Act.2 Atavism -覚醒遺伝-

「で? 日下部ヒナちゃんだっけ? 一体全体、何があったって言うんだい?」

 所変わって、狭苦しい応接間。

 コーヒーメーカーから注いだマグカップに口をつけながら、フィアンマがそう問い掛けてきた。

 一頻り泣いて落ち着いた後、二人に連れられて、ヒナはあの裏路地を奥に奥に進んだところにある小さなビルに来ていた。

 フィアンマとレンのねぐら・・・である。

 元々はバブル期辺りに開発ラッシュが起こった中建てられた建物だという。が、その後四方に別のビルが建った結果、このような立地に。おかげで事業も右肩下がりになり、ついには廃ビルになった。

 その跡地に、レンとフィアンマが勝手に住み着いているわけだ。

「えっと……実は私も詳しいことは分からないんですけど……」

 しどろもどろになりながらも、ヒナはあったことを思い出しつつ口を開く。

 あれは確か――

「いつもみたいに友達と別れて、一人で家に帰っていた時だったんです」

 見られてるな、と感じた。

 言ってみれば本能に近い。根拠はないが、何故かそう確信できた。

 勿論、最初は偶然だと思った。だがいくら経っても視線は着いてくる。

「それで、なんだか怖くなって」

 走って逃げた。

 悪手だった。

 追跡者は、引き離されるどころか的確にこちらの位置を把握し、あまつさえは追い詰めてきた。

 気が付けば全く人気ないこの寂れた地区までやって来てしまっていた。

 後は知っての通りだ。

「ふーん……」

 尋ねておきながら、フィアンマの反応は実に淡白だ。カップの中身を一気に飲み干し、目を眇めてこちらを見てくる。むしろ、その表情は何処か不機嫌そうですらあった。

 何か機嫌を損ねてしまっただろうか。焦燥。

 いや、それ以上にその視線はまるで、こちらの底まで見透かそうとするようで、

「あーやっぱコーヒーじゃダメだー。レン、お酒! ビールビッラ!」

「来客中だ。自重しろ」

 どうやら勘違いだったらしい。

 いきなり凄まじい要求を始めて、後ろで控えていたレンに突っぱねられていた。思わずこちらの肩の力も抜けてしまう。

 というか、年齢的に大丈夫なのだろうか。

 よくよく目を凝らしてみれば、あちらこちらに空になった瓶やら缶やらが放り投げられていた。このフィアンマという少女(女性?)がかなりの酒豪アル中で、その上ずぼらなことが見て取れる。

「んで、何だっけ? ヒナちゃん? キミはこれからどうすんのさ」

「え?」

 アルコールが手に入らなかったのが余程不服と見え、レンに中指を立てつつもフィアンマがそう訊いてくる。

「だって、なんか訳も分からずに追いかけられてんでしょ? これからいつも通り~なんて行くわけないじゃん」

「あ……」

 言われて気づいた。

 家に帰ったとして、十中八九そこにはさっきの神父か、その仲間が潜んでいるだろう。

 学校に行けばそこが襲われる可能性は? また下校時につけ狙われるのでは?

 これまで自分を取り巻いてきた『当たり前』が、一瞬にして消えていく。

 今更ながらに、日常が崩壊した事を再確認する。

「……」

 おろおろと狼狽えるヒナを、フィアンマはしばし黙って見つめていた。

「……はぁ」

 が、やがて大きな溜息を一つ。

 そして。

「いいぜ。まあ今日ぐらいは泊っていきなよ」

「!」

「ただし」

 突如出された助け舟に顔を明るくするヒナだったが、念を押すようにフィアンマは条件を提示してくる。

 彼女は、決してそこらへんに転がっている赤の他人に手を差し伸べるほどお優しい聖女サマではない。

「それで今後どう身を振るかはしっかり考える事。家に帰ってもいいし、それ以外にどうしてもいい。究極、私らは家の前で騒がれるのがやだっただけで、君自身はまだどうだっていいんだからね」

「……はい」

 やや厳しめの口調に思わず首を垂れる。

「とりあえずシャワーでも浴びてスッキリしてきなよ。ここならアイツらもそうやすやす入ってこれないさ。そういう風に作り直して・・・・・いる。――レン、案内してあげな」

「了解した。こちらだ」

 顎で示されたレンが、手招きをしてくる。

 フィアンマに一礼をしてから、ヒナは彼の後ろについて行くことにした。

「あ、そうだそうだ。一つ確認しておかなきゃ」

 部屋から出てようというタイミングで、フィアンマが再び声を上げた。

 振り向けば、彼女は既にオフモードと言わんばかりにソファーに寝転がり、その下に隠していたらしいビールの缶を取り出している。

 泡で鼻の下に髭を作りながら、彼女は琥珀色の瞳をこちらに向け、

「お家、連絡しなくていいの? 親御さん気にしない?」

「あ、それについては大丈夫です」

 努めて明るく笑いながら、ヒナは答える。

「両親は、もう死んでいますから」




 ろくに掃除もされていない、薄暗い廊下。

 道の脇や隅には埃や塵がうず高く溜まり、照明となる蛍光灯はとっくに寿命が切れてもはや意味を成していない。

 その真ん中を、ヒナはレンの後ろに続いて歩いていた。

 伝承者サクセサーでも簡単には入ってこれない様にしている、というのは本当のようで、決して治安が良いとは言い切れない裏路地だが、チンピラが窓を壊すどころか落書きすらした形跡がない。

「そう言えば」

「ッ、はい!」

 唐突に、前を歩くレンが話しかけて来る。

 彼は前を向いたまま、

「腕。大丈夫か?」

「え……あっ、はい」

「なら、いい」

 まあ実際、掴まれていた腕の痛み自体はもう引いていた。せいぜい少し痣が残っている程度だ。個人的にはいきなり地面に落とされた顔面のことを心配してもらいたいのだが……助けてもらっておいて、それは望みすぎというものだろうか。

 しかしそれにしても話しにくい手合いである。距離感が掴めない。

「しかし、なんだ。お前は幸運だ」

「えっと……その節はありがとうございます」

 一瞬、先程助けてもらったことを言われたのかと思った。

 あの神父と実際戦っていたのはこのレンという少年だ。彼にも改めて礼をしなくては。

 だが、その予想は他ならぬレン自身が否定する。

「いや、俺じゃない。フィアンマに見つかったことだ」

「……?」

「ヤツは死んでも認めないだろうがな。あれは甘くはないが、それなりにお人好しだ。さっき『赤の他人は助けない』なんて宣言していたが、あれは裏を返せば他人じゃなかったら助ける・・・・・・・・・・・・って言っているんだよ」

 言っていることがよく分からない。首を傾げながら後ろを引っ付いていく。

 やがて目的のシャワールームに辿り着いた。元は夜勤に残った社員用だったのか。どこかの学校にもありそうな、少し時代を感じさせるタイルが貼られたヤツだった。

「つまりだ」」

 入口で分かれる際に、レンがもう一度囁いてくるのが聞こえた。

「助けてもらいたいなら、ちゃんとそう言え。アイツは頼まれたら断れないお人好しだが、何もしてこない奴を拾って助けてくれるほど甘いわけじゃない」



◇◆◇



「おっすおっす、おかえりー」

 ヒナを案内し終えたレンが応接間に戻れば、紅髪の女は既に二缶目に入っていた。相変わらずのザル具合にこめかみが痛くなる。

「……案内、終わったぞ」

「お疲れさん。シャワー浴びて出て来るまでに30分かな? じゃあ、ここから先は大人のお話としましょうか」

 炎の様な色に染まった虹彩が、こちらを妖しく睥睨してくる。魔女タヌキめ、と思う。

 少女みたいなナリをしているが、この女、少なくとも出会った時からこの姿だ。酒も飲みなれてるし、本当はもっと歳を食ってるに違いない。

 まあ、|外見上歳を取らないということであれば、レンも同じなのだが《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。

「さっきのドS神父くん、髪が長くて怪力で、キリスト教徒とくれば元ネタはもう確定でしょ」

 小脇に抱えていたタブレット端末をこちらに放り投げてくる。画面に映っているのは、どこかのオカルト系掲示板だった。

「いやぁ、まともにぶつかっていくよりもこういった井戸端会議の延長線の方が意外と情報が集まるもんだねぇ」

「ストラについていた紋章。あれはどこぞの騎士団だな」

 床に落ちる前に端末を何とかキャッチし、書かれているデマの中から一握りの『真実らしい』情報を拾い上げていく。

 ここで言う騎士団というのは、聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団の様な由緒正しい宗教騎士団のことではない。覚醒遺伝計画以後にその尻馬に乗ろうと神秘主義に傾倒した、狂信者崩れの連中だ。

 そして、そういう輩は往々にして――

「……」

「レーンー、怖い顔すんなよ」

 諫められて、自分が奥歯を噛み締めているのに気づいた。悪癖だ。こういう話になると、どうしても昔を思い出す。

「すまん。で、頼まれていたことだが……手の調子は普通だったな」

「ふーん。回復系はバッテンか」

 グイと缶の中身を飲み干しながら、フィアンマは虚空に人差し指でバツを描いた。

 何の話か?

 日下部ヒナについてだ・・・・・・・・・・

「一般人っていうのはありえねーでしょ。だったら彼女に拘る必要がない」

 フィアンマがやっているのは、ヒナが抱えている『何か』についての炙り出し。

 神秘主義者どもが執着するには、当然ながらそれなりの理由がある。

 一番わかりやすいのは霊媒メディアムだ。それは魔女の鍋に入れるような人体のパーツであったり、処女の血液だったり、あるいは彼女自身が持つ能力であったりする。

「パーツなら合法でも違法でも、海外で取引されてるものを買えばいい。血なんて言わずもがなだ。なら求めてるのは絶対に彼女じゃなきゃいけないものなんだよ」

「……であれば、あの少女自身がなにかしらの特殊性を持っているのだろう」

 資金という線も考えたが、彼女の手と先程の発言で消えた。

 両親は死んだ、とヒナは言った。ついでに言えば、ようく見ると指は水仕事のアカギレとペンで出来たであろうタコがわんさかだ。恐らく、暮らし向きはそこまで良くない。制服姿から学校には通っているだろうが、多分バイトと奨学金でやりくりしてるのだろう。

 と、なれば。

「……伝承者サクセサー?」

「だろうよ。でも一つ解せないことがある。そうなら、殺したら不味い・・・・・・・

 レンが至ったごく自然な結論を首肯しながら、しかしフィアンマは首を傾げる。

 殺したら不味いというのは、『精霊』についてだ。

 伝承者サクセサーが行った破壊は、精霊と呼ばれる人々によって修復される。伝承者サクセサーにも察知されぬ程迅速に、水面下に。精霊自身もまた伝承者サクセサーと言われてはいるが本当のところは分からない。

 凄まじいのは、死人すら甦らせてしまうところだ。死の不可逆性を訴える団体に邪魔され、断念することもあるというが、多くの場合伝承者サクセサーが生み出した損害はまるでそもそもそんなことが起きなかったかのように修復されてしまう。

 だが、一つ例外があった。

 それは、伝承者サクセサー自身の負傷、あるいは死亡。

 あの神父は『ヒナを殺してもいい』と言った。だが、もしも日下部ヒナが伝承者サクセサーなら、そのまま死んでしまうはずなのだ。

 勘違いされがちだが、如何に英雄の力を受け継ごうと伝承者サクセサーは人間だ。

 そもそも神話でだって神は死ぬ。怪力自慢の雷神は世界を覆う巨大なヘビの下敷きになるし、原初の女神はバラバラに殺され世界の素材となった。

 死とは、何人も侵し難い境地だ。神だって抗えないそれを、たかだか人間如きが克服できるはずがない。

「だからすんげぇ回復能力かなと思ったんだけどねぇ……」

「……」

 案外、あの神父がそこまで考えてなかった馬鹿という線もあり得るのかもしれない。

 とにかく今は見極めるしかない。

「ん……そういやあの坊ちゃん、名前と所属してる騎士団、後はその団長サマが割れたよ」

「……む」

 煮詰まってきたから考えるのを辞めたか。相変わらず軽い調子で、フィアンマは別の話題を振ってくる。

「いつまでも神父とか神秘主義者どもって言うのもなんだし、これからはちゃんと名前で呼んでやろうぜ」

 タブレット端末を調べれば、ブラウザのウィンドウがもう一つ開いていた。

 海外の危険人物リストのようなサイトらしい。魔女狩りみたいなものだ。覚醒遺伝計画以後、伝承者サクセサーが幅を利かせるようになってからは本当にこんなサイトが増えた。どれも個人が作っているもので、正直信憑性には欠ける。とは言え、このサイトに関して言えば初期は少々真面目にやっていたようで、本物の凶悪犯罪者の顔写真がちらほらと並んでいる。

 その中に先程の神父の顔も混ざっていた。横に記載されている名前はエリス・エリントン。

「信じられる? あの凶悪ぶりで名前はエリエリだぜ? 笑うだろ」

「……」

 フィアンマの戯言は無視して、細かいデータを漁っていく。

 その中に、所属騎士団があった。『サルヴァトーレ騎士団』。

救世主サルヴァトーレ、か」

「連中らしいネーミングセンスなことで……だからやめなってその顔」

 どうやらまた顰め面になっていたらしい。

 短く謝罪を口にして、騎士団の詳細へのリンクをクリックする。

 そして――出た。

 情報に所々抜けはあるものの、連中の顔ぶれが。

 団員のリストの最上位に、団長の項目もあった。

 さすがに写真は無い。どころか、他の項目も多くは空欄だ。周到なのか、あるいは管理人が「これは本気でマズいようだ」と判断したか。

 だが、名前の項は埋まっていた。

「ライナス、マクレイ」

「それが女子高生ヒナちゃんを血眼になって追ってる変態ストーカーおじさんのお名前だ」

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