第2話夜の蝶、探偵に依頼する
受話器から聞こえる甲高い声に那由多は辟易とさせられた。
「なゆちゃーん、なゆちゃーん」
涙声で名前を連呼される。
「どうした、あけ美」
ため息まじりに声の主の名を呼ぶ。
「ねえ、お願い。部屋にいれてくれない。頼みたいことがあるの……」
このまま受話器を下ろし、知らんふりを決め込もうと思ったが、腐れ縁ともいうべき友人の願いを無下にするのも良心がとがめた。
わざとらしく息をはきだすと、那由多は玄関に行き、扉をあけた。
そこには派手な、夜に生きていますというような女が立っていた。
友人のあけ美であった。
本名と姓は知らない。
毛皮の下に驚くほど薄い紫色のドレスをきたグラマーな女性が那由多をみつめている。
その毛皮はフェイクの合成ものであることを那由多は知っている。
胸元のほとんどが見えるのではないかと思われるほどの際どいドレスであった。
派手なメイクの目元がくずれて、パンダ柄になっていた。
愛らしい那由多の童顔を見ると、あけ美は抱きつき、私立探偵の小さな顔を自分自身のボリュームたっぷりの胸に押し当てた。
息苦しくて仕方がない。
馬をなだめるように背中を叩き、どうにか来客用のソファーに座らせた。
二杯分の珈琲をいれ、一つをあけ美の前においた。
「甘いよ……」
文句をいわれた。
「それで、どうしたんだ?」
那由多はきいた。
「逃げちゃったのよ」
しゃっくりを出しながら、あけ美はいった。
人目をひく外見のあけ美の職業はあるラウンジのホステスであった。
彼女は先日、オーナーである通称マダムとなる人物から旅行にいく間、飼い猫を預かることを頼まれた。
飼い猫を預かるということは、その界隈では信頼の証明であり、その役目をおえたものは新しい店をまかされたり、マダムの取り巻きの一人に抜擢され、かなりの権限を与えられるという。
愛猫家のマダムの願いを受けるということは、信頼を勝ち取るということであった。
猫もまかせられない人間はなにもまかせることはできないというのがその理由であった。
「洗濯物干してる間に逃げられちゃあったあ……」
嗚咽をしながらあけ美は言い、那由多のさしだしたティッシュ箱から数枚とり、盛大に鼻をかんだ。
「それで、マダムが帰ってくるのはいつなんだ」
冷静に那由多はきいた。
「明日のお昼」
あけ美は短く答えた。
「もし、ばれたら生きていけないよ」
噂にきいたことがある。
猫を愛するマダムは常に自らが住む高級マンションに十匹以上をかっており、我が子のように可愛がっていると。その目にいれてもいたくないほど可愛がってる猫を逃がしてしまったのだ、信頼はがたおちどころの騒ぎではない。
下手をすると命すらも危うい。
夜の街を牛耳るマダムとはそのような人物であった。
優しく、あけ美の肩に手を置き、那由多はいう。
「依頼は受ける。しかし、高くつくぞ」
明日の昼までに行方不明の猫を見つけ出さなくてはいけない。
売れっ子ホステスのあけ美の窮地を救うのだ。多少ふっかけても文句は言われまい。
「うん、見つけてくれたら、いくらでもだすよ」
そう言い、あけ美はマンションを後にした。
彼女にとっては死活問題だ。
お金で解決できるなら、それにこしたことはない。
壁かけ時計を見ると、九時を少し回っていた。
すっかりぬるくなった珈琲をすすり、これを飲むぐらいの時間はあるだろうと那由多は考えた。
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