第11話 1日目...11
「ごきげんよう、ドクター」
島内の端に設けられた観戦者用のホテル。モニタールームで各所の機器が正常に動作しているかチェックをしていたゼーラ・ユルマズは背後からの声に振り返った。
光沢のあるモヘアツイルのスーツ、モンテグラッパのカフリンクス、オメガの時計で完全武装した中年男性が柔らかな笑顔をこちらに向けている。ゼーラは笑顔を浮かべて作業を中断し、仏頂面をした自分のボディガードを一歩下がらせて握手を求めた。
「お久しぶりですシニョーレ。こちらへお越しになるのは珍しいですね。何か私の方に不手際が?」
ゼーラが尋ねると、リオネッロ・ダンヌンツィオは痛痒を覚えたような皺を顔につくった。
「いえいえ、そういうわけではありません。その、身内の恥をさらすようでいささか口にしにくいのですが、実は今回のゲームに息子が悪い友人連中に唆されて参戦していることを知りましてね」
「それは、また」
ゼーラが口元を押さえて言葉を濁す。聞いてもいないのにリオネッロは弁明を図ろうとする。
「私の耳に入ったのはつい先日のことでした。きつく躾けてはいるつもりですし、まったくの物を知らずに育ったというわけでもないのですが、どうにも息子は反発しがちな年頃のようでして」
「そういうことでしたか」ゼーラは委細承知したといった顔で頷いた。「こちらへはご子息の参加の取り消しを行いに?」
リオネッロが首を横に振った。「いえ、他のスポンサーの手前、私だけが横車を押すというのも憚られますし、そのせいでゲームがご破算になっては恥の上塗りです。あくまでルールが許す範囲での支援を行うつもりです」
「お心遣い、感謝いたします」
ゼーラが手を揃えて頭を下げる。リオネッロはやや大げさに慌ててみせた。
「顔をお上げくださいドクター。私は別にクレームをつけに来たわけではなく、あくまでご挨拶に伺った次第でして──ああ、そうだ、この後お時間はありますか? 美しい女性の顔を曇らせてしまうなどイタリア男の名折れです。ここのレストランには腕のいいクォーコが揃っていることですし、今晩、どうでしょう?」
「ありがとうございます」ゼーラは微笑んだ。「ぜひご一緒させていただきたいところなのですが、このあとに集めたデータの整理と不審者が参加していないかのチェックがありまして」
リオネッロは食い下がらなかった。いかにも手慣れた仕草でゼーラの化粧っけのない手をとり、白い甲に口づけをする。
「暫くの間こちらに滞在するつもりですので、お時間に余裕ができたときにでも」
いつでもご連絡をお待ちしていますと言い残し、リオネッロは洗練された動きで一礼してモニタールームを去っていった。
ゼーラはリオネッロの唇の感触が残る右手をふらふらさせて助手の一人を呼びつける。
「フーバーくん、後の仕事は任せた。何かあったらすぐ私に報告してくれ。夜中だろうと叩き起こしてくれて構わない」
曖昧な引きつり笑いで頷く痩身の青年に言い渡し、ゼーラは自分のラップトップを掴んで白衣を翻した。蛍光灯の光を反射する廊下を抜けて角を曲がり、突き当りのエレベータへ。ボディーガードはぴったりと後ろへ着いてきており、今は盾になるようにエレベーターのドアの前を陣取っている。
居住エリアとして用意された8Fへ到着。掃除の行き届いた絨毯の上にパンプスで足跡をつける。部屋番号0821のロックを開けて中に入るまで、誰ひとり従業員とはすれ違わなかった。
「クラーーーーク!!」ゼーラが叫んだ。「消毒だ! あと消臭スプレーも持ってこい!」
一緒に入室した壮年のボディーガードは肩をすくめてベッド脇のナイトテーブルから雇い主の要求通りのものをつまみ上げた。
ボディーガードからスプレーを取り上げ、ゼーラは右手にしつこくガスを吹きかける。
「危うく腐り落ちるところだった……なんてことをしてくれるんだあのおっさんめ!」
「悪い方ではないように思えますが」
ボディーガードの一言にゼーラが眼を飛ばす。
「服のセンスがよくて顔が整ってて清潔で多少の学があって商売が上手いってだけだろ!」
ゼーラの投げたスプレー缶をボディーガードが空中で拾い、もとの位置に戻す。「十分なように聞こえますが」
「奴は金持ちの二代目だ。それなりの教育を受けているし、だったらあれくらいになれて当然なんだよ。表面上はそれを鼻にかけてないような素振りのくせしてるが、その実ほかの人間を見下しているに違いないぞ。海運で財を成した先代の助平爺は確かに傑物だったが、それに比べれば数段格が落ちるな!」
ジェフリー・クラークはそこまで出かかった皮肉を飲み込むように喉を動かした。
「遠慮せずに言え。きみが殊勝な態度を見せても気持ちが悪いだけだ」ゼーラがぶっきらぼうに言った。
「さすが、若くして富豪たちから支援をとりつける美貌の才媛は手厳しくあらせられると思っただけです」
「それで皮肉のつもりか? 私は死に物狂いの努力をしてこうなった! この見てくれも頭脳も私の血と汗の結晶だ! 誇って何がおかしい!」
ゼーラは髪留めを外して木製の引き出しチェストの上に置いた。鮮やかなプラチナブロンドが蝶の羽のように広がる。
「そんな私が! あんな凡人の顔色を窺わなきゃならないときている! ああああああああああああああああああああ腹立たしいいいいいい!!! ただ五感情報通信と脳科学を思う存分研究したいだけなのになんでこんなに金がかかるんだよもおおおおおおおお!!!!」
白衣も上着もタイトスカートも脱ぎ捨てたゼーラは床に散らばっている使い古したワンサイズ大きいパジャマを拾い上げて身に着け、ベッドの上にうつ伏せに倒れ込んだ。
「はあー、辛すぎる。やりたいことのために毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日下げたくもない頭を下げて売りたくもない媚を売らなければならないとは……研究者としての第一義さえまっとうできるならこの程度なんてことはないだろうと思うかもしれないが、狭量な自尊心を持つ私には耐えがたい苦痛だよ。魂が汚れてしまったと感じる」
ボディーガードはその愚痴を無視して奥のキッチンで飲み物と軽食を用意している。ゼーラは舌打ちしてベッドの上をのそのそと芋虫のように動き、リモコンで200インチを超える部屋のモニターの電源を入れた。いま、まさにゲーム真っ最中のプレイヤーの映像が映し出される。
建物の物陰で真剣な顔を突き合わせての作戦会議をしている男女。カメラを切り替える。とても当たるとは思えない距離をおいてのおっかなびっくりとした撃ち合いの真っ最中。カメラを切り替える。両手を前で組んで命乞いをする女に銃を突きつけた二人の男がどちらのカウントにするか話し合っている。カメラを切り替える。血濡れの死体が転がる横で女が男の上に跨って顔を近づけている。
「おっ」
ゼーラは跳ね起きてモニタに近づいた。その男女は少年少女と言っていい年齢だった。男は死にかけで、女は銃を突き付けている。
「何か面白いものでも、博士?」
クラークがトレイに乗せたソーダ水と素焼きのクルミを床の上にあぐらをかいたゼーラの隣に置いた。ゼーラはクルミを掴んで口の中に放り込んで言った。
「知らないのか? ボーイ・ミーツ・ガールだよ。つまり青春真っ只中ってやつだ」
「ほう、これがそうでしたか。無知で申し訳ありません」クラークは灰色の顎髭を撫でていかにもボディガード然とした直立不動の姿勢をとる。
少女が少年の眼球を舐める。いささか特殊な求愛行動──ゼーラは足の上に乗せた管理者用のラップトップPCを使って全プレイヤーのデータから該当する人物を探し当てる。
女の名前はニコル・ユアン。少女はその昔、カラスのように光り輝くものを集める習性があったらしいが、それがどういう経緯で人間の瞳に変わったのかは記載されていなかった。定期的に他の邸宅に侵入しては目をえぐりぬいて持ち帰り、コレクションとして自室に隠し持っていたらしい。その数、なんと47。凶行が両親に発覚するなり眼球と金を奪い取り、何人もの負傷者を出した逃亡の末に捕まったとある。
少年の方はリョージ・マエシマ。日本人としては平凡な家に生まれ、参加理由も父親の借金と、一見するとありふれたものだった。
「男の方はともかく、女の方は劇物ですね。誰が連れてきたのかは知りませんが」PCを横目で覗いていたクラークが言った。
「そうだな」
言葉とは裏腹にゼーラの興味は少年の方へ向いていた──ちょっとした勘。
このゲームに対するゼーラ・ユルマズのスタンスは単純だった──殺し合いでもなんでも勝手にやってろ。
主任技術者として、また、いち科学者として上がってくるデータには多少の感謝の念こそ抱くが、一晩過ぎれば綺麗さっぱり忘れてしまう程度のものであり、望んでゲームに参加した馬鹿どもにかける憐憫の情は持ち合わせていなかったし、構造的搾取だなんだとのたまうほど暇ではなかった。
彼らのいる建物のカメラとマイクのログを眺める。ゲーム開始から現時点まで少年のとった行動、思想、ナビゲーターとの会話がつまびらかにされる。
ゼーラは笑った。少年の言行には頑迷な矜持を感じる。愚かさの中に純粋なものが混じっている。それが、自分がいまの立場になるまでに曲げ、捨ててきてしまったものとだぶる。
ゼーラは自分の口座から画面の二人にそれぞれ10万$、1000万円を振り込んだ。
クラークが微かに眉を動かす。「おや、珍しいですね。参加されるのですか」
「まあ、たまにはね」
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