第8話 俺たちの輪はどこまでも温かい

 ああ、本当に俺は愚かだったな。そう思わざるを得なかった。


 椎名の種明かしによって、あの時の状況がはっきりした。酒井結の無実は証明され、二人に情報が伝わった経緯も分かった。

 だからこそ、俺は愚かだったと思う。

 過去に呑まれて、トラウマに怯えて視野狭窄になっていた。


「おい、奏斗。行くんだろ?」


 その質問に、俺はこくりと頷きだけで返した。

 体の奥底から沸々と湧き上がってくる怒り。復讐なんて比にならないほどに、強力な憤怒の感情。それらが爆発するのを堪えるために。


 放課後がやってくると同時、教室を飛び出す。

 向かった先は、昨日の昼休みにも訪れた屋上。

 誰にも会話を聞かれないそこは、品行方正な部活動会会長の頼みとして、特別に上がる許可をもらった場所。


「はあ、はあ、はあっ……」


 息せき切らしながら、階段に躓きそうになりながらその場所に向かった。

 俺のクラスは今日、下校が遅かった。もう待ち合わせた奴らは来ているだろう。


「やあ、待たせたな」


 この配置は懐かしい。とはいってもまあ、昨日のことだ。

 今日という日に様々なことが詰め込まれ過ぎて、一週間、あるいは二週間とも思えるほどに、ひどく長く感じられていた。


 息を整えて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。怒りを抑え込んで、平静を装って。

 あの時も平静を装うのに必死だったっけ。まあ、今とあの時とじゃあ状況も立場も、全く違う訳だが。


「酒井結。おっと間違えた。小日向ひより、やってくれたじゃねえか」


 お前のやったことなどもう分かっていると暗に伝えつつ、挨拶をした。

 彼女はそれに特段驚いた素振りも見せず、ただ寂しげに表情を翳らせて、微笑を浮かべる。


「なあ、彼女は私に巻き込まれただけなんだ。許してやってくれないか?」

「違うの。私が、自分でやったことだから」


 罪を引き受けあおうとする、いや、罪を引き受けあうふりをする二人に、昨日までの威勢のよさはない。


「ああ、そんな茶番はいらねえよ。騙してくれてほんとありがとうな」


 最大限の皮肉でおもてなし。

 でも、もう無理そうだ。怒りを抑えられない。


「小日向ひより、母親の名前はさかおり。お前は従妹の酒井結と顔が似ているからこそ、あんなことができたんだろ」

「何で分かったの?」


 下唇を噛んで、ひよりは悔しげに俺を睨む。


「俺には生憎、素敵な友達がいるもんでね。もう、俺に構うのはやめろ」


 質問には答えず、ただ静かに、怒りと共に拒絶する。

 言うことを言いきって、すっきりした。振り返ることもなく、屋上を足早に出ていく。


 ガチャ、と屋上のドアを閉めると、そのままドアにもたれかかった。

 彼女たちは、詰めが甘い。俺の行動が制限されていないから、俺が騙されていなければいくらでもやりようはあった。

 そんなことを考えている間に、屋上から声が聞こえてきた。


「本当にあれでよかったの?」

「……うんっ! これで、結ちゃんのこと応援できるし」


 ……結ちゃん? やけに仲がよさそうな名前の呼び方をする。ついさっきまで貶めようとしてた奴の呼称とは思えない。

 それに、もっと驚くべき発言があった。

 応援できる、と。俺はもうその場にいない。だから、それは偽りではない本心なのかもしれない。


 そう考えると、俺が途轍もない勘違いをしているような気がしてきた。


「もう、奏斗さんのこと、諦めることになるんだよ?」

「だからいいんだよ、吹っ切れるじゃん!」


 もし、もしもの話だ。

 こっちが彼女の本音だとしたら。さっきまでの彼女が偽りなのだとしたら。


「私こそ迷惑かけてごめんね?」

「やっぱ辛かったんじゃない。自分から失恋しようなんて馬鹿な子ね」


 そう言いつつも、凛の声音には冷たさや突き放す色は一切なく、寧ろ温かさがドア越しに伝わってくる。


「馬鹿じゃ……ないもんっ! 私は、わだじはぁっ……」


 声はだんだん涙声になっていき、遂には泣き出してしまった。


 俺は鈍感ではないから、もう分かる。

 彼女は、小日向ひよりは俺のことが、好きなのだろう。あんなに泣けるのだ。上っ面じゃなくて、俺の性格も何もかもを知ったうえでかもしれない。


 結にでも訊いたのだろうか、と、結が俺のことを従妹であるひよりに話すところを想像する。簡単に想像できた。

 結が俺たちと遊んだ写真を見せながら、二人で楽しそうに会話する姿。

 そんな仲のよさそうな情景が思い浮かんでしまうものだから、ひよりを憎みはできなかった。


 彼女が泣き止むころには、もう日はほぼ沈んでいた。急いで階段を駆け下り、校門前まで出る。


「いつまで待たせてんの。で、上手くいったの?」


 不機嫌そうにしながらも、ちょっと心配してくれるのは莉紗らしい。ツンデレ、とはまた違うのだろう。


「ああ、想像以上にうまくいったさ。あと、悪ぃ。まさか待ってるとは思わなかったから」


 真実を知っている椎名さえも、温かい視線を送ってくれる。

 一度は疑ってしまったが、今になって思う。なんて温かい仲間だろう。


「でも、やらなきゃならねえことができた」


 そう、にかっと歯を見せて笑うと、皆が安心したような表情になる。

 諄くたって何度だって自慢してやる。この輪は、きっと、いや、絶対に世界一温かい。


 だから、今度は。

 この暖かい輪の中に、彼女を、小日向ひよりを迎え入れよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る