第20話

 翌日、教室についたわたしは辺りを見渡してみたけれど、麗華の姿はどこにも無かった。


 「今日も麗華っちいないね」


 「風邪でも引いたのかな……」


 ちゃんゆいとみっちゃんで、今日も麗華の心配をする。皆、今日も麗華は休みだと思っていた。けれど朝の会が始まる直前に、麗華は学校へやってきた。


 「麗華!」「麗華っち!」「麗華ちゃん!」


 わたしたちは麗華の姿を見つけるやいなや、大急ぎで駆け寄った。皆、口々に心配の言葉を投げかける。


 「皆、ありがとう。でも私は大丈夫だから安心して?」


 そう言って小さく微笑んだ。


 「そっか、良かった~」


 「これで今日も絵しりとりが出来るね」


 みっちゃんもちゃんゆいも、安堵した様子だ。けれどわたしは、そんな簡単に安心した気持ちにはなれなかった。わたしだけが、麗華のお母さんの病気のことを知っているから。そして、ついさっき麗華の見せた微笑が、前に見たものよりもほんの少しだけぎこちないような気がしたからだ。


 「ねえ、れ……」


 わたしが麗華の「れ」の字まで言ったところで、朝の会のチャイムが鳴った。結局、その違和感を口に出すことは出来なかった。




 今日の麗華は、何事も無かったかのようにいつも通りだった。絵しりとりでも相変わらず上手な絵を描いて、休み時間も普通にいつもの四人組で会話していた。いつも通り、掃除を終わらせて、いつも通り麗華と一緒に帰宅する。帰り道の最中に、心臓の病気のことを澪さんから聞いたことも麗華に打ち明けたけれど、麗華は


 「今まで黙っててごめんね。私は大丈夫だから心配しないで」


 と言っただけだった。たったのそれだけでこの話題は終わってしまう。ここ最近、麗華の前では言いたいことを言っていたわたしだけれど、流石に、お母さんの病気の話をこれ以上するのは良くないと思って、久々に麗華の前で空気を読んで、この話題は続けないことにした。


 麗華の家で、今日も漫画を読んだ。漫画をめくる音と、勢いよく紙の上を走るペンの音だけが聞こえる。麗華の鼻歌は……今日は聞こえなかった。けれどそれ以外は、いつもどおりの落ち着いた空間のはずなのに、何故か今日は少し居心地が悪かった。部屋の空気がピリピリしているような気がする。


 「香織、この絵はどうだと思う?」


 麗華は、わたしに向かって普段よりも少しだけ勢いよく自由帳を突き出す。


 「あれっ? このキャラは初めて見るかも……」


 そこには、雅人でも菫でもわたしでも無い、これまで見たことのない人が描かれていた。ツインテールの女の子で、見た目は高校生くらいだ。


 「うん、漫画家目指すなら、自分だけのキャラクターも描けるようにならなきゃいけないって思ったの。どうかな?」


 決して下手では無い。良く描けているイラストだと思う。だけど……


 「う~ん、表情が、また前みたいにちょっと硬くなってるような気がする……かな。もちろん凄く上手なことには変わりないけど。でも今まで描いていたイラストの方が、わたしは良いと思う」


 「そっか……」


 わたしのコメントに、麗華は悔しそうに顔をギュッとしかめた。今までも何回か麗華のイラストにコメントしたことはあったけれど、こんな反応をされたのは今回が初めてだった。




 それからというものの、麗華は毎日のようにオリジナルのキャラクターを描くようになり、以前描いていた雅人や菫、そしてわたしのイラストはすっかり描かなくなった。


 そんな麗華の様子を見ているうちに、少しずつ違和感がわたしの中で積み重なる。最初は些細なものだったけれど、段々とそれは決定的なものになっていった。


 絵しりとりをしているときも、一緒に話している時も、どこか心ここにあらずといった感じで、授業中に先生に指名された時も、「分かりません」と答える頻度が増えていた。本来なら麗華は、ちゃんと勉強するタイプだから、当てられてもしっかりと答えていたのに……。


 そして麗華の描く絵も、どんどん変化していった。なんだか最近、筆使いが荒くなってきた気がする。


 「この絵はどうかな?」


 麗華は今日、十回目くらいのコメントをわたしに求めた。こんなにわたしにコメントを求めることだって、前は無かった。


 「えっと……麗華には嘘つきたくないから正直に言うけど……描くたびに表情がどんどん崩れていってると思う」


 「……どうして!」


 麗華は突然、声を張り上げる。勢いよく頭を抱える。後ろ髪がふわり宙を舞う。驚いたわたしは、ビクッと全身を震わせた。麗華の叫び声を聞くのは、これが初めてだった。


 「れ、麗華……?」


 目の前の光景が信じられなくて、わたしは麗華の名前を呼ぶ。


 数秒して麗華は、ハッと我に返った。抱えていた頭をあげて、慌てたように手ぐしで髪を整える。


 「ご、ごめん香織……。香織が正直な感想を聞かせてくれたのに、私ったら逆ギレしちゃって……。最低だよね」


 「そんなこと無いけど……ちょっと驚いたかも。麗華、どうしたの? ちょっと疲れてるんじゃない?」


 「そんなことは無いよ。私は大丈夫。私はお母さんと違って健康なんだから……」


 そう言うやいなや、すぐさま麗華は机に向かって、自由帳の新しいページにイラストを描き始めた。まるで一秒も時間を無駄にしたくないかのように。




 それから更に一週間が経った、ある日のこと。


 「ごめん香織。今日は私、先に家に帰ってもいいかな……」


 それは授業が終わり、掃除の時間が始まる前のことだった。


 「えっ、どうしたの?」


 「ちょっと用事があって……」


 「そっか、分かった」


 麗華の家に遊びに行けないのは悲しかったけれど、麗華に用事があるのなら仕方ないと思った。今日だけのことだと思っていた。けれどそんなことは無くて……。


 「香織、今日も悪いんだけど……」


 「うん、大丈夫だよ」




 「今日も用事が……」


 「そっか、麗華忙しいんだね」




 「今日も……」


 「……うん」




 こんな日が続くにつれて、もしかしてわたしは麗華に避けられているのではないかと思うようになった。今まではそんなことあるわけないと思っていたけれど、もしかすると……。


 そう思った途端、急に胸が苦しくなる。息がしづらくなる。麗華いない生活なんて、もう今のわたしには考えられなかった。一体、わたしの何が気に入らなかったのだろう……。もしもそれが分かるなら、今すぐにでもわたしはそこを改める。麗華の為なら、わたしはどんなことでもする覚悟があった。


 「ねえ、麗華!」


 下駄箱で、わたしは麗華を呼び止めた。


 「今日も麗華は先に帰るの?」


 わたしの言葉に、麗華は一瞬視線を下に動かしてから小さく頷いた。やっぱり麗華はわたしのことを……。わたしの心の中で嵐が吹き荒れる。耐えられない。


 「……も、もしかして麗華、わたしのこと嫌いになっちゃった……?」


 震える声で、わたしは麗華に尋ねる。怖い。もしも返答を聞いてしまったら、もうわたしは生きていけないかもしれない。それでもわたしは、じっと麗華を見つめた。


 「そんなことない。わたしはいつまでも香織の友達だって前に言ったでしょ?」


 首をゆっくり横に振りながら、麗華はそう言った。


 「だって……でも!」


 それでも、麗華が最近わたしと遊んでくれないのは間違いようのない事実だ。友達だと思ってくれているならどうして……。本当は友達とは思っていないけれど、わたしを傷つけないためにそう言ってるんじゃ……。一度疑念を抱いてしまうと、そんな考えは止まらなくなる。頭の中がグチャグチャになって、思わずわたしは頭を抱える。その時、わたしの上半身を、ミルクのような甘い香りが、お餅みたいに柔らかい感触が、太陽みたいにポカポカと温かい何かが包み込んだ。


 「れ、麗華?」


 麗華は、頭を抱えるわたしに抱きついていた。わたしの耳は、ちょうど麗華の胸のあたりにあって、鼓動が直接鼓膜に伝わってくる。その音は、わたしにやすらぎを与えてくれた。


 「ごめんね香織……。最近、私、いつも一人で帰ってばかりで。でもそれは、決して香織のことを嫌いになったからじゃないの。ただ、どうしてもやらなくちゃいけないことがあって、時間がないからこうなっちゃったの。本当にごめんなさい。でもこれだけは信じて、わたしはずっと、香織の友達だから」


 麗華の胸の中で、わたしも小さく頷く。


 「分かった……。麗華の言うことを信じる。でも、もしも本当に大変だったり、辛かったりしたら、わたしに言ってね? わたしは麗華の為だったら何だってするんだから」


 「……うん」


 少し間をおいて、視線をそらしながら麗華は返事する。そしてゆっくりとわたしを抱きしめていた腕を解いた。その様子にわたしはちょっとだけ違和感を覚えたけれど、それを口にする前に麗華は下駄箱を離れて家へ帰ってしまう。


 わたしは抱きしめられた時の麗華の感触を忘れられなくて、そして最後の麗華の様子が気になって、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。




 「はぁ……」


 麗華が帰ってしまった為、やることも無くなったわたしは、誰もいない教室で一人ため息をついていた。掃除が終わってから、なんとなく家に帰る気分でもなくて、こうしてずっと自分の席に残っていたのだ。


 麗華は今頃何をやっているんだろう……。


 想像してみたけれど、わたしが思いついたのは、楽しそうに、それでいて真剣な表情で鼻歌を歌いながらイラストを描く麗華の姿だけだった。


 けれど本当は違うと思う。最近の麗華は、何だか前よりも厳しい表情で自由帳に向き合っていることが多い。それは凄く辛そうで、本当はどうにかして手伝ってあげたいのだけれど、よく考えればわたしに手伝えることなんて何もなかった。わたしは麗華とは比較にならないくらい絵が下手なのだから。


 それに、最近の麗華はわたしに頼ることも減ってしまった。ついこの間までは、イラストの感想を何回も求めてくれたのに、最近は全く聞かれなくなった。わたしは、麗華の為だったらどんなことだってやるつもりなのに、逆に全く頼られなくなってしまって、少し、ううん、かなり寂しい。


 麗華はわたしのことを抱きしめて、友達だと言ってくれたけれど、それならこんな風にわたしを一人で置いていってほしくなかった。


 「寂しいな……」


 ボソリとわたしは呟いた。心の思いが思わず口から漏れてしまったことに気がついて、慌てて両手で口を塞ぐけれど、すぐに肩を下ろした。ここはどうせ誰もいない教室なのだ。心配しただけ損だったな……そう思った途端、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 「やっぱりお前、何か悩んでるのか?」


 肩をビクリと震わせてから、わたしは恐る恐る振り返る。


 「啓太?」


 教室後方のドアの側に啓太は立っていた。


 「いつからいたのよ!」


 独り言を聞かれたのが恥ずかしくて、少し荒っぽい口調でわたしは啓太に話しかけた。


 「別にいつだって良いだろ! そんなことより……寂しいってどうしたんだよ。いっつもバカみたいに笑顔を振りまいてるってのに……」


 「バカみたいって……あんたに言われる筋合いはないから!」


 久しぶりに啓太にからかわれる。本来それは面倒なことのはずだけど、今のわたしにとっては麗華のいない寂しさを紛らわすのにちょうどよかった。


 「本当のことなんだからしょうがないだろ? いつもニコニコしてて……まあ最近はそうでもないかもしれないけど……」


 「……最近のわたし、そんなにいつもと違ってた?」


 一応わたしなりに、普段通りに振る舞うように気をつけていたはずだったのに……。やっぱりわたしの演技は下手だったのかな……。


 「パッと見では分からないけど、よく見てればすぐ分かるくらいには違ってた……。っつっても、クラスの奴らの大半は気づいてないと思うから、そんな心配する必要は無いと思うけどな」


 啓太の話を聞く限り、わたしの違いに気づきそうなのは、いつも話しているちゃんゆいやみっちゃん、あとは他でもない麗華くらいで、他の人にはバレていなさそうだったので安心する。


 ほっと一息ついた所で、わたしは一つのことに気がついた。


 「あれっ? なんで啓太はわたしがいつもと違うことに気づいたの?」


 啓太はギクリとした様子で体を小さく震わせる。


 「そ、それは……偶然だよ。たまたま……」


 オロオロした様子の啓太を見るのは面白かった。今まで、わたしがからかわれてばかりだったから、たまにはわたしが啓太をからかってみても良いかもしれない。


 「たまたま~~? 本当にそんなことあるかな~? 実は、わたしのことずっと見てるんじゃないの?」


 ますます啓太は動揺した。視線がキョロキョロとさまよっている。もっと畳み掛けちゃえ。


 「本当は啓太、わたしのこと好きだったりして!」


 誰もいない教室に、わたしの声が響く。それからしばらくの間、静寂が広がる。わたしの予想では、啓太は今まで以上にオロオロするはずだったのだけれど、目の前の啓太は、わたしをじっと見つめていた。もう目玉はキョロキョロと動いていなかった。わたしの顔に視線はガッチリと固定されている。そのまま人形にでもなってしまったかのように、啓太は微動だにしなかった。


 「ちょ、ちょっと啓太……なんか言ってよ……」


 静かすぎる教室の雰囲気に耐えきれず、啓太の返答よりも先にわたしは口を開いた。


 「悪いかよ……」


 啓太は、ボソリと呟く。二人きりの教室じゃなかったら、絶対に聞こえないくらいの小さな小さな声で……。


 「けい……た?」


 わたしは啓太の言っていることの意味がよく分からなくて聞き返す。その時、窓から差し込む夕日が、啓太の横顔を照らした。それが合図になったように、啓太は先程までとは打って変わって大声で叫ぶ。


 「俺が香織のことを好きだったら悪いかよ!」


 真剣な眼差しで啓太はわたしをじっと見つめる。対するわたしは、あまりに突然のことに困惑していた。


 「え……えっ?」


 わたしは冗談で啓太をからかっただけのはずなのに……。


 「どういうこと? あ、分かった。いつもみたいにわたしのことからかってるんでしょ!」


 きっとそうに決まってる。全く啓太ったら、からかう為だけにこんなに真剣な表情しちゃって……。


 「まあ今日のは、今まで啓太がからかってきた中では一番驚いたかな……。啓太ったら、意外に演技が上手なんだね。わたし以外の子にそれやったら、愛の告白だって勘違いされちゃうよ? 相手がわたしで良かったね。でも……」


 「違う!」


 ペラペラと続くわたしの話を啓太は遮った。


 「違うんだよ! 今日のはからかいでもなんでも無くて……俺は香織のことが好きなんだよ!」


 目の前の啓太は、とても冗談を言っている様子では無かった。でも、目の前の光景がわたしは信じられない。


 「なんで……どうして?」


 「理由なんて知らないよ! でも大分前から、俺は香織のことが好きだったんだ。普段の教室でだって、修学旅行の時だって、気づけばいつもお前のことを目で追っていた。だから、ここ最近お前が元気なくしてることだってすぐに分かった。今ここにいるのだって、お前がなかなか学校から帰らないのが心配だったからだよ! どうだ、これで満足か?」


 肩で息をして、顔を真っ赤にさせながら、啓太は一息で言い切った。


 啓太、好き? わたし?


 それらの単語が、わたしの頭の中では全く繋がらなかった。普段ふざけてばかりいる啓太と、今、目の前に立っている啓太が同じ人だとはとても思えなかった。


 「信じられないよ! だって、もしも啓太がわたしのこと好きなら、どうしていつもわたしに意地悪ばかりするの? わたしが麗華の自由帳をビショビショにしちゃった時だって、すぐに謝る気なんてなかったじゃない! 言ってることとやってることが全然違うよ!」


 啓太に負けないくらいの大声で、わたしも言い返す。それに怯んだのかどうかは分からないけれど、啓太は半歩だけ後ろに下がった。


 「そ、それは……自分でもよく分からない……」


 「何よそれ!」


 「本当なんだ、信じてくれ! あの時だって本当は、すぐにでも謝りたかったけど、何故か口からは正反対の言葉が出てきて……。そのせいで夏休みだって、ずっと嫌な気持ちを抱えたまま過ごすことになって……。だから夏休み最後の日、香織に会えて本当に嬉しかったんだ」


 とてもじゃないけれど啓太の言うことを信じることは出来なかった。けれど、ここでわたしはある一つのことを思い出す。


 そう言えば七夕の短冊……。


 あそこには、わたしと仲直りしたいという啓太の願いが書かれていた。確かに今、啓太が言っていることと、あの短冊に書かれていたことにおかしなところは無かった。


 もしかして啓太は本当にわたしのことを……?


 「……どうして? わたしなんかのどこが良いの? どこが好きになったの?」


 どうしても、その答えが知りたくて、わたしは先程とほぼ同じ質問をもう一度した。また「知らないよ!」と答えられるかと思ったけれど、啓太はしばらく考え込んだ後に、今度は答えてくれた。


 「やっぱり、上手く言葉では説明出来ないけど……強いて言うなら笑顔……かな」


 笑顔……?


 内容がつかめないまま、わたしは黙って続きを啓太に促した。


 「大体いつも、お前はニコニコしてるしてるけど、その笑顔にはいくつか種類があるんだよ。一人で本を読んでいる時の笑顔、クラスメイトと話している時の笑顔、美咲や結衣と話している時の笑顔、あとは最近だと麗華と話している時の笑顔。普通の人から見たら、どれも同じように見えるかもしれないけど、なんとなく俺には違いが分かる。それで、俺が一番好きだったのは一人でいる時のお前の笑顔なんだ。他の笑顔は、何だか無理して作っているように見えるんだけど、一人でいるときの笑顔は、何ていうか、自然と生まれた笑顔って感じがして……。けど最近は、麗華がいるときも同じくらいか、それ以上に自然な笑顔を見せるようになってるから、そっちの笑顔もいいと思うけど……。とにかく、そんな感じの笑顔に気がついたら惹かれてたんだ」


 「気づい……てたの?」


 わたしは啓太の想像以上の観察眼に息を呑む。今まで誰にも言ったことは無いのに、啓太にはバレているみたいだった。わたしがいつも、周囲の空気を気にしながら発言したり、愛想笑いを浮かべていることを。


 「まあ……」


 頬をかきながら啓太は頷く。


 しばらくの間、わたしたちは無言のままたたずんでいた。突然明らかになった衝撃の事実を受け入れるには時間が必要だった。

 けれど、わたしが事実を噛み砕き終わる前に、啓太は再び口を開く。


 「それで……俺の気持ちは、これで大体伝え終わったと思うんだけど……香織は俺のことどう思ってんの?」


 わたし?


 「もしかしてだけど……これって告白だったりする?」


 「まあ……そうだな……」


 まさか自分が告白される日が来るなんて、夢にも思わなくって、わたしはその場立ち尽くす。


 わたしは啓太のことをどう思っているんだろう……?


 正直ついさっきまでは、偶にからかってくるだけの面倒な男子くらいにしか思っていなかった。けれど、いざこうして告白されて心の内を知ってしまうと、わたしの啓太を見る目もほんの少しだけ変わる。


 いつもわたしのことをちゃんと見てくれていて、わたしのことを思っていてくれて……。


 意外にわたしたちはいい関係を築けるのかもしれない。


 すぐには告白を断ることが出来なくて、わたしは考え込む。凄く長い時間、わたしは悩み続けていたの思うけれど、啓太は何も言わずにわたしのことを待ってくれた。


 どれほどの時間が経っただろうか。ようやくわたしは、ポツリと呟く。


 「わたしは……啓太とはいい友達になれると思った」


 わたしが導き出した結論は、啓太と友達になることだった。啓太がわたしのことを好きでいてくれているのは分かったけれど、恋人になるのは何だか違う気がした。


 「そっか……」


 啓太の顔から、ふっと力が抜ける。


 「そっか……まあ、そうだよな……」


 ついさっきまで、わたしに固定されていた視線も徐々に下へと逸らされてゆく。


 「こうなるのは分かってたのに、何で告白なんてしたんだろう、俺……」


 啓太の目尻からこぼれ落ちた雫が、夕日に照らされてキラキラと輝く。


 「うわっ、何だよこれ……。ちょっと目にゴミが……」


 必死で両目を拭いながら、啓太はわたしに背を向ける。


 「ごめん啓太……。別にわたしは、啓太のことが嫌いなわけではないの。むしろ今日の話を聞いて、今までよりも、もっともっと仲良くしたいと思った。でも……わたしは啓太の気持ちには答えられない。だってわたしには『人を好きになる』っていうのが、どういうことなのか、まだ良く分からないから……」


 数ヶ月前から、わたしはずっと「恋愛」の意味を知りたくて考えているのに、未だにその答えは分からない。まさか、普段からバカにしていた啓太の方が、わたしなんかよりもずっと「恋愛」のことが分かっているなんて思いもしなかった。わたしは、自分が調子に乗っていたことを反省する。これからは啓太のことをバカにするのは止めたいと思う。


 「そっか……。じゃあ俺の方が香織よりも頭が良いってことになるのかな」


 「そうかも、しれないね……」


 「おいおい、今のは冗談だって。いつもみたいに言い返せよ。なんか調子狂うな……」


 無駄に明るいトーンで啓太は言い返す。きっと無理して普段どおりわたしと話そうとしているのだと思う。


 「でも本当に啓太は凄いよ。わたしがずっと考えても分からなかったことを、分かってるんだから」


 わたしの言葉に、啓太は背を向けたまま、ハァと小さくため息をつく。


 「香織だって、そのうち分かるって。それも、きっと遠くないうちに……さ。じゃあ俺はもう帰るから!」


 啓太は、わたしに背中を向けたまま走り出した。あっという間に、いなくなる。


 「遠くないうちに、分かる……ね」


 いままでこれだけ頑張っても分からなかったんだから、多分、無理だろうけど……。


 そう思いながら口に出したわたしの呟きは、夕日の差し込む教室にポツリと取り残された。

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