経験に基づく持論

プラのペンギン

経験に基づく

 人なり動物なりは、経験に基づいて行動します。「してみること」によって結果や知識、技術を得ます。

 僕は、洗濯機を使う事ができません。なぜなら洗濯機を自分で動かすことが全くと言っていいほど無いからです。我が家は洗濯物が割と少ない方なので、洗濯機を回すのは一日に一回、寝る前に動かし翌日の朝に干します。洗濯機を回すのは、最後に風呂に入った人、ほとんどの場合が父です。タオルやワイシャツを洗う時や洗濯物が特に多い時に限って二回以上回します。それも主に母がします。稀に、年に2回ほど自分で回してみろと言われ回すこともありますが、それも指示通りにひとつひとつやるので、そこに自分の意思はありません。

 洗濯機の使い方はわからなくとも、僕は食洗機の使い方を知っています。オーブントースターや電子レンジの使い方を知っています。洗濯物の干し方も畳み方も知っています。掃除機の使い方を知っています。ギターの弾き方を知っています。テレビの使い方を知っています。洗濯機よりずっと複雑なパソコンの使い方を知っています。これらの使い方を知っていて使うことができるのは、僕が普段からそれらを使っているからです。だから僕は洗濯機の使い方がわからないので洗濯機を回せないのではなく、洗濯機を使わないから洗濯機の使い方がわからないのです。

 赤ん坊は生まれた瞬間に産声を上げます。産声は呼吸の練習と言うがそこで初めて呼吸をします。空気から酸素を取り込み、体から二酸化炭素をを排出する。それまで、呼吸をしたことがなかったのだからそれまでは呼吸ができなかった。産声で呼吸をしたことによって、それから呼吸ができるようになるのです。歩くことも同様で、歩いてみないと歩けるようにはなれない。どんな行動も「してみること」によって身につくのです。

 これを踏まえると、「してみること」もなく、是非を主張することは正しいことではないのです。

 例えば、99%成功すると言われたとき、それは言い換えれば成功しないわけではない確率が99%であるとも言えます。それをやってみたとき、失敗する可能性があるのです。逆に、前例が無いから実現する可能性が低いため実行することができないと言われたときでも、やってみない限り実現はありえないし、やってみることで、技術として、知識として前例として蓄積することができる。

 だから僕が洗濯機を回せないことはおかしなことではないのです。どう思いますか?


「うーん、考えすぎじゃないですかね」


「確かに」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

経験に基づく持論 プラのペンギン @penguin_32

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ