筆箱暮らし

やまもン

筆箱暮らし

 〇〇暮しというジャンルがある。学校暮らし、図書館暮らし、実家暮らしに押し入れ暮らし――これはドラえもんだが、とにかくありとあらゆる所に人は住むものである。

 また、住めば都、郷に入っては郷に従え、などなどの言葉があるように人は受動能動問わず環境に慣れてしまうものである。つまりは人間は住もうと思えばどこにでも住めるのである。この考えが2120年に花開いた結果、ご存知の通り国際人権法に新たに住居の自由が加わったのだった。

 土地に縛られなくなった農民が都市に移り住んだように、住居=家という概念に縛られなくなった人間はより快適で暮らしやすい住居を求めた。大多数の人は住み慣れた家屋での暮らしを続けたが、中にはチャレンジャーもいる。

 ここにもそのチャレンジャーが一人。彼は物好きにも筆箱暮らしを送ろうとしていた。そして物好きな人間というのは大抵、自分のこだわりを追求しがちである。

 その結果、彼はかれこれ3時間、理想のマイホームを求めて百貨店の文房具コーナーを彷徨いていた。店員の不審な目をものともせず、彼は一体何を悩んでいるのか。それは――筆箱の種類である。家を買う時に、まず不動産の会社を選ぶ人と立ち寄った不動産の窓に貼られた写真から選ぶ人が居るように、前者な彼はトンボか三菱かユニかプーマかを先に決めようとしていたのだが、家と違い筆箱は容易に現物を並べることが出来たので、百貨店の文房具コーナーで多種多様な会社の筆箱を目の当たりにした彼は外観から新居を選ぶことにしたのだった。


「悩ましい。王道のファスナー派かそれともパカパカする角箱か、はたまた立てるカジュアルタイプか、いや敢えて戸締りのしっかりしていない巻き物派か……うーん悩ましい。どうして筆箱はこんなに多様な進化を遂げたんだ……」


 彼がこんなにも悩んでいるのには訳がある。筆箱は大別して4種類あるが、そのどれも長所と短所を併せ持つので完璧なマイホームを求める彼の基準を満たせなかったのだ。どうにもビビっとくる筆箱があれば良かったのだが……。

 例えばファスナー派。これは戸締りがしっかりしていて、虫の1匹も入ってこないという店で優れていたが、内側から開けられない点で問題があったし、角箱は場所を取らない点で好評価だったが、天井が低くかつ表と裏でシェアハウスをする形になるのが彼には受け入れ難かったのだ。立てるカジュアルタイプは外観こそオシャレではあるが横揺れに弱く面積が小さいし、巻き物派は一人で住むとなると同居人のいない高級マンションのような無駄感があった。


「ここには理想のマイホームはなかったなぁ。次は百均に行ってみるか」


 彼は近場のダイソーにやって来た。真面目な品揃えの百貨店とは違う、百均のアイデア競争で磨かれた奇天烈な筆箱を求めてのことだった。いざ文房具コーナーに着くと、あるわあるわ変わった筆箱がわさわさと置かれていた。

 例えば、アジの開き。黒板消し。靴。リバーシブル。一本の紐に分解可能。カワウソ。サンドイッチ。消しゴム。わさびチューブ。ナマケモノ、バケツなどなど。

 信じられないことにこれらはすべて筆箱を形容する言葉だった。さらに信じられないことに、彼はわさびチューブを手に取り、レジへ向かうではないか。おいおいそれでいいのか、そんなことを考える間もなく、彼はさっさと会計を済ませてしまった。


「ありがとうございましたー!またのご来店をお待ちしております!」


 店を後にする彼の背にかけられた言葉は彼の耳を素通りした。彼の頭は次のお楽しみ、すなわち家具選びでいっぱいだったのだ。消しゴムはどうするか、ブロックタイプか、それとも家が汚れないまとめる君か、うんうんと唸りながら彼は雑踏の中に消えていった。


<終>

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