第三章 六月その6
何度来ても、カーリングホールに入る際の空気が僕は好きだった。
氷の香りとぴん、と張り詰めた空気。
今日も僕は一礼してカーリングホールに入る。
隣のシートでは小学生達が元気よくカーリングをしている。
私立学園のメンバーもいる。もちろんリューリさんも。
他の女子と一緒にハウス内に集まり、ストーンの当たる角度等を話している。
その表情はこの間庭園で見かけたのとは全く別人のようだった。
真剣な、冷たい眼差し。
長い睫毛と吊り上がった目尻は、触れれば文字通り切れそうな程鋭い。
隣を通りかかったが、彼女は目の端でちらりと僕を見ただけで表情一つ変えない。
昨日見かけたのとは、ひょっとして本当に別人だったのではないか。
そんな事が頭をよぎる。
『そもそもまともに自己紹介もしていない間柄だし』
「ぼうっとしてないで、練習始めるぞ( ´∀`)σ」
野山先輩がブラシで僕をつんつんとつつく。
今日は黒崎が休んでいるので基礎的な練習を行った。
「もっと低く!このブラシに触れないように!」
野山先輩が走り高跳びのバーのようにブラシを横に構える。
『低く…鋭く…!』
念じながらデリバリーする。
「良いね!」
旭先輩が誉めてくれた。
続いて友利。
一反木綿のように、ひょろひょろとデリバリーする。
「のぉぉぉぉー!」
もろに野山先輩のブラシに突っ込んだらしい。
情けない悲鳴が聞こえ、皆がどっと笑う。
友利がリリースしたストーンを旭先輩と僕が追う。
「イエス!」
ハウス側からイエスがかかる。
「…っいくぞ、わへい!」
「はいっっ!師匠ししよー!」
「超級!!」
「覇王!!」
「「電影だ…」」
「止めろ《ウォー》!」
「「最後まで言わせてよ!!」」
息の合った合体攻撃スイープを披露出来ず二人で笑い合う。
カーリングを始めてから2ヶ月。
僕の生活の大部分を、カーリングとその仲間達が占めるようになった。
悩み事はカーリングの事。
考えてるとすれば、カーリングの事。
また、再びスポーツに打ち込む喜びを僕は噛み締めていた。
カーリングが終わった後。
2階のラウンジで僕らはしばしジュースを飲みながらお喋りをする。
「カーリングブラシを買おうと思ってるんですが…」
野山先輩に携帯でカーリンググッズのHPを見せる。
「ふむ。ブラシ買うより先にシューズ買ったほうがいいぞ」
野山先輩はちらりと横目で僕の携帯を見て、すぐに自分のタブレットPCに視線を戻してしまう。
「シューズですか」
「ああ、自分のシューズだと滑りが全く違う。ブラシより優先だな」
「どれが良いですか?」
「…そうだなぁ…。カーリングシューズも高いからな。懐具合と相談して私のようにスライダーにするのも手だぞ」
通常カーリングシューズは片足のみ滑りやすいスライダーとなっている。
スイープする際は(慣れていなければ)スライダーの上にグリッパーという滑らないカバーを被せる。
野山先輩は市販の靴に別売りのスライダーを被せてカーリングシューズとしていた。
「なんでも形から入るのは良いけど。経済的なこととか、あるでしょ?お金、かけすぎるなよ」
「…ありがとうございます」
野山先輩は、自分の置かれた環境を受け入れ、その中で工夫をしてカーリングというスポーツを楽しんでいた。
きっともっと環境が恵まれていたら…。
そんな事を考えてしまう。
リューリさんへの反発はその辺りが原因なのかな、と僕は考えてしまう。
カーリングホールではリューリさん達がまだ練習を続けていた。
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