神為る土地で 鍛冶と青銅のエイジイズム

真倉流留

Act.1 Encounter -邂逅-

 協定世界時12月24日、0時。

『全世界の老若男女諸君、ご機嫌麗しゅう』

 夜がクリスマス商戦に賑わい、親が子に贈り物を選び、恋人たちが愛を語らい合う中で、それは、突然始まった。

 ある者は動画配信サービスの閲覧中に。

 ある者はSNSで友人と談笑や舌戦を繰り広げている最中に。

『我々はしがない科学者の集団だ。少々風変わりな研究が実を結んだゆえに、今回諸君らに体感していただこうという次第である』

 既存アカウントを乗っ取った下手人らは、そう名乗り、そう告げた。

 慇懃で、しかしどこか嘲弄と冷笑を含んだ声で。

『名称は敢えて与えていない。強いて言うのなら我々の崇敬の系譜であり、諸君らの憧憬の結晶だ。それを踏まえて、我々はこの技術をこれから恒久的に世界に提供しよう。人類全てに大いなる力を与えよう』

 それは余りにも荒唐無稽な、夢物語ファンタジーのような声明だった。

 迷信深い者であれば狂乱し、あるいは懺悔し、あるいは希望を見たかもしれない。

 だが既に惑星ホシを開拓し、斬獲してきて幾星霜。この大地に在る未知を味わい尽くしてきた人類は、もはやそこまで純粋ではない。

 何を馬鹿げたことを、と鼻で嗤う者があった。

 どこの狂人がこのようなことを、と憤慨する者があった。

 しかしそれら一切を無視して、科学者を名乗る連中は、こう締めくくった。

『我々は神には為れない――だからこそ。諸君らを神格に。あるいは英雄に、祀り上げよう』

 通信は途絶えた。

 数時間もすれば混乱は終息し、人々はいつも通りの日常を送るだろう。


 そして。

 12月25日の0時。

 人類は、新たな地獄ステージに至る。



◇◆◇



「はっ……はっ……はぁっ……!」

 息も荒く、黄昏に染まる空の下を、日下部ヒナは駆けていた。

 ブレザーの締め付けが動きを縛る。ローファーがガリガリと削れるが、それどころではなかった。高校デビューのつもりで伸ばした髪も、今はただただ鬱陶しい。

 路地裏に入り込み、物陰に潜むように身を隠す。今はとにかく息を整えたい。

 そっと、通りの様子を窺う。

 まるで街が死んだようだった。

 そこまで遅い時間でもないはずなのに、人の子一人歩いていない。商店やビルまでもがシャッターを下ろし、窓から見える部屋も、灯りも落とされているか、カーテンで隠されている。

 あの日・・・以来、ずっとこんな調子だ。既に5年が経っているが、この静けさには未だに慣れない。

「……」

 下唇を噛むが、自分にできることは何もない。更に路地の奥へ進もうと足の向きを変え、


「見ィつけたァ」


 底冷えするような声が響いた。

 バッと辺りを見回す。誰もいない。聞き間違い? 否――

 ――上にいる・・・・

 気づいた直後に、ソレが降ってくる。

 トン、と存外に軽い靴の音ともに、目の前に現れたソレは青年のカタチをしていた。

 色の褪せた金髪は地に着くほど長く、それを無理やり一つに纏めた男だ。翡翠色の瞳には酷薄な光が宿り、口元はいっそ悍ましい程に愉悦のそれに歪んでいる。その身を包むのは黒に染め抜かれたカソック。一点、胸元に赤い十字の紋章が刺繍された白のストラを首から下げるその姿は正しく聖職者のそれだったが、彼自身のが内包する雰囲気が致命的に噛み合わない。

「ヒッ……」

 思わず後ずさろうとする。

 しかし。

「オイオイ。そんな怖がるなよォ。傷つくぜ?」

 青年神父の手が伸び、手首をガッシリと掴まれる。

「別に取って食おうってんじゃねぇんだ。ただオレの上司サマがキミにご入用みたいでさァ、ちょーっと着いて来て欲しいワケ」

「……ッ、離して!」

 何処までも軽薄で不快な声。しかしヒナには相手の言葉など耳にも届いていなかった。必死に振りほどこうともがくが、逆に腕を掴む力が増した。ミシリ、と骨が軋みを上げる。

 そして、態度も不味かった。

「ああ、しゃらくせェなァッ!」

 気に障ったように声を荒げながら、青年が地団太を踏む。

 それだけだ。それだけのはずだった。

 しかし。

 バギィィッッ!! と。

 コンクリートの地面に、蜘蛛の巣状のヒビが広がった。衝撃で水道管が破裂したのか、割れ目から泉の如く水が湧きだす。

 明らかに常人に出せる力ではない。当然である。何故ならば、彼は一山いくらの凡夫などでは決してないからだ。

 伝承者サクセサー

 5年前、科学者集団『神為らぬ者ヘレティック』により、神話や英雄譚に描かれる超常の力を授けられた者。

「あーあーあーあー。つかアレだわ。そうだったわ……」

 ぐしゃぐしゃと髪を掻きむしり、青年がこちらを睨みつける。口元に浮かぶ冷徹な笑みは崩さないままに。

「お前さ、お前。お前は殺しても大丈夫・・・・・・・なんだっけ?」

「……ッ、ぁ」

 ギリギリと手首を掴む力が増していく。血管が締め上げられ、関節が悲鳴を上げ、掌が血の色を失っていく。口先だけではない、目の前で肉体を破壊されていく恐怖に、喉が干上がる。

「あは。いいね、その顔」

 ヒナの苦悶の表情を見た青年が、嗜虐的に笑う。舌なめずりをするその姿はまるで獲物を捕らえた捕食者プレデターだ。これからこの少女をどう嬲ろうかと考えると、辛抱堪らないという思想を隠そうともしない。

 嗚呼、と少女は思う。

 こんなものが、英雄か?

 否。これは英雄なんかではない。ましてや神でもない。力に呑まれた怪物だ。

 こんなものを、『神為らぬ者ヘレティック』は作りたかったのか?

 あるいは――生まれ落ちるのは、英雄でも怪物でも構わなかったのか?

 だが伝承者サクセサーに立ち向かうことなど一般市民には到底出来ぬ。

 では。

 この怪物を止める英雄は、この時代せかいには存在しないのか?

「じゃあ、ちょっと運びやすいように折畳んでから――」

「――おやおや。趣味の悪い」

 急に。

 新たな声が聞こえた。鈴を転がすような、可憐なソプラノ。

 神父姿の青年の背後。街灯の灯りも届かない路地の、更に奥の奥から。

「あぁん?」

 青年が振り返ると同時に、彼らは現れる。

 二人組の男女だった。

 一人は声の主と思しき少女。年の頃はヒナと同じく17か、あるいはそれより2か3下か。

 灼けた金属の様に鮮やかな真紅クリムゾンの髪は肩のあたりで乱暴に切り、着崩したオーバーオールにタンクトップ一枚という作業工さながらの出で立ち。しかし瞳は炉で燃え盛る炎の琥珀色に、爛々と輝いている。

 もう一方は、これまた同じくらいの少年だ。ストールと雨合羽のあいのこの様な服をすっぽりと被り、顔はフードで隠している。一点、下半身はジーンズにブーツ。髪も服も靴も手袋も、星の無い夜空のように黒い中で、僅かに覗く口元だけが白く浮いていた。

「……ンだ、手前テメェら」

 一見武装も何も無い、奇妙な二人組。しかし、青年は本能的に警戒の色を滲ませたようだった。

 いや、ヒナにも分かる。彼らが身に纏う空気で。

 少女の方はそうでもないが、男の方はかなりの手練れだ。そして恐らくは――

「……伝承者サクセサーか?」

「うん。フィアンマ・アルティジャーノ。こちらは相棒のレン。以後、お見知り置きを。早速だけど、そちらの女の子、離してあげてくれないかい?」

「……」

 フィアンマと名乗った少女の言葉に、しばし青年神父は呆気に取られたような顔を浮かべていた。

 たっぷり数秒の間。

 そして、追い打ちが来た。

「――言う通りにしてくれたら、見逃してあげてもいいけど」

「ァ゛アッ!?」

 神父が、激昂した。

 パッとヒナを掴んでいた腕が離れる。

 否。

 正確には、振り回されて放り投げられた。

「え」

 フィアンマの方へ目掛けて。

「えええええ!?」

 疑問と驚愕が綯い交ぜとなり、思わず悲鳴とも絶叫ともつかぬ声を上げてしまう。

 ……などと書くと、間抜けに聞こえるかもしれない。

 だが、実際にその状況下を想像すれば、どれ程の恐怖体験かは容易に分かるだろう。だいたい人一人の重量がそのまますぐ落ちるのではなく、砲弾の様に地面と平行に投げ飛ばされるのである。

 当然、出ている速度はもはや異常の領域。人に当たればただでは済まないし、外れれば今度はヒナが死ぬだけだ。

 対して、フィアンマは余裕の表情で指を鳴らす。

「レン」

「了解した」

 グイ、と。

 今度は首根っこを掴まれた。ただしあの神父に、ではない。

 レンと呼ばれた少年の方だ。

「へぶっ!」

 と、思ったら今度は離されて、顔から地面に落っこちる。症状、顔面強打。歯が折れたり欠けたりして無いのは幸福か。

 とは言え、傷む個所を抑える暇は無かった。

 直後に。

 ガ、ッッッギィィィイイイイイッッ!! と。

 凄まじい衝撃音と共に、レンという少年の右腕が、神父姿の青年の拳を受け止める。

「な……ッ」

 神父の顔が、驚愕の色に染まる。潰すつもりで殴ったのだろう。しかし、レンの頑強さは神父の想定をはるかに超えていた。

戦闘機動アクト開始スタート

 少年の薄い唇が、小さくことばを紡ぐ。

 瞬間、レンの手には、黄金色に輝くナイフが握られていた。

 一体いつ取り出したのか。そもそも今までどこに隠し持っていたのかもわからない。まるで今その場に生み出されたような現象だった。

「チィッ!」

「――――」

 神父とレンが、交錯する。

 少年は繰り出される拳をいなし、青年は閃くナイフを躱す。紙一重の戦い。

 だが、生身と刃物だ。優劣は戦う前から既に決まっていた。

 シャッ、と。振るわれたナイフが、やがて青年の長い後ろ髪を一房、切り落とす。 

 途端だった。神父が、焦ったように髪を抑える。

「……ッ! クソが……ッ!」

 怯んだか、あるいは余程髪が大事なのか。最後に悪態を一つ残し、青年は大きく飛び退く。

 追撃の姿勢に入ったレンだったが――

「はいはい、そこまで。まずはこの子のケアが先だよ」

「……」

 フィアンマに制され、静かに両手を下ろす。

 先程のナイフは、既に跡形もなく消えていた。

 嵐が去ったのを見計らったかの様にサッと風が吹き込み、レンが被っていたフードが捲れる。

 端正な顔立ちの少年だった。

 名前と肌の色から察するに日本国籍なのだろうが、ツンと鼻は高く、どこか日本人離れした印象がある。揺れる前髪の奥で輝くのは、透き通るような銀灰色アッシュの瞳。

「……大丈夫、か?」

 先程の苛烈さが嘘の様な、優しい声が投げかけられる。

 それが、何故だか心に染みて。

 じわり。

「あ」

 目の端から何か熱いものが流れたな、と気づいたときには遅かった。

「あー! 泣ーかせたー! レンが女の子を泣ーかせたー!」

「いや、待て。俺は何も……」

 ヒナは涙を流し続け、フィアンマが鬼の首を取ったように騒ぎ立て、それをあたふたとレンが止めようとする。


 それが、日下部ヒナとフィアンマ・アルティジャーノ、そして海原レンの出会いだった。

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