第16話

 学校の授業は凄く長く感じられるくせに、楽しい夏休みはあっという間に過ぎる。今日は八月三十一日。夏休み最終日だ。


 この夏休みは、本当にたくさんのことをした。麗華と恋メロのシチュエーションの演技をいくつもしたり、わたしの家で麗華とお泊り会したり、その後、麗華の家でもお泊り会したり、家族で草津温泉に行ったり……。こうやって考えてみると、今年のわたしの夏休みのイベントの八割以上は麗華絡みのものだったような気がする。今年は麗華一色の夏休みだ。


 そして、この夏休み最後のイベントは……今日の夏祭りだった。


 「おまたせ香織」


 待ち合わせ時刻五分前に、麗華はゆっくりと右手を振りながらやってきた。今日のお祭り会場はわたしたちの家から地下鉄で数駅の所なので、最寄り駅で待ち合わせしていたのだ。


 「わぁ……。麗華、すっごく浴衣似合ってる」


 普段は降ろしている黒髪を、今日の麗華は後ろで結っていた。スッとした首筋がよく見える。着ている浴衣はピンクの地に、オレンジ色の金魚がかかれたものだ。麗華は身体のラインがほっそりとしているから、浴衣姿も魅力的だ。


 「そう言う香織の浴衣も素敵だよ。今すぐ絵に描きたくなっちゃうくらい」


 「本当? 嬉しいな……」


 この浴衣は先週、近所のデパートでお母さんと一緒に何時間もかけて選んだものだ。自分にはどの浴衣が合うのか、何着、何十着と試着して、最後の最後に選んだのが今着ている薄いブルーの地に、朝顔の花かかれた浴衣だ。麗華の反応がどうなのか不安だったけれど、良さげなのでわたしはホッと一息つく。


 無事に集合したわたしたちは、そのまま地下鉄に乗った。今日はお祭りということで、お母さんから電車代とお小遣い、合わせて二千円も貰うことが出来た。わたしはこの大金をどう使うか、ワクワクしながら考える。

 地下鉄の車内には、わたしたちと同じように浴衣を着た人がたくさんいて、皆、わたしと同じ様に、これから始まるお祭りに期待を寄せている様子だった。

 

 目的地の駅に着いて外に出ると、既に辺りは賑わっていた。


 「わぁ……すごい屋台の数」


 麗華も、その光景に目を奪われている。


 「麗華、りんご飴だって! わたし食べてみたい!」


 「じゃあ、まずはあそこに並んでみよ!」


 わたしたちは、しばらく列に並んでりんご飴を手に入れる。麗華は今までりんご飴を食べたことがなかったらしくて、終始楽しそうにチビチビと舐めていた。


 続いてわたしたちはスーパーボールすくいをしたり、射的をしたり、たこ焼きを食べたり、色々なことをした。


 「麗華、今何時か分かる?」


 わたしは大粒のたこ焼きを口に放り込みながら質問する。麗華は辺りをキョロキョロと見渡した。


 「えっと……六時五十五分」


 「ってことは、あと五分で花火が始まっちゃうね」


 「ねえ香織、私、花火が始まる前にお手洗いに行ってきてもいい?」


 「もちろん! じゃあ、あそこの時計の下でわたしは待ってるね!」


 麗華は頷くと、カラカラと下駄を鳴らしながらお手洗いの方へと向かった。わたしも時計の方に向かって移動を始める。


 「ゲッ……」


 時計のふもとについた時、何やら聞き覚えのある声が隣から発せられた。気になってそちらを向いてみると、そこには困惑気味の表情を浮かべた啓太がいた。紺色の浴衣を身にまとっている。


 「うっ……」


 思わずわたしもうめき声をあげてしまう。しばらくの間、わたしたちの間には気まずい沈黙が流れた。この状況で一体、何を話せばいいのか分からない。


 「お前もこの祭り来てたんだ……」


 突然ポツリと啓太は呟く。無視するわけにもいかないので、わたしは返事する。


 「うん。啓太こそ……」


 ここでまた、会話が途切れる。麗華とだったら会話が途切れることなんて滅多に無いのに、啓太相手だと何を話せばいいのかよく分からない。いつもだったら啓太がわたしのことをからかうから、それに対して怒っていればいいだけなのだけれど、今日の啓太は何故かわたしのことをからかわない。からかわれるのもムカムカするけれど、からかわれないのは、それはそれで調子が狂う。


 「あのさ……か、香織」


 「何?」


 啓太はわたしの方を向く。いつになく真剣な表情だ。


 「この前はごめん……」


 いつもの大声からは考えられないくらいの小さな、蚊の鳴くような声で啓太はそう言った。わたしは小さくため息をつく。


 「やっと謝ってくれた……。まあ、麗華と仲直りできたから、今回だけは特別に許してあげる。でも次に同じことしたら、その時は本当に絶交だからね!」


 わたしは啓太を人差し指で差しながら、強い口調で言い放った。


 「分かってるよ。もう、あんなことはしないから……」


 しおらしい口調で啓太は返事する。


 「そ、そう? まあ分かったなら良いけど……」


 やけに素直な様子の啓太に、わたしはペースを崩される。


 本当にこの人、啓太なの?


 実は双子がいるんじゃないかと思ってしまうくらい、今日の啓太はいつもの啓太とは別人のようだった。


 わたしは少し距離を詰めて、啓太の顔をじっと見つめる。目の前の人が本当に啓太なのかを確かめる為に。


 「な、何だよ……」


 啓太はプイッと横を向いてしまった。それでは顔がよく見えない。わたしは正面から啓太の顔を見るべく、四分の一周移動するけれど、そうすると啓太は再び顔を元の位置に戻してしまう。


 「ちょっと! 何するのよ! 顔が見えないじゃない!」


 「な、なんでお前に顔を見せなきゃいけないんだよ!」


 しばらくの間、わたしは啓太の周りをグルグルと回って、啓太も首をグルグルと回していた。けれどそれも、ピューという気の抜けた音によって中断される。


 慌ててわたしは音のした方向に顔を向ける。ちょうどその時、橙色の花火が空中に広がった。少ししてから、大きな音がお腹に響く。


 あ~、始まっちゃった……。早く帰ってきて、麗華!


 わたしは次々と打ち上げられる花火を見ながら、頭の中では麗華のことばかり考えていた。わたしは麗華と一緒に花火が見たい。麗華の隣で花火を見上げる自分を想像するだけで、笑みが溢れてしまうほどだ。


 「綺麗だ……」


 啓太の声が横から聞こえる。


 「あ~、うん。綺麗だね」


 わたしは適当に相槌を打った。夜空を彩る色とりどりの花火は確かに綺麗だった。けれど、麗華と一緒にわたしは見たい。


 そんな風に麗華のことを考えながら上を向いていたわたしだったけれど、直後の啓太の発言で花火どころでは無くなった。


 「香織……お前の浴衣、似合ってるよ……」


 啓太の口から信じられない発言が飛び出したような気がして、驚いたわたしは花火から目をそらす。


 「……えっ、何?」


 「だから、浴衣似合ってるなって……」


 たっぷり数秒間、絶句したわたしはその場で固まる。今まで啓太がわたしのことを褒めたことなんて一度もないからだ。


 「似合ってるって、もしかしてわたしの知らない悪い意味とかあったりするの? それとも何かの皮肉?」


 「そ、そんなのじゃねぇって……。何だよ、俺がおまえを褒めたらダメっていう決まりでもあるのか?」


 啓太はそっぽを向きながら、そんな風に吐き捨てた。その様子は、とても嘘をついているようには見えない。


 「そんな決まりは無いけど……。一体、どうしちゃったの? もしかして何か悪いものでも食べた? それとも風邪引いたとか?」


 さっきまではあんまり気にならなかったけれど、よく見ると、啓太のほっぺが若干ピンク色になっているような気もする。


 もしかして熱を出してるんじゃ……。


 そう思ったわたしは、右手の手のひらを啓太のおでこにピタリと当てた。


 「う~ん、熱は……無いかなぁ……?」


 「な、何するんだよ!」


 啓太は慌てて数歩、後ずさる。


 「いや、熱があるんじゃないかと思って……」


 「ねぇよ!」


 「でも、何だかさっきよりもますます顔が赤くなってない?」


 花火に照らされた啓太の顔は、わたしが熱を測った前よりも、更に紅潮しているように見えた。


 「な、なってねぇから! お前の目は節穴何じゃないのか? もういい、じゃあな!」


 早口でそう言うと、啓太は勢いよくどこかへと走り去ってしまう。


 「今日の啓太、変だったなぁ……」


 思わず独り言でそう呟いてしまうくらい、今日の啓太はおかしかった。何故かわたしのことを褒めるし、からかわない。いや、よく考えれば最後の最後にわたしの目を節穴だとからかっていたような気もする。でもやっぱり、普段啓太がわたしのことをからかう時とは大分様子が違っていた。


 何かあったのかな?


 一瞬わたしは啓太のことを考えようとしたけれど、直後に麗華の声が聞こえてきて全てかき消えた。


 「香織、遅れてごめん!」


 小走りして浴衣の袖を揺らしながら、麗華がこちらへ向かってくる。


 「麗華!」


 「本当にごめん! 思ってたよりもお手洗いの列が長くって……」


 「気にしてないよ。それよりも花火、一緒にみよう!」


 わたしたちは二人揃って空を見上げた。わたしの視界に映る花火は、さっきまでよりずっと輝いて見えた。ついさっきまでと見ているものは同じはずなのに、隣に麗華が居るというだけでこんなにも違うように見えるのかと、わたしは驚く。

 やっぱり麗華は凄い。そう思いながら、わたしはチラリと隣に視線を向けた。そこには、麗華の白くてほっそりとした首筋が、後ろでまとめ上げられた黒髪が、薄ピンクの唇が、そして様々な種類花火に彩られた琥珀色の瞳があった。それぞれが完璧な割合で調和している。


 「綺麗……」


 わたしの思いが、いつの間にか勝手に唇から溢れていた。水中に飛び込んだ時のように、辺りが急に遠のいたように感じる。麗華の声、麗華の息遣い、それらだけが、とても良く聞こえた。


 「うん、綺麗だね……」


 瞳に花火を映したまま麗華は答えた。多分、わたしの「綺麗」と麗華の「綺麗」とは対象が違う。けれどそれをわざわざ訂正するのも何だか違うような気がして、わたしはただただじっと、麗華の横顔を見つめていた。それは、わたしがこれまで見たものの中で一番美しくって、夏休みの締めくくりとしては最高の光景だった。

 こうしてわたしの小学校最後の夏休みは終りを迎えた。

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