第7話 俺は復讐を止められる

 酒井結。彼女は様子が変だった。

 いつもは、大人しい方ではあれど、あんなに大人しくないはずなのに、今朝は異様に静かで、一言も話さなかった。

 ただ俯くばかりで、顔すら見せようとしなかった。


 俺はそれを、彼女が心を痛めていたのだと思っていた。が、凛の話を聞く限り、どうやら違ったらしい。

 俺の予想とは、真逆であったらしい。


「あいつは、嘲笑ってたのかもな」


 不意に、そう呟いていた。

 誰に向けるでもないその言葉は、行き場を失って宙を彷徨った。誰の下へも届かず、虚空に呑み込まれていった。

 二人も、俺の呟きに何の答えも返さない。きっと、彼女らももう話すことはないのだろう。


「じゃあ俺は帰るよ」


 今度は意思を持った言葉が、二人の下へと届いてゆく。

 そんな、どうでもいいことを考えた。どうでもいいことしか、思い浮かばなかった。


「待って。切り捨てる具体的な方法を、私たちは話していない」


 確かにその通りだ。俺は切り捨てる人間を選択しただけ。

 そう、俺は選択したのだ。そう考えると、何かだんだん虚しくなってきた。

 初めは選択する気はなかった。今日にでもボイスレコーダーを買って、明日には二人の脅迫を録音して逆に脅そうと思っていた。

 でも、その必要がなくなった。そして数日間が無に帰したような気がして、虚しくなった。


「俺は、何をしたらいい」

「酒井結の水筒に酒を注いで。そして、彼女を陥れる」


 驚いた。流石にそれは予想以上だ。復讐にしても些かやりすぎな気がする。


「……何のために?」


 だから、柄にもなく、彼女を庇うような真似をしてしまった。もう、心の扉は閉じたはずなのに。

 まだ、冷酷になり切れていない自分が、友達の存在を信じて縋っている自分が少しばかりいるらしい。


「私の抱える問題、一年で発生しているいじめの件を煙に巻くような大きな問題を起こすため」

「でも、大きな問題が発生したらより大変になるだろ」

「飲酒については退学で終了、いじめの問題より手っ取り早いわ」

「いじめがまた一年で起こって、問題が再発するだけじゃないか?」

「いじめを起こした生徒は既に反省の色を見せているわ。弄りから始まって遊び半分でいじめてしまったって」


 こうも即答でぽんぽん返されると、こっちが切り返せなくなる。

 もう、これは神からのお告げなのかもしれない。切り捨てて、現実を受け入れろという、意地悪な神の暗示かもしれない。


 はあ、と溜息を吐きだすと、未練も何もかも流れていったような気がする。いや、そうであって欲しいと願っているのか。


「じゃあ、今度こそ帰る。次は————復讐後かな」


 古びた屋上のドアノブを回し、きい、と音を立てつつその場を去った。

 俺は復讐鬼になる。そう思い込んで、弱い自分を抑え込んだ。そうしなければ、社会で生きていけないような、引き籠りになってしまう気がしたから。


 だから。もうこれで終わりにしよう。淡い青春も、醜い復讐も。縋る自分を、殺してしまおう。


     ◇


 朝が来た。父の好む、度数強めの酒をこっそりと学校に持ち入り、ただ、保健体育の時間を待った。

 体育の時間が来れば、着替えが遅くなったことを口実に教室で一人になれる。結の水筒に酒を注ぐなら、その時がいい。


 待ちに待った体育の時間。椎名達と話し過ぎて着替えにが遅れた風を装う。


「悪ぃ、ちょっと先行っててくれ」


 俺を待つ椎名達に先に行くよう促し、教室に俺一人しかいなくなると、結の水筒に、鞄から取り出した酒瓶を近づける。

 酒瓶を傾け、液体の酒は重力に逆らわず結の水筒に————入らなかった。

 手首が、ある一定の角度から動かなくなっていたからだ。

 その理由はもちろん。


「やっぱりな。何かあると思った」

「恭介……」


 俺の元友達、もう人を信頼するのはやめたから、友達ではなくなった椎名だ。

 椎名が俺より細く白い手で、しかしがっちりと俺の手首を掴んでいた。


「あんな話聞いた後で、毎回最初に着替え終わるお前が教室に一人で残るって、不自然すぎだよ、ばればれ」


 こいつはそこまで俺のことを見ていたのか。こいつの趣味が人間観察だからだろうか。


「昨日の昼休み、何があった?」

「っ……」


 何で分かったか、何て訊くまでもない。

 どうせ俺の様子が昨日の昼休みから変になった、とかそんなところだろう。そういう、人の機微に気づくのが、こいつだ。

 だから、俺はまた一から話さなきゃならない。結がいないから、彼女たちにバレることもないし、な。


     ◇


「なるほどな。よく分かった。でも、お前は一つだけ勘違いをしているよ」

「勘違い……?」


 全てを話し終えると、開口一番に勘違い、なんて宣いやがった。

 意図を図りかねる。俺の発言には何の矛盾もなかったはずだから。


「ああ、勘違い。お前の友達は、誰一人裏切っちゃいねえってことだ」


 は? という声も出らず、ただ口を開けて、さぞ間抜け面を晒していたことだろう。

 当たり前だ。裏切っていない訳がない。だって、あの二人に情報が渡っているのだから。


「昨日の午後のお前の視線や行動から、何があったのか大体察してた。んで、さっきお前の言った内容とほぼ一致」


 まあ、このエスパー野郎ならあり得ることだ。ただ、やはり意図が掴めない。

 何が言いたいのか、そう視線で問うと、椎名はつらつらと得意げに喋りだした。


「お前が結を疑っていることも分かったから、俺は結の母親に訊いたんだ」

「何を」

「結が8時10分に何をしていたか、だ」


 訳が分からない。そんな質問をして何になるというんだ。

「あいつの母はちょうど家を出たといった。SHRショートホームルームは8時15分から」


 そして、と難問の答えを解くように。


「あいつの家から学校まで五分。8時10分から俺たちの話に参加していた結は——」


 あいつはいつもSHRぎりぎりに滑り込んでくる。そう、あいつは昨日も同じ。ならば、それならば。


「結じゃない」


 椎名の言葉の最後を、俺が引き継いだ。

 風がびゅうと吹き込んで。それでも、体の中から湧き上がる熱で、冷えていく体が、冷えていた体が沸騰しそうなほどに熱くなっていく。

 だって、これからの時間は。


「なあ、恭介」

「ああ、そうさ。壮大なマジックの、種明かしを始めよう」


 俺の閉じかけた心をこじ開ける、壮大で盛大な種明かしなのだから。

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