第16話 2日目...5
リカルド・ダンヌンツィオは初め、これをなんてことはない小旅行だと思っていた。大学で定期船事業における航路別の業績推移について論文を書き終えて肩の荷が下りた直後に友人のミックに誘われて、まあ息抜きにはいいかと2つ返事で了承したはいいものの、どうもいつもと雰囲気が違うことに気付いたのは、チャーターした飛行機に乗る直前のことだった。
「いつもの女の子たちはどうした?」
ミックはなにかにつけて用意がいい。家柄や育ってきた環境が自分と似ているというのもあるからか、女も、酒も、薬も、リカルドがそれを欲しいとなんとなく思った時には、いつもあたりまえのように彼がそこに用意していた。だから、今回の旅行にも、自分たちの金か家名で釣った女が1ダースほど準備されていると思っていた。ところが滑走路のどこを見渡しても飛行機のパイロットと自分とミック、それから羽目を外すときには大体一緒につるんでいるファビアーノしかいない。
「今回は行き先が行き先だからな。さあ、乗ろうぜ」
ミックが搭乗を急かす。肝心の目的地については勿体ぶって一言も言おうとしない。それならそれでいいさと鷹揚に手を振ってリカルドはタラップに足をかけた。
フライトは数時間で終わった。適当なものをつまんでビールを飲み、最近のニュースや近隣の情勢について皮肉り、キャリントンの画集を抽象的すぎるとこき下ろしているうちに、雲の裂け目から真っ青な海の上に浮かぶひとつの小さな島が見えてくる。
「どうだ? 驚いたか?」
向かいに座ったミックがにやついている。その得意げな表情も、なにがどうだ、なのかについても、何ひとつ理解できない。
「いい加減説明してくれ。察するに、種明かしの時間なんだろ?」
初めはこちらがとぼけているとでも思っていたのだろうミックの顔から段々と薄ら笑いが消えて困ったような表情になる。
「本当に知らないのか?」
「いや、だから何がだよ。あの島が何か特別なのか? リゾート地にしては妙に寂れてるというか、ホテルも何かみすぼらしいし」
「リカルドお前、親父さんから何も聞いてないのか? 俺たちはてっきり──」
事情を知っているらしいファビアーノの言葉にリカルドはさすがに苛立ちがつのってきた。シートベルトが伸びるほど身を乗り出す。
「だから、何のことかわからない。説明してくれ。1から」
微かな怒りを感じ取って顔を見合わせる二人。ミックがおずおずと口を開いた。
「あの島ではゲームが行われてるんだ」
「ゲームねえ」
「最新技術を使った、ね。勝てば大金が手に入る。といってもせいぜい100万ユーロもいかないくらいだが。その代わり、負ければ死ぬ。そういうルールだ」
リカルドは思わず面食らってのけぞり、背中のシートにぶつかった。
「死ぬって……たかだかゲームで?」
「そうさ。まあ、普通の人間にとってはそれくらいのリスクを背負うだけの価値があるってこと、なんだろう」
「まさかとは思うんだが──」
「ああ」ミックは頷いた。「これから俺たちもそれに参加しようってわけだ。もちろん来るよな?」
リカルドはビールの残りを飲み干して紙コップを握りつぶした。
「馬鹿げてる。いま、自分で命がかかったゲームだって言わなかったか? いや、それより、なんで俺がこんな頭の悪い集まりのことを知ってるなんて思ったんだ?」
ファビアーノが苦笑した。「いや、だって、お前の親父さんは出資者のひとりだろう?」
予想だにしていなかった展開にリカルドが言葉を失ってかくかくと口を動かす。とっさに反論しようとしたが、絶対にないと言い切れるほど自分の父親について何かを知っているわけではなかった。年末年始やクリスマスといった何かの節目にしか家にいない父親。会話らしい会話などは無いし、いつも四角四面の態度をしていて、顔を合わせればどこかで聞いたような訓戒をこちらの話も聞かずに一方的にまくしたてる。言葉を交わした回数だけでいえば、いま目の前にいる二人の方がよっぽど多いに違いない。
「……百歩譲って俺の父親が関わってたのが本当だったとしてだ、だからって、わざわざ殺し合いに参加する必要なんかないだろ?」
「まあ聞けって。そのゲームってのはローテーションで色々とルールや場所を変えてるみたいなんだが、今回のやつは必勝法があるんだよ。そのためにエドゥアルドが先に島に入って準備してるんだ。聞けばきみも納得する。絶対に、負けないやり方だ」
「そろそろ着陸しますよ」
コックピットから機長の声がした。リカルドをなんとか説得しようとミックが大仰な手ぶりで訴える。
「なあ、このあいだ遊びにいったとき退屈してたろ? 何か刺激が欲しいって言ってたよな? だから色々調べて、わざわざこんなサプライズを用意したんじゃないか。まあこのゲームについて知れたのはほとんど偶然だったし、きみの親父さんの名前をちょっと臭わせたおかげでもあるんだけどさ。まさかとは思うが今さらいい子ぶろうってわけじゃないよな? きみが後先考えずにヘロインをプレゼントしまくった挙句に中絶させたあの女がいまどうなってるか知らないわけじゃないだろ? あんなことがあったっていうのに、俺たちは懲りずに何度もバカ騒ぎを繰り返してる。なあ、あの島に行けば──人が殺せるんだぜ? 当然、罪に問われることなんてない。お互いフェアな条件でプレイするわけなんだからな。それに、どうせ死ぬのはまともに働きもせずに楽して大金を手に入れようと好き好んで参加してきたろくでなしどもなんだ、これっぽっちも気に病む必要なんかないね」
リカルドはそっぽを向いたまま考えていた──自分の父親がそのゲームとやらに関わっている? あの真面目ぶった、いかにも清廉潔白そうな顔をした父が? 自分だって祖父の事業を継いだだけのくせに、いつも上の立場から偉そうに見下ろしてくる、もっとはっきり言ってしまえば──いけ好かない男が?
ミックとファビアーノが固唾を飲んで見守るなか、リカルドは言った。
「詳しい話を聞かせてくれ」
1日目、バラバラの初期位置に配置された3人はすぐにチームを抜けて合流を果たし、その後は好きにふらついて思うままに狩りに興じていた。
リカルド・ダンヌンツィオは──楽しんでいた。初めは父親に対する当てつけのつもりでしかなかったが、ゲームは思いのほか悪くなかった。この臨場感はTVの画面を前にただコントローラーを握っていたのでは味わえない。走って、考え、構えて、撃ってと全身を動かして汗をかく行為にはやはり爽快感がある。
「ちょっとゆっくりしすぎたんじゃないか?」
少し前に寄った工事作業員用のプレハブ跡地で見つけた乾パンを口に入れたままファビアーノが言った。手に持った袋にリカルドは横から手を突っ込む。
「そのおかげで腹ごしらえ出来ただろ? それに、もうすぐさ」
手を叩いて粉を払い落とし、口の端に引っかかった乾パンの欠片を舌で舐めとった。今朝方買った情報──食料があるとリークした座標までは、いま歩いている道路をそのまま真っすぐ進めばじきに到着するはずだった。
島の道路は舗装されてこそいるが長い間メンテナンスされずにほったらかしにされているようで、そこかしこから雑草がアスファルトを突き破って頭を出している。道路の両脇にある伸び放題の雑草のせいで畦道を歩いているようでもあった。
リカルドたちが談笑しながら通り過ぎてすぐのことだった。草むらに伏せていたと思わしき数人の男女が一斉に姿を現し、ゆっくり肩越しに振り返ろうとする3人の無防備な背中に対して即座に銃撃を加えた。
光弾を正面からぶち当てられた眩しさに目を細めてリカルドはゴーグルを持ち上げて裸眼で敵の数を数える。「5人。競争だな」
ゴーグルをはめ直し、敵の弾を避けるでもなく正面から食らいながらリカルドは銃を腰だめに構えて撃ち返した。
敵の一人が倒れる。二人目はミックのスコアになった。そこでようやく何かがおかしいことに気付いた敵のひとりが背中を見せながら悲鳴のように叫んだ。「逃げろ!」
残りの三人がバラバラの方向に逃げる。リカルドたちは顔を見合わせ、こちらも三手に分かれてそれぞれ敵を追った。
リカルドが追ったのは撤退の合図を行った男だった。服の上からでも肩や胸の盛り上がりが分かるほど屈強な肉体をしており、クルーネックTシャツの腕の部分は今にもはちきれそうだ。
殴り合いなら勝てそうにもない男が、いま、必死の形相で逃げている。汗を撒き散らし、腕を振り回し、時折背後を振り返って追ってくるリカルドとの距離が開かないことに顔を歪めている。
悪くない感覚──自分にこんな悪趣味な一面があるとは思ってもいなかった。リカルドは趣味のテニスで鍛えた体力を存分に発揮した。草花を足蹴にしながら土手を上って用水路を一歩で飛び越え、植林されたケヤキの間をすり抜けながら追う。
この圧倒的に有利な状況でリカルドは撃たない。撃ってしまえばそこで終わってしまう。それではあまりにも味気ない。相手が走りながら撃ってきたときにだけ追い立てるように同じだけ撃ち返した。
我慢比べは前を走る男が道端の砂利に足を取られたことで終わりを迎える。道端に積み上げられた土砂に頭から突っ込んで転がり、酸欠のあまり嘔吐する男の横で、リカルドは膝に手をついて息を荒げながら言った。
「ゲームオーバーだな」
男の目は潤んでいる。吐いたせいだけではない涙。「助けて──」
リカルドは撃った。命乞いの途中でライフが0になった男の体が痙攣して口から泡を吹いた。
「そっちの様子は?」リカルドは息を整えてから仲間に向けて通信を送る。
≪こっちもいま終わった≫ミックの応答。
≪マジかよ。俺が追ってる爺さん、建物の中に逃げ込みやがってよー≫
ファビアーノが苛立たしげに何かを蹴る音。リカルドは笑って顔の汗を伸ばしたシャツで拭いた。「もう切り上げろよ、お前の負けだファビアーノ。晩飯は先に俺たちが選ぶからな? さあて、そろそろ餌に食いついた連中を狩りに行こうじゃないか」
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