第25話
麗華が無理を辞めるようになってからというものの、日々はあっという間に過ぎていった。物凄く長く感じた麗華と一緒に下校できなかった期間とは、時間の流れ方が全く違う気がする。神様が、意地悪で時計の針を早く進めているんじゃないかって思ってしまうほどに。
最近、わたしは再び麗華の家に毎日のように足を運ぶようになった。
「麗華ちゃんと仲直り出来たみたいね」
笑顔のお母さんにそんなことを言われた。お母さんもお母さんなりに、わたしのことを心配してくれていたみたいだ。
数週間ぶりに取り戻した麗華との日常は、やっぱり最高だ。
でも、全てが元通りというわけではない。最近のわたしは、麗華の家で漫画ばかり読んでいるのでは無く……。
「れ、麗華? そろそろ動いても大丈夫かな?」
「ごめん香織、もう少しだけだからそのままでいて!」
麗華のイラストのモデルとして、ポーズを取ることが多くなった。麗華は、そんなわたしをじっと見つめてペンを走らせる。こんなに麗華にじっと見つめられるなんて、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。もっとお洒落な服を来てくればよかった……なんて後悔が頭をよぎる。今までは自分の服装なんて、そこまで気にしてなかったのに……。
最近の麗華は、わたしの表情だけでなく、体のラインもかなり上手に描くようになった。この前、上達した理由を尋ねたら、
「えっと……一緒にお風呂に入ったからかな……」
と麗華は顔を真っ赤にさせながら答えた。数秒してから、わたしもその意味を理解して、顔どころか全身から火が出そうな思いをしたものだ。
こんな毎日を送っていたら、いつの間にか季節は冬になっていた。今日の日付は十二月六日。桜花さんの手術の日まであと一週間。この時点で麗華は既に素晴らしいイラストを何枚も描いていた。どれを桜花さんに見せても問題ないとわたしは思う。けれど麗華本人はまだ納得していないみたいで、毎日、試行錯誤を繰り返していた。もちろん、睡眠を削ったりするような無茶はもうしていないけれど。
「すごい人だね~」
麗華は周囲を見渡して声を上げる。今日、わたしたちは普段あまり足を運ばない所に来ていた。仙台駅から歩いて三十分くらいの所にある定禅寺通という、ケヤキがたくさん並んでいる大通りだ。とはいえ家から歩くとかなりの時間がかかるので、今回は特別に、お母さんに事情を話して交通費を支給してもらい、地下鉄でやってきた。地下鉄の勾当台公園駅からなら、歩いてすぐだ。
「もうそろそろ始まるはずなんだけど……」
何故、わざわざ地下鉄に乗ってまで定禅寺通に来たかというと、一昨日から光のページェントと呼ばれるライトアップが始まっているからだ。なんでも、定禅寺通に生えている百六十本のケヤキに、六十万球のライトが設置されるらしい。毎年、学校でも話題になるから気になっていたのだけれど、実際に見に来たのは今日が初めてだ。
「まもなく一分前です」
女性の声のアナウンスが、定禅寺通に響き渡る。
「後、一分で点灯だって!」
麗華は少しソワソワした様子だ。それはわたしも同じだった。光のページェントを見るのは、これは初めてなのだから。
スピーカーから流れる電子音が一秒一秒を刻んでゆく。そして残り十秒になったところで、周りの人がみなカウントダウンを始める。わたしたちも一緒に声をあげる。
そして数字がゼロになったその瞬間……。
辺り一面のケヤキ並木が一斉に光った。皆、口々にどよめいている。もちろんわたしたちも歓声を上げていた。
「麗華! 凄い、凄いよ!」
「綺麗! こんなの初めて!」
まるで宝石箱の中にいるような気分だった。上も横も前も後ろも、全ての方向がオレンジ色に光り輝いている。
麗華もわたしも、大はしゃぎしながら夢中で通りを歩いた。
そう言えば……。
あまりの美しさに忘れかけていたけれど、この光のページェントには一つ噂があるのだ。
「ねえ麗華知ってる? 実は、この中に一つだけピンク色のライトがあるんだって。見つけると、願いが叶うらしいよ」
「本当? なら探そうよ!」
麗華は興味津々だった。
「学校で皆が言っているだけだから、本当かどうかは分からないけどね……」
「でも間違いかどうかも分からないんでしょ? じゃあ探してみよ!」
わたしたちは、思い切り上を向きながら移動する。ここで初めて気づく。たった一つのライトを探しながら歩いていると、麗華とはぐれてしまう可能性があるということに。
「ねえ麗華」
「なぁに、香織?」
「こうやって二人とも上むいて歩いてたら、隣に麗華がいなくなっても気づけないかもしれないから……手を繋いで歩かない? ほら、周りの人も皆手を繋いで歩いてるしさ!」
自分が麗華と手をつなぎたがっていることを悟られるのが恥ずかしくて、最後に言い訳のような一言を追加した。けれど、これは本当のことだ。実際、辺りを見渡せば、何十組もの人が手を繋いでいた。皆、男の人と女の人の組み合わせだけれど……。
「いいよ!」
麗華はたった一言そう口にすると、右手を差し出した。この様子だと、最後の言い訳は必要無かったかもしれない。わたしは着けていた手袋を片方だけ取り外すと、左手を麗華の右手にギュッと絡める。
「香織の手、温かいね」
「わたしは手袋着けてたからだよ」
わたしは澄ました顔で、そんなことを言ったけれど、本当はそれだけでは無い。麗華と手をつないだ瞬間から、胸の鼓動が凄いことになっていて、全身が火照っていた。けれど麗華は、そんなわたしの様子に気づいた様子は無くて、必死に上を向きながらピンクのライトを探しているみたいだったので一安心する。わたしも同じように上を向いて、ピンクのライトを探す。
あるかないかすら確かでないピンク色のライト。おまけにあったとしても、六十万個のうちのたった一つを探すなんて、とても難しいことは分かっていたから、見つかったらラッキーくらいの思いだったけれど、どうやらわたしたちは運が良かったらしい。ずっと上を向き続けて、首が痛くなってきた頃。一旦、首を休めるために前を向くと、数メートル先に少し人だかりが出来ているのを見つけた。
「ねえ麗華、あれ何だと思う?」
麗華もわたしが右手で指差す方を向いた。
「何だろう……もしかしてあそこにあったりしてね。ちょっと行ってみよ」
二人で人混みの中へ突入する。そして、周りの人が見上げている方向に目を向けた。
「あった! あったよ香織!」
麗華は大きな声で叫びながらジャンプする。よほど嬉しかったのだろう、わたしの左手を握る手も、固く握りしめられた。わたしもじっと目を凝らすと……。
「あ、あった……」
オレンジ色の海の中に、たった一つだけピンク色に光る点があった。
再び視線を降ろして隣を向くと、麗華は固く目を閉じて祈っていた。それはもう真剣な様子で。だからわたしも、同じように目を閉じると、お願いを心のなかで呟いた。
桜花さんの手術が上手くいきますように……。そして麗華の笑顔がこれからも見れますように……。
随分長い間祈った後、ゆっくりと目を開ける。ふぅ……と一息ついてから横を向くと、目を大きく見開きながら、わたしのことを見ている麗華の姿があった。一瞬でまた顔が熱くなる。
「な、なに? どうしたの、麗華?」
「いや……今の香織の表情と周りの雰囲気が凄く良いなって思って、目に焼き付けてたの」
「そんなに凄い表情してたの? わたし……」
眉間にシワとか寄ってなかったかな……。
「凄いって言うか……わたしが描きたいって思った表情だったの」
「そっか……」
「私決めた。お母さんに送るイラストは、今のこの光景にする」
「今まで描いたイラストは?」
「今までのも悪くは無いけど……きっとこの光景の方が綺麗に描けると思うの」
麗華は再び、ピンクのライトに視線を向ける。わたしも再び上を向く。そうしていたら、わたしたちの隣にいたカップルの声が聞こえてきた。
「優くん、好きだよ」
「ああ、俺も萌のこと好きだよ。来年も一緒に見に来ような」
「うん!」
その後、女の人の方が男の人の頬に軽くキスをしてから二人はこの場を離れた。
「……なんか大人って感じだったね……」
隣から、カップルに圧倒された様子の麗華の声が聞こえてくる。
「……そうだね」
恋愛するっていうのは、あんな感じのことを言うんだろうな……。
ああいう関係は、凄くわたしにとっては羨ましかった。
わたしだっていつか、麗華とああいう関係になれたら嬉しいな……。
気づけば、わたしの口は勝手に動いていた。
「麗華、好きだよ」
数秒経ってから、わたしは自分が物凄いことを口走ったことに気づく。
しまった! ついカップルにつられて……。麗華に気持ち悪いって思われちゃうかも……。
わたしは慌てて誤解を解こうと思ったけれど、麗華の返答がそれよりも先だった。
「私も。私も香織のことが好きだよ」
えっ……。
体が一瞬ふわりと浮いたような気分になる。もしかして麗華も、わたしのこと……。
「香織は、私の大切な友達。ううん、初めて出来た親友だもの。香織と親友になれていなかったら、今日だって私は、こんなに綺麗な光景を見れなかったと思う。本当に、ありがとね、香織」
「う、うん……。こちらこそ、ありがとね……」
一瞬感じた浮遊感は、直後には無くなっていた。別に麗華の言葉が嬉しく無かった訳ではない。むしろ、つい最近までは言ってほしくてたまらなかったことのはずだ。麗華がわたしのことを、初めて出来た親友とまで言ってくれたんだから……。
けれどそれによって、直前に麗華が言った「好き」とわたしが麗華に対して言った「好き」とでは、持つ意味が全く違うことも分かってしまった。
わたしの「好き」の意味を、麗華にちゃんと伝えるかどうか迷う。もしも伝えるなら、ここは最高のスポットだとわたしは思った。辺りにはドラマに出てきそうなくらいロマンチックな光景が広がっていて、周りのカップルたちも、わたしが麗華に対して持つ「好き」に限りなく近い「好き」を互いにささやきあっているのだから。
けれど結局、わたしは何も言わなかった。わたしは未だに、自分の気持ちに自信を持てていない。麗華に対するこの気持ちが何なのかをはっきりさせないと、適当なことを言ってしまいそうで怖かった。それに、もしも今、わたしがこの気持ちを麗華に伝えてしまった時、麗華がどんな反応をするのか全く予想がつかない。もしもわたしのせいで麗華を混乱させてしまって、イラストを完成させることが出来なかったら、それは最悪だ。今は桜花さんの手術前のとても大事な時期。だからこそ、わたしのせいで麗華を混乱させるような真似はしたくなかった。
だからわたしは、この気持ちに鍵をかけて心の奥底にしまった。もしも、この鍵が解除される時が来るとしたら、それはわたしが自分の気持ちに自信を持ち、そして桜花さんの手術が成功したときだろう。
もう一度ピンク色の光を目に焼き付けてから、わたしたちは家へ戻った。
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