第29話 溢れ続ける雨

 楓と哲也のデート当日の朝。

 楓はいつもより早起きして準備を始めた。

 朝からシャワーを浴び、新品の下着を付ける。念入りに手入れをして昨日美容院で教わったように髪型も整える。

 昨日買った服の中から、今日の天気にも合い、哲也が好みそうな薄い色の物を選んで着ると、鏡の前でクルリと一回り。

 パステルカラーのスカートが、フワリと舞い上がる。


「うん、いい感じ♪」


 服装を確認した後は、佳奈からお下がりで貰った化粧台の前に座ると、軽く化粧をしてリップを塗る。


 その時チャイムが鳴った。時計を見ると10時ピッタリ。


「来たかな?」


 楓は横に置いてあった肩掛けのバックを掴む。

 男らしいものは減り、カーテンや小物等もだんだん女の子らしくなってきた部屋を見渡して、忘れ物が無い事を確認して出て行った。


「よしっ!今日はがんばろっ!」


 ◇


「おはよ、テツ。時間どおりだね♪」


「あぁ。約束したからな」


「そだねー」


「じゃあ行くか」


「うん!」


 柊木家の玄関から二人は並んで歩いていく。

 それを覗く影が2つ。加奈子と佳奈だ。


((楓、がんばって!))


 ◇


「ねぇ、今日はどこ行くの?」


「ちょっとみたい映画があってな。それを見に行こうかと思ってな。ほら、1と2は前に一緒に行ったやつだ」


「あっ!なつかしい!3出てたんだね?」


「つい最近な」


「ふぅん。ところでテツ?」


 タタッっと哲也の前に出る。


「なんだ?」


「今日の格好……どう?」


「……いいんじゃないか?」


「あのね?そこは可愛いって言ってくれると嬉しいかな?」


「……その髪型、俺が好きなのやつだな。あ──むぅ。えっとだな……今日の楓は今までで一番可愛いぞ」


 そう言って軽く微笑む哲也に対して楓は──


「ほ」


 固まっていた。


(テツが可愛いって言った。一番可愛いって。なんでそんな顔で笑うのぉ!カッコいい……もう!好きぃ……)


「お、おいどうした?」


「んえっ?な、なんでもないよっ!えっと……ありがとね?その──凄い嬉しい♪」


「お、おう……」


 そのまま、お互いに顔を赤くしたまま目的地である映画館まで歩いて行く。

 向かう道中で男からの視線が楓に集まるが、その度に哲也がさりげなく視線と楓に間に入り込んでくれた事がまた、楓を嬉しくさせていた。


 映画館のチケット売り場に着くと、哲也は財布を出して受付に話かけた。その時、楓の目にあるものが映る。


「男一枚、女一枚でおねが「待って!」……なんだ?」


「すいません。あの……あの席でお願いします」


 そう言って楓が指差したのはカップルシートの宣伝チラシ。しかし受付から指先は見えない為、「こっちとは?」と聞かれる事になる。


「えと、その……カ、カップルシートでお願いします──っ」


 楓が真っ赤になりながら答えると、受付は微笑みながらその席のチケットを用意してくれた。


「楓、お前……」


「いやほら!どんな感じかなーって!ほら!早くいこ?」


 言いながら楓が哲也の背中を押して辿りついたその席は……


「えっと……これは……」


「すごいな……」


「うん。可愛いけどコレはさすがに……」


 ハートの形に型どられた席だった。中心が座れるように窪んでいて、大分密着しないと座れないようになっている。

 道理で人気がないわけである。


「と、とりあえず始まるから座ろっか?」


「本気か?」


「いや?」


「はぁ……わかった」


 並んで座ると、二人の肩だけでなく足も触れあう。少し動くだけでそれが隣に伝わる。ドリンクを取ろうとすれば手も触れる。横を向けばすぐそこに顔がある。

 結果……


「え、映画おもしろかったね」


「……そうだな。すごかったな」


「な、なんかこう、すごかったね?」


「そ、そうだな、あっという間だったな」


 二人とも映画に集中できず、中身が頭に入っていなかった。


 映画の後は、特に物欲のない哲也が楓の買い物に付き合う形で、近くの店を見てまわっていた。


「あ、これ可愛い♪」


「そうか?」


「うん。鞄に付けよっかなぁ」


「……」


「ん?どしたの?」


「いや」


「どうせ前とは違うんだなぁ?とか思ってるんでしょ?別にもう気にしないから言ってもいいのに」


「そうか。なら言うけど、やっぱり好みとか変わって来てるのか?」


「う~ん。変わったっていうか、我慢しなくても良くなったって感覚かな?多分、元々好きだったんだと思うの」


「そういうもんか」


「だよだよ♪じゃあこれ買ってくるから待ってて」


 哲也はレジに向かう楓を背中から見送っていた。


「我慢……か」


 ◇


 時間もそろそろ夕方に差し掛かろうとしてきた頃、買い物の客なのか、人の通りも増えてきていた。


「結構人増えてきたな。電車が混む前にそろそろ帰るか?」


「うん、そうしよっか。あ!でも待って!最後にあそこのクレープ買っていこ?奈々ちゃんが美味しいって言ってたの……きゃっ」


 そう言って駆け出す楓に横からきた人がぶつかりよろける。それをすぐに哲也が手をひいて引き寄せた。


「あ、ありがと」


「大丈夫か?」


「うん……」


 その時──


「ねぇ、何してんの?」


 アリスが数人の友人達と共に、楓達の前に立っていた。


「ア、アリス……」


「ねぇ、なんで手なんか繋いでるのよ!楓はアタシの気持ち知ってるでしょ!?」


「違うの!こ、これは違くて!」


「何が違うのよ!そんなオシャレまでして!──アンタなんか……アンタなんて元男のくせに!「おいっ!」……あ」


「っ!!」


 想像すらしていなかったアリスからの言葉に、楓の体から力が抜ける。思わず崩れ落ちそうになる体を哲也が支えた。

 アリスは自分の失言に動けなくなってしまう。


「おい楓!大丈夫か?」


「へ?あ、うん……ごめん。ちょっと肩貸して……」


「今日はもう帰るぞ」


「うん……でも、アリスが……」


「いいから」


「ね、ねぇ楓?ゴメン……ゴメンね」


「うん……」


「おいアリス。お前が今誰の前で言ったのかを考えろ。俺は楓を送る。そっちはどうにかしろよ」


「えっ?」


 哲也はそう言ってアリスの後ろを視線で示した。そこにはアリスと一緒にいたクラスの友人が顔を付き合わせて話していた。


「柊木さんが元男ってどゆこと?」

「もしかしてニュースでやってる薬の?」

「え、まじで?」


 それを聞いてアリスの顔が青ざめる。自分のしでかしたことを理解したからだ。アリスはすぐに駆け寄って行った。

 哲也はそれを横目に見ながら楓を支えながら帰路につく。

 結局、家に着くまで楓は一度も口を開く事はなかった。


 現在、夕食も終わり自室のベッドで横になる楓。


(帰ってからいつも通りに過ごせたよね?どうかな?あんまり覚えてないや。アリス……ゴメンね)


 その時スマホが震える。ディスプレイには【清水アリス】の文字。あれから何回も着信があったが一度も出ていない。


(何を言われるか怖いなぁ)


 いつの間にか、楓はそのまま眠りに落ちていった。


 ◇


 朝、いつも通りに哲也が迎えに来る。お互いに昨日の事は口に出さない。やがて合流場所にくると心愛と、今日はアリスがいた。


「お、おはよ」


「うん、おはよ」


 会話はそれっきり。アリスと楓の間に哲也が立ち、心愛はそれを後ろから呆れたような顔で見つめるだけ。

 アリスが何度か口を開くがそれは声にならずに閉じられ、四人は初めて学校に着くまで無言の時間を過ごした。


 そして異変は楓が教室のドアを開けた時に起きた。

 教室中の視線が楓に向くと、気圧されながらも一歩を踏み出すと、ドアの近くにいた男子生徒から声がかけられた。


「ねぇ、柊木さん?」


「え、なぁに?」


「なぁに?だって。なぁ、元男ってホントなの?」


「っ!」


 楓は予想外の言葉に誤魔化すことができなかった。


「うわっ、その反応マジかよ」


 そこで楓の後ろからアリスが飛び出してくる。


「ちょっとアンタ、それ誰から聞いたのよ?」


「誰からって、最初に言ったのは清水さんなんだろ?みんなもう知ってるって!」


「なっ!」


 言われてアリスは昨日一緒にいた友人に視線を向けると、その友人は気まずそうに目を反らした。


 するとまた別の方向から声がかかってくる。


「薬で変わったってまじ?どうなん?女の体って」


 そう言いながら楓の体を見てくる男子生徒。やがてその視線が胸元で止まる。


 楓がその視線から隠すように腕で胸元を覆うと笑い声が聞こえてきた。


「別に隠さなくてもいいじゃん!なんだからさぁ!」


 その言葉を受けて楓は──


「楓っ!」


 アリスが呼ぶ声も無視して教室を飛び出して行った。


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