第4章その4 子供を雇った青年と新人の初仕事
「ご、ごめん、なさい……。」
「いや、お前のせいじゃない。いいか、これからごめんなさい、は禁止だ。じゃなきゃお前、ずっと言いそうだし。」
やけに真剣に語る所長の様子は、いつも通りに見えて違うように映った。まず、頭にぽんぽん手を乗せるアレがない。次に、どうして私のせいじゃないのかを語ろうとしない。この時点で様子が変だと思ったのだ。
「なんか、変です。」
気がつくと、ど真ん中ストレートで口が喋っていた。
「いたって普通だろ。何が変だっていうんだ?」
その手の震えを、私が見逃さないとでも思ったか。その手の震えに表れている怖さを、見逃さないとでも思ったか。
「手が、震えています。それに、帰ってきてからずっとどこか私を見ようとしない。最近よくする頭ぽんぽんするアレもない。私が悪くない理由を語ろうとしない。……何かあったんですか?」
あぁ、私の口はなんてお喋りなのだろう、とこの日ほど後悔した事はない。頭の中にあったものを全て突き出してしまった。机上に紡がれた言葉は、deleteボタンをはじめ世の中にわんさかある消すための道具で消せる。でも、口から出た言葉は、「今の忘れてください」なんて甘い言葉では消えない。あぁ、私の口はなんてお喋りなのだろう。誰か、答えてほしい。私がこの口を嫌いだと削ぎ落す前に。
「とりあえず何もないから心配するな。」
「でも様子が変なのは気になります。あ、もしかして様子が変なのは気になる、も禁句ですか?」
「禁句じゃねぇが、とりあえず静かにしてくれ。一人になりたい。」
いつも以上にそっと閉じられたドアをじっと見つめる。じっと見つめたからといって答えが聞こえてくるわけではない。でも私はそこから答えが出る事を祈っている、どこか胸に風が通り抜ける穴が開いているような感覚と共に。「一人にしないで」、そう叫んでいる女の子と父親のドラマを見た事があるのだが、これはその時の女の子が感じていた寂しい、という感情と同意なのだろうか。
「貴さんは殺人、ってワードが怖いだけだよ~。」
「どうしているんですか。」
「ひどい、帰っても暇だからいるのに!」
ぼくは隅で泣いてくるよ、と言い残しわざとらしくしくしくとその人は泣いていた。
「まあ真面目な話、」
「急に切り替わらないでください。」
「うっ。まあ急にスイッチが入るからしょうがない。それはそれとして、真面目な話、」
「はぁ。」
「貴さんのご両親は、殺されたんだ。しかも幼い貴さんの目の前で。」
「……。」
「残酷は話だよね、子供の前で親が殺されるなんて。しかもその犯人はまだ捕まっていない 。もちろんぼくの部署に資料は保管されている。警察内部でもかなり有名な未解決事件だよ。」
「子供の、目の前で親が殺された。」
「そう。ただ犯人も今生きているのか死んでいるのか分からない。事件直後、忽然と姿を消した犯人の行方を知る人間は誰もいない。目撃証言もなし。だから、こう噂されているんだ、」
「うわさ?」
「うん、犯人のいない殺人事件、って。」
犯人のいない殺人事件、なんて綺麗に見えて奇妙な噂の名前だろうか。今回の事件よりもそっちの方が気になってしまう。ダメだダメだ、私はきちんとあの人と話す術を見つけなければ。
「ん、もしかして、苦戦してる?」
「ど、どうして分かったんですか?」
「まあさっきの会話を聞いた感じだと苦戦しているのかなぁと思っただけ。それに、君がコミュニケーションに慣れていないことは貴さんから少し聞いているよ。」
「それは。」
それは、人と会話した経験が少ないからだ、とは言い出せなかった。もしかして、所長は全て喋ったのだろうか。そしてこの人は全てを知っている。でも悟られないようにあえて深い所は知らないよという雰囲気を出しているのか? もしもそうだとしたら、信用してはいけない人間が二人もいることになる。
「学校に馴染めなくて家にずっといた、家族とも馴染めなくて出てきた先でここに辿り着いた、って聞いたけど、合ってる?」
「え、あ、え、そう、です。」
嘘だが、きちんと筋の通る指摘すべきポイントのない嘘で正直驚いた。所長は嘘をつけない人のように見えて嘘をつくのが実は得意なのだろうか。
「まあ人とのコミュニケーションって難しいからねぇ。ぼくからアドバイスできることは慣れていくしかない、このくらいかな。まぁあるにはあるんだけど、色々言って困らせるのもよくないと思うし。」
何より困らせたら貴さんに怒られそうだしね、とふにゃっとした笑顔でこちらを見た。その笑顔に不覚にもドキッとしてしまった。さすがに本人に言うのは失礼なので心の中で言うが、この整った顔立ちが緩むと想像以上に可愛かった。
「今でこそ未解決事件を次々と解決へと導く貴さんだけど、昔は本当に交渉が下手だったんだ。」
「下手、というと?」
「そうだねぇ、一言で説明するなら、結論をすぐに言っちゃうところかな。」
「結論。」
「そう、出会った人にすぐ犯人ですかってく癖。普通は犯人かどうか断定するのはちゃんとしたコミュニケーションあってのことなんだけどね。でもなかなかその癖が抜けなくて、聞くたびに相手に怒られて沈む、そんな事を繰りかえしていたよ。まあ最初の頃しかついていかなかったけど、何がおかしいのか考えてはノートに書いていたなぁ。」
「勉強熱心ですね、意外と。」
「見かけによらずね。ノートとにらめっこなのは日常茶飯事だったよ。」
「……あの何でも喋りたくなってしまう雰囲気は全て感覚だと思っていました。」
それも、勉強熱心なあの人が様々な人とのコミュニケーションから見につけたものなのだろうか。
「ははは、それは違うよ。その雰囲気だけは元から備わっているんだ、羨ましいよねぇ。」
元から備わっているとは、少々驚きだった。あの見た目からは想像できない彼の優しさが滲み出ている証拠なのだろうか。言い換えれば、隠しきれていない所が魅力なのかもしれないが。
「私も、同じような切り出し方をしてしまって、相手に怒られてしまいました。」
と、笑顔につられたのかなぜか自分の失敗をさらりと打ち明けていた。まだ信頼出来る人間だと認めたわけではない、はず、なのに。
「犯人ですか、って聞いちゃったの?」
「殺人犯だと聞いていたので、私の人を殺めることに対する持論を展開しました。その話を聞いた瞬間とても怖い顔を私に向けてきました。何が悪いのか最初はわからなかったですけど、所長が代わりに相手の怒りを吸収している姿を見て、私の切り出し方が悪かったことに気がつきました。……知らない人と向き合って話を切り出すとは、難しいですね。」
「それが簡単に出来るなら、誰も苦労はしない。」
「?」
「って貴さんがこの場にいたら言いそうだなと思って。どう、似てた?」
「所長なら、そんなにカッコつけては言わないと思います。」
「うっ、厳しい。分かるけどねぇ、だって貴さんの言葉はカッコつけなくてもひとつひとつかっこいい。文字として表れないのに、なぜか輝いて見える、そう思ったことはない?」
「輝いて見える?」
「そう、貴さんの顔が沈んでいようが、土砂降りだろうが、その言霊の近くだけは色が違って、光を帯びているように見える。そう、顔が沈んでいてもね!」
「うるさい、ばっちり聞こえてんぞ。」
声のトーンはいつにも増して静かなはずなのに、頭をはたく一発で恐ろしさが数倍にも増した。痛い痛いと転げ回る姿は大人というにはあまりに――いや、ここからは私の心の中だけに閉じ込めておこう。
「ちゃんといつも通りですか?」
「ん、まああいつのせいで落ち着くことを阻止されたがな。ちゃんといつも通りだ、安心しろ。」
――――――ぽんっ。
いつも通り、頭にあたたかい手が乗った。わしゃわしゃとする感じもいつも通りで少しだけ安心した。でも嘘をつくのが上手い人だ、安心するわけにはいかない。
「
「辞書だ。うるさい奴はしばらく寝て頭冷やせ。」
「いや辞書だってさらりと言える神経は疑わせてくださいよ……。」
何も言われていないかのように無視し、所長は話を切り替えた。その様は一種のコントを見ているようで少しだけ面白かった。
「話を聞いた限り、今日会ったあのマンションのデザイナーで犯人は確定だろう。」
「どうして、そう言い切れるんですか。」
「あら、あんなにも惨い写真を平気で送りつける人間だから、薄汚い部屋にこもりっきりの身だしなみにも気を遣わない女性だと思っていたのではないの?」
「?」
「最初にあの女が口にしたことだ、写真の内容を知っている奴は犯人か警察内部のごく限られた人間だけだ。あとは俺達だけ。名前もご丁寧に書いていることだし、あいつが犯人である線が濃厚だ。あいつが俳優で、あれが演技じゃない限り。」
「ドラマの世界のような表現方法、ですか?」
「そういう事だ。ドラマの世界は全てフィクション。それを生みだす人間は沢山いるし全て欠かすことの出来ない存在だが、今必要な知識は脚本家が紡いだ言葉とそれを自身の声と体で色を付ける俳優、出揃った色を引いたり足したり、調和したりする演出家の3つ。」
「その俳優の役目を担っているのが、あの人ですか?」
「現実味を帯びた話だとは考えないでくれ。あくまで俺が考える可能性だ。」
私にはなかった可能性の引き出しをさらっと開けたはずがすぐに閉じようとする癖は本当に悪い癖に見える。可能性は閉じるべきではない、と誰かが口にしていたから。そんな事を考えているうちに、急に誰も寄せ付けないような長い「俺が考える可能性」という名の独り言が聞こえてきた。
「俳優があいつだとすれば、きっと真犯人が脚本家と演出家を兼ねているはずだ。あの写真を送りつけたり別の人間の名前を書いたりする演出は真犯人の手と頭から生み出されている。俳優として振舞っているなら、翔子の考えをぶつけた後のあの妙なヒステリックも想定外の意見につい自分を出してしまったとして理解できる。さすがにあの余裕だけを感じる雰囲気からは想像も出来ないほど陳腐な言葉が並べられていた。この仮定通り、俺達が脚本家の手と足に踊らされているとするなら、俺は将也のいつもの信じすぎる癖を信じたという事か。これはいい加減俺が学ぶべきだって話だな。―――まあこれを真実とするなら、脚本家はもう決まったようなものか。後はこれが真実であるかを確かめるだけだ。行くぞ、翔子。もう一度、あいつに会いに行く。」
いきなり呼ばれてはさすがに反応しづらいというものだ。手を引っ張られるまでわからなかった。
「う、うわわ、何も準備していないですよ。」
「身だしなみは整っているから気にするな。そのままでいい。」
この真実が消える前に行っておきたい、と口にした所長の表情はいつになく真剣で、その真剣さがあまりにも色々な感情の交じりを感じる妙な真剣さで、なぜか引き込まれてしまった。
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