第5話 喧嘩

「君たちが子供の間だけ出来て、大人になったら出来ないことが2つあります」

 ある日のホームルームの時間、まだ若い女性の担任教師がそんなことを言っていた。

「一つ目は『失敗すること』です。大人になると失敗するのがすごく怖いことになるから、簡単に失敗はできないわ。今だって、みんなは失敗は嫌だと思うかも知れない…。でも失敗はとても大事なことで、子どもの内は大抵のことは許して貰えるわ。もちろん大勢の前で失敗するのは恥ずかしいし、恐ろしいことだけれど、今の内に沢山失敗しとけば、次はああしようこうしようって改善に繋がると思うの。だから今の君たちはいっぱい間違えて、いっぱい失敗しながら成長して欲しいわ」

 そう言いながら、先生は黒板の左半分にカツカツとチョークで「失敗」と書いた。

「さて問題です。もう一つは何でしょう?」

 当時小学生だった俺とクラスメイト達は大人になったら何をしたい?で盛り上がっていた連中だ。なのに大人になったら出来ないことなんて考えても見なかった。そんなことがあるのかと、話を聞いた最初はみんなで目配せし合って驚いていた。

 少しの後、当時のクラス委員長の女の子が手を挙げて発言した。

「大人になったら私たちより頭も良くなるから、毎日学校に来たりしなくなるので、毎日『勉強ができなくなる』でしょうか?」

 先生は彼女の発言をしっかりと受け止めてから、笑顔でこう続けた。

「うんうん、確かにね。でも、大人はこうして学校に通わなくなるけれど、毎日勉強していると思うわ。色々なことを知って、色々な人の話や経験からも多くのことを学んだりするの。これもある意味『勉強』よね」

 そこで委員長は納得したような表情を浮かべて、席に座った。

「はいはーい!!」

 とクラスのお調子者が手を挙げて立ち上がった。

「クリスマスにサンタからプレゼントが貰えなくなるし、お年玉も貰えなくなるよ!!」

 そこで先生はクスッと小さく笑った。

 俺もクラスのみんなも笑った。

「それもそうね…。でも大切な人からプレゼントを貰ったり、あげたりするのは大人になってからでも出来ることよ。丸川君にもそういう人が出来るようになったら良いわね」

 丸川は顔を赤らめて、周りにからかわれながら照れ笑いを浮かべたまま座った。

「実はね、答えは……『喧嘩すること』です」

 そう言って先生は「失敗」の隣、黒板の右半分に「ケンカ」と書いた。

「今の君たちは子どもだから、喧嘩したって大した怪我には繋がらないと思うわ。でも大人になって成長してくれば、男の子は力や体格もしっかりしてくるし、女の子は女性として貴方たちのお母さんのように育っていくと思うの。そうなってから喧嘩をしたら大怪我しちゃうし、下手したら死んじゃうこともあるわ。だから……」

 そう一回溜めてから、先生はハッキリと言った。

「今の内に、めいっぱい喧嘩をしなさい。ぶつかり合って、時には殴り合って、相手を傷付けたりしながらも、嫌な事はハッキリと嫌だと、表に出す力を付けなさい。そんな喧嘩が出来るのは今の内なんだからね」

 そう言って先生は笑った。

 先生のこの話はその後割と問題になって、PTAに何かと煩く言われたらしいが、その頃に問題視されていたイジメ問題が、この話を境に徐々に解決されていった。いじめられっ子だった子が、いじめっ子に立ち向かうキッカケになったのかもしれない。

 大人になった後でも、俺はこの話が好きだった。だって裏を返せば、大人になってもまだ喧嘩してるような奴はまだまだ子どもということなのだから。

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