Act.4 Smith -鍛冶-

戦闘機動アクト開始スタート

 レンがことばを紡ぐのとほぼ同時だった。

 水の大蛇が、レンとヒナのいた位置目掛けて迫ってくる。

 コンクリートの地面が砕け、一体に亀裂が走った。

 周りをちらほらと歩いていた人々は、あるいは悲鳴を上げながら逃げ出し、あるいはその場で腰を抜かしてへたり込む。

 地獄のような光景。

 それを、ヒナは頭上で見ていた・・・・・・・

「……へ?」

 思わず、間抜けな声が漏れる。

 頬を撫ぜる風と目線のすぐ隣に見えるビルの屋上に、壮絶な違和感。

 空を飛んでいる?

 いや、違う。

 激突の刹那、レンが彼女を抱きかかえて跳躍したのだ。

「む……っ」

 ――無茶苦茶な!

「口を開くな。舌噛むぞ」

 短い警告の直後に、今度は落下が始まる。

 そのままだと真下でのたくる蛇の上に落ちてしまうが、そこはさすがあの無茶苦茶挙動を成し遂げたレン。今度はビルの真横から突き出る看板を蹴って、器用に後退を始める。

 だが。

「逃がしませんよ」

 澄んだ声が響く。

 背後を見れば、先程のアナスタシアという女性が水の大蛇――『聖者の蛇ネフシユタン』の額に乗って迫っている。

「チッ」

 レンの口から舌打ちが漏れた。

 次いで振り向きざまに短剣を三つ投げる。狙いはアナスタシアの額、胸、大腿。何処に当たっても致命傷たり得る位置。

 対して蛇に乗る聖女は避けるそぶりも見せなかった。

 いや、要らなかったのだ。

 何故ならば――即座に『聖者の蛇ネフシユタン』の体を構成する水が隆起し、投擲された短剣を受け止めてしまったから。

「蛇ではなく水流操作が本体か……!」

「ええ。ただの刃で私を殺せると思ったならば、些か楽観的に過ぎる、と言わざるを得ませんね?」

 歯噛みするレンの言葉に、アナスタシアは貼りつけた様な笑みで答える。

 しかしレンは再び短剣を投擲。今度はたった一本。

「無駄だと言っておりますでしょうに」

 もう一度、飛来した黄金色の刃を『聖者の蛇ネフシユタン』が飲み込む。そのまま体を構成する水の中を流れて――

 レンがほくそ笑んだ。

「……ッ、排しゅ――」

 アナスタシアが何かに感づいたように声を上げる。

 遅い。


 直後に、短剣が爆発した。


 辺りに粉塵と水飛沫を撒き散らし、アナスタシア側の視界が一時途切れる。その隙をついて、レンはさらに距離を離していく。

「すまん。ポケットに入っているスマートフォンを取って、フィアンマに掛けてくれ」

「えっと、はい!」

 言葉通り、彼のポケットをまさぐるとすぐに板状の通信機が出てきた。画面ロックを解き、電話帳を開くとそこにはたった一件、『Fiammaフィアンマ』の文字だけが。

 ぶわっ! と涙が溢れた。

「レンさん!」

「なんだ」

「これが終わったら連絡先を交換しましょう!」

「何故、今そんなことを言うんだ?」

 怪訝そうな顔になるレンは放って、通話をタップ。

 耳に当てる。無機質な呼び出し音が数回鳴り響いた後、『はいはーい、なんか用ー?』と間延びしたフィアンマの声が聞こえてきた。

「あっ、フィアンマさん!」

『お? その声はヒナちゃん? あれ、これレンの奴の携帯番号じゃ――』

「た、大変なんです! 伝承者サクセサーが出てきてジャンプして逃げたんですけど追ってきてそしたら短剣が爆発して!!」

『オッケー落ち着け。レンに替わってくれる?』

 即刻見放された。動揺のせいかメチャメチャな説明になってしまっていたらしい。とほほと内心肩を落としつつ、今度はスマホをレンの耳に当てる。

『おいっす。何、どうしたの?』

「さっそく連中が来た。数は一。水流操作でデカい蛇を作っている。能力付与品エンチヤンテツドのナイフを一本使ったが足止めがせいぜいだ。手持ちじゃ対処しきれん」

『……なるほどね。オーケイだ、GPSつけといてくれ。出来たら持ってく』

「助かる。では」

 会話が終わったようなので、通話終了のボタンを押した矢先だった。

 ドゴォォォッ! と、再び地面を突き破って『聖者の蛇ネフシユタン』が現れる。額には無傷のアナスタシアの姿。爆発の瞬間、水流を操ってダメージを抑えていたらしい。

 だが、彼女の笑顔は憤怒で引き攣っていた。

「……よくも出し抜いてくれましたね」

「騙される方が悪い」

 手近なビルの屋上にヒナを下ろしながら、レンは挑発するように、またどこからか取り出したナイフを構えた。

「1時間。デリバリーが届くまでの間、相手をしてやる」

「大きく出ましたわね……ッ!!」

聖者の蛇ネフシユタン』が威嚇するように鋭く鳴く。

 水の牙と。

 黄金色の刃が。

 激突。



◇◆◇



「さて……と」

 レンからのSOSを受け取り、フィアンマは空になったビール缶を部屋の隅に投げ捨てて立ち上がった。

 辺りを見回す。昨晩の来客で、臨時の寝室として移動した部屋だった。

 そこは、地下倉庫を改造して作り上げた彼女の仕事場。

 ふいごが設けられ、赤々とした種火が覗く炉の傍にあるのは金床と冷却用の水槽、そして床に放り投げられた工作用と思しき鎚が大小数種。地下ながらも配管を活用して幾らか風通り良く改造しており、もしふいごを動かして炉の温度を上げたとしても、部屋にいる人間が蒸し焼きになるようなことはないような配慮はなされている。

 鍛冶場――それ意外に表現のしようがない。

「ほんじゃ、まあ……――製出稼働アクト開始スタート

 フィアンマの唇からことばが零れる。

 直後だった。


 ゴオッッ!! と。

 炉の炎が、一息に燃え上がる。


 槌を拾いあげたフィアンマの、もう片方の手にはいつの間にか黄金色に輝く金属の鋳塊インゴツトが一本。

 金、ではない。

 レンの短剣と同じ輝きを放つそれの正体は、青銅・・だ。

 チロリとフィアンマの唇から、下が飛び出る。

 これよりは彼女の時間。彼女の空間。彼女の戦闘。

 インゴットを弄びながら、空いた手で鎚やテコ棒を拾い上げる。

「いっちょ、始めますかね」

 テコ棒の上にそれを乗せ、炉に突っ込む。内部は余程熱くなっていると見え、鋳塊は瞬く間に赤く灼けていく。

 程よく赤熱化した頃合いを見て取り出し、今度は金床の上へ。

 そこで、フィアンマは親指を薄く噛み切った。

 ジワリと滲んだ血の滴を一滴、灼けた青銅の上へ落とす。

 ジュ、と泡立ちながら、血の紅は炎の赤へと飲まれた。

 その青銅塊を――手に持った鎚で打つ。

 火花が散り、宙に消える。

 これこそフィアンマの伝承者としての能力。すなわち――物品の作成。

 鍛冶の神を下敷きにした彼女の覚醒遺伝は、多種多様な道具の作成を可能にする。

 言わずもがな、レンが普段使用しているナイフは彼女の手製だし、以前ヒナに言った『このビルは他の伝承者でも侵入しづらい』というのはフィアンマが生み出した種々の罠や仕掛けの賜物であった。

 そして。

「――特能付与アクト開始ギアアツプ

 鍛冶は次のステップへと移行する。

「――種別指定ソート・セレクト――概要決定アビリティ・セレクト

 一打、一打。

 鎚を振り降ろす合間に。祝詞の様に。

「――参照伝承イメージ――流動する物の固体化――」

 ……彼女の能力の源となった神は、神話において数多の神器や英雄の武具を作成したとされる。例えば至高神の雷霆、知神が持つ魔除けの盾、不死身の英雄が纏う武具一式などがそれに該当する。

 で、あればこそ。

 彼女の生み出す品々にも、同じように摩訶不思議な能力が付与できることこそが自然。


 即ち、フィアンマの覚醒遺伝を一言で表すとするならば――それは正しく、『魔道具の作成』だった。


 とは言え、なんの制限も無く魔道具を生み出せるかというとそういう訳ではない。

 地金を打つ前に落とした彼女の血――否、神血イコル。これが、魔道具としての能力の触媒となる。

 加える神血イコルの量と、求める能力の強力さ。これを比較し、能力付与の成否判定が行われるわけだ。

 大方刃物の形になった地金を小鎚で叩き、さらにセンとヤスリで整形。然る後に再び全体を加熱し、冷却の水槽に一気に突っ込む。

 ジュン、と水が僅かに沸き立つ音と共に出来上がったのは、黄金色の短い矛だ。研ぎをしていないので鏡面のような光沢は無いが、このままでも使えることには使えるハズだ。

 フィアンマは、たった今出来上がったその刃をじっと見つめる。

「……よし」

 角度を変えたりと一通り検分を終えて、短い呟きと共に頷いた。

 無事、作成完了だ。単純な能力だったので要求される神血イコルが比較的少なかったのは幸いだった。

 適当な布で矛先をくるみ、小脇に抱える。

 携帯端末の画面を開き、地図サービスを起動。

 届けるべき相手の位置は、赤い光点でしっかりと示されていた。



◇◆◇



「シッ――!」

「ハッ――!」

 短い呼気と共に放たれる黄金色の刃を、蛇が聖女に従って噛み砕き、弾き落とす。

「ちょこまかとすばしこく……!」

 こめかみに青筋を浮かべ、アナスタシアが毒づいた。

 先のエリスの襲撃で、レンの戦闘スタイルはある程度推し量れていたつもりだった。高い身体能力と耐久性能を活用した、アクロバティックな体術。

 だからこそ『聖者の蛇ネフシユタン』を操り、物量で押し潰す戦法を得意とするアナスタシアが抜擢された。試算でも、すぐに片が付くと出ていたはずなのだ。

 だが、実際はどうだ。

 1時間。

 既に、交戦開始からそれだけの時間が経過している……!

 ではレンを無視してヒナを襲えばいいという発想に至るが、しかしその方向へ移ろうとすると今度は的確にレンの妨害が飛んでくる。

 まるでこちらの一挙手一投足を読まれているような感覚。

「すまない、デリバリーが遅れているようだ」

「ッ!」

 とうとう涼しい顔でそのようなジョークを口にし始める始末に、とうとうアナスタシアの笑みが完全に崩れる。

聖者の蛇ネフシユタン』の鱗が蠢き、隆起する。

 生み出されるのは、柱――否、違う。

 ニードルだ。大蛇の肉体を構成する水の、その一部が凍結し氷柱を生成していた。

「よくもまあ、軽口を」

 スッと、アナスタシアの右手が天へと延びる。

「撃ち落とす」

 それが一息に振り降ろされるのを合図に、氷柱から剥離した破片が、内部で圧縮されていた水圧によって撃ち出される。

 ……字面だけならば大したことないように思えるかもしれないが、限界まで圧縮した水は最早火薬と大差ない。

 結果、起きるのは氷の銃弾の一斉掃射。

 音速で飛来する礫が、雨あられとレンに向かって降り注ぐ。

「ッ、チ……!」

 一瞬、レンの目が見開かれた。

 それを見て、アナスタシアはほくそ笑む。

(いける……)

 確信する。

(これなら勝てる……戦闘を重ねて、相手の反応速度の修正はできた。この弾幕なら処理しきれないで終わる!)

 沸騰していた頭に、冷静さが戻っていく。

「私の――勝ちです……ッ!」

 そう、宣言した直後だった。

「――戦闘機動アクト、」

 彼の唇が、更なることばを発する。

限界解除ギアアツプッ!」

 パチリ、と。

 何かが変わった感覚があった。

「な、に……」

 思わず疑問が零れる前に、明確な変化は訪れる。

 ギャリリリリリリリリィィィイイイイイインッッッ!!!! と。

 甲高い金属音が連続した。

「どうして……」

 自分でも声が震えているのが分かった。

 勝利の方程式は確定しているはずだった。海原レンはこちらの物量と速度に対処しきれず、蜂の巣になっているはずだった。

 その、はずだったのに。

「どうして……!」

 どうして。


 奴は無傷で、元居た場所に立っている……!?


 勿論、全く損害を与えられなかったわけではない。

 羽織っていた上着には所々が裂けているし、両手に持っているナイフの刃はガタガタに刃毀れを起こしていた。

 しかし、それでもなお、レン自身の肉体には掠り傷一つついているようには見えない。

「……今のは厳しかったぞ。だが――」

 対するレンは、流石に先程までの余裕は失い、額に汗の玉を浮かべ、肩で息をしながらも、そう言って、ナイフを地面に放り捨てる。

 新しい得物を取り出すかと思ったが、違った。

「――そろそろ、フィナーレだ」

 遥か下方で、タイヤと道路がこすれる音が聞こえた。

「レン! 頼まれたブツ、造ってきた!」

「了解した」

 更に響く叫び声に、レンがするりと屋上から飛び降りる。

「逃げる気ですか!?」

 冷えていた頭が、再び沸き立った。

 逃がしてなるものかと大蛇の頭を下へと向けると、そこでは原付に乗った赤毛の女が布に繰るんだ何かを放り投げていた。恐らくは先程の声の主だろう。

 はらり、と包みが解け中の品が現れる。それは黄金色に輝く短い矛――。

 あれはマズい、と本能が気づいた。

「くっ――」

 渡してなるものかと大蛇の尾を動かすが、間に合わない。

 空中でくるくると回転するそれを、レンの手がはしと掴む。

 こちらに向き直った彼の表情は、呆れていた。

「ヒナを守るのが目的なのに、逃げたら意味ないだろう」

 矛が遅れて追いついた大蛇の尾に突き立てられる。

 瞬間だった。

 キン、と澄んだ音が辺りに響き渡った。

 大蛇の――『聖者の蛇ネフシユタン』の肉体を構成する水が、巨大な氷塊に変化したのだ。

「ク、ソ……」

「頭が血に上りすぎた、シスター・アナスタシア。だらだらと長引かせずにすぐに撤退したエリスの方がまだ理性的だった」

「クソがァァァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」

 咆哮する。

 沸騰しそうな胸の内とは逆に、己の手駒は凍り付いたまま動かない。先程の氷の弾丸も、爆薬代わりの圧縮水が無ければ意味がない。

 そして――彼女の覚醒遺伝は飽くまで流体操作だ。

 蛇の尾を蹴って、レンが再びの跳躍。

 目線が合う。

「眠っておけ」

 腕を振り抜くレンの姿と、頬骨に重い衝撃。

 それを最後に、アナスタシアの意識は暗闇に落ちた。




 勝敗は決した。

 凍てついた水の蛇は崩壊をはじめ、アナスタシアが蛇の頭上から滑り落ちていく。

「レン、助け――」

 フィアンマが指示を出す直前だった。

 どこからか白い影が現れ、アナスタシアの体を受け止める。

 そのままそっと着地したソイツには、見覚えがあった。

「――エリス・エリントンか」

「なんだ、名前まで調べたのか。ヒマな奴」

 呼び掛けると、彼は二ィ……と獰猛な笑みを見せた。体質か、あるいは何かそう言う能力を持った伝承者サクセサーがあちらにいるのか。この間刈り取った髪は、もうほとんど元に戻っている。

「安心しろ。こんなお荷物抱えたままじゃ何もできやしねぇ。今日は引き下がらせてもらうよ」

「……逃がすと思うか?」

「ああ、思うね。お前、さっきのすげぇスピード出した時かなり無茶しただろ」

「……」

 図星だった。

「……そこまで分かっているなら、お前も一緒に掛かってくればよかっただろ」

「いやぁ、ゴメンだな。この女と共闘なんぞしたら、いつキレて襲われるかわかったもんじゃない。それに――」

「なんだ」

「オレは、お前とはサシでやりたい」

「素晴らしい騎士道精神だな」

 レンの皮肉に、しかしエリスの口の端は大きく歪んだ。

「オレは、お前の正体を知っている・・・・・・・・・・・。打ち合った時の感触で気づいたぜ」

「――……失せろ」

「連れねぇな」

 ククッ、と喉の奥で短く笑って、エリスはこちらに背を向けた。

「あばよ」

 短い別れの台詞の直後、エリスの姿が掻き消えた。地面には衝撃で大きな凹みができている。レンがそうしたように、超人的な怪力で跳躍したのだ。

「……」

 アスファルトに刻まれたヒビを、銀灰色アツシユの少年はただ黙って見つめた。

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