第4話 筏(いかだ)ホーム

 目に青葉 山ほととぎす 初鰹

 桜花は散り、はや木々の緑が目を刺す初夏。

 そんな折に、くたびれた薄手コートを脇に挟み、初老カップルがツイスミ不動産に入って来た。

 営業責任者の笠鳥凛子課長は一見で、山あり谷ありの人生を共に歩み来て、その終幕にやすらぎの庵を探し求めて訪ねて来たと感じた。

 なぜなら婦人の手にはツイスミ不動産のチラシが。

 そしてそこに書かれてある文句が……。


 長い旅路の果てにきっとある、

 あなたの居場所。


 これからの残された人生は穏やかに、

 そして好きなように暮らして行きたい。


 そんな終の棲家を

 あなたはお探しではありませんか?


 お任せください、ツイスミ不動産に。

 あなたのご要望に応え、

 最高にご満足いただける物件を

 ご紹介致します。


「クワガタ、応対して」

 課長、通称カサリンが部下の自称イケメンの紺王子宙太に指示を飛ばした。

 だがPC画面に顔を近づけたまま「物件見積もり中、忙しっス」と。

 この命令無視の返答にカサリンはムカッと来た。直ぐさま言い放つ。

「朝礼で確認したでしょ、目の前の顧客第一と。上客無視の業務怠慢野郎め、夏ボーナスは100%カットに決定!」

 これぞ部下からのシカトに対し強烈パワハラ。


 まあどっちもどっちだが、紺王子にとって賞与ゼロは死活問題。

 ここは素直にスッと立ち上がり、昆虫・クワガタなりの笑顔で「どのような終の棲家をお探しでしょうか」と問い掛けながらカウンターへと招く。

 そして一息入れ、白髪混じりの紳士が滔々と。


「千辛万苦を乗り越えて、妻と歩んだ幾星霜、残された時は悠々自適に。つまり業務サイクルのPDCA(Plan/Do/Check/Action)から抜け出し、かつDesire/Passion/Willing(欲求/情熱/喜んで)の生活姿勢をも放棄する。要はウォーターヒヤシンスのように暮らせる終の棲家を探してます」


 横文字を混ぜ込んでの立て板に水。

 笠鳥凛子も紺王子もポカン。どうも人生経験の重ね方が違うようだ。

 しかしカサリンは営業課長、ちょっと自意識高めの客のあしらい方を知っている。

 カサリンは「ご要望……凄いわ、ファンタスティック!」と感動の声を上げ、あとは「だけどオッチャン、ウォーターヒヤシンスって何? もうちょい町の不動産屋にもわかるように説明、お願いチョンマゲ」と手を合わせる。


「ホホホ、面白いお方ね、ごめんね、この人、いつも理屈っぽいのよ。アータ、もっとわかり易く!」と妻が夫の脇腹を突っつくと、紳士はうんと頷く。

「ウォーターヒヤシンスは浮き草。すなわち何の束縛もなくプカプカと。そんな浮遊暮らしが出来る家を探して下さい」と深々と頭を下げる。

 これを見て、家探しのプロ、紺王子の使命感に火が点いた。

 あとは弾みと勢いで「その浮遊、見付けてみせましょう」と断言。

 これにカップルは二人の手を固く握り締める。

 こうして浮遊暮らし可能な住宅、その怒濤の探索が始まった。

 その甲斐あってか2週間後には現地案内へと。


「あそこに並ぶ住宅こそがお目当ての終の棲家です」と笠鳥課長が指を差す。

 そこへと視線を移したシニアカップル、「え、えっ」と声を洩らす。あとは鳩に豆鉄砲状態に。

 それもそのはず美しい湖にいくつもの家屋が浮かんでる。

 さらに焦点を合わせると、それはどうも大きないかだの上に建っているようだ。

 男はド肝を抜かれ、無言。

 だが横の女が訊く、「水上生活なの?」と。


「湖上にプカプカと浮かぶ50坪の筏ホーム、スクリューなしですが、移動したい時は管理事務所に依頼すればタグボートで牽引してくれます。すなわちこの広い湖の真ん中にも行けて、そこでウォータヒヤシンスのような日常が味わえます」

 カサリンが興奮気味に答えると、さらに紺王子がワントーンをアップさせて。

「浮き草のような浮遊暮らし、それは湖を囲む山に昇る朝日とともに起床し、昼は釣り糸を垂れ、夕陽とともに渡り来る微風を感じながら身も心も茜色に染まる。夜は湖上の静寂ぢじまの向こうに流れ星が一つ二つと。……、あ~あ、私も鬼女課長から逃れ、そんな生活がしたーい、で~す」と。


 どうもこの最後の溜息が余計だった、横に立つカサリンから肘鉄が鋭角に入る。

 イテーと唸るが、客はそんな事はどうでもよい。

「これぞ探し求めてきた終の棲家、天晴れ!」と御主人様が日の丸扇子をたかだかと振る。

 しかし一方、ご主人が弾けきってる状況にあって、御内儀はまったく無表情でのたまわれる。

「あそこで私たち亡くなったら終の棲家はゴーストシップ、まさにでありんすね」と。


 不動産屋の二人にはその白けてる理由がわかる。

 要は、主婦の興味は――お値段――。

 すぐに課長が部下に目配せする。

 これを受け、紺王子宙太が湖面にさざ波が立つほど声を張り上げた。

「中古幽霊船物件、筏ホームのお値段は……、980万円!」


 さてさて、みな様なら――、買いますか?


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