Act.6 Destruction -損傷-

 熱い。

 まず何よりも前に感じたのは、異常な熱気だ。

 一度だけ、父に連れられて昼の砂漠を歩いたことがあったが、あれの比などではない。

 渇く。吸い込んだ空気が喉を灼く。

 鉛色の空は地を這う赤い光に染められている。

 右目は既に潰れていた。辛うじて無事な左の瞳を開く。


 この世の地獄だった。


 元々大きな村ではない。住民も300に届くか届かないか。なんなら集落と言ってもいいような、小さな共同体。

 そこには、少ないながらも確かに人が息づいていた。

 そこには、ささやかながらも確かな幸せがあった。

 あった、はずだ。

 ……それが、まるまる全て炎に呑まれている。

 岩を積み重ねて作ったこの地域伝統の家屋は瓦礫の山に変えられた。そういえば、先程から四肢の感覚がない。動かしてみようとしたが、全く動かない。

 眼球だけを動かしてみれば、家の壁を担っていた岩石の塊が己の小さな体を押し潰している。

 それで、なんとなく理解した。自分はこれから死ぬのだろうな、と。

 恐怖はある。

 死にたくない、とも。

 だがどうしようもなくこの体はボロボロで。

 ジャリッ、と砕けた岩を踏み分ける音が聞こえた。

 誰かが、近づいてきている。

 それは少女だ。

 焼けた金属のような、深紅の髪。顔立ちを見る限り17くらいの西洋人らしい。

 表情は逆光で見えなかったが、その口は必死に何かを叫んでいたようで――




 そこで目が覚めた。

 ビルの谷間を掻い潜ってきた朝陽の光が埃まみれの窓から部屋に差し込む中、レンはそっと上体を起こす。

 大分久しぶりにこの夢を見た気がする。

 ふと目に入るのは自分の両腕。

「……」

 生っ白いままに5年という歳月が経ったそれを、彼はただじっと見つめる。



◇◆◇



 アナスタシアの襲撃から既に一週間が過ぎた。

 不気味なことに、あれ以降一度も伝承者サクセサーによる襲撃はない。

 もしや自分がターゲットから外れたのでは、と淡い希望を抱いた時もあったが、それをフィアンマやレンに話すと揃って「それはない」と否定されてしまった。

「もしも他の誰かでヒナちゃんの代用が効くなら、わざわざ二回も襲ってこないって」

 と、ソファで行儀悪く寝そべりながら指摘するのはフィアンマだ。

 結局、向こう数週間はレンとフィアンマの元で保護してもらい、それでも何もないようだったら段階的に元の生活に戻る方針に。

 そういうわけで、ヒナは今日もレンを従えて帰り道を歩いていた。

 いつ警察を呼ばれるかとヒヤヒヤしていたが、そこはさすが(?)我が校の生徒。割と抵抗なくレンの存在を受け入れていた。一部の好奇心旺盛な輩に至っては「今度突撃インタビューをしてみよう」などと計画を立て始めているらしい。順応力が高すぎる。今日日ここまで警戒心を抱かないというのも考え物ではないか、と実は一番その「怪しい連中」と関係深くなってることを棚上げしながらヒナは思った。

そこで、ふとあるものが目に入る。

「あれ?」

「どうした」

「いえ、あそこの電柱……」

 振り向くレンに、指で示す。

 そこにあったのは、一枚の看板。ビルの横から突き出ているあたり、どうやらそこのテナントのものらしい。だが様子がおかしかった。というのも、かなり上の方に力強く蹴ったような歪みがあるのだ。

 そして、その原因には心当たりがあった。

「あそこって、この間のとこですよね?」

 そう、アナスタシア襲撃に際し、レンが蹴飛ばして移動に使っていた看板だった。よく見れば、他にも電柱や建物の側面にも同じような跡が残っている。アナスタシアがぶち破った地面などは翌朝に修復されていたはずなのだが……。

「……位置が位置だ。手が回らなかったんだろう」

「はあ……」

 レンの答えに生返事を返すが、どうにも違和感が拭えない。あれほどまでに迅速且つ完璧に伝承者サクセサーの痕跡を消していた精霊が、まさかそのようなミスを犯すだろうか?

 だが、妨害によって修復を完遂できないという事例もある。ならばやはり高さのせいで十全に回復できなかったというのもあり得るのだろうか……。

 などと考えている内にも、レンは先に歩いて行ってしまう。ヒナは後ろ髪を引かれるような感覚を心の中に残しながら、慌てて彼に追いすがった。




「レンさん?」

 の廃ビル、その入り口で、ヒナはこてんと首を傾げた

 あれ以降は大して変わったこともなくここまでこれたのだが、いざ入ろうとしたところで急にレンが足を止めてしまったのだ。

 何事かと思わず声をかけたところ、帰ってきた返答はこうだ。

「万が一の為にキープしてある、予備の拠点を様子見しておこうと思ってな」

 つまり今日はこのまま出かけるということらしい。

 そういう理由であれば別に無理に引き留める理由もない。レンに手を振って分かれ、ヒナはヒナでの玄関をくぐることに。

「お、おかえりー……って、レンのヤツは?」

 もう大分見慣れた気がする、リビング替わりの事務室へ入るとフィアンマが出迎えてくれた。

「えっと、他の拠点を点検しに行くとかで……」

「あん? 間が悪いな……おつかい頼もうと思ってたんだけど」

 面倒そうに後頭部をガシガシ掻くフィアンマ。彼女のオーバーオールにはオイルのような真新しい汚れがついていた。どうやら、この間乗っていたオートバイの整備をしていたらしい。

「中古屋で買ったんだけど、なかなか気に入ってるよ。小さな見た目に反してパワフルで、しかも荒く扱っても走れる」

 言いながら、彼女はスパナを部屋の隅の籠に放り投げた。小休憩、ということらしい。

「レンさんはいつ頃帰ってきますかね……」

「ん、遅くても8時には帰ってくるでしょ。チェックっても近場にあるヤツだろうし。しかしそうか、レンがいないのか。うんうん」

「……?」

 最後の方だけ気持ち嬉しそうに声のトーンが上がっている。

 何事かと思っていると、プシュッ! と炭酸の缶が開く音。

 あ。

「フィアンマさん、またお酒ですか!」

「かァーッ! 鬼の居ぬ間に晩酌ゥ!」

 それを言うなら洗濯だ。まだ晩という時間でもない。大体レンがいないのは昼間も同じだろう。

「ダメですよ! 何事も昔から過ぎたるは猶及ばざるがごとしと言って――」

「堅いこと言わないのぉ。真面目は美徳だけど、頑固は違うぜ?」

 屁理屈とともにグイッと一息。まったく水のように酒を飲む。肝臓はどうなっているのか。

 ヒナが無力にも眺めている先で1缶まるまるを瞬く間に飲み干したフィアンマは、口元を拭うと一つ伸びをしてこちらを見てきた。

「んじゃ、まあレンが帰ってくる前に入っちゃおうぜ」

「……? どこにです?」

 唐突且つ行き先も示されない誘いに、頭に疑問符を浮かべるヒナに、紅髪の彼女は親指でくいと廊下の奥を指した。




 というわけで。

 古めかしいタイルの張られた部屋で、ヒナとフィアンマは並んでシャワーを浴びていた。

 若干錆が浮いたヘッドから、熱いお湯が雨のように降り注ぎ、辺り一面に湯気を生む。水道もガスも止められていそうなこの廃ビルでどうしてこんな贅沢ができるのかは謎だったが、なんてことはない。フィアンマがそこら辺の設備に手を加えているのだという。

「水回りに関しては、幸い水脈がこの下流れてたから掘ったんだ」

「あれ、以外にそこはちゃんとしてるんですね。なんかフィアンマさんみてると盗水してるって言われても違和感なかったんで……」

「あっはっは」

「フィアンマさん??」

 笑い声が急にわざとらしく渇いたものになったのは気のせいだと信じたい。

 ……いや、まあそもそもここに住んでること事態が不法居住にあたるのだが、そこは気にしない方向で行く。だいたい土地の持ち主が気づかなかった場合は、権利者が看守義務を怠っていたことになるので刑事罰にはならない……ハズだ。又聞きなのでいまいち信憑性に欠けるが。

 修学旅行で泊まった昔の建物で目にしたことのあるアクリル素材のバルブを締めると、キュッという小気味の良い音とともにシャワーの水流が途切れる。湯船があるわけでもないので余り風呂に時間を裂かなくて良いのは利点かもしれないが、そろそろ沐浴の感覚が恋しくなってくる。

 仕切りのドアを開けると、ほぼ同じタイミングでフィアンマも出てきた。入る前にも見た彼女の肉体が目に飛び込んでくる。

 鍛冶という力仕事を続けている賜物か、全体的にシュッと引き締まった印象を受ける。

 腰から生えた二本の脚は驚くほど白く、且つ今の今までシャワーを浴びていた影響でほんのりと薄紅に色づいていた。絞られた腹部には薄く腹筋が浮かび、筋肉質な印象。かといってしなやかに伸びた二の腕は決して太い訳でもなく、いわゆるモデル体型といった感じだ。

 ――胸は勝った。そこは救いか。ヒナは密かに心の中でガッツポーズをした。

「そういえば、フィアンマさんとレンさんはどんな関係なんです?」

 脱衣所で体に残った水滴を拭いながら、なんとはなしに尋ねてみる。

 随分と長い付き合いのようにも思えるが、覚醒遺伝計画発動前からの付き合いなのか。それともこの5年の間に知り合った仲なのか。

「ん。アイツとは覚醒遺伝AAが発現したあとに出くわしてね」

 答えは意外にも後者だった。

 ただ、その返事はどことなく歯切れが悪い。

「?」

「まあ、このフィアンマさんにも若い頃が会ったっちゅー話ですよ」

 外見は今も大分若い、というか自分とほとんど変わらないと思うのだが。案の定というか、実年齢は年上らしい。あれだけバカバカ酒を飲んでいる時点で予想はできていた。

「……フィアンマさんは、今の能力が手に入ったことを恨んでますか?」

 つい、気になってそんなことを尋ねてしまう。言ってから軽率だったかと気づいたが、幸い彼女は「なぁに? そんなこと気になんの?」と笑ってくれた。

「うーん……恨むって言うのは、この覚醒遺伝計画を仕組んだ連中――『神為らぬ者ヘレティツク』のことを?」

「それも含めて、です」

「ああ、それなら答えは簡単だ」

 ガシガシと頭を乱暴に拭きながら、フィアンマはこともなげにその答えを口にする。

「恨んでなんかいないよ。悔やんではいるけどね」

「……?」

「まあ幸い私がもらった力はご覧の通り便利だけど戦いには向かないからさ」

 言って、彼女はひらひらと手を振る。

「このせいで死闘の日々に身を投じる……なんてことにはならなかったっていうのもあるだろうね。色々便利な思いもさせてもらってるし、恨むって言うのは筋が違うじゃない?」

「じゃあ、悔やむって言うのは……?」

「……まあ、ヒナちゃんはいい子そうだし、言ってもいいかな」

 どうやら下着は着けないらしく、素肌のままタンクトップに袖を通しながらフィアンマは言う。

「5年前にこの覚醒遺伝AAを手に入れた時、私はまだまだ見通しが甘い小娘でさ」

 ぽつぽつと昔話を始める彼女の声は、表面上はいつも通りだが、どこか弱々しいように聞こえた。

「思っちゃったんだよ、『この力があれば――」


『この力があれば、誰も伝承者サクセサーに怯えず暮らせるのではないか』。


 それはあまりにも優しくて、純粋で、それ以上にどうしようもなく考えなしの思いつき。

 だが当時のフィアンマはそれを理解できるほど聡明ではなかった。

 汝平和を欲さばスィ・ウィス・パケム戦への備えをせよパラ・ベツルム

 彼女の国の古い格言を掲げながら、フィアンマはそれ以降武器を作り始める。

「最初は、飛ぶように武具が売れた。私の作ったものは伝承者サクセサーにも対抗できるってことは、何度か証明の機会があったし」

 多分、皆安心が欲しかったんだと思う。

 だからフィアンマは青銅を鍛え続けた。求められるままに。強く。より強く。

 ……けれども、その先に待っていたものは顔を背けたくなるような地獄だった。

「私にもう少し考える頭があればこんなことにはならなかったんだ。」

 伝承者サクセサーにも対抗できるということは、裏を返せば常人相手に使えば既存の兵器を文字通り過去にする性能を秘めているということでもある。おまけに、伝承者サクセサーが直接手を下しているわけではないので精霊によって帳消しされることもない。

 彼女の耳に「伝承者サクセサーの作った武器が内紛に流用されている」という噂が届いたときには、もう全てが手遅れだった。

「私の作った武器がね、村をまるまる一つ瓦礫の山に変えていったんだ」

 気がつけば、武器と軍事を司る悪魔の名前が自分にはついて回っていた。

 ……これは罰だ。

 あまりにも無知で無策で愚鈍だった自分への、消えることない罪の証。

 昔見た格言が、示威による抑止を礼賛するものではないと知ったのは、大分後の話だ。

「さっきの悔やんでるって言うのはね、この力の話」

 いくらか声を震わせながら、フィアンマは静かに言う。

「こんな馬鹿な私でも、ここまで便利に使えてるんだ。じゃあもっと頭のいい人の下に与えられてたら、私みたいな勘違いをするような人じゃないところに行っていたら――」

 ――もっと、もっと多くの人を笑顔に変えられるような、そんな活躍をしていたはずなのに。

「……」

「ごめんごめん、だいぶ昔話しちゃったね。さ、そろそろレンも帰ってきてるだろうし、出ようぜ」

 そう言って扉を開けるフィアンマ。

 なぜだか、その背中はいつもよりも小さく感じられた。



◇◆◇



「二人ともどこに行ったのかと思えば、風呂だったか」

 フィアンマの見立て通り、事務室にはもう帰ってきたレンの姿があった。デスクにはついでに買ってきたらしいコンビニの握り飯や惣菜パン、カップラーメンに飲料水などが見える。

「お、ちゃんと晩飯買ってくるなんて気が利いてるじゃん」

 早速駆け寄ってごそごそと袋を漁るフィアンマを横目に、ヒナはそっとレンに近づく。「あの、レンさん」

「なんだ?」

「少し、二人だけでお話が……」




「なるほど、フィアンマがそのことを」

 二人だけで、という注文にレンが選んだのは屋上だった。

 まだ幾分冷たい夜風が、シャワーで湿ったままの体から容赦なく熱を奪っていく。見かねたのかレンが上着を貸してくれた。

 ありがたく袖を通させてもらいながら、ヒナは尋ねる。

「本当なんですか?」

「事実だ」

 きっぱりとレンが断言する。思わず、言葉に詰まった。

「……勘違いはしないでくれ。アイツは別に多くの人間を傷つけたくて武器を作った訳じゃないんだ」

「それは、わかります」

 良かれと思ってやったことが、回り回って裏目に出る。そんな経験はヒナの今までの人生でも決して少なくはない。フィアンマの場合はその規模が大きかっただけ。

「だが、他人は結果で人を評価する。アイツはそれ以来“軍魔ハルファス”なんて呼ばれるようになってな」

 今名乗っているフィアンマ・アルティジャーノという名前も偽名で、本名は捨ててしまったという。自分という悪魔から、家族や友人を守るために。今の少女のような姿もその一環だろう。本来の彼女とは大分異なるに違いない。

 なんて、悲しい過去だろうか。

 なんて、救われない人生だろうか。

 そして。


 


「でも」

 そんな思考を、レンの言葉が断ち切った。

「それでもアイツは、その罪を覚醒遺伝AAのせいにはしないだろうし、ましてやその存在を否定したりはしないんだろうな」

「……そんな、酷い目に遭ったのに?」

「遭ったんじゃないさ、アイツにとっては」

 手すりにもたれながら彼は言う。

 遠くには住宅街の小さな灯りが瞬いていた。

「近くで見てた人間には気の毒に思えるかもしれない。だけどアイツは絶対にそれを不幸な事故、なんて思わない。あの事件は誰がなんと言おうとアイツが『やってしまった』過ち、アイツ自身の罪だ。だから――」

 だから、彼女は誰かのせいにしたりはしない。だって、それは自分が背負うべきものだと理解しているから。

 自分の十字架は自分で背負う。

 それは当たり前のようで、凄く難しくて辛くて、尊い生き方なんだろうな、とヒナは思った。

 同時に、決心がついた。

 フィアンマは自分の罪を明かしてくれた。そして、示してくれた。彼女自身の、覚醒遺伝AAというものへの向き合い方を。


 なら、自分も打ち明けるべきだろう。


「……レンさん」

「なんだ」

「私は、あなたたちに隠していたことがあります」

 レンとフィアンマ、だけではない。

 リオにもサオリにも、担任のオージーにも一人暮らしのヒナを心配してよくしてくれたお隣さんにも話したことはない、ヒナの禁足地。

 本当は墓場まで持って行くつもりだった過去にして、呪われた出自。

 一つ深呼吸をして。

 覚悟を固め。

 口を開く。

「私は――」

 あまりにも唐突だった。

 二人だけのはずの屋上に響き渡る、聞き慣れない男の声。

 辺りを見回すが、姿は見えない。

 一体どこに……と思った次の瞬間、それはあまりにも予想外の場所から現れた。

 コツ、コツ、と。

 革靴がリノリウムを叩く音が聞こえた。

 階段の鉄扉が開かれる。

 相手は

 現れたのは黒い髪を整髪料でカッチリと固めた男だった。純黒のカソックは33あるボタンの全てがしっかりと締められ、見る者に厳かな印象を与える。

 直感で「マズい」と思った。

 エリスという神父。目の前の男は、あれよりも数段以上格上だ。素人のヒナにすらそう思わせるだけの圧を、男は放っていた。

 背にヒナを庇いながら、レンは男を睨む。

「……誰だ?」

「ライナス・マクレイ。知っているだろう、哀れな子羊よ」

 後ろ手を組みながらライナスと名乗ったその男は、一歩一歩こちらに歩み寄ってくる。

 対するレンの反応は迅速だった。

戦闘機動アクト開始スタート

 少年の口が、力あることばを紡ぐ。

 歯車が切り替わる。少年の四肢が常人のそれを超えた力を蓄える。

 そのまま走り出し、まずは力強く握り締めた右の拳をライナスの鼻柱に、


 くしゃりと。

 あまりにも軽い音が聞こえた。


 レンの両目が驚愕に見開かれる。

 今、何をされた?

 理解が追いつかない。

 おそらく放った右拳を止めるために、腕を掴まれた。

 そこまでは分かる。

 分からないのは。


 


「……ッ!?」

 腹部に衝撃とともに、強烈な喪失感。

 見れば、ライナスの腕が土手っ腹を貫いていた。

 そのまま、まるでゴミでも扱うかのように、無造作に放り投げられる。浮遊する。屋上の鉄格子にぶち当たり、コンクリートの床を転がる。

「か……ハァ……ッ!?」

 呼吸がままならない。

 思考が纏まらない。

 濁った視界の中で、ライナスはこちらを静かに見下ろしていた。

「な、にを……」

「愚問である」

 そう一蹴して、ライナスは再びヒナへと歩み始める。

 追いつかない。追いつけない。脚が動かない。左腕も。全身が錆ついたように重い。

「我が覚醒遺伝AAの源泉たるは聖ロンギヌス。その特性は――アンチマジック。すなわち、あらゆる覚醒遺伝AAとその産物を無条件に打ち砕く力」

「………………」

 絶句。

 完全に想定外だった。

 だって、そんなのは反則過ぎる。

 彼の前にはどんなに強力な伝承者サクセサーも意味がない。その異能を完全に封じられては、ただの人間と同じだ。その言葉を信じるなら、以前から入念に仕掛けていたトラップも、フィアンマの作成品である以上は無意味だったと判断するべきだろう。

 加えて、今の動きを見る限りライナス自身も人間の領域を逸脱しているレベルで強い。『神為らぬ者ヘレティツク』が覚醒遺伝AAの存続を望んでいるなら完全に失敗だ。これではどんな英雄でも、あるいは神格ですらこの男に狩られるだけの存在にしかならない。

 そして何より、レンとの相性が最悪だった。

「……ッ!」

 ヒナが息を呑むのが分かった。

 屋上に乾いた風が吹く。

 そう。乾いた、風。

 レンの傷口からは、血液の類いがたったの一滴も流れてなどいなかったのだ。

「うそ……なんで……?」

「おや、君は知らされていなかったのか」

 ヒナの呟きに、ライナスが意外そうな声を上げた。

 ――やめろ。その先を言うな。

 それは、俺の口から言うべきことだ。

 言うべきことの、はず、なのに。

 男の声が聞こえた。


「そこの少年はとうの昔に死んでいる。今の彼は、いわば死体に機械を繋げて無理矢理動かしているロボットに近い」


 右の瞳から、光が失せた。

 アクト・スタート。

 それは、レンの覚醒遺伝AAにまつわる呪文――ではない。

 そもそも彼は伝承者サクセサーではない。

 伝承者フィアンマに作られた、機械仕掛けの青銅人形。

 それが、海原レンという少年の正体だった。

「な、ぜ」

「うん? まだ動いていたのか」

 残された意識を無理矢理つないで、辛うじて問いかける。

「何故……ヒナを狙う……?」

「理由とは。笑止」

 言って、ライナスはヒナへ歩み寄った。

 少年は、それを見ていることしかできない。


「無論、我らの、我らによる、我らのための救世である。貴様の踏み込む余地はない、人形」


 プツン、と。

 左の瞳からも光が消え、全く同時に世界から音が消えた。

 最後の瞬間に見たのは、男に拳を突き立てられ、膝から崩れ落ちる少女。

 意識が揺らぐ。

 もう保たない。思考が薄れる。

 誰かに抱えられるような感覚を感じながら、海原レンは



 “死んだこわれた”。

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