第17話 2日目...6
「あれ」
ニコルが不意に足を止めて振り返った。亮司も眉をひそめて同じものを見る。工具と台車、空になったポリタンクが散乱している運転の停止した工場。特に何か目を引くようなものがあるようには見えない。他の二人も、その行動の意味を測りかねるといった顔をしている。
「なんか妙な感じがするね?」
上機嫌ですらあったニコルの顔から温度が消える。シャッター扉の手前まで来ておきながらいきなり踵を返し、寄生虫色の髪を振り乱しながら工場内を見回す。
「ねえ、この工場って裏口ある? えーっと──」
「クローニン」黒人男が言った。「ショーン・クローニン」
「おじさんアイルランド系?」
「ひどくね? まだ20台なのに。それはそれとして、裏口は無いけど窓はあるぜ」
そう言って、ちょうど頭の高さにある半開きの窓へ顎をしゃくった。先ほど敵が裏から侵入しようとしていたもので、その際には当のクローニンが見事な手際で追い払っていた。
「あそこから工場の裏手に出ようか。一人ずつなら通るのも簡単だろうし」
「おいおい、いくらなんでも意味が分からねーな。まだ裏には敵が潜んでるだろうし、あんなところからもたもた脱出してたら100%撃たれるぜ」クローニンが上がり切ったシャッター扉の方へ手を向ける。「あそこから全員で一斉に飛び出せばいいだろ?」
「あっちには白い馬が見える。じきにトランペットと笛の音も聞こえてくると思うよ」The Man Comes Aroundの一節をうたってニコルが工場の奥へと向かう。「多分、もうすぐ分かるよ」
クローニンが頭の横で人差し指をくるくる回す。奇行に慣れてきたはずの亮司であっても、その予言者気取りの行動は目に余った。「おい、状況を考えろよ」
爆発が起こる。男三人がとっさに伏せてシャッターの方に銃を向ける。本物の爆発ではなかったため火災は発生していない。爆発の後は断続的に銃撃音が遠くから聞こえた。
「少ししたらもっと混乱すると思うから、その隙に逃げよう」
今度はニコルの手招きを拒否する人間はでなかった。脚立を窓の下に置いて、いつでも出られるように準備をしておく。
銃撃が近づいてくる。外の睨み合いに新しく誰かが乱入している。
ニコルが窓から外を見る。「リョージくん」
名前を呼ばれて亮司は舌打ちした。「また俺からかよ」
「一番運動神経いいからね。目の前に雑木林があるから、そこに突っ込んで」
亮司は窓枠に手をかけて一気に外に躍り出た。手に道路の砂利の感覚を残して加速する。
工場の脇からヘアバンドで髪をまとめた若い男が姿を現す。少し驚いた顔をしたあと、マイクに向かって呟く。「おい、読みが当たったぞ。裏から逃げようとしてる」
相手の男が撃ってきた。亮司は走りながら身を屈めて片手で撃ち返す。ろくに狙いをつけてもいないため弾はあらぬ方向へ飛んでいった。
ヘアバンドの男が鼻で笑って追ってくる。そこに窓から現れた二番手のクローニンが割って入った。銃床を肩に当てた綺麗なフォームで綺麗に胴体に光弾を命中させる。
男が煩わしげに片方の眉を上げてクローニンの方に向きなおった。そのまま足を止めてじっくりと狙いをつけ、膝立ちのクローニンを狙う。
「走れ!」
今度は亮司が援護に回った。ヘアバンドの男に向けて引き金を引きっぱなしで撃つ。弾が命中する。男は──そんなことなどお構いなしにクローニンを狙う。
削れていくクローニンのライフ。微動だにしないヘアバンドのライフ。
「おい、無敵になれるスキルってことか!?」亮司が叫んだ。
『いや、これは──』このゲームで初めて聞いたナビゲーターの狼狽えた声。
男の横っ面にグレネードが命中して大きな爆発が起こる。クラッチの投げたものだ。窓からは最後の一人であるニコルが出てくるところだった。敵がこちらを見失って銃撃がそれる。閃光を演出しているゴーグルを外してヘアバンドは悪態をつきながら銃を撃ちまくった。
自分の撃った弾が見えていないせいでヘアバンドの攻撃は亮司たちの頭の上を素通りしていく。その隙に雑木林の中に駆け込んだ亮司は、ニコルが目玉を抉り取った死体から密かに奪っていた【ノイズメーカー】を発動する。
対象の頭上に表示されたIDを指定。ゴーグルをつけ直したヘアバンドが、ヘッドセットから垂れ流される甲高い雑音に悶絶して反射的にゴーグルを投げ捨てた。
雑木林の中で合流を果たした4人はひたすら走る。乱立するクヌギを避けながら時折振り返る。途中まで追ってきていたヘアバンドは足を止め、顔を赤くしながら罵詈雑言を飛ばして無駄弾をばら撒いていた。
『もしかするとですけど──すげー馬鹿みたいに単純な理屈かもしれません』
「何がだよ」走っているせいで亮司の声は上下に弾んでいる。
『相手の体力が減らなかった理由ですよ』
「無敵──カリーナの【インビンシブル】みたいなスキルってことだろ?」
『いえ、正確に言えば、減ってたんですよ。グレネードを食らった時に、ミリ。もちろんダメージを軽減するスキルって可能性は捨てきれないんですけど、よく考えたらもっと簡単で、効果がゲーム中に永続するやつがあるじゃないですか。そう考えればあの余裕の態度も妙に納得がいきます。制限時間があるって感じじゃなかったですからね。逃げる素振りすらなかった』
「あるわけないだろ」
そんな手段が存在していたらゲームが成り立たない。遅れて距離が離れたクラッチを待つために亮司は速度を緩める。
『初日に説明したでしょう? ライフを増やす手段』
「………………は?」
追いついたニコルが大口を開ける亮司に声をかける。
「え、なに、どうしたの?」
「いや……俺のナビゲーターがすげーアホみたいなことを言ってる」
「なんて?」
亮司は頭痛を堪えるようにゆっくり首を回した。「あのヘアバンドの男、ライフを買ったんじゃないかって。10億? 20億? どれくらいか分からないが……」
撃たれた程度では微動だにしないライフ。少なくともこのゲームで勝ち残って手に入る額では到底とどかない。
「馬鹿げてる。そんな金があったらわざわざこんな──」
「可能性の一つとして考慮すべきだと思う」息の切れたクラッチが木の幹に手を置いて咳き込んだ。「すまない。しかし、そういう度し難い人間も世の中にはいるってことさ」
男三人の目が吸い寄せられるようにニコルへ。極めて不満げな表情でニコルは鼻を鳴らした。
「まーいいんだけど。でもそれが本当だとすると、ちょっとまずい展開かもね」ニコルが自分のコンソールを操作して声を上げる。「あーやっぱり。このゲームってプレイヤー間で資金の融通はできちゃうんだよねー」
SNSのリンクが送られてきた。たったいま書き込まれた発言。
〝【@5BgwFi8j】、【@HQH9NBs6】、【@sNagQD7N】、【@JG8dcbUW】、これらのIDを持つプレイヤーを発見したら連絡をくれ。有力な情報には最大で100万ユーロを用意する〟
亮司、ニコル、クラッチ、それからクローニンのID。誰の書き込みであるかは一目瞭然だった。
「ええ? なんだよ? 俺だけ蚊帳の外にするなって」一人だけ別チームでチャットが見れていないクローニンが亮司の肩を揺さぶる。
「SNSを見てみろよ。俺たち4人に賞金がかけられたってことさ」クラッチが途方に暮れたように遠くを見ながら言った。
ややあって、言われた通りにヘアバンドの発言を確認したクローニンが笑った。
「俺もそっちのチームに入れてくんない? 3人より4人で協力した方がいいだろ?」
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