第1章 覚醒編:幼女期

第1話 貴族令嬢レアリエット・ルーメ・キャメリラー

それは年若い女の声だった。

少なくとも盗賊や野盗ではなくてほっとする。

その女性の声は少しずつこちらに近づき、その声が何を言っているのかもわかるようになってきた。


「レアリエットお嬢様ー? どこにいらっしゃるんですかー?」


レアリエットお嬢様なる人物を探しているらしい。私はそろそろと丘の下にある屋敷を見下ろした。綺麗に白い煉瓦が積み重ねられ、屋根にはターコイズブルーの瓦が乗っていた。あまり古くはなく新築の様だった。おそらく、レアリエットお嬢様とはあの屋敷に住むお嬢様のことなのだろう。


「あっ、お嬢様ったら、またここに来ていたんですね。」


後ろの茂みから現れたのはメイドの恰好をした女性だった。

茶髪の髪を団子にまとめ、ダークブルーの瞳をこちらに向けてくる彼女は、これといった特徴はないものの、可愛らしい顔立ちをしていた。


彼女の外見よりも私が気になったのは彼女が発した言葉だった。

『あっ、ったら、またここに来ていたんですね。』

オジョウサマッテナンダッケ?

少し状況を整理するためにタイムが欲しいが、生憎と彼女はバレーボールの審判ではない。タイムといったところで分かるわけがない。

そんな当たり前なことを現実逃避気味に考えていると、彼女は少し怪訝そうな顔をした。一瞬こちらのおかしな脳内をスケルトンのように見透かされたのかと思ったが、そうでもないようだった。


「お嬢様……私のことが分かりますか? 私はサアヤ、お嬢様付きの侍女であり、キャメリラー家のメイドです。」


やはり彼女が言う『お嬢様』とは私のことだったらしい。ようやく今の状況を飲み込めた私は、一部を正直に白状することにした。


「えと、私あなたのこと知りません。お嬢様って私のこと?」


震えながら小さい声でサアヤと名乗る女性に尋ねると、彼女の顔は蒼白し、そして瞳には寂しさとほんの少しの怒りが見えた。

瞳に突如表れた怒りの火花に少し怯えた私を見かねて、サアヤは真顔だった顔に微笑みを浮かべ、私のすぐそばに来ると、ひょいっとしゃがんだ。


「ええ、お忘れだと思いますが、あなたはキャンゴル王国中級貴族〈ルーメ〉のキャメリラー家分家のお嬢様、レアリエット・ルーメ・キャメリラー様です。

そして、改めて紹介させていただきます。私の名はサアヤ・レリアナード、不老長寿だけが取り柄の出来損ないの空人族でございます。キャメリラー家には700年ほど前から仕えさせていただき、10年ほど前からキャメリラー家分家にお仕えさせていただいております。」


うぇ……!? 700年前からキャメリラー家?に仕えてるってことは700歳以上ってことだよね? 空人族っていうのはネーミング的に空に住む種族なのかな……異世界だし、そういう種族もいるよね。うん。


私の動揺にサアヤは気づいていたが、それでもかまわずこの世界についての説明を進める。


「ここは、人間が多く住むヴェルツトピア大陸の最南端にある港町から一番近い村、ジーオス村です。この地域の子供はすべて、例外なく、『魔の女神の玩具エーヴァリッタ・アドイ』の被害に遭います。」


……へぇ、『魔の女神エーヴァリッタ』の『玩具アドイ』、ねぇ……

つまり、この地域はあのクソ女神の玩具箱ってことか。


「なんで『魔の女神の玩具エーヴァリッタ・アドイ』の被害に遭うの? なんでここの子供たちだけなの?」

「魔の女神・エーヴァリッタを信仰する、邪悪な魔族が住むエヴァトピア大陸が、ニール海を隔てたすぐそこにあるからです。」


サアヤの言葉に私はハッとして丘の景色のずっとずっと遠くにある海を見つめる。

なるほど、確かにあの海を隔てたすぐそこにクソ女神を信仰する魔族たちがいたら、クソ女神もこちらに手を出しやすいだろう。


「その、『魔の女神の玩具エーヴァリッタ・アドイ』っていうのには成人するまでずっと被害に遭うの?」


なぜここに『魔の女神の玩具エーヴァリッタ・アドイ』の被害が及ぶのかは分かった。しかし、あのクソ女神のせいで成人するまでずっと入れ替わり立ち替わりに体が交換されるのは本当に嫌だ。不快すぎにも程がある。


「いえ、『魔の女神の玩具エーヴァリッタ・アドイ』は子供が5歳になった瞬間に止まります。それは我らが崇める主神ラテス様の加護が受けられるからです。ラテス様の加護はとても赤ん坊から受けられるものではなく、体が周辺のマナに完璧に馴染む5歳になってから受けられるのです。」


……固有名詞が多すぎて意味が分からないと思った方、正直に手を挙げてください。

はい、お察しのとおり私も心の中で手を挙げています。

とりあえず、この世界のことは最低限知っておかなくてはならない。


私はサアヤに固有名詞の意味を教えてもらおうと思い、いくつかの質問をした。


「その、ラテス様……っていうのは?」

「ラテス様はこの世界が創られてから語り継がれるアリッヒ神話の主神です。ラテス様はエヴァトピア大陸以外のすべての大陸での信仰の対象であり、この世界の秩序と神秘を司る神です。」


頑張ってサアヤの説明をかみ砕き、飲み込むことができた。

この世界には私が住んでいるヴェルツトピア……? 大陸の他にもいくつか大陸があって、アリッヒ神話の主神であるラテス様とやらは信仰の対象。

でも、邪悪な魔族が住むエヴァトピア大陸では、なぜか魔の女神であるクソエーヴァリッタが信仰の対象らしい。


自分の頭の中でラテスについての整理ができたところで、次の質問に移る。


「じゃあ、マナっていうのは……?」

「マナはアリッヒ神話の神々が住む神界で作られている、魔術や魔法を使うためのエネルギーのことです。

魔術や魔法は術式とマナを自分の魔力で繋げることによって発生する、人が起こせる奇跡です。しかし、マナは時として毒にもなり、ラテス様の加護に付随するマナを受けるには、赤ん坊では耐えきれないのです。」


……なるほど、これは少しわかった気がしなくもない。

つまり、ファンタジー世界あるあるの魔法や魔術を使うには、術式とマナと魔力が必要。魔力は術式とマナを結ぶことによって魔法や魔術が発生する。

例えるならば、魔力はケーブル、術式は電化製品、マナは電力のようなものなのだろう。電力が通ったコンセントにケーブルを挿して、ケーブルを介して電力は電化製品に繋がる。


そういえば……


「魔術や魔法には詠唱があるの?」

「えっと、私も詳しいことはあまり知らないのですが、魔術には詠唱が必要で魔法には詠唱が必要なく、術名だけ言えば発動すると……」


詠唱はスイッチ、と言ったところだろうか。

ふむ。謎が謎を呼ぶのと同じように、固有名詞が固有名詞を呼んでしまった。どうしてくれよう。ますます混雑してきた。


それを察してくれたらしいサアヤはひょいっと立ち上がり、私に手を差し伸べてくる。


「お嬢様、これほどの情報量を受け入れるのにはとても時間がかかります。今日は喜ばしいことにラテス様の加護が受けられる、レアリエット様の5歳の誕生日です。領都のソラティアから神官様がいらっしゃいます。」


あっ、私まさかの5歳になるんだ今日。5歳になるまで何が何でもこのレアリエットの体にしがみついてやると思ってたけど必要なかったか。


「うん、じゃあ帰ろうサアヤ。」


私はサアヤの手を取り、後ろの林を抜けて風に揺れる黄金の麦畑のあぜ道をゆっくりと一歩ずつ、レアリエット・ルーメ・キャメリラーの足で歩いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女神を恨むオフィスレディは今日も闘う。 ゆうり @Yuri_217

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ