第四章(飛来)

南海事件から2日、最南島にはメルが島を飛び立ってから最初の夜が来ていた。この事件以来、最南島から出ていく人が急増している。他の島へ行く飛行機や船は、明日も軒並み満席となっていた。

既に真夜中ではあるが、最南鎮守府の参謀室にあかりが灯っている。事件以来ノノウは「眠る」ことを忘れた。メルが島を出てからは更に仕事が増え、今夜も眠れそうにない。普段自分が行う仕事に加え、普段メルが送っている大量の指令をノノウはパソコンで送り続けなければならなかった。


メルが撃墜した戦闘機が最南鎮守府運輸安全委員会、STSB(Southern tip Transportation Safety Board)の調査施設に到着したのは、夕方のことだった。真っ黒な機体が窓から差し込む夕日の淡いオレンジの光を反射して異様なオーラを発していた。多少壊れてはいるが、綺麗な機体だとノノウは感じた。

コックピットには多数の弾痕と血痕が残されていた。パイロットは頭部を撃ち抜かれ、即死だったと検死のため随行した医師は言った。流石だな、とノノウは改めてメルの能力に驚かされた。弾痕はコックピット以外にはなかったのである。しかし同時に、ある疑念をノノウは抱いていた。

翠の国や黒の国–大型船の艦長・ラルバがそう読んでいた–がある巨大な大陸が存在することは、蒼の国でも知られていた。天気観測の為に打ち上げた人工衛星が、大陸をたまたま発見したのである。ただ、その大陸とは大きな海–この国では『大南海』と呼ばれている–に隔てられ、空中及び海上給油なしにその大陸へ行く方法はなかった。時の帝王・楽帝は「領土不拡大」の方針を示し、その大陸へ行くことを禁じた。そのため人々は大陸の存在を知りつつも、誰もその内実を知らない。

それだけの距離がこの最南島と大陸にはあるのに、一体どうやって戦闘機はこの島に来たのだろうか。これがノノウの疑念である。空中給油か、それとも別の手段か。ノノウはSTSBの調査チームに、エンジンの調査を最優先するように依頼した。


パソコンにその日の報告と翌日の方針を打ち続けながら、ノノウは黒の国について考えていた。あの戦闘機が黒の国のものだとしたら…撃墜の事実が知られていたら、次はどう出てくるのだろうか。あの程度の能力の飛行機が編隊を組んできたところで、対応は容易だろう。最南第一飛行隊の能力とミューナの性能を持ってすれば、たとえ1000機来ても迎撃は容易である。問題は…

そこまで考えたところで、参謀室の電話が鳴った。なんと緊急のコールである。

「どうしました?」

参謀という上位階級にいるとはいえ、鎮守府最年少のノノウは、誰に対しても敬語で話す。

「正体不明の飛翔体を探知!最南島より距離500Km!本島に命中軌道です!到達まで15分!」

「最南第一飛行隊にスクランブルを出して下さい。直ちに迎撃を!」

よりによって鎮守宮交代期にミサイルが飛んでくるとは…イージス艦は1隻もおらず、陸上イージスもない。レーダーも旧式で、半径500Kmしか探知出来ない。前の最南鎮守宮が全て新赴任地に持って行ってしまったのだ。この国の粋を結集した最新鋭の戦闘機であるミューナだが、迎撃システムはイージス艦ほど確実ではない。しかし、今となっては搭乗員のスキルに頼る他なかった。最南第一飛行隊の隊長・スィラは一体誰を選ぶのだろうか。


チッ、とスィラは軽く舌打ちをした。メルの指示を受けるのも嫌気がさすというのに、今度はノノウか…早く空宮様の指揮下に戻りたい。スィラは切実にそう思った。とはいえ、従わなければ後12分で空宮の下どころかこの建物の瓦礫の下に埋もれるかもしれない。飛翔体の落下予測地点はここから3Kmほど南の地点と発表された。自分の命も大事だが、それ以上に空宮に預けられた大事なミューナ達を灰燼に帰させる訳にはいかなかった。直ぐに部下を呼ぶ。

「スクランブルだ。当直隊を2分で用意させろ。」

「…ハッ。」

下士官は基本上官に向かって聞き返すことはない。しかしこの時の部下の顔には「なぜ今飛ぶんだ?」という疑問が書いてあった。まだこの情報は最南鎮守府の上層部しか知らないのだ。しかも空襲警報が鳴らないということは、ノノウは撃墜は可能である、と読んだことになる。我が隊も信頼されたものだな。もし空襲警報を鳴らさずに最南島に着弾すれば、ノノウの首どころかメルの地位すら危うくなるというのに…大胆なのかバカなのか。40過ぎのスィラからしてみればガキ同然の少女だが、この16歳の「上司」がただの16歳ではないことだけは確かなようである。


ズーマが命令を聞いて最初に抱いた感情は、緊張ではなく感動だった。いつもは怠い当直に、まさか感謝する日が来ようとは。冷静にスクランブルの準備を進めているつもりなのに、高まる鼓動は抑えようがなかった。

この「ミクロス隊」の隊長は、かなりの南海海戦マニアである。特に、初代希宮イルストルの弟・翔宮が率いた「希宮第一飛行隊」の活躍には詳しく、「希一隊戦記」は彼のバイブルであった。–いつかオレも歴史が変わる空を飛びたい–それが彼の夢であり、彼が戦闘機乗りになった理由だった。

しかし現実は無情にも、「平和な時代」が到来していた。順調に昇進して小隊長になり、去年結婚したズーマだが、彼の心はどこか晴れなかった。そんなズーマの思いに応えるかのように、南海事件は起きた。

ミューナ。慌ただしくなる当直組の喧騒を横に、3機の蒼き機体は泰然と構えていた。空に憧れた子供達は、ほぼ例外なくこの流線形の美しい機体にも惹かれ、この機体で空を飛ぶことが夢になった。ズーマも、そんな少年の一人である。

『ミクロス1、オールグリーン発進準備よし。』

『サウスオブサウスコントロール、発進せよ!』

スィラの命令から約1分30秒後、3機のミューナは空を舞った。早速レーダーが飛翔体を捉える。

『ミクロス3よりミクロス1、ミサイル探知、最南島まで残り400、命中軌道変わりません。』

『高度は?』

『200!』

高度200Km。ズーマは大気圏が存在する高度100Kmまでには撃墜したいと考えていた。大気圏より上で迎撃出来れば、粉砕したミサイルの破片は全て大気圏で燃え尽きる。ズーマは素早く機体を急上昇させ、ミサイルを射程圏にいれた。

『ミクロス1、ミサイルロックオン完了。アリオス発射!』

アリオス-この国の言葉で「神の矢」と呼ばれるこのミサイルは3年前に開発されたばかりの新型ミサイルであった。蒼の国初の弾道ミサイル以外での大気圏突破型ミサイルであり、2年前から当直組のミューナへの実装が義務付けられた。反乱時、何者かが都市部へ弾道ミサイルを撃ち込んだ時に対応するためであるが、なにぶんミサイル一基の値段が高く、殆どのミューナは一基しか装填していなかった。ミクロス隊も例外ではない。そのため一発必中がどうしても求められた。

時速1万キロ、射程距離1000キロを誇るアリオスが目標に達するまで70秒。大気圏外で撃ち落とすには、撃った瞬間に闇へと消えたズーマのアリオスが命中するしかない。ズーマは3D表示のレーダー画面を睨みつけた。

『ミクロス3、カウントダウンします!着弾まで、5、4、3、2、1』

空が一瞬、真昼のように明るくなった。

『目標の輝点消滅!迎撃成功です!』

次の瞬間、レーダー画面が真っ暗になった。ズーマは慌てて無線で呼びかける。

『こちらミクロス1!2、3応答せよ!』

『こちらミクロス2!データリンクがブラックアウトしました!』

『ミクロス3!同じく、レーダー使用不能!』

『ミクロス1、了解!これより帰投する!当機はこれより無線で管制と連絡をとる。両機、我に続け!』

何故レーダーがやられたのか、ズーマには分からなかった。あのミサイルには、一体何が仕込まれていたのだろうか…なぜ、一瞬空が光ったのだろうか。


空に閃光が走ったのを、ノノウは見逃さなかった。次の瞬間、街に灯っていた灯りが何ヶ所か消える。ノノウはすぐに最南鎮守府の当直組に電話をかけた。

「島内数ヶ所で停電が発生しています。至急電力会社に連絡し、原因を調べて下さい。」

電話を切った直後、ベルがけたたましく鳴った。

「はい、ノノウです。」

「サウスオブサウスコントロールより至急、ミューナ3機のレーダーが全てダウンしました!」

どうやら、周辺の電化製品に深刻なエラーが起こっているらしい。

「了解です。管制のレーダーは異常ありませんか?」

「はい!ミサイルの消滅は確認しました!」

「分かりました。至急、周辺を飛行中の航空機にコンピュータ等の異常がないか、確認をお願いします。」

「ハッ!」

レーダーのダウン程度でミューナが落ちることはない。おそらく、無事に帰ってこられるだろう。問題は、何故ダウンしたのかだった。レーダーのダウンと街の停電、この二つはおそらく同じ原因で起こったはずだ。第一に考えられるのは、電気回路の切断である。切断…その単語が浮かんだ瞬間、一つの可能性がノノウの頭をよぎった。

「まさか…」

ノノウは反射的にスマホをとりだし、メルにメールを打ち始めた。もし本当にノノウの推理通りなら、蒼の国始まって以来の存亡の危機である。


かつて、この国に国葬というものはなかった。王家にとって死は『穢れ』であるため、帝王が崩御した際は密かに宮城から遺体を持ち出し荼毘に付し、主だった重臣と新しい帝王が遣わした勅使が密かに葬儀を行なった後に王国民に向かって発表されるのが慣例だった。しかし、200年ほど前から大規模な戦争が起きるようになると、戦死した王族の将軍は王国民の戦意高揚のため盛大に『国葬』されるようになった。以後、歴代帝王の葬儀も壮大なものになっていったのである。

「…とはいえ、面倒よね。」

メルは小さくため息をついてフォークを置いた。久々に食べる実家の料理は、どこか懐かしい。しかし、大好きだった朝食のスクランブルエッグも、不安をかき消してはくれないのだった。隣でポンポンとテアが頭を叩く。

「メル、そう言わないの。これがなきゃ、私としばらく会えなかったでしょう?」

「でもねテア…」

メルは常に心のどこかで最南鎮守府を気にかけていた。南海事件発生から2日、新たな事件が起こらなければ良いが…メルのいない最南鎮守府はバラバラである。アブエロとノノウはけたたましい不協和音を奏でる最南鎮守府を、上手く取り仕切れるだろうか。そこまで考えた時、フッとテアが耳元で囁いた。

「そんなに不安なら、『兄上』に女装してもらって、替え玉にして帰ったら?」

「は!?兄上が女装なんかするわけないじゃない!」

「そっちの『兄上』じゃなくって…」

テアはニヤニヤとメルを見つめる。意味を察したメルは、ツンと唇を尖らせた。

「アレをネタにしないで。」

メルには二人の兄がいる。聡明な『兄上』ラディ(護宮)の上にもう一人、『アレ』ことラヌイである。通称『望宮家の恥』と呼ばれるその兄は、女装趣味を持ちながら何件もの強姦事件や暴力事件をおこしている。何もお咎めがないのは、望宮の長男にして正妻の子、そして何より次期蒼候候補・統宮の甥だからである。一体裏で何件の事件が望宮と統宮によって揉み消されたのか、メルは数える気にもならない。

「アレが私になったとして、マスコミが来たら言動でバレるじゃない。そしたらアレも私もおしまいよ!アレと心中だけは勘弁だわ…」

「どうせなら私と心中したい、と。」

「バカっ!」

今二人で心中したら、帝王と蒼候の後を追った美しき二人の姫として歴史に残るのかしら。一瞬よぎった変な考えを恥じつつ、メルは尚も頭をポンポンしてくるテアの手を振り払った。

「変なことばっかり言うんじゃないの。今は『喪中』よ。大体テアは…」

そこまで言った時、傍に置いていたメルのスマホが鳴った。最南鎮守府にいるノノウからのメールである。最南島は蒼々本島と8時間の時差がある。あっちは今真夜中か。ノノウも大変だな…そう思いながら、メルはすぐにメールを開いた。

『最南島飛行場を目標に長距離弾道ミサイルが飛来しました。ミューナのアリオスをもって宇宙空間でこれを撃破しましたが、当直組のミクロス隊3機のレーダーが損傷、ダウンしました。また、最南島の各地で停電が発生しています。あくまで私見ですが、見立てが正しければ…』

最後の一文を見て、メルは思わず息を飲んだ。

『あれは核ミサイルです。』


メルはすぐに部屋を出て、ノノウに電話をかけた。ワンコール鳴りきらないうちに、ノノウが電話に出る。

「何故、核だと思った?」

メルにしては珍しく、挨拶なしで本題に入った。

「電子機器の損傷です。まだ確認は取れていませんがレーダーの損傷や停電は、恐らく放射線が大気圏にぶつかった際に発生した電磁パルスによって電子回路が焼き切れたのだと考えます。迎撃の瞬間、空に閃光が走りました。あれだけの光を放てるのは、核以外には考えられません。」

「長距離弾道ミサイルに核。これが本当なら何を意味するか分かるか?」

「はい…」

受話器の奥からでも、ノノウが息を飲むのが分かった。

「敵は恐らく我が国と同等、もしくはそれ以上の能力を持っています。」

「そうだ。あの旧式の戦闘機は分からんが、それなりの戦力を保持しているはずだ。私が帰るまでまだ3日ある。警戒を厳とするように。また何かあったら連絡を頼む。」

「はい!」

電話を切ると同時に、後ろのドアが開いた。テアが心配そうな顔でこちらを見つめている。

「…ねぇ、本当に大丈夫なの?」

「安心して。私の部下は、そんなにヤワじゃないわ。」

メルは自分に言い聞かせるように呟いた。


朝食を食べ終わると、テアはひっそりと王宮に向かった。国葬当日、王宮の支度もいよいよ大詰めである。

この部屋に1人でいるのも久々である。部屋を後にする時、窓から見えた桜吹雪は本当に綺麗だった。窓を開けて顔を出すと、その時の風の名残りがサラサラとメルの髪を揺らした。

トントン、とドアが叩かれる。使用人だろうか。掃除にくるなら早すぎる。

「入れ。」

ガチャリと音がしたので振り返ると、なんとラディである。

「ごめんなさい!つい…」

「気にするな。私が居なくなって、大分経つものな。」

ラディがこの家を出てから、もう4年の歳月が流れていた。以後メルの部屋に尋ねてくる人は、掃除婦かアブエロか弟、妹宮くらいで、メルが敬語を使うような人が尋ねてくることは珍しかった。ラディは早速本題を切り出した。

「最南島でまた何かあったな。」

「えっ?」

「ネットでトレンドになっているぞ。謎の光と停電だ。今はみんな最南島のニュースには敏感だからな。」

「そうですか…」

「原因はなんだ?」

「まだ断定は出来ていませんが…」

「かまわん。現時点での最南鎮守宮の見立てを知りたい。」

もう妹ではなくて、将として見られているのか…嬉しさと寂しさを感じながら、メルは答えた。

「核ではないかと考えています。」

「何だと…」

メルはノノウの報告を、そのまま話した。ラディは全く口を挟まずに、静かに聞き入った。メルが話し終えると、そっと切り出した。

「本当にその通りであれば、援軍が必要になるだろうな。」

「はい…」

新設されてまもない守宮艦隊は空母1、フリゲート艦3程度しか揃っておらず、イージス艦などといった巡洋艦・駆逐艦は皆無であった。更に、フリゲート艦の隊員たちは殆どが経験のない者ばかりで、およそ戦力と呼べるようなものではなかった。最南海上警備隊の巡視船3を合わせても、敵を迎え撃つにはあまりに貧弱である。

「必要になったらいつでも呼ぶといい。出来る限りのことはしよう。」

「ありがとうございます。」

「しかし、早めに軍を整備しなければならないぞ。イージス艦は最近大型化が進んでいて、多くの鎮守宮がイージス艦を入れ替えていると聞く。廃艦には費用がかかるから、タダ同然で貰い受けられるかもしれない。」

「若輩の私では取り合って貰えるかどうか…。」

「波島の島長を長く勤めたアブエロなら顔も広く、色々な人を当たれるだろう。彼に頼んでみるのも手だ。今からではこの先の戦いに間に合わないかもしれないが、やるに越したことはないぞ。」

確かにアブエロなら顔も広く、多くの鎮守宮に連絡を取れるだろう。彼なら何艦か集めてこられるのではないだろうか。とにかく、今最南島を攻められたらひとたまりもない。その思いは南海事件以来、常にメルの心のどこかにあった。


事件以来、ロクなことがないな…ようやく眠れたと思ったら、1時間もしないうちに起きねばならないとは。70歳の体にムチ打たねばならない境遇を呪いながら、アブエロはヨロヨロとベッドから出た。テレビをつけると最南島の島長のリブリが緊急の記者会見を開いている。何を聞かれても「事実関係を調査中」と繰り返すばかりであった。あれでは次の島長選挙で落選するな。冷めた目でテレビを消すと、ノノウのいる参謀室に向かった。

「アブエロ様、お待ちしておりました。」

「リブリではダメだ。状況を全く把握しておらん。私の方にも記者会見を開いて欲しいと依頼が来たが、朝まで待てと言っておいた。」

「我々の態度決定も急がなければなりませんね。」

「まさか核が飛んでくるとはな…」

「まだ断定出来てはいませんから、発表すべきではないでしょう。」

「ではなんと言えばいい?」

「『敵の攻撃の可能性がある』でいいでしょう。そして、『撃退できるレベル』だと断言するのです。」

「しかし、敵は我々と同等以上の戦力があるのじゃろ?断言して良いのかどうか…」

「今必要なのは、島民及び王国民の動揺を抑えることです。それに、我々には緒戦に勝利したという実績があります。」

アブエロはまだ腑に落ちなかったが、リブリのように『事実関係を調査中』を繰り返すよりはマシなように思えた。

「分かった。メル様の許可が取れたらそれでいこう。」

「守宮様は今『見送りの儀』に参列中です。連絡が通じれば良いですが…」

そう言いながらノノウはスマホを耳にあてた。

「ダメです。電源が切られてますね。」

「弱ったのう…」

「とりあえず、今の筋で話すことは考えておいて下さい。許可がおりたら連絡しますので。それからもう一つ。守宮様からメールで届きました。国内で廃艦予定の駆逐艦や巡洋艦クラスの艦を安価で買い取るよう、あたって欲しいとのことです。」

「最南島に移っても、メル様の人使いの荒さは変わらんなぁ。」

アブエロは苦笑した。

「わかった。やってみよう。」

思えばずっとメルには振り回されっぱなしである。娘のナナを放ったらかしにしていた報いなのだろうか。そのことは考えまいと首を振っても、どうしてもアブエロの頭の中に浮かんでくるのだった。


見送りの儀。王族と王国民が王宮前の広場に参列し、帝王の逝去を悼む国葬最大の行事である。国中のテレビやラジオは全て通常の放送を取り止め、帝王崩御及び蒼候生存絶望の特別番組が組まれ、多くの公共施設や遊園地、デパート、映画館などの娯楽施設も終日休館した。見送りの儀の参列者は王族156人、一般の参列者はなんと約15万人に上った。これは歴代帝王の中でも最高記録である。

統宮が車から降りた瞬間、機関銃のようなシャッター音が彼を襲った。群がってくる記者の数は雲宮とどちらが多いだろうか…飛び交う質問を全て無視して宮殿に入る。人生最大のチャンスが目の前に到来している。雲宮一派に勝てれば蒼候の地位だけでなく、事実上の帝王の権力も手中となることは間違いない。蒼候選挙の公示は慣例通りなら5日後、選挙戦は7日後から20日間の戦いが始まる。ここをどう戦うか…昨夜蒼候の賢宮の死を知ってから、統宮とその重臣達は徹夜で会議を開き、策を巡らせた。最終的な結論に統宮は大きな自信を持った。統宮は心の中で語りかけた。

(雲宮よ、お前はどこまでこの国の未来が見えている?将来を見通せる力がなければ、権力を握ることなど不可能だ。俺にはその力がある。自分だけでなく、築き上げた人脈と育て上げた部下達が、未来の指標を作っているのだ。力を得るためならば、俺はどんなことでもしよう。お前にはその覚悟があるのか?)


見送りの儀は滞りなく行われた。僅か11歳の王子・一宮が棺に向かって述べた弔辞は多くの王国民の涙を誘った。儀式は約5時間にわたり、終わった頃には既に蒼都は夕方になっていた。メルは儀式が終わると、直ぐにずっと切っていたスマホの電源を入れた。ノノウから不在着信とメールが一件ずつ入っている。メールには最南鎮守府としての会見を現地時間の朝9時から行うこと、そしてアブエロが話す内容が書いてあった。

(現地時間午前9時といえば、後5分しかないではないか。)

チェックを入れる暇も無く、許可の返信を送る。もっとも、サッと見てノノウの意図はなんとなく読み取れた。これ以上島民に混乱とストレスを与える訳にはいかない。それはメルとノノウの一致している思惑であった。

宮殿内の王族専用待合室のテレビで会見を見守ることにした。どうせ宮殿を出た瞬間にマスコミに囲まれるのだ。どんな質問が飛ぶか、そしてアブエロがどう答えるのか、メルは自分の目で見ておきたかった。

「やはりここか。」

ラディがゆっくりと入ってくる。隣にはイスカもいた。

「兄上。イスカさん、お久しぶりです。」

「活躍は聞いてるわよ。緒戦は完勝だったんですって?」

「一応…ただ問題は山積みです。」

「その全てをノノウに任せている訳か。とんでもない16歳だな。」

「一度一緒に食事をとりたいものね。」

「どうでしょうね…」

ノノウは重度の『王族人見知り』である。普段は普通に話せるのだが、メルと話すときはいつもどこかぎこちなく、それが改善されたのはごく最近のことだった。メルは一度、話の流れでノノウに敬語でなくタメで話すように命令したことがある。ノノウは頑なに拒んでいたが、なお言わせようとすると、

「メル…ちゃん…様ー!」

と叫んで顔を真っ赤にしてうずくまってしまった。今でも思い出すと笑ってしまうのだが、同時に申し訳なかったとも思ってしまう。とにかく、そのくらい王族に対しては身分の隔たりを感じるらしい。そんなノノウが自分より年上の王族二人と食事をしたら、食べ物は味がするんだろうか。まず、フォークを手に取れるか。


アブエロが会見を行うのは、波島の島長退任会見以来のことだった。20年前に波島の島長を辞めてから、妻に先立たれていたアブエロは一人悠々自適な生活を送っていた。平穏な生活にピリオドを打ったのは17年前、望宮から送られてきた一通の王族命令書であった。消息不明だった娘のナナがメルを生んだ後産褥死したので、守役を務めよというのである。あの命令書を読んだ時ほどの衝撃をアブエロは後にも先にも受けたことがない。自分の娘が自分の知らない間に死んだだけでなく、孫が王族だというのである。その日は一日中何も喉を通らないほど悩み、翌日全てを吹っ切って波島を発ち蒼々本島の望宮邸に赴いた。望宮にかけられた言葉は単純かつ辛辣だった。

「娘は任せた。下がれ。」

ナナは望宮に、自分のことをどう表現したのだろう。望宮の態度と表情を見るに、よく言われていないのは間違いない。いや、よく言われるはずがないのだ。島長時代のアブエロは、仕事に没頭するあまり家事は完全に妻や家政婦任せだった。いつも帰りは真夜中で、娘のナナとはろくに話したこともない。2歳か3歳ころだっただろうか、早朝の出勤の際に「また来てね、おじちゃん」と言われたことは今でも忘れられない思い出だ。それほどまでに娘と距離があったことが、後にナナの家出に繋がったのである。

島長の仕事から離れてメルの養育に専念するようになり、アブエロは初めて育児の大変さと大切さに気づいた。メルはまるでナナの生き写しかと思わせるほど顔も声も、仕草さえも似ていた。自分は今、ナナの時に出来なかった大切な時間を過ごしている。少しでもこんな時間を作れていれば、きっと分かり合えたのに。ナナが生きている間に一度でいいから団欒(だんらん)を楽しめばよかった。それはもう叶わぬ夢である。望宮もメルに殆ど会いに来ることはなかった。時の流れとは無情なものである。アブエロは望宮にかつての自分を重ね合わせていた。


アブエロの会見と質疑応答は、無難に進んでいた。少なくともリブリの会見よりはしっかりしている。もっとも、今ネット上で炎上している会見と比べてはいけないが。

そんな中、初老の記者の質問がとんだ。

『平和第一新聞のパーツォと言います。敵が最南島攻撃のため、拠点を構築した場合はどのような対応を取るのでしょうか?』

アブエロは自信満々で答えた。

『無論、そのような動きを見せた場合、我が最南艦隊が逐一撃砕のため出撃します。』

『それでも作られた場合は?』

『その場合は最南航空隊と最南陸軍が共同して拠点を占領、無力化させます。』

『それでは先帝陛下の御遺訓に背きますが?』

『は?』

『『領土不拡大』の御遺訓に背く、と言っているのです。』

テレビの中のアブエロが、初めて返答に窮した。

『…先帝陛下の御遺訓に背かない範囲になるよう、新蒼候殿下と密に連絡を取り合い、対応していく所存です。』

「この場合はどうなさるんですか、最南鎮守宮様?」

「兄上、茶化されても困ります。」

かぶりを振ってみたものの、これに関しては有効な手がない。例えば、今後敵が毎日のようにミサイルを飛ばして来るのならそのミサイル基地は破壊せねばならない。しかし、破壊しても破壊しても新たに建設してミサイルを撃ってくるのであれば、その地域を占領するのが『安全』への最短距離だ。しかし、国内世論が先帝の『領土不拡大』を支持した場合、占領は許されなくなるのだ。今後黒の国と戦争になった場合、メルが最も懸念しているのがこの件であった。


まぁ及第点だろう。会見が終わって、ノノウは心をなでおろした。とりあえず目立った失言もなく終えることが出来た。アブエロも70過ぎだというのに大変な人生である。メルがただの姫としての人生を歩んでいれば、どれほど静かな余生を送れたことだろう。

突然スマホがなる。守宮様からかと思って画面を見ると、電力会社からだった。

「ノノウです。」

「停電の原因ですが、電線の焼損でした。現在、焼損の原因を調べています。」

やはり焼損か。ノノウはますます核への疑いを深めた。

「分かりました。究明の方よろしくお願いします。」

「ハッ!」

電話を切ると直ぐに、またスマホが鳴った。今度こそ、守宮様だと思って画面をみる。今度はSTSBからだった。

「ノノウです。」

「翠の国のラルバ殿が朝のニュースで例の戦闘機を見たようなのですが、自国の戦闘機だと連絡を入れて来ました。」

「え…?」

次の瞬間、ノノウの頭の中にある推測が生まれた。

「エンジンの検査は引き続き続けて欲しいのですが、燃料の成分検査も早急にお願いします。」

「分かりました。」

礼を言って電話を切ると、直ぐに翠の国の人々を収容している豪華客船の収容担当者に連絡を入れた。

「すぐにラルバさんを最南島南部中央病院に送って下さい。話さねばならないことがあります。」

電話を切った直後、会見を終えたアブエロが出てきた。

「やれやれ、一体いくら老骨に鞭打てばよいのじゃ…」

「お疲れ様です。これから、最南島南部中央病院に行って来ます。」

「どうした、風邪でも引いたのか?」

ノノウは目を丸くして首を振った。

「違いますよ。これからラルバ殿と話に行くので…」

「ハハ、冗談じゃ。だが絶対に無理しすぎるなよ。今お前に倒れられたら、代わりがおらん。」

「…はい。」

ノノウは運動神経も皆無だが、体もあまり強くはない。半月前にも風邪をひいて、メルの仕事を増やしてしまったばかりであった。この上アブエロにまで迷惑をかけるわけにはいかない。

(ラルバ殿との話が終わったら少し眠っておこうかな…)

そんなことを考えながら、ノノウは病院へと向かった。


昨日は本当に驚くことばかりだった。この国の船ははっきり言って異常である。船の中にプールがあり、プールサイドに立つ壁には四角い映像を流す物体が埋め込まれていた。トイレは自動で流れるし、夜は艦内が床までライトアップされる。他にも数え切れないほど驚くことがあり、ラルバはただ驚嘆するばかりであった。緊張から解放された翠の国の人々は、この新しい文化に驚きながらも、ようやく訪れた平穏を楽しんでいた。

穏やかな時間を破ったのはこの船に来て2度目の昼食をとっていた頃である。突然蒼の国の者に船から連れ出されると、車に乗せられた。降ろされた場所は一昨日訪れた病院である。待っていたのは、モリノミヤの隣にいたあの少女であった。一昨日同様、意思を伝える機械に座らされる。

(ノノウといいます。突然連れ出してすみません。どうしても聞きたいことがあって。)

ノノウは丁寧語で話した。

(翠の国の戦闘機ですが、航続距離はどの程度なのでしょうか?)

(1650万ウィズです。)

(ウィズ…)

この国には、ウィズという単位がないようだ。ノノウは少し困った顔をした後、四角い物体をポケットからとりだした。

(これの長さは何ウィズになりますか?)

(…1.5ウィズくらいでしょうか。)

(なるほど。2200Kmぐらいということですね。)

この計算が当たっているのかどうかは分からないが、当たっているとすれば、この少女の暗算能力は相当なものだとラルバは思った。

(黒の国の戦闘機の航続距離は、何ウィズか分かりますか?)

(いいえ。しかしあの国の戦闘機は相当な代物です。まず、あの国の砲弾は標的を正確に狙い打てます。)

200年以上鎖国を続けてきた黒の国は、2年前、突如藍の国に攻め込み、僅か1年で制服すると、直ぐに翠の国に攻め込み、これもまた1年でほぼ全土を掌握した。翠の国が情報を集める間など殆どなく、自国の対応であたふたしている間に王都を占領されてしまい、国としての機能を失った。そのため、黒の国の情報をラルバはほとんど持っていない。ただ一つ軍人としていえるのは、兵器に圧倒的な差があることであった。命中精度も射程距離も、黒の国は大きく進んでいた。最初の大規模な空戦で、翠の国の戦闘機は一発の銃弾を当てることも出来ずに全機撃墜された。どの戦闘機も射程距離に入る前に敵の砲弾に狙い撃ちされていったのである。こうして制空権を奪われると、後は蹂躙されるだけだった。民は皆空襲にやられていく。軍の主要施設、工場は軒並み狙い撃ちされ、その機能を失っていった。残された人々は塹壕を掘ったり洞窟にこもり、進軍してきた黒の国の兵士たちを果敢に狙撃した。しかし、その兵士たちも火炎放射器に焼かれ、毒ガスを浴びせられていったと聞いている。気づけばラルバの拳は固く握り締められていた。一体どれだけの無辜(むこ)の民が殺戮されていったのだろうか。これほど惨(むご)い戦争が、かつてあったか。

(ラルバ殿!)

はっと我に返る。

(申し訳ない。考え事をしていました。)

(無理もないです。ラルバ殿もお疲れでしょう。ですがもう一つお聞かせ下さい。翠の国の戦闘機は、空中で燃料を補給することはできますか?)

(…質問の意図が解りません。給油は地上で行うものです。)

ノノウは深く頷いた。ラルバにはその意味が全く解らない。


ラルバと話し終えて、ノノウは最南鎮守府へと帰途についた。やはり間違いない。ノノウは確信した。南海事件の際、戦闘機がここまでやって来れたのは燃料の影響だろう。黒の国の使っている燃料は、きっと蒼の国よりずっと素晴らしいものなのだ。南海事件の時に飛んできた戦闘機はおそらく、黒の国が見せしめに翠の国の戦闘機を飛ばしたのではないだろうか。航続距離2200Kmをここまで飛ばすとは、一体どれほど燃費が良いのか、その燃料を使えばミューナはどこまで飛べるのか…。そこまで考えた時、ノノウのスマホがなった。見慣れない番号である。とった瞬間、絶叫がノノウの耳を襲った。

「サウスオブコントロールよりノノウ殿へ!正体不明の飛行体30機を探知!距離500Km!編隊を組みつつ、時速1000Kmでこちらに接近中!」

「直ちに南一空(最南第一飛行隊)に連絡!スクランブルで発進させて下さい!」

ノノウは頭を抱えた。敵の動きがあまりにも早すぎる。国は二人のトップを失って以来、何の指示も出せていない。何も出来ないのなら、せめてメルを返して欲しかった。国葬は伝統とはいえ、何故最前線の司令官を取り上げられないといけないのか。伝統にこだわって国が滅びたら、元も子もないではないか。

しかし、今更どうすることも出来なかった。頼れるのはミューナと最南第一飛行隊のみである。メルに任された以上、見届けなければならない。この戦闘は、蒼の国史上初めてのミサイル搭載機同士の空戦、そして蒼黒戦争の幕開けになるのだ。

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