第3章その1 私のノンフィクションこそ世界のフィクションで
お小遣いを貯める、ただそれだけで良かったのだ。遠く離れた場所へ来るためには、お金を貯めれば済む話だった。幸い、まだ見つかっていない。成功だ。やっと、私は窮屈な世界から抜け出したのだ!勝ったのだ、あの悪魔たちに!
逃げた後の目的は二つ。お兄さんを探すことと、事件を解決すること。
何度も警察に父と母が殺された事件を捜査してほしいと頼んだのだが、子どもの言う事など信じないとあしらわれたり、父と母の名前を出した瞬間に門前払いをされたり、散々な思いをしてきた。悪魔たちにも相談した。しかし、重い腰を上げることはなかったどころか、自業自得だとあしらわれるだけだった。最終的には、「あれは自殺だった」と口を揃えて言うようになった薄情者。やはり悪魔という私のあだ名は伊達ではなかったみたいだ。
事件が解決したら、お兄さんは戻ってくるかもしれない。
きっと、事件を追って日本中を駆け回っているんだ。
あの資料の謎はすぐにわかった。置手紙を探すのに絶対に入るなと言われていた部屋に入ったからだ。数少ない新聞の資料と、私の父と母の写真。事件現場の写真。インターネットから拾い集めた資料。そう、私の父と母が殺された事件を追っていたのだ。あの恐ろしい狂気じみた空気は全て、あの事件に向けられていたのだ。だったら、私が事件を解決するんだ!そう意気込み見知らぬ土地に来たのだが、いかんせん土地勘がない。どこに警察署があるのか……いや、警察を当てにしてはいけない。だからそうだ、探偵を、探そう!
我ながら名案だ、と思いながら探偵事務所を探す。私にとってフィクションの世界こそノンフィクションで、ノンフィクションの世界こそフィクションの世界なのだ。外の世界は、フィクションの世界のように輝いていたから。自分で考えておいて少し寂しくなったのだが、この世界は少しだけ息苦しい重い空気が漂っている。どこかはわからないのだが、ただ大きな建物が多すぎて、私の心を容赦なく圧迫してくる。
その瞬間はすぐにやってきた。息苦しさに潰されるよりも早いタイミングでやってきた。
「どんな事件でも解決します。暴力団関係でも、警察内の癒着でもなんでも。」
「こんな胡散臭いチラシ、どこで取って来たんだ馬鹿者!」、胡散臭いチラシをいちいちもらっては帰宅する主人公を毎度このお決まりのセリフで叱責する父親が登場するコメディドラマをふと思い出した。このチラシもきっと持って帰ればそのように叱られる事は目に見えている。しかし、心のどこかで信じたいという気持ちが生まれていた。何度もその胡散臭い文章を読む。信じたい思いが強くなる。繰り返している、無意識に最後の砦だという思いが働き、無意識に探偵事務所の門を叩いていた。
「おわぁっ!」
私の顔を見るなり素っ頓狂な声を出されたせいで、私までびっくりしてしまった。
「ああん?どう見てもガキじゃねぇか。ここはガキが来る場所じゃねぇ、今すぐ帰るんだな。」
いかにもガラの悪そうな顔と服装から想像通りの言葉が飛び出したおかげで、少しだけ安心してしまっている自分がいた。ふふっ、と思わず笑ってしまう。
「お前、何笑ってるんだよ。とにかく帰れ帰れ。」
「チラシ、見ました。どんな事件でも、解決してくれるんですよね?」
悪魔一号に矯正された喋り方で話しかける。しかし、声が震えている。自分の中から出た言葉ではないように聞こえる。
「なんだ、依頼人か?そんなガキが依頼人なんて事例、今までないからお断りだ。いたずらの可能性もある。それに翻弄されるなんて俺は嫌だね。」
「いたずらじゃありません、ちゃんと証拠だってあります。」
私はあの部屋から勝手にはがした事件の資料を見せる。「おいおい……」そんな声がぼそりと聞こえたが、あまり深く考えないようにする。深呼吸をし、怖いという気持ちを抑え込んだ上で話し始める。
「十年前、私の両親は殺されました。お昼になっても帰ってこない両親を心配に思っていると、家に三人組の男が侵入してきました。私はその中の兄貴、と呼ばれていた人に刺されて入院しました。警察に捜査をお願いしても門前払い、新聞でも数日後には取り上げられなくなりました。でも、私は……この事件を解決したいです。だから、力を、貸してください。」
第一印象として抱いたガラの悪さからは想像できないほど、その人は深く考え始めてくれた。そして、口を開いた。
「俺もこの事件は知っているさ。子どもに対する虐待容疑が判明した途端、ぱったりと報道が止んだ。不快だった。だから、特別な思い入れがあるっちゃあるんだが、まさか虐待を受けていた子供がこうして来るとはな。」
「虐待じゃありません。あれは……っ、きっと私を守るための、手段です。」
「ほおん、聞かせてくれ。」
私は今までの事を全て話した。「返り血は、任務完了の証だな。」という意味深な言葉のことも、お兄さんの事も、全て。その人は、私と目を合わせようとは一回もしてくれなかったが、真剣に聞いてくれている事は伝わってきた。
「事情は分かった。俺も特別思い入れがある事件だし、調べてやるよ。ただし、」
「ただし?」
「殺人事件の捜査、となるとかなり高くつくぞ。お前、お金持っているようには見えねえけど、いくらある?」
「所持金は……五千、円、です。」
「それは全く足りねえな。事情は理解したし捜査する気でもいたんだが、それはダメだ。他を当たってくれ。」
嫌だ、諦めたくない。絶対に、イヤダ。ここまで来たんだ、諦めたくない。だから、
「じゃあ、ここで、働かせてください。」
「……………はあ?」
「事件捜査にかかるお金、ここで稼がせてください。まだ十五歳で、学校も抜けてきちゃって働く術もないから、ここで働くしかないんです……。給料は必要ありません、給料を、全て捜査費用に積み立ててください。目標金額に到達したら、改めて、事件の捜査依頼をします。それじゃ、ダメですか?」
沈黙。
しばしの沈黙。かなり考えているようだ。見たところ、彼一人で探偵事務所を動かしているようで、人を雇ったことは一度もなさそうだ。
沈黙。
沈黙。
まだ続く。そして、頭を掻き始め、また沈黙した。
「私を雇うメリット、なんて何もないと思います。いや、ないです。学校にろくに通っていないし……でも、テレビ番組で得た知識はあります。それだけが取り柄です。それに、お父さんもお母さんも、私顔知らないけど、きっと、事件がきちんと解決して、犯人が逮捕されたほうが喜んでくれると思うんです。」
私の声以外は、探偵事務所内に響かない。
「お母さん、言いました。外の世界を知ったら、お母さんだって認めたくない日が来ると思うって。でも、外の世界を知っても私のお父さんもお母さんも、たった一人のお父さんで、お母さんです。ご飯ちゃんと作ってくれて届けてくれたし、優しい言葉少しだけかけてくれたし、熱が出たら風邪薬をくれました。病院には連れて行ってくれなかったけど、薬はちゃんとくれたんです!だから……、だから、犯人も逮捕されてほしいけど、これを虐待だって言われたくない……。」
どうして私は初対面の人間の前でそんな本音を口にしてしまったのだろうか。弱音を、吐いてしまった。隠すべき弱音を、吐いてしまった。しかし、ちゃんと聞いてくれた。そして、すぐにそらされてしまったけれど、やっと顔を、見てくれた。
「……………お前、お父さんと、お母さん、好きか?」
「好きです、大好きです。外の世界を見せてくれなかったけれど、とっても優しかった。だから、恩返しが、したい。」
「……………今回は俺の負けだ。お前の提案に乗ってやるよ。」
照れた顔をあえて見せようとしないその姿には、精一杯の優しさが込められているように見えた。その体から出ている照れ隠しと優しさの温かい空気は、今までの人生の中で感じた事のないものだった。
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