第7話 無菌ハウス
不要不急の外出を控えましょう!
新型コロナウイルス感染症の世界的な流行で、
ここツイスミ不動産もその例外ではない。
「カサリンさま、客は来ないし、通勤もいつコロナにかかるか危ないし、我が店舗もそろそろテレワークにしませんか?」
自称イケメン・紺王子宙太が上司の笠鳥凛子課長に提案する。
「コラッ、
課長が太黒縁の眼鏡をマスクの上までずり落としたまま、こう注意してくるものだから紺王子は「ちゃいまんがな」と首を傾げる。
されどもだ、給料の査定をする上司、ここはやんわりと。
「あのお、呼び名の件ではなく、私の提案はコロナ感染がらみの自宅滞在業務でありまして……、キャサリンさまは少しばかり論点が
これに笠凛課長は今度マスクをズルズルッと顎まで引っ張り下ろし、現れ出た紅過ぎる唇を尖らせて言い放たれたのです。
「お前は紺宙のクワガタだろ、低脳な虫がコロナにかかるわけないでしょ。今、この世の中で一番幸せなオスなんだよ。だから、巣ごもりは必要なし、虫なりの粉骨砕身、――、もっと業務に励め!」
オッオー!
これこそメガ級パワハラ、いつか訴えてやると心に誓い直すが……。
うーん、仕事への情熱、それはオバハンの方が熱いと再認識するしかなかったのだ。
そんな時にドアーが開き、大きめのマスクをしたシニア・カップルが入ってきた。
もっと業務に励めと上司からの活入れがあったばかり、ここは即座に、だが丁寧に「世間は出歩き自粛、そんな折にも関わらず、ようこそツイスミ不動産に、どういう物件をお探しですか?」と紺王子が質問する。
この一見マジメ・ボーイの圧に少しばかり後退りをした紳士、きっと百戦錬磨なのだろう、姿勢を正し、「ヨッシャー、これは話しが早い」とパンと手を打つ。
されども、ここからガンガンと物申されるかと思いきや、「探してる物件は……」と尻切トンボのまま横の女性をチラ見する。
この流れをデスクから見ていた笠鳥課長、やっぱりプロ中のプロ、このカップルは長年連れ添った夫婦に間違いなし。しかも夫人の方が主導権を握ってると読み切った。
この結末として、若造・紺王子の背後から割り込み、「奥様、そうなんですよね、ご夫婦の終の棲家はご内儀のお気に入りでなければ成立しませんわ、何なりと仰って下さい」と。
またかよ。
紺王子はこのボスのいっちょ噛みに心が
そこで紺王子は上司のアプローチに乗っかって、「奥様のご希望の終の棲家は……、お花一杯、それとも愛犬と楽しく過ごせるお家でしょうか?」と誘い水を向ける。
だけれどもこの呼び水に奥様は一瞬ムッとされ、「あっらー、まったく違うわ」と100%否定。
これにベテラン課長も育成途中の部下も、いかにも驚いた風を装い、「じゃあ、何でしょうか? お聞かせ下さい」と顔面を前へと突き出す。
この一所懸命さが奥様には伝わったのか、姿勢を今一度正され、力強く一言だけ発せられたのだ。
「無菌ハウスよ!」と。
この言葉を受けて、店舗内はしばらく、――、シーン。
ツイスミ不動産の二人は脳内でのみブツブツと繰り返す、「無菌、無菌、無菌」と。
そしてその帰結として、「このご時世、長い人生の旅路の果ての住まい、それはやっぱり……、無菌だよな」と納得する。
されども無菌ハウスなんて、過去に扱ったことがない。
不動産屋二人がド真剣に「うーん」と唸ってると、奥様からさらに。
「あっら~、あんたたちプロでしょ。コロナがいないところで人生を全うしたいの、そんなツイスミを探してください」と。
こう念押しされたカサリンとクワガタ、「イエス、クイーン」と頭を90度の角度まで下げざるを得なかったのだ。
こんな経過で、カサリン/クワガタ・コンビは無菌ハウス物件を引き受けた。顧客第一で奮闘するしかない。
一方コロナで客足が遠のいてる。幸いにも探索に充分時間をさけた。
その結果、1週間後には見つかったのだ。
早速無菌大好き夫妻に連絡を取ったら、旦那からは「ヨッシャー!」、奥さまからは「あっらー!」と口癖の返事があり、現地確認の運びとなった。
5時間のドライブ後、今四人は高台の上に立つ。
早速、紺王子が「川向こうの迫り来る山々、その山裾の一部に平らな所がありますよね、そこにポツリポツリと家が見えませんか、あそここそが俗界から隔離された無菌ビレッジです」と指を差す。
その方向に夫人は双眼鏡を向け、「あっら~、ピンクの花々、あれは桃の花ね、まるで桃源郷だわ」と声を上げる。それから「あなた、覗いてごらんなさいよ、素敵だわ」と声のトーンが高い。
主人も渡された双眼鏡で、「山からの小川に水車小屋があったり、山羊たちが遊んでいたり……、まことにシャングリラだな」と興奮気味。
こんなお客様の第一印象を確認した紺王子、「村の外れに、赤いとんがり帽子の洋館が見えるでしょ、あそこが今回の物件です」と本題へと入った。
するとご夫婦は双眼鏡で順繰り食い入るようにチェックし、旦那が先に「ヨッシャー!」と声を張り上げ、そのあと奥様が「あっら~!」と発する。
クワガタはこのシチュエーションでの「あっら~!」がどういう意味なのかいまいち不明だったが、まっえっかと「お気に召されましたか?」と訊く。
すると奥様は「確かにね、気には入りましたが、もっと近くに行って現地確認したいわ」と仰る。
これは当然のこと。
されどもだ、何はさておき伝えておかなければならないことがある。
ここは不動産屋大ベテラン、笠鳥凛子課長の出番。
「実はですね、あそこの橋の
このいきなりの半端じゃない説明を受けて、ご夫妻はポカーン。
さらにだ、不動産屋にはもっと告知しておかなければならないことがある。
上司が部下に目配せする。これを受けたクワガタ、村に住むに当たっての10条件を淡々と述べる。
1.3密は徹底排除
2.人と会う時はマスク着用
3.毎日体温測定及び手洗い/うがいは励行し、記録を役場に報告
4.手に触る物は毎日アルコール消毒
5.公共物は村民で自主管理、また義務を負う
6.村に入る物資はすべて検疫される
7.無菌維持のための管理費は一世帯当たり月3万円
8.1週間に1度pcr検査を受診
9.陽性の場合、かつ非協力者は川越の館に戻す
10.無菌ビレッジへの橋の通行料は『1回6万円』
これらを聞かされた老夫妻、ただただ沈黙。
このままでは商売が成り立たない。そこで切っ掛けを作ろうと、紺王子が笑みを絶やさず尋ねる。
「終の棲家ととして最高だと思いますが……、何か気になることありますか?」
すると旦那が「うーーーん」と長く唸り、顎に手を当てたまま「その最後の……、6万円て、何か意味あるの?」と真剣な眼差し。
まさにここは――、キモ。
したがって笠鳥課長の出番。
「実はこの地は真田家の
ツイスミ不動産としては、これこそ話しておかなければならないことだ。
その結果、やっぱり、四人の間に重たい空気がドローンと淀む。
しかし90秒後、それを吹き飛ばすかのように、老紳士が「あはははは」と大笑い。
さすが酸いも甘いもの幾星霜を重ねただけの言葉を、その後発する。
「なるほど、この川は――、三途の川ってことなんだね、ということは、あそこの無菌ビレッジは桃源郷でもない、またシャングリラでもない、――、極楽浄土なんだよ、ヨッシャー!」
最後に口癖が飛び出したということは、主人はどうも気に入ったようだ。
だが、奥様は違った。
「あなた、ちょっと待って。あの世の沙汰も……、金次第なのよ。ねえ、ツイスミ不動産のお二人さん、あの無菌ハウスは――、おいくらなの?」
こんな直球を受け、カサリンもクワガタも身が引き締まる。
上司がいつも通り直立不動の部下の向こうずねあたりを蹴飛ばす。
これでハッと我に返った自称イケメン・紺王子宙太は川向こうの無菌ハウスに向かって声を張り上げるのだった。
「無菌ビレッジ、いや、極楽浄土にある無菌ハウスのお値段は、――、3千万円!」
これに奥様から1オクターブ高い奇声が1つ飛ぶ。
「あっら~!」
さてさて皆さま、とにかく無菌ですよ。
この安心安全の終の棲家……、買いますか?
短編集・ツイスミ不動産 鮎風遊 @yuuayukaze
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