体に置き換えているからに他ならない。彼女が普段から浴びるように酒を飲んでもアルコール中毒になったりはしない理由もここにあった。

 あの時、ライナスという男の覚醒遺伝AAによってレンの体はほぼ完全に機能を停止するまでに追い込まれた。それが、今こうして動いていると言うことは、フィアンマが己の肉体と血を文字通り削ってレンに分け与えてくれた、ということなのだろう。

 とはいえ、それも完全ではない。こちらもまだ四肢の感覚がしっかりしていないし、なによりライナスに直接握り潰された右腕は欠けたままだった。

 ――そうだ。

「……づッ……ヒナは……? あれからどうなった……!?」

「落ち着け! いきなり動くなって、ゆっくり説明してやるから……!」

 フィアンマになだめられて渋々横に戻る。それで気づいたが、今自分が寝ているのはソファではなく安っぽいパイプベッドだ。壁材も余り見慣れないものだ。

 そこは郊外では度々目にするような、打ち棄てられた民家。予備に用意していた別の拠点だった。

 虫の知らせで点検しに行った直後に厄介になるとは、天の運とは分からないものだ。

「とりあえず、脳に異常はなさそうで安心した。あそこだけは私が作るわけにもいかないから……」

「そちらも、ライナスに捕まらなくて良かった。共倒れは勘弁だからな」

 この野郎、と笑うフィアンマだったが、その表情には隠しきれない疲労の色が窺える。

 ライナスはレンを「死人」と表したが、それは半分正解で半分間違いだ。

 5年前、人間としてのレンは確かに一度死んだと言える。だが完全に死亡する前に、フィアンマが辛うじて生き残っていた組織を残して青銅の義体に作り替えたというのが真実だった。

 最も、タンパク質の部分は脳と脊髄、あとは重要臓器の一部が残っているだけのものを同じ人間と言って良いのかには多少の疑問は残るが。まさしくテセウスの船と言うヤツだ。事実、レンの人間時代の記憶は遠い大昔のもののように霞がかっていて、両親の顔すら思い出せない。

「……仕掛けた罠が正面から突破されたんだ。アイツが触れるだけで、私の作品は全部錆びてボロボロに朽ちていったのを見たぜ」

「らしいな。そういう能力があると、本人が言っていた」

「反則だろ……私にメタ張ってるとしか思えないぞ、それ……」

 呻くフィアンマ。無理もない。アンチ・マジックという特性を持つライナスの存在は、時間と運さえあれば負け知らずの彼女にとって初めての天敵と言えた。

「あの後、なんとか連中に見つからないように後をつけて――それで、なんとかお前を抱えてバイクで逃げたんだ」

「……追って来なかったのか」

 思わず、眉を顰める。フィアンマの持つオートバイは排気量の低い、いわゆる原付に分類されるものだ。未だ底の見えないライナスはともかく、エリスがいれば追いつけたと思うのだが。

 だが、フィアンマは静かに首を横に振った。

「まるでこっちには目もくれていないようだった。やっぱり目的はヒナちゃんだったみたいだ」

「……」

 言われて、思い出す。

 確かあの時、ヒナは自分に何かを伝えようとしていた。それはヒナの抱えていた『事情』に通ずるもののはずだ。

「一体どうして……」

「それもすぐに分かるさ」

 そう言いながら、フィアンマはタブレット端末をいじくる。

 画面に表示されたのは、青と白を基調としたデザインの、チャットのような画面。とある大手SNSのタイムラインだ。

「これだけじゃない。3時間くらい前に、複数のSNSで奴らからの声明があった。文面から読み取れる宛先は『神為らぬ者ヘレティツク』。数分後に動画投稿サイトのライブで詳細を発表するって」

「……ハイテクなことで」

 苦し紛れの嫌みの直後に、タイムラインに新しい投稿があった。

「出たぞ」

「よし、奴さん方のご高説を拝聴しようじゃないか」

 ポストに挿入されたURLをタップすると、大手動画投稿サイトの画面に切り替わる。

 電波状況が悪いのが、時折ノイズが混じる中で、その男の声が聞こえた。

『――全世界の老若男女の諸君、ご機嫌麗しゅう』

「ライナス……ッ!」

 聞き取りづらいが、間違いない。聞く者に威厳と緊張を感じさせるこの声は、先程耳にしたばかりのそれだ。

 皮肉のつもりか、5年前の聖夜に『神為らぬ者ヘレティツク』が発信した声明と全く同じ台詞で切り出し、画面の向こうのライナスは続ける。

『我々の名前はサルヴァトーレ騎士団。外法の業に穢されたこの大地に、救いをもたらさんとする使徒。以後、お見知りおきを』

「チッ……Faccia a culoクソツタレめ……」

 思わず母国語で下品な罵倒を噛ますフィアンマだったが、もちろん相手には伝わらない。レンも奥歯を強く噛んだ。

 ……神秘主義者くずれの連中、という意味での“騎士団”に対して余り良い感情を抱かない理由はこれだ。彼らに多く共通する特徴として、兎角異教や他者を下に見たがるというのがある。これがレンにはどうにも受け入れられなかった。

『さて、今回こうして声明を発表した理由は他でもない。我々は「神為らぬ者」に対してある要求をするものである。これは交渉ではない。強要であり、督責であると知れ』

 タブレットからは相変わらずノイズ混じりの声明が流れていた。

 そして。

 何故、日下部ヒナが狙われたのか。

 何故、彼女でなくてはならなかったのか。

 その理由が。


『「神為らぬ者ヘレティツク」筆頭研究員のに告ぐ。貴殿の娘を預かった。解放したくば


「日下部……」

「――ゲンゾウ!?」

神為らぬ者ヘレティツク』の家族関係は原則非公開となっている。その個人情報は政府の限られたごく一部の官僚が厳重に管理しており、本人たちもおいそれとその事実を明かしはしない。過熱取材や私刑が及ぶリスクを避けるための措置だ。

 ……以前、彼女は「両親は死んでいる」と言った。

 そうではない。言えなかったのだ。

 だからだろうか。完全に彼女だけに視線が行っていた。ヒナ自身に何か特別性があるのだろうと。そう、思っていた。

 違う。奴らにとっての本命は別にいた。

 ヒナが選ばれたのは、ただの血縁関係という、それだけの理由で。

 ――彼女自身は、どこにでもいるようなごくごく普通の女の子だったのだ。

 だが。

「馬鹿だろ……」

 フィアンマが掠れた呻きを上げた。

「『神為らぬ者ヘレティツク』はたった一つの目的を貫徹するために国籍・人種を超えて集まったトップクラスの科学者集団だ……。それが、わざわざ自分たちの過去を一切捨ててまで発動した計画を、そのうちの一人の娘が人質にされた程度で止めるはずがない!! そんなこと、ちょっと考えれば分かることだろ!?」

 つまりはそういうことだった。

 ただ相手の肉親だったという理由だけで、何の力も持たない少女を襲い。

 その日常を奪い。

 人生を踏み荒らして。

 ここまでして、サルヴァトーレ騎士団は何も達成できはしない。

「……奴らもさすがにそれを予想できないほど馬鹿じゃないだろう」

「じゃあ!」

「それでも」

 語気を荒げるフィアンマを制するように、レンは静かに口を開く。

「それでも、大海の針を拾うような確率でも、賭けてみたかったんだろう」

 なんとなく、彼らの考えが――思いが、分かるような気がしたのは「それ」をついこの間ヒナの口から聞いたからだろうか。

 覚醒遺伝計画を中止せよ。

 画面の向こうの彼らはそう要求した。

 何故だ?

 今し方フィアンマが言ったように、そんな要求には応えるはずがない。

 では、わざわざそんな要求をする理由は。


 対抗勢力の無力化?

 あり得ない。そんなもの、ライナスという切り札がいる時点で必要ない。むしろ覚醒遺伝計画が停止すれば、自ら絶対的な優位性を示せるカードを手放すことになる。


 教義の問題?

 可能性はなくはないが、極めて低いだろう。確かに彼らの顔触れを見るに、神の唯一性や不可侵性を重視するキリスト教がベースとなっているように思える。

 だが、肉親を探り当て、わざわざ極東の島国までやってきてこんな事件を起こすほど厳格に教えを信仰しているとすれば、エリスのあのチンピラ同然な立ち振る舞いには違和感を感じる。


 レンの言葉に少しの間眉を顰めていたフィアンマだったが、やがて目を伏せて「……ああ、そういうことか」と呟いた。

 可能性を潰していけば、残る答えは一つ。


「アイツら、覚醒遺伝AAを手に入れて人生が狂っちまったのか」


 それは、あまりにも救いようがない結論だった。

 当然ながら、今は伝承者サクセサーとなっている人間にも「それ以前の物語」が存在する。

 笑ったり。

 腹を立てたり。

 泣いたり。

 普通に学校に通ったり、職場で仕事をしたり、子供と遊んだり、親と過ごしたり、ご飯を食べたりお菓子を買い食いしたりジュースを飲んだり意味もなく土をいじったりゲームをしたり本を読んだりサッカーをしたりギターを弾いたりその音楽を聴いたり恋をしたり告白されたりフラれたり沈んでるところを友人に慰められたり立ち直ってまた新しい朝を迎えて。

 そんな日常が、あったはずなのだ。

「……伝承者サクセサーは、覚醒遺伝AAを持ってない人間からしたら化け物でしかない。俺も、それは知っている」

 それが、果たして今まで通りの道を歩めるか。

「……」

 ふと見れば、フィアンマは顔を覆ってうつむいていた。

 5年という歳月は、短いようで長い。彼女の人となりを理解し、その胸中を慮るには十分だ。

 だから、レンにはいま彼女が何を考えているのか、何に思い悩んでいるのかが何となくわかる。

 わかるからこそ。

「お前は変わらんな」

 に彼女が囚われているのが許せなくて、つい口を出してしまった。

 顔を上げた彼女と目が合った。

「……変わらないって?」

 どこか剣呑な光を宿した瞳がこちらを射貫く。だが退かない。退くつもりなどない。

「そのままの意味だ。視野狭窄で、想像力がない」

「……そこまでにしておけよ」

「嫌だ。別の視点から物事が見れなくて、結果大失敗を――」

「やめろ!!」

 がっ、と。

 怒声とともに胸倉を掴まれた。

 フィアンマの瞳は充血して、端には涙の粒が浮かんでいた。

「……そんなことは分かってるんだよ」

 絞り出すような、言葉だった。


「でもどうしようもないだろう!? 自分から間違いに足突っ込んだ私と違って、アイツらは意思もへったくれもなく、ある日突然十字架を背負わされたかもしれないんだろう!? しかもそれは本来背負わなくたっていいはずのモノなんだ。それを! それがただの可能性だったとしても! 私が非難できるはずがないだろう!!」


 絶叫。

 彼女の主張は、ある意味で正しい。

 サルヴァトーレ騎士団が覚醒遺伝AAでそれまでの生活を失ってしまった人々なのだとすれば、その在り方は彼女に似ているようで本質的には真逆だ。

 フィアンマはその軽率から己の力を過ちに使ってしまった。

 だが、彼らは違う。何の前触れもなくポンと力を与えられて、今までの生活を粉々に打ち砕かれた。言ってしまえば被害者だ。

 そんな人々が「覚醒遺伝計画を止めろ」と要求するために、内心藁に縋る思いでヒナという少女を襲う凶行に出たのだとしたら。

 ……フィアンマには、彼らを責めることはできないだろう。

 けれど。

「それは違う」

「……なに?」

 その主張には決定的な見落としがある。

「たとえ、連中が本当に覚醒遺伝AAによって人生を狂わされてしまった人間の集まりだとして――」

 その決定的な勘違いを指摘するために。

 ゆっくりと首を横に振りながら、レンはそれを口にする。

「――それが、ヒナという一人の少女の日常を奪っていい理由にはならないんだよ」

「…………ッ!」

 だってそうだ。

 仮に彼らが本当に『被害者』だったとすれば、知っているはずなのだ。

 ベッドの上で目を覚まし、ご飯を食べて、学校に行って、友達と遊んで、授業を受けて、家に帰って、風呂に入って、そしてベッドの上で眠りに落ちる。

 そんな当たり前が、どれだけ尊いのか。どれだけ犯しがたいのか。

 ――その領域に、彼らは踏み込んだ。

「目を覚ませよ、フィアンマ」

 こんな簡単な答えに気づかないほど、俺を助けてくれた人は、馬鹿ではないはずだ。


「目的のために何の罪もない女の子を巻き込んだ時点で、それがどんなに神聖でも、切実でも、同情を誘うようなものでも、アイツらは決定的に『加害者』の側なんだよ!!」


 フィアンマはしばらく背もたれに体を預けていた。どこか呆けたような、でも何かに気づいたような顔が、徐々にいつもの光を取り戻していく。

 やがて、彼女は囁くように口を開く。

「……あんがと」

「何が」

「多分さ、アンタがいなかったら、私はそれこそこの国に辿り着く前に色々考えて、悩んで、そのまま潰れてた」

 彼女は、少し、照れくさそうに笑う。

 それが、なんだか嬉しくて。

 でも正直に言うのは気恥ずかしくて。

「それに」

 レンは咳払いと共に続けた。

「奴らにどんな大義名分があろうと関係ない」

 言いながら、上体を起こす。節々が軋みを上げる。

「俺はまだヒナの『助けて』に応えられてない」

 だから、立ち上がる。

 こんなところで、やられっぱなしになってやるものか。

「珍しく感情的じゃない。さては惚れた?」

「筋は通すだけだ」

 からかうような口調にぶっきらぼうな言葉を返す。

 ようやくニュートラルな、いつもの二人に戻れた。ここからがスタートだ。

「そんで? これからどうすんの?」

「ヒナを助けに行く」

「だと思った。まあ待てって。少しクールダウンしようぜ」

 そう言って、フィアンマが取り出したのは鍛冶用の小槌だ。

「幸い、お前を万全にしてやれるだけの素材は貯蔵してある」

「……神血イコルは?」

「そこはまあ、気合いと根性で」

 適当な。

 神血イコル、などと呼べば聞こえは良いが、実態はフィアンマ自身の血液に他ならない。あまり短時間に膨大な量を使って良いはずがないのは、本人も分かっているはずだ。

 それでも、レンを修復しようとする。

 それはつまり、一蓮托生。互いに互いの命を預け合う覚悟がなくてはならない。

「……俺の体が元に戻ればそれでいい、というわけではない」

 だから、念を押すように言った。

 よしんば以前のレンに復調できたとして、アナスタシアやエリスを首尾良く倒せたとしよう。だが、その先にはライナスというあまりにも高く、大きい壁が聳えている。彼を突破できる算段がない限りは、彼女の申し出は受けられない。

 だが、フィアンマは不敵に、そしてどこか悪戯っぽく口の端を釣り上げる。

「それなら秘策がある」

 ちろと。

 薄紅の唇から八重歯が覗いた。

救世主サルヴァトーレだかなんだか知らないが、ちょっと私を舐めすぎだ」

 それはあたかも宗教画に描かれるデーモンの如く。


「見せてやるさ。悪魔の底力ってヤツを」


 ――製出稼働アクト開始スタート

 軍魔の息吹が、静かに虚空を揺らす。




 これよりは二人の戦争。絶体絶命からの反撃戦。

 足掻いても覆せない状況を覆し、崇高な使命エゴを押しのけて低俗な我儘せいぎを通すために。

 鍛冶と青銅は、高らかに救世否定エイジイズムを掲げる。

 

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